第115話 山間に響く
「ミリエラ! 食堂と休憩室の掃除、1時間以内に終わらせな!」
「はい、お母さま」
「イリスちゃん、水がなくなるよ。下の沢から水を汲んできて!」
「は、はい!」
「ミリエラ、作業着の直し。明日までにやっときな。あと夕飯の準備、300人分、手伝いな!」
「はい、お母さま」
「イリスちゃん、お湯沸かして。それから作業場に3時の支給、ダッシュ!」
「は、はいぃぃ!」
「ミリエラ、ミルクが足りないよ。裏の牛舎から絞ってき!」
「はい、お母さま」
「イリスちゃん、寝床の準備は……イリスちゃん!」
……死ぬかと思った。
というか死んだ。
管理小屋――というと小さな掘っ建て小屋に聞こえるけど、500人は寝泊りができるスペースが用意されているらしい。十数棟の宿舎の中心にある中央棟は、それだけの人数が食事をする場所もあってグーシィン家並みの広さを持つ。
そこでの嵐のような仕事に圧殺された。
仕事を処理する能力はあったつもりだけど、家事は別だったらしい。
というかあんな矢継ぎ早な指令を「はい、お母さま」で済ませて、しかもすべてこなすミリエラさん。マジ化け物だ。
家事が得意というのも、この環境に慣らされていればうなずけるもの。
300人分の夕飯を、手伝いの人とあわせてたった5人でさばいてきたんだから。
「これだけやれれば上出来ですよ、イリスさん。あとは私に任せて、少し休んでてください。そもそもイリスさんはお客様なんですから」
しかも僕の残りの仕事を全部受け持ってくれたのだから感謝しかない。
いや、確かになんでお客の僕がここまで働かされるのか、というのはあるけど。
働かざる者、食うべからず、か。
郷に入っては郷に従えと言うけど、さすがにこれはしんどいぞ。
というわけで許可をもらって小休止のために、外をぶらつく。
時刻は5時くらいか。
太陽は傾き、世界を朱に染め始める時間。
ふらふらと歩き流れて行ったのは、ここの仕事場。
山のふもとに、百人規模の人間がたむろしている。
穴をうがち、そこから土やら石をひたすら運んでいるようだ。
少し離れた丘の上から見る限りでは、蟻のように見えてしまうその単調な作業。
これがこの国を支える産業と言うのだから、そんな失礼なことは言ってられないのだけれど、それでもどこか滑稽に見えるのは何故だろうか。
あるいは、鉱物という人間にしか役に立たないものを、苦労して死ぬ思いで掘る人間と、それを無邪気にありがたがる人間の対比におかしさを感じたからかもしれない。
「気になるかね、うちの仕事が」
そんなことを考えていると、横から話しかけられた。
「ゴーンおじさん……」
ミリエラさんのお父さんだ。
手持ち無沙汰に、煙草に火をつけながらこっちへとやってくる。
「いいんですか、仕事は」
「ああ。もうあんま俺のやることもないんだよ……」
「そうなんですか」
現場の監督なんてそんなものなのだろう。
そう思っていたが、その観測は違っていた。
そしてその違いは、この国の未来に暗雲を落とすのだ。
「もう、この仕事もおしまいかね」
「え?」
ふぅっと煙草の煙を吐き出すゴーンおじさん。
仕事がおしまい?
終業時間が近いから、というわけじゃないだろう。
「どういう、意味ですか?」
「……カーヒルにも言ったことではあるんだがな」
カーヒル。うちの父さんか。
「もうこの国の鉱山はいかんらしい」
「いかんって……まさか!」
「ああ、どれだけ掘っても出てくるのはクズみたいな欠片ばかり。ここら一帯はもう、堀つくしちまったんだよ」
それは、天地がさかさまになるほどの衝撃だった。
まだこの世界に来て日は浅いが、それでも分かっていることがある。
この国。イースという国が成り立っているのは、豊富な鉱物資源による資金力によるものだ。 それによって周辺国の機嫌を取り、なんとか生きながらえているだけに過ぎない。
そしてあの太守が無駄な浪費を続けられるのも、ここの利益があってこそだろう。
それがもうない。
ということは、イース国を周辺国が生かす理由がないということ。
鉱物資源の枯渇は、イース国の滅亡と直結するのだ。
再び滅亡という文字が頭に浮かぶ。
どれだけ不安要素を積み上げれば気が済むのか、この世界は。
「ま、あと1,2年は大丈夫だろうけどな。ただ少し無茶しているところもあるから、なんとか新しい鉱脈を見つけたいところだが……どうもうまくいかねぇや」
つまり山師(鉱山を発見するような人)がいないわけだ。
さすがに僕にそんな知識はないし、軍師スキルとはいえ知らないものは知らないのだからどうしようもない。
「っと、すまんな。イリスちゃんには関係ない話だったな」
「いえ、大変貴重な情報でした。ありがとうございます」
「ほぅ……これが貴重な情報、ねぇ」
まじまじとこちらを見てくるゴーンおじさん。
煙草の煙がけむたかった。
「もしかして、相談ってのは建前で、カーヒルから何か言伝かい?」
以外に鋭いようだ。それくらいじゃなきゃ、鉱山管理をして国と渡り合っていられないのだろう。
鉱山資源の枯渇。それを聞かされてしまえば、僕も腹をくくるしかない。
「実は――」
だから僕が相談――とはいえ、敵か味方か判別つかない以上、まずはジャブとしての話をし始めようとした刹那。
遠く。何かが崩れるような音がして、そして振動が伝わってくる。
それは間違いなく、山肌に築かれたトンネル。その方向から聞こえてきた。
それを裏付けるように、トンネルの入り口からはもうもうと煙が吐き出される。
何か起きた。何が。まさか。
「ちっ、やりやがったか……」
「おじさん!」
「すまんが話は後だ。イリスちゃんは家内に連絡してくれ、落盤だと!」
そう言って走り出すゴーンおじさん。
落盤。そう言ったか。
山の典型的な事故。
鉱山やトンネル工事などで起こるもので、掘り進めた穴に対し、岩盤が落ちないよう補強するわけだが、それが限界値を越えて落下して起きる事故だ。
その下敷きになるのが一番の脅威だが、直接的な危機よりも大変な脅威がある。
それがトンネルの奥に人が閉じ込められた場合だ。
トンネルの途中で落盤が起きれば、奥にいる人は穴に閉じ込められる。
そうなれば閉じ込められた人間に待っているのは餓死――いや、窒息死しかない。
現代なら、重機や発破の存在により、救出にも方法がある。もちろん、岩盤が落ちてくる状態だから、激しい衝撃を与えれば、他の部分も崩落し、ミイラ取りがミイラになりかねない危険はあるのだが。
だがここは現代じゃない。
重機なんてないし、ダイナマイトもおそらくないだろう。あったとしても、それによる衝撃に耐えられる構造になっているとは思えない。
つまり中に人が取り残されていたら、救出は絶望的。
落盤が大規模な場合、空気の穴が閉じられるから窒息死の方が可能性として高くなる。
飢えて死ぬなら数日持ちこたえられる可能性があるが、窒息死の場合は1時間と持たない可能性が高い。
そう思うと、体が勝手に動いた。
「イリスちゃん!? なにを――」
途中でゴーンおじさんに追いつき、そのまま追い抜いた。
崩落の現場は、土煙におおわれて視界が悪い。
けど、そこには数十人の鉱夫たちが右往左往していた。
この混乱した現場。どうなってる?
「おい! 点呼取れ! いないやつを確認しろ! それと怪我してるやつは、今すぐ手当てだ!」
追いついたゴーンおじさんが、大声で命令を下す。
その的確な命令に、周囲は次第に落ち着きを取り戻していった。
「親方、まだ奥で5人が……!」
やっぱり、生き埋めにされてる人がいるのか。
「すぐに助け出すぞ!」「5メートル近い岩盤を、ツルハシでどうしろってんだよ!」「やってみないとわかんねぇだろ! 見捨てる気か!?」「下手にやって、さらなる落盤になったら二次災害だぞ!」
騒然となった周囲。おじさんもどうすべきか決めかねている。
その間に僕は辺りを物色していた。
ツルハシに……これは、鉄骨か。いくつかいただいて行こう。
あと手ぬぐい。それを顔に何重にも巻き付ける。
工具は手に入れた。体調は……大丈夫。まだあと100日以上寿命はあるし、あのトントとの戦い以降はスキルを使っていないから。たぶん、もつだろう。
「おい、お前! 何するつもりだ!」
誰かに呼ばれ、それを無視して走り出す。
助けられる力がある。それなら迷うことはない。
自分の感じるままに行く。それだけだ。