第106話 背後の影
「周辺国のことが知りたい?」
捕虜の話がひと段落してから少し雑談をはさんだ後。
ヨルス兄さんにそのことを告げると、首を傾げられた。
「なんでまた? 確か学校の図書館で色々調べていたと聞いてはいたけど」
「色々分かった。けど、ここ数年のことは分からなかったんだ」
「ああ、ここ数年のことはまだおいてないだろうからな。でも、どうしたんだい?」
「ちょっと、ね」
気になっている。
今回の一件、トント国だけで描いた絵図なのか。
あるいはどこかの国の謀略によるものではないのか。そう感じたからだ。
「うん、そうか。けど何が起きたかを一から十まで知っているわけじゃないぞ?」
「いや、それぞれの国の交友関係、敵対関係とかそういうのでいいんだ」
「なるほど……」
何の疑いもなく、ヨルス兄さんはうなずくと語り始めた。
要約するとこうだ。
「まず北のノスル国の同盟国は言うまでもなくイース国だ。敵対国は……トントとウェルズしか接していなくて北は大河に出るからないんじゃないかな。そして西のウェルズは同じくイース国と同盟を組んでいて、敵対国はタヒラの件でも分かる通り、さらに西のデュエン国。あと先日のザウス国の離反があるからザウス国もだね。そしてトント国は……表向きは同盟国だけどどうなるかは分からない。もしかしたらさらに東にある、ゴサ国と結んだのかもしれない。そうなると厄介だね」
なるほど。周辺国については、大体想定通りだ。
「その他は?」
「他かい? うぅん、今話に出たゴサ国だけど、東の端にあるから敵対友好はよく分からない。あの国は海外との交易で国力が増しているから、そうそう他国に手出ししないし介入しない感じだね」
ゴサ。東端の国か。
確かに前に死神とやらに見せてもらった地図では東の端できっと貿易港がたくさんあって、それこそ海の向こうとの交易が盛んなのだろう。
三国志の呉、日本戦国時代の九州みたいな立ち位置か。
「それとトンカイ国。これはイリスにも分かるだろうけど、南の超大国だからね。友好国は先ほど和睦をしたザウス国。敵対国は北西に領土を面したデュエン国。そういった意味で、私たちとウェルズ国と敵対するから交友を結べそうなものだけど、無理かな。あの国は単独で動くことを好みそうだから」
トンカイ国。あの関羽とか張良とか小松姫とか蘭陵王がいる国、か。
「そしてデュエン国。ここは今まである通り、ウェルズ国、トンカイ国、そしてさらに北のツァン国と国境を接していて、さらに海を隔てて対岸のクース国とも対しているようだよ。どこかと同盟しているという話は聞かないかな」
デュエン国か。
タヒラ姉さんのキズバールの戦いで負けたとしか聞いていないけど、その状況で生きのびているのだからよほど地力があるのだろう。
ふむ……周辺国の感じを聞いてみても、なんとも言い難い。
となるともっと他のところか。あるいは本当にトント国による独断か。
けどもしそんな戦略を描ける人間がいたなら、趙括なぞに指揮権を与えるわけがない。
だから他国の謀略だと思ったけど……いや、まだそうじゃないと決めつけるのは早計か。
先入観を廃して考えれば、ゴサもトンカイもデュエンも十分に怪しい。
「あ、そういえば」
「ん、何かあった?」
「いや、デュエン国のことなんだけど」
「デュエン国?」
「うん。そういえばあの国が接している国はそれだけじゃなかった。西の端、クース国を対岸に見る湾港に1つ、デュエン国と敵対する国があったな。確か……ホルブ国」
ホルブ国……? 聞いたことがない――いや、ある。それは確か……そう、小太郎だ。
今、小太郎は元いた国に戻ると言っていた。それがホルブ国。
「そのホルブ国は敵対してるの? デュエン国と?」
「ああ、確かそのはず。何度か攻め入ったけど、貿易による富国で要塞と化したホルブ国はなかなか倒せないと聞いたよ。それに位置的にはトンカイ国とも近いからね。そちらからの援軍もあるみたいだし」
位置的には……なるほど。うちらと真反対の西海岸沿い。
そこにあるホルブ国を攻めていると、北上してくるトンカイ軍に横腹を突かれる形になるわけだ。
まさにこの国はデュエン国にとって、のどに刺さった小骨のようなもの。
織田家にとっての長島一向一揆的な立ち位置だ。
となると……そこか? そういうことか?
思考が走る。
デュエン国がホルブ国を攻める。そのために、東には黙っていてほしかった。さらに言えばトンカイ国の目を、うちらに寄せておきたかった。
そのためにトント国を動かして謀略をしかけた?
証拠はない。
けど、軍略的に見ればありえなくはない。
ゲームでも、安全に攻略するために、敵と敵を喰い合わせるのは常套手段だからだ。
だが、そうなると厄介なことになる。
「デュエン国が……元凶?」
「うん、その可能性が高い。奴らがそのホルブ国を攻めるために、僕ら……ウェルズとイースに大人しくしてもらいたかったんだろう」
「馬鹿な。大国デュエンが私たちなど……うん、自分で言っておいてなんだけど、そんな気にするとは思えない」
「用心深いのがいたのか、あるいは……警戒するところはあると思うよ。なぜなら僕らはあのトンカイ国に勝っている、そして領土を増やしているのだから」
「そんなことで……」
「もちろん真っ向から来られたら、こっちの敗けはほぼ確実だよ。けど、大国なりに四方八方に敵はいるわけで、こっちが国力を整えられると困ると思ったんじゃないかな」
「馬鹿な……こないだザウスとトンカイとやりあったばかり。それもぎりぎりの勝利だったというのに、今度は西の大国? しかも東のトント国と南のザウス国は今や敵なんだぞ」
兄さんが呻く。
その気持ちは十分に分かる。
そう、いつの間にか、周囲は味方だけで身動き取れなかったのが、周囲がほぼ敵になってしまった。
前は前で問題だったけど、それはあくまで僕の問題。今では国民全体の問題になっている。
本気で国が亡ぶ。その予感を感じさせるのだ。
「とにかく東と南、それから西には偵察を出そう。情報が入ってこないことにはどうにもならない。いや、ここはウェルズ、ノスルにも使者を送るべきか。その2国に見捨てられたら、それこそこの国は終わる……」
とヨルス兄さんが色々と算段を始める。
至極真っ当な策だ。
「贈答の品とか考えると全然金が足りない。太守様の浪費をなんとかしないとな。くそ、あのネイコゥとかいう女……」
「ネイコゥ?」
聞いたことある名だ。
というより見たこともある。
「知っているのか?」
「2度ほどあったことがあるかな」
最初は学校の理事長室にて。2回目は凱旋祭2日目、国都縦断レースの場にて。
あの妖艶というか美魔女というか。どこか怪しい気配を漂わせる、モデル体系の超絶美人。
だがその中にある、あの殺気ともとれる恐ろしい気配。全く正体がつかめない人種。
「そうか。イリスは太守様に気に入られているから……」
「不本意にもね」
「…………イリス、1つお願いがある…………いや、やはり妹にこんなことを頼むのは……しかし……」
と、兄さんがすごい渋面を作って、何やら葛藤した様子。歯にものが挟まった感じで容量を得ない。
「いいよ、言って。頼みなら聞くから」
「しかしこれは……」
「今はそんなこと気にしてる場合じゃないでしょ。国が滅びるかもしれない瀬戸際なんだ。それに…………家族なんだから助け合わないと」
家族だから助け合う。
言ってから自分がそんなことを言うのが信じられなかった。
けど、それは今の僕の偽らざる本心だ。
その言葉が本気だと分かったのか、ヨルス兄さんは小さくため息をつき、
「分かった。じゃあ頼む……イリス、太守様に近づいてくれ」
「え?」
予想外、というかまさかそういった系のお願いだとは思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
「あ、いや、もちろんそういう意味じゃなく」
「そういう?」
「あー……えぇっと……」
しどろもどろのヨルス兄さん。
やれやれ、大丈夫か。
「その、噂があるんだ。そのネイコゥという人物に」
「噂?」
「ああ。なんでもそのネイコゥというのは他国の間者で、太守様に無駄な浪費をさせていると」
そりゃまた直截的な噂だ。
けど……あのパリピ。浪費が趣味みたいな感じがあるからな。確かにそこをつけ入る策略も分からないでもない。
というかやり方としてはかなり優秀な策だ。
敵国のトップに取り入り、堕落させ、浪費させる。それだけで国の財政は傾き、無理な徴税やらがはびこって人心は荒廃。金がなければ軍も弱体化するから容易に滅ぼすことができる。
自分事じゃなければ、素晴らしいと拍手してあげたい気分だ。
「あ、いや、でもいいんだぞ。イリスも嫌だろうし……その、先日の件があってから」
あの小太郎を引き取った時のいざこざか。
確かにあの時からだ。完全にあのパリピを敵視し始めたのは。
だから正直言うと絶対嫌だ。けど、そこは確かにこの国の急所だ。
そこに敵が謀略をかけてきているなら、何か掴めるかもしれない。
「いや、やるよ。というか、それは調べないといけない案件だ。そしてそれをできるのが僕だけなら、やるさ」
「…………すまない」
「いいんだって。こういう時はお互い様だよ」
我ながら丸くなったものだと思う。
家族だからといって、頼む頼まれるとか、信じる信じないとかがあるように生きるなんて。
「っと、それより偵察だな。今は情報が足りない。トントの本心も色々聞き出さないとな。やれやれ、忙しくなってきた」
ヨルス兄さんが立ち上がる。
これで話し合いは終わりだろう。こちらとしても色々知れたのは収穫だ。
あとはどう動くか。
いや、その前に兄さんが言うように情報を集めて、今の推論を補強しないと。
なんて思っていたところだ。
「あー、ここにいたんですねー」
ドアが、開いた。
声と共に。
そこにいたのは、もうボロくずと同一としか思えないほどにボロボロのマントを着て、髪もぼさぼさ、よくここまで入ってこれたと思うほどに変質者丸出しの人物。
そしてそれは、ある意味待ち望んでいた人物の帰還だった。
「どーも、戻りました。いりす殿。あなたの風魔小太郎ですよ」
にこりと、小太郎が口だけで笑う。
伸びた髪で、目元が見えないからだ。
けど無事に帰ってきてくれた。それだけが嬉しくて、悪い話ばかりがあった中でホッと気が緩む。
だが、小太郎の持ってきた話は、これまでと同じくらい――いや、最悪の未来を想像させるほどの、破壊力を持った報告だった。
ぼりぼりと頭を掻くと、
「あー、感動の再会は後で。それよりヤバい案件です。デュエン国がホルブ国を滅ぼしました」