挿話9 カタリア・インジュイン(ソフォス学園1年)
気に入らない。
先頭で馬を走らせるあの女。
気に入らない。
なんでわたくしより馬をうまく操るのか。
気に入らない。
なんでわたくしより兵たちがついて行くのか。
軍の指揮権はインジュイン家にあるのだから、ここはわたくしが指揮を取るべきなのでは?
だから気に入らない。
姿も声も言葉も言動も何もかも。
「全軍停止!」
イリスが手をあげ、静かに、だが響く声で命じた。
そのしぐさも気に入らない。
さらにこれからやろうとしていること。
200もいない軍で1500の軍に奇襲をかけるという。
バカバカしい。
自殺同然の机上の空論ともいえる愚策を、平然と提案し、それを兵は受け入れている。
こうなったら止めても無駄。
だからしかたなく――いえ、違いますわね。イリスが圧倒的な失敗をしでかした時に、わたくしが出て行って丸く収める。
そう、それこそがわたくしがイリスについていった意味。
決して調子に乗ってるイリスに嫉妬したとかそういうのじゃありませんから。そこ勘違いしないよう。
「それでいいかな、カタリア」
「え?」
しくじりました。聞いてませんでした。
けどどうせどうでもいいこと。勝手にやって勝手に失敗しやがれですわ。
「ふん、勝手にすればいいですわ」
「分かった。じゃあこのまま突っ込む」
ツッコむ!?
どこへ? 何を? どうやって?
「ま、まさかこの何もない、見晴らしの良い平原で、真正面から敵に突っ込む気ですの!? たどり着く前に弓矢でハリネズミですわ!」
「さっき勝手にしろって言ったじゃんか……」
「それとこれとは話が別です! 無謀な突撃に、兵を突き合わせて死なせるわけには行きませんから!」
「おお、カタリア様……もったいない」
兵の一部からそんな言葉が漏れたのが聞こえた。
ふふん、もっと褒めたたえなさい。そして誇りなさい、わたくしのような仁義ある指揮官に恵まれたことを。
「うん、まぁそうだけどさ。音がしないから鉄砲もなさそうだし。なにより大丈夫、“壁”はある」
「かべ?」
「そう、壁。だからここからは全員馬を降りて。音を立てないように進もう」
「分かりました、イリス様!」
あぁ、死んだ。
こんな無謀な戦いで……しかも初陣で戦死とか。
ご先祖様に顔向けできません。
かといってここで拒否して離脱すれば、臆病者のそしりを受けることになる。
しかも万が一、この作戦が成功してしまえば、イリスは英雄。それに反対したわたくしは愚者の烙印を押されてしまうだろう。
こうなったら、イリスを殴り倒してでも指揮権を奪うしか……。
「カタリア、緊張してる?」
と、まさにその撲殺しようとした相手が馬を降りて近づいてきたところだ。
「な、なんですの!?」
「いや、馬を降りてって言ったけど、なんか硬くこぶしを握り締めて困ってるみたいだから」
「ええ、困りますわ。あなたが勝手になんでもかんでも勝手に決めてしまうから」
心中の動揺を悟られないよう、吐き捨てるように言って馬を降りる。
するとすぐ真横にイリス。
睨みつけるようにしてやったものの、この勘違い女は何を思ったかふわりと笑顔を見せ、
「大丈夫、きっと上手くいく。僕を信じてくれとは言わない。けど、守って見せる。そう決意したから」
「……っ!!」
胸をギュッとわしづかみされたような感覚。
体温が2度ほど上がったように暑い。
なんですの、この男女は。ああ気に入らない、気に入らない、気に入らない!!
「大丈夫?」
「な、なんでもありませんわ、行きますわよ!」
「……ん」
こくりと頷くイリス。
その笑顔も気に入らない。
そのまま馬のくつわを取って、北上していく。
遠目に人の集まりと、イース国都の姿が映し出されている。
今もあそこで戦いが起きている。
国を守るため、大切な人を、家族を守るため、皆が戦っている。
そしてそこにわたくしたちは参加しに行く。
初陣。
まさかそれが、こんな遭遇戦のような心構えもできないような突然のことで、しかも正規の軍人は1人もいない、そして指揮をとるのがイリス・グーシィンみたいな素人で、10倍以上の兵力差のある敵に突っ込むという。
本当に、どうなってしまったのか。
カチャカチャと馬具が鳴る。くつわを手にした腕が、自分の手じゃないように、細かく何度も振動している。
震えている、わたくしが?
ちらと横を歩くイリスを見る。
憎らしいほどにすました顔で前を見て歩いている。その歩みに迷いはない。
それが本当に小癪で憎たらしくて、やっぱり気に入らない。
なんでわたくしがこんなになっているのに、この男女はなんでもないような顔をしているのか。
やがてイリスがそう言って軍を止めた。
「全軍、停止。ここで待つ」
「待つ? 何を?」
イリスに話しかけていた。そうしないと、気がおかしくなって叫び出してしまう気がしたから。
「待つんだ。仕掛けを、ね」
「仕掛け?」
それが何なのか。それがイリスの自身の源なのか。
詳しくそれを聞こうとしたところ、はっきりと自分の目にも異変が映った。
煙だ。
国都の東門あたりのところから流れた煙は、風に流されてか、陣を組む敵の方に流れていく。1500人の人間を、すっぽり覆い隠すほどに。
「どうやら成功したみたいだな」
イリスがホッとしたように言う。
ということはあの煙はイリスの仕込み。
そういうこざかしいことをするのがいやらしい。
だが、イリスはすぐにキュッと唇を結ぶと、
「乗馬」
つぶやきともとれる命令に、馬を引く9人が颯爽と馬に乗った。
わたくしも遅れて馬に乗る。
「突撃、静かに、冷静に」
そして次の瞬間には、イリスが馬を走らせた。
馬体に紐で吊るした、自分の身長ほどもある棒を右手でつかむと脇に手挟んだ。
全軍、150人しかいない軍が、静かに草原を駆ける。
自分も走らせる。馬を。
いつものマメンテ(馬名)じゃない、ただの駄馬だからか、幾分かイリスに遅れている。それも気に入らない。
実技の授業でも、運動神経だけで繊細な馬術なんてできるような素養はなかった。
なのにあろうことかイリスは、鐙に足をかけて、そして鞍から腰を浮かして前のめりという不思議な格好を取っている。
あんな乗り方知らない。
それでいて速いのだから、もう気に入らないどころの騒ぎじゃない。
歯ぎしりの音がする。
それはイリスに対して腹立たしいという感情もあったが、ついに敵の部隊がいるところまで、あと数百メートルのところに来たからだ。
煙の中。そこに新しい世界がある。
口の中でガリっと音がした。歯が欠けたのか。
イリスは。こんな状況でも落ち着いた様子に見えた。
だが――
「うぉぉぉぉぉ!!」
吼えた。そして突っ込んだ。
歩兵。あからさまに野蛮そうな、薄汚い格好の悪漢ども。
それを馬上からイリスはなぎたおしていく。粗暴なあの女にお似合いな、武骨な鉄棒で。
怖いと思った。
が、すぐに打ち消した。あれはイリス・グーシィン。あの野蛮で気に入らなくて単純な男女。
あれにできてわたくしができないことはない。
そこで失敗に気づく。
思考が散漫になっていたからか、剣を抜くのを忘れていた。
初歩的なミス。なんてこと。それほど動揺しているというの、わたくしが。
「て、敵襲!」
雑兵が叫ぶ。そこでようやく剣を抜いた。
斬った。
それだけ分かった。
あとはもう夢中だった。逃げ惑う雑兵。立ち向かって来る雑兵。それらをがむしゃらに斬りたてていく。
後ろに続いた歩兵たちも、恐ろしいほどに敵を突き崩していく。
まさかここまで効果的になるとは。1500の敵なのに、たった200で圧倒している。
血が熱くなる。これだ。これが戦場。
わたくしが求めていたもの。
「カタリア!」
不意に、呼ばれた。
イリス・グーシィンの声。
あぁ、本当に無粋。
せっかく人が気持ちよくなっているというのに、一体何を――
「右だ!」
右? 何が?
振り向いた。そこには恐ろしい形相で槍を突き出そうとする騎兵が。
あ、死ぬ。
こんなところで。
こんな奴に。わたくしが、やられる。
走馬灯みたいなものはない。ただ、相手の突き出される槍。銀色に光る鋭利な刃に、わたくしのどこを刺されるのか。
そんなどうでもいいことを思った――次の瞬間。
「がっ!」
男の顔がはじけた。
飛んできた棒によって。
その棒に見覚えがある。いや、こんなことをするのはあの馬鹿しかいない。
宙を舞う赤色の棒。それを空中でつかむ。
「無事か!」
イリスが叫ぶ。心配に満ちた声色。
なんて屈辱。イリスに助けられるだけならまだしも、こんな同情に満ちた視線を受けるだなんて。
1つ文句でも言ってやろう。そう思い、あの間抜け面を睨みつけたその時、
「イリス!! 後ろ!」
彼女を狙って、背後から馬が来る。
援護を。今のあの馬鹿は武器を持たない。
いや、その武器は今、わたくしの手にある。ならこれを――ダメ、間に合わない!
「イリス!」
「っ!」
男の剣がイリスの頭部を切断――したように見えた。
だがその一瞬前に、イリスは疾走する馬から飛び降りた。転がるように、敵とは逆の方へ。
それによって男の剣は空振りを引き起こす。
しかもあろうことか、手綱を握ったままで、そのまま疾駆する馬と並走して再び馬上に飛び乗ったのだ。
なんて神技……というより!
「バカですの!」
イリスの棒を、空振りした騎馬の男の胴にたたきつけ落馬させる。
そして馬足をあげてイリスの横へ。棒をイリスに突きつける形で、
「バカですの!? ええ、二度言わせていただきましたわ! バカですの!? もう一度言いましたわ! ありえない、自分から武器を捨てるだなんて!」
「いや、なんとかなると思ってさ。ありがと」
「……!!」
またも胸をギュッとされた。
戦場だというのに。なんなの、これ。
本当に気に入らない。
「このへんちくりんの唐変木!」
「な、ひでぇ……」
「ええい、行きますわよ!」
こいつの顔を見るのがだんだん嫌になってくる。
だからそのうっ憤を晴らすように、敵を叩き潰していく。
「ああ!」
そう、朗らかに応えた。
その顔は戦場には似合わなかった。




