挿話10 ???(デュエン国軍師)
「そうか、失敗したか」
陣中にて、部下からの報告を受け、そうつぶやく。
東方の国、“いいす”国は“とんかい”国の侵攻を跳ね返し領土を広げた。“とんかい”国と敵対している我が国としては快哉を叫びたいところだが、そうも言ってられない。
かの“いいす”国だけでなく、隣の“うぇるず”国も領土を広げたという。
それは“うぇるず”と国境を接してこれまで争ってきた我が国――“でゅえん”にとっては脅威であることを意味する。
国力で言えば、“うぇるず”も“いいす”も我が“でゅえん”の敵ではない。
だが四方に敵を抱える我が国を考えれば、弱小とはいえその勢力を侮ってはいけない。
弱小の勢力が、かの京で勢力を誇った我ら平家に反抗することもあったのだから。
だから彼らに不満を持つ“とんと”の国を動かした。
祭りで浮かれる“いいす”を弱体化させるために。
だがそれも失敗に終わったようだ。
どうも他人任せの策はうまくいかない。とはいえ自分が動けない理由もあるのだから、今回のことは揺さぶり程度というもので、失敗しても特に痛痒はなかった。実際に動いたのも、被害を受けたのも“とんと”なわけで我らには一兵の損失もない。
「ふふ、しかしなかなかどうして。“いいす”という国もやる。それとも、“とんと”の連中がふがいなかったか」
そうぼやく。
部下は出て行ったからここには自分しかいない。
そう思っていたが、あろうことかそのぼやきに反応する声があった。
「そもそもの策がダメなんじゃない?」
女性の声。
しかも内容は痛烈な批判だ。
声の方を振り向けば、奇怪な巫女のような装束を身に着けた女性が部屋の脇に立っていた。だが肩が露出し、切りそろえているのか腹部が丸出し。さらに袴も途中で裁断して膝上までになっているから健康的な白く美しい足がよく見える。
いつの間にいたのか気づかないが、それももはや慣れた。のちの世に出る忍者という存在。その有用性も実用性も理解しているつもりだ。
だが忍者というものはすべてそうなのか? こんな格好をしているのか!? ええい、肌が見えているではないか! ちゃんと着こなせ! それが神に仕える者の姿なのか! 破廉恥な!
「千代女! 言い方に気をつけい! え? てかそれ言う? 策を練った本人の前で言う? 泣くよ、私は?」
「そもそもあんなやり方で一国が潰せるわけないじゃん。お屋形様でももうちょっと工夫するし」
この女。見目は良いが、とんだ毒舌娘だ。
いちいち人を苛つかせるような喋りをして、会話の主導権を握ろうとする。
それが分かっていながらも反抗して手に乗せられてしまうのは、自分がまだまだということだろう。
「悪かったな! こちとら潰せると思っちゃいないっての。ただ今は南の“とんかい”に集中したいから東には黙っててもらいたかっただけだ!! てかお屋形様って誰? 平相国入道様?」
「平? ううん、お屋形様は源氏」
と、千代女が言った言葉が脳天に突き刺さる。
源氏。源氏。源氏。源氏。源氏。
脳裏に浮かぶのは数々の戦の記憶。
苦く、苦しい、敗北の味。
「源氏!? …………おのれぇ、頼朝、範頼……いや、義経ぇぇぇぇぇぇぇ!!」
なんなのだ、あの男は。
奇天烈な用兵で、私の描いた美しい陣備えが台無しじゃないか。
わけのわからんところから奇襲するし、後白河院にちゃっかり取り入るし。
つかなんで船頭討つの? 卑怯じゃない? 停戦中に奇襲とかありえなくない? 鎧着て船の上飛ぶとか馬鹿じゃない?
木曾義仲だって私の敵ではなかった。行家だって片手でひねってやった。
なのにあんな若造に負けた私は、そして息子はぁぁぁぁぁ!!!
「おのれ、おのれ、おのれ、おのれぇぇぇぇぇ!」
文机にこぶしを思い切り叩きつける。木がきしみ、書いていた紙が潰れ、筆が派手に飛んで転げ落ちた。
だが構わない。何度も、何度も、何度も叩きつける。
源氏がいる限り、何度でも。
今も部屋の隅にいる千代女は見下すように笑みを浮かべているのだろう。
本当に性悪だ。あんなやつを使いこなせる者がいるとは思えない。さぞや被虐体質なのだろう。
「あー、あー、あー、あー、またですか!」
陣幕をかき分けて入って来たのは、子供ほどの背丈の少女。ただ、この世界のひどく重い鎧を着こなしつつも、平然と動き回る。
見た目は10代後半。だが年齢はおそらく20代、いや30代か……もっといっているかもしれない。
そんな年齢を感じさせない少女が唖然とした様子でこちらを見てくる。
「ったく、本当にこれが源平合戦の平家の総大将なわけ? 聞くとみるとじゃ全然違うし。てかなんでわざわざ言うのさ千代女」
「別に、面白いから」
「はぁ……相変わらず嫌な奴」
「でも、お屋形様ならもっとうまくやる」
「あー、まぁそうね。お屋形様だったら、城の1つや2つ、今頃落としてるか」
だからそのお屋形様って誰なのさ!
武田なにがしなんて聞いたことないぞ!
「え? てか失敗したの、あれ? “いいす”だっけ?」
「うん、そう。だから言ってやったの、ざまぁって」
「そこまで言われる筋合いはないだろう!?」
この2人は……なんでこうも私をおちょくるのか。同じ日の本の人間とは思えないぞ。
それに一応私、権中納言だからね? 偉いんだからね?
「だから言ったじゃんか、知盛殿。あたしに任せれば、すべて蹂躙してみせるって」
「言うな。今は“とんかい”との戦が重要だったのだ。そのためにも、まずは“ほるぶ”国を落とさなければならない。わき腹に敵を抱いたままでは戦えないからな。それに決められたのは我らが主。それに逆らうわけにはいかん」
「まぁそうね。正直、煩わしいから無視したいんだけどね。なんか逆らえないんだよねぇ」
「大した器じゃない。お屋形様の足元どころじゃなく、地面の下にも及ばない」
2人が毒づくが、確かにそうだ。
今の太守にそこまで器量があるとは思えない。それを取り巻く連中も、上の顔色伺いばかりでどうしようもない。
唯一、少しは大局が見えている軍の将軍も、太守およびその取り巻きに対する政治力もなく、ただ言われるがままになるだけだ。
一応、私たち全員があの将軍に拾われた身。文句を言える筋合いも何もないわけだが……。
こういう時にもどかしい。自分の好きに戦ができないというのは。策に金をかけられないというのは。
「ま、“ほるぶ”もすぐに落ちるだろうし、“とんかい”との戦はまだまだ続く。あの自称関羽もしばらく大人しくするでしょう」
「楽観は禁物だ。だが、確かにな。今の“とんかい”にはあまり覇気がない。あれがあの関羽か、と疑いたくなるな」
「そこはこっちの情報網にも引っかからないから分からない。けど、知盛のつまらなくて面白みもない堅実な用兵を跳ね返しているから、ただ者じゃないと思うけど」
「なんでいちいち私に毒を吐くのかな、千代女は!?」
「面白いから」
「私は面白くない!」
「くっく……あんたら、やっぱりいい組み合わせだよ」
小柄な少女がさぞ面白そうに笑う。
それはまるで花が咲くような可愛らしく、美しい姿だった。思わず妹を思い出すほどに。
だがこの少女。戦場に立てば見た目どおりではない。
勇猛果敢、大胆不敵、猪突猛進。教経がいればいい勝負をしただろうほどの猛将。
その名は――
「ま、いいさ。“とんかい”だろうが“いいす”だろうが、この武田の赤備え、山県三郎兵衛尉昌景が、火のごとく蹂躙してやるよ」