第110話 夏休み開始!
カレンダーは8月に入った。
その日は学期末ということで、終業式が行われた。
とはいえ、昔みたいに体育館に集まって集会をやるわけでもなし、教室でカーター先生の簡単な連絡事項というホームルームだけでその日の授業は終わったわけだけど。
そう、明日からは夏休み!
社会人になってからは、夏休みなんてたった数日、とか、夏休みとか休んでる暇ないっての! みたいな思いだったけど、まるまる1か月の休みが取れるとか、学生最高かよ!
……夏期講習がなければだけど。
というわけで、その夏期講習について話があるということで理事長から呼び出しを受けていた。
正直、あの爺さんに会うのは気が引ける。というか疲れる。
とはいえこちらも退学がかかっている。正直、退学なんてと思わないでもないけど、国のトップの娘が中退なんてみっともないのは確か。
今後、政治や軍事にかかわっていくことを考えると、その汚名は様々なところで足を引っ張ることになるだろう。
というわけで退学を甘んじて受け入れるわけにはいかなくなったので、今や理事長には逆らえない僕なのであった。……はぁ。
「失礼します……って、あれ? 何で?」
理事長室のドアを、ノックして開けると、そこには意外なメンツが揃っていた。
理事長の爺さんはこの部屋の主で、かつ僕を呼んだ人間だからいて当然。
そしてその横には例の馬鹿息子……いや孫か、この国の太守様テベリスがいた。これも想定通り。いてほしくなかったけど。
問題なのは残り2人。
1人はカーター先生。
でもそうか。クラスのことだから、先生が話を聞くのも当然といえば当然。
だから理解はできた。
だがもう1人は……。
「なんですの? ぼけっと突っ立って。いよいよその機械仕掛けの頭から油がなくなってしまったのですわね?」
「……いや、カタリアがなんでいるのかな、って」
「あら、わたくしがここにいてはいけない理由があって? 理事長とはお茶友ですのよ?」
「え、ああ、うん。そう。そう、なんだけどね」
理事長の爺さんがうなずくが、なんだかぎこちない。
もしかして理事長にもガンガン行ってるのかな、彼女。ある意味羨ましい性格だ。
「それで、何か問題でも?」
「あ、いえ。ないです……」
反射的にそう答えていた。
はぁ……本当にこの子は疲れる。
「うん、じゃあイリスちゃん。よく来たね、そこ座ってよ」
太守テベリスはこの空気をなんとも思っていないのか、にこやかに僕に席を勧めてきた。
椅子は6つ。
理事長と爺さん、対面に先生とカタリア。
普通に考えたら僕は生徒側だから先生とカタリアの方に座るしかないんだけど……。
「ちっ」
カタリアの横に座ったら舌打ちされた。
じゃあどこに座れっていうんだよ!
「さて、おんしらに集まってもらったのは……いや、皆とはちょっと語弊があるのぅ。クロード先生とイリス・グーシィンの2人じゃな。察しがついていると思うが、このたびの夏期講習、イリス・グーシィンの新領地行きなのだが……」
いよいよ、か。
一体どんな課題が待ち受けているのか。というか最前線だからなぁ。何も起きない方があり得ない。
それよりタヒラ姉さんと久しぶりに会う。それも楽しみだ。
――だが。
「取りやめになったぞい」
「…………は?」
今なんて?
取りやめ? なくなった? 白紙?
「なんで?」
「なんでも何もないからのぅ。この国で南は今や優先度が下がったのじゃ」
優先度が?
………………なるほど。
「そういう、ことか」
「さすが察しがいいのぅ」
「え? え? どういうことだってばよ、じいちゃん?」
「テベリス、おぬしにはさっき話をしたはずだがのぅ……」
「ったっはー! わり、よく分かんなかった」
「ふふふ、しょうがないやつめ」
いや、しょうがないやつで済ませるなよ。
孫に甘すぎだろ。その孫、何も考えなさすぎだろ。
「じゃあイリスちゃんや。可愛い孫のために説明してもらえるかの。答えがちゃんと合っているか、答え合わせじゃ」
「怖いな。そうやって値踏みする気でしょ」
「まさか。信じてるんじゃよ、わしのイリスちゃんはちゃんと物事を考えられる頭のいい子だと」
「理事長、俺のイリスを侮っては困ります。これくらい、ちゃんと分かっていますとも」
「おっと! 俺様のイリスちゃんの考えてることなら一発で分かるぜ! 今、イリスちゃんは俺様のことを考えてる……たっはー! やっぱ俺様のあふれ出るオーラが(以下略)」
「はぁ……馬鹿ばっか」
理事長とカーター先生、それにパリピの3人が盛り上がるところに、冷や水を浴びせるカタリア。
もうどうにでもしてくれ!
「……じゃあ、説明しますよ。南の優先度が下がった。それはとりもなおさず他の地域の優先度があがったということ。ほんの数週間前は南が最優先だったのになぜ。その原因は、先日の凱旋祭での事件です。えっと、詳しい話ははしょりますが、とある国との外交関係が悪化しました」
「ここにいる皆は知っとるぞい。トント国のことはの」
そうなのか。
けどここにいるのは国の最高責任者と、そのトップの娘。カーター先生は、まぁ人畜無害だからいいか。
「はい、トント国との外交情勢の悪化によるもの。それを挽回するために、僕の行き先が変更になった。そういうことじゃないですか?」
「ほぅ、じゃあイリスちゃんはトントに行くかの?」
「いや、それは下策です。今、あの国とは表向きは同盟国だけど水面下ではどうなっているか分からない。そんな危険な場所に、学園の生徒を送り込むなんてことはしない。さすがに何かあった時に、取り繕いようがない。いや、何かをしてもらうためにトントに使者を送るやり方もあるけど、そこはグーシィン家の子女をやる必要はない」
「辛辣じゃのぅ。そして怖いことを考える」
そう、遠回しに言ったが、要約すると、
『誰でもいいからイース国の使者をトント国に送り、もしトント国がその使者を斬ったら、それを大義名分に攻めてしまえ』
というものだ。
人の命を捨てる人でなしの策だが、大義名分を得るために古来より使い古された手だ。
大義名分なんて、と思うかもしれないけど、大義名分も何もなく攻め込めばただの侵略者。他国からの信用も失うし、攻められる側からすれば必死になる。
けど大義名分があれば、悪者はその攻められる国だ。他国の信頼を失わずに、さらに攻められる国の国民にもゆさぶりをかけることができるのだ。
だが、その実行には問題がある。
「じゃあ別の誰かをトントに送るかの?」
「いや、それは無理です。今は。トントと事を構えるには足りないものがあります。1つは兵、1つは金、1つは同盟国。つまり大義名分を得ても攻められない。そんな状況でそんなことをしたら、『使者を斬られたのにイース国は何もしない腰抜けだ』『あるいは使者を斬らせて大義名分を得ようとしたが、出陣の準備も出来ていない泥縄な弱小国』というそしりを受けるでしょう。つまり百害あって一利なし。今はトントには触らない方が吉です」
「なるほどのぅ。じゃあイリスちゃんはどこに向かうべきかの?」
この爺さん。分かってるくせに感心したようにしてみせて、全部僕に喋らせる気だな。
まぁいい。頭のいい振りは、いつしても気分がいいものだ。
「西のウェルズ、そして北のノスルです。南のザウスは敵、東のトントは去就定まらない今、これ以上離反されたら四面楚歌となってしまう。これは避けないといけないから、ウェルズとノスルの国交を固め、なんとしてでも離反されないようにしなければならない。そのための使者にでもなれ、ということじゃないですか? 一応、僕はインジュイン家の人間。国の重臣の娘が使節に入れば、それなりの箔がつきますし」
「ほぇー、イリスちゃんすげぇな、よくしゃべるな。ま、何言ってるかほとんどわかんなかったけど!」
このパリピめ。せっかく長々と説明したのに!
「ふっ、わたくしにはすべて分かっておりましたわ。というわけでわたくしも当然行きますわ。グーシィン家よりインジュイン家の方が上ですから、より箔がつくことでしょう! 国の重臣の娘なら、それくらいわけはありませんわ。ええ、もちろんイリス・グーシィンにこれ以上、勝手な真似はさせませんわ」
カタリアが勝ち誇ったように背を反らし、顔を手に当て僕を見下すようにしてそう声高々に断定した。
あぁ、それでこいつはここにいたのか。
「となると、正使は俺かな。これでも父はそれなりの地位にいるし、ソフォス学園高等部の教師となれば資格は十分だろう」
カーター先生まで……。
一応国の大事を背負っていくのに、なんだか校外学習的なノリになってしまってるぞ。
「なるほどのぉ。イリスちゃんとカタリアの、2人ともちゃんと現状を理解して、覚悟しとるということじゃな。重畳重畳」
爺さんがニコニコと笑う。
その笑みを見て、なんだか嫌な予感がした。
「イリスちゃん、そしてカタリアの。ならばその覚悟を受け取ろう。正直、わしはこんなことは言いたくなくて、断腸の思いで仕方なく言わざるを得ん状態なわけなんじゃが」
そして、
「お主ら、嫁に行け」