第108話 ホルブ国の滅亡と今後の展望
小太郎が話すにはこうだ。
小太郎が出発してから5日後、デュエン国がホルブ国を攻めるという噂を聞いた。そのままデュエン国の国都を通り過ぎ、ホルブ国へと足を急がせたところ、ホルブ国はデュエン国の軍に攻められて滅ぼされていたという。
凱旋祭開催の2日前のことだ。
ただ単純に国が1つ滅んだという話だが、その裏には幾多もの事情が重なり合った上でのことだったようだ。
小太郎が聞いた話では、デュエン国は今回のホルブ国攻めにあたり、そのさらに西に位置する孤島の国・クース国と和睦をした。
これまでホルブ国を間に挟んで制海権を争っていた2大国。
それが突然の和睦だ。
これに驚いたのは、何よりホルブ国、そしてトンカイ国だろう。
この世界で力を持つとされる8つの大国、そのうちの1つであるトンカイ国とはいえ、その2つ――デュエン国とクース国を一挙に相手にすることはできない。
そもそも大国同士が結びつくことはほぼなかったのだという。
父さんいわく、
「確かに8国同士が結びつけば、他の国を滅ぼすことはできるだろう。だがそれをやらないのは、それによって巻き起こる大乱を恐れていたからだよ。結びついた2国に対し、攻められる側は大人しく滅びを受け入れるほど甘いものではない。それに対抗するために別の国と結ぶだろう。そしてそれを上回るためにさらにもう1国。そうなると、この世界は敵か味方かの二分で分けられた世界大戦が勃発することになる。もちろんどちらかが勝っただけで終わらず、勝った者同士でその後も争い続けて、最後の1つになるまで戦いは終わらないだろう。そんなこの世界を滅ぼしかねない大戦の契機になるような愚を、誰もが負いたくはないだろうからな」
ということらしい。
各国のバランスが取れているからこそ、小競り合いで済んでいた争いが、国の威信を賭けた大戦になってしまう。
けど、それをデュエン国とクース国は破った。
「なんでも“とんかい国”に対抗するため、というよりは“ほるぶ国”を滅ぼして、広域の交易権を握るため、というらしいです。なんでも“くーす国”に頭を下げたのは“でゆえん国”とのこと」
交易権。
書斎から持ってきた地図を広げる。
大陸の南西、ぽつりと浮かんだ大型の島を制するクース国。海に囲まれたクース国の対岸にトンカイ国とデュエン国がある。
地図上ではデュエン国が北、その南にトンカイ国となっていて、中央部分は山脈により遮断されているため、その海沿いの部分で国境が接しているわけだ。
南にあるトンカイ国は、クース国と共に大海への河口を抑えており、逆に北にあるデュエン国はこの世界の忠臣ともいえるアカシャ帝国や西の山に囲まれた大国ゼドラにつながっている。
河口部分を抑えるトンカイ国の方がはるかに有利に見えるが、トンカイ国も河口とアカシャ帝国を結ぶ中間地点として相応の利潤は得られる位置にある。
だが、ここで1つ、トンカイ国にとって邪魔な存在がある。
それがホルブ国。
南北に延びるデュエンの海岸線。その基部にあたるトンカイ国との境にあるホルブ国が発達してしまった。デュエン国にとって、それがどれだけ邪魔だったのか、
外国の船が遡上してデュエン国の海岸を通りアカシャ帝国に向かうコース、またはその逆のコースのちょうど中間に位置するホルブ国は、そこにいるだけで海運の流通を一手に握っていると言ってもよい。
交易船とはいえ、永遠と大河を上り下りするわけにはいかない。どこかで休みを入れるなど、寄港する場所が必要だ。
北の帝国と南の大海への出入り口。その中間に位置するホルブ国は湾港として魅力的な地理条件にあるのだ。
そして寄港地になるということは、そこに寄る船の荷物をいかようにも差配できるということ。
他国に流したくない品があれば、そこで買い上げたり、最悪差し止めして動かさないことだってできるのだ。
もちろんあまり露骨にやると、信義を失って滅ぼされるだろうが、いい塩梅にすることで巨額の利を得たり、他国への損害を与えたりと自由にできたはず。
だからデュエン国にとって、ホルブ国は邪魔以外の何物でもなく、そこを攻め取って、今度は自分たちが甘い蜜を吸おうという魂胆だから、危険を冒してでも、他国に頭を下げてでも断行したのだ。
そしてそれはつまり――
「そうなると、やっぱり今回の事件の黒幕はデュエン国っぽいね」
ということになるのだ。
「イリス?」
「デュエンは東西に広い国だ。西にかこつけてたら東に変事が起きた時に急に対処しづらい。だから東を大人しくさせるつもりで、今回みたいなことをしたんだろう」
「なるほど。デュエン国とはいえ、一国を滅ぼす戦いに出る以上、背後がおろそかになるのは否めない。我々とウェルズ国でトンカイ国を追い払った事実から、少しでも領土を奪われる可能性を潰しにきたわけか」
「そういうことだよ、父さん。もちろんザウス国とトンカイ国による南からの脅威はあるものの、先日の領土拡張でどう転ぶか分からない。だからあと一押し。可能な限り東からの脅威を無力化したかったんだろう。だからトントを裏切らせて、デュエン国にとって一番の天敵とも言えるイース国に仕掛けさせた」
キズバールの戦い。僕らの間では英雄譚として聞かされているけど、デュエン国にとっての苦い思い出だろう。
もしかしたらデュエン国の最大の目標はタヒラ姉さんだったのかも。そう思えなくもない。
「でもそれは見破って撃退したんでしょう? 聞けばいりす殿は、またも大活躍だったとか!」
「いや、小太郎。話はそう簡単じゃない。トントが裏切ったことは確かなんだ。あっちは否定しているけどね。つまり僕らはザウスだけじゃなくトントまで警戒しなくちゃいけなくなった。こんな時に西に攻め入るなんてできるはずがない。そんなことをしたら、今度こそトントが牙をむいて襲い掛かってくるかもしれないから」
まったくもって完璧な離間の計。
もとから僕らにデュエン国を攻める意志などありえないのに。用心深いやつらだ。あるいは……。
いや、考えても栓のないことだ。
はっきりしているのは、トント国を裏切らせ、皆が楽しんでいた祭りを踏みにじり、国と僕の命を消そうとし、何より父さんを傷つけた敵。敵なのだ。
「イリスちゃーん? 大丈夫?」
気づけば父さんが心配そうにしている。
この思いは、復讐心は心にとどめておいた方がいいだろう。話せばきっと親バカのこの人のことだ。いらないことを言ってくるに違いない。
「いや、デュエン国が敵に回った時の対応でどうしようかなと」
「……そうだね。表立って糾弾できないし」
「どういうことです、父さん?」
「そこなんだよ、ヨルス兄さん。デュエン国が裏でトント国を操って僕らを攻撃した。これは全部、推論でしかないんだ。状況証拠のみで告発するには、国際問題としては重すぎる。何より相手は大国。対応の仕方を間違えると、下手すればうちらだけじゃなく、ウェルズやノスルまで滅びる」
話題が逸れてホッとするのと、今後の対応での苦悩が頭の中で入り混じった思いでため息をつく。
「なるほど、イリスが私たちだけで話そうと言ったのはそのためか……インジュインや軍部が介入すれば、絶対デュエン国攻めるべしってなるから」
ヨルス兄さんの指摘通り、それもある。
一番は、どうせギャーギャー言って来るだろうのが憂鬱だったからだ。
「本来は外交もわしらグーシィン家が担当するはずなのだがな。わしの力不足でインジュインの奴らに好き勝手させておる。すまない、お前らには迷惑をかける」
父さんが頭を下げる。
けど違うんだよ、父さん。
そもそも国務を世襲にするってのが違うんだ。
そういうのは得意な人に任せるべきで、それこそ一族の中から適当な人間がいない場合はどうしようもなくなるんだ。
トップは世襲でも、お飾りでいてくれるなら問題はない。
けど実務の官僚たちが世襲で、しかも能力を発揮してくれないならその国は亡びるしかない。
親が名将でも子は凡以下という夏侯楙や曹爽みたいな例も、歴史上にはいっぱいあるし。
「とにかく、話は分かった。このことはさすがにインジュインらと話さなければならないが、その前に根回しやどこを落としどころにするかは話しておくべきだな。明日から大変になるぞ、ヨルス」
「ええ、父さんの分まで自分が頑張りますよ。表に出られない父さんの代わりに」
今でこそ父さんがはつらつとしているが、やはり傷は重かったらしく、まだ日中は病床にいることが多いようだ。それは見ていて辛いものだ。
父親という存在に対して、ここまで心動くのは、やはりこの人が特別なのか。それとも自分の中にいるイリス・グーシィンがそう感じているのか。
いや、真実は今はどうでもいい。
この人が傷ついて、ひどく怒りを覚えているのは確かなわけで。
「それにしても助かったぞ、コタローとやら。この報告が遅れていれば、我々は進むべき道を誤ったかもしれん」
父さんが素直に小太郎に頭を下げる。
誰とも知れぬ人間に頭を下げる光景が意外だったのか、ヨルス兄さんは目を丸くしていたが。
「いえいえ、これもいりす殿の差配。自分はそれに従っただけのこと」
「謙遜するな。是非に褒美をやりたいところだが、望みはあるかね?」
「いやいや、自分などはただの影の存在。褒美などは頂いた夕食で十分。え? 是非にもらってくれと? うぅん、そこまで言われましたら仕方ありませんなぁ」
固辞してみせたものの、何やら独り芝居始めた小太郎。
なんかしらじらしいほどに、望みがあるみたいだ。
とはいえ忍者のほしいものか。
なんだか気になる。
嫌な予感もしてるけど。
果たして、その予感は当たった。
「ここに住まわせてください。家がないんで」