挿話7 トルシュ・グーシィン(イース国重臣の息子)
元々気に入らなかった。
あいつが生まれたせいで、関心や愛情はボクじゃなく、すべて彼女に向かった。
母親が違うというのもあったのかもしれない。
嫉妬だと分かっている。
けど長じて分別がついたにもかかわらず、あいつは無鉄砲で馬鹿やって考え足らずで覚悟もない。
ただぶらぶらと生きているだけにも関わらず、父さんは相変わらず親バカだし、兄さんも甘いし、姉さんなんて溺愛してる。
イリス・グーシィン。
ボクの下に生まれた妹。
それがここまで胸の奥にしこりになるとは思ってもみなかった。
妹がそんなだから、兄弟の中で一番歳の近いボクはよく比較された。
あんなのと一緒にされたくないから、ひたすらに勉学に励み、そして重臣の息子というプレッシャーにも耐えてきた。
その努力もあってか、世間はイリスのことを落第と呼び、ボクを優秀だと判断してくれた。
それはそれで気持ちが良かった。
だからこそ、それと正反対な実家が嫌で、よく外で過ごしたり、家にいても部屋に引きこもっていた。
勉強することは苦ではなかったから、それでも別に構わなかった。
けど、それが変わった。
イリスのザウス行き。
襲われたという当初は心配したが、そこで終わればそれまでと思い直した。
冷淡だと言われても仕方ないけど、そう思ったのだから仕方ない。
けど彼女は生き延びた。
そのうえ、姉さんの話では彼女が避難民の命を救ったのだという。
それから、彼女の動きは変わった。
学校でも、何やらひと悶着を起こしたらしく、それまで孤立していたあいつが、誰かと一緒に過ごしているのを見かけることもあった。
極めつけが先日、この凱旋祭のもととなったザウス国迎撃戦。
あれに従軍し、初陣を飾ったというのだ。しかも策の立案からかかわっており、軍議にも呼ばれ、何より少なくない功を立てたのだという。
ボクでさえ、軍議に呼ばれたことも、初陣もまだだというのに。なぜイリスだけ。
そう思うと、腸が煮えくり返って、話すことも煩わしいことに感じた。だから避けた。
だが、彼女は確かに変わった。
どこかとげとげした、触ると切りつけるナイフのような気性が落ち着き、どこか遠慮するような、そしてこちらと上手く距離を取ろうとするような態度を見せるのだ。
別人になったんじゃないかと思うほどの変わりようだ。
それには少なからず狼狽した。
だって、あのイリスが、そんな態度を取るなんて初めてだったから。
思えば、彼女もボクを嫌っていたと思う。
優秀なボクに対する彼女。家庭では逆とはいえ、学校や世間一般の認識では圧倒的に不憫だったのだ。
それは彼女の怠慢だと思っているけど、それでも鬱屈したものがあったのだと今にして思えば分かる。
だからどう接したらいいか分からず、話しかけられれば適当な返しをするだけの生活を送っていたら……これだ。
聞けばレースを抜け出してこちらに駆けつけたのだという。
それも襲われた人たちを心配し、救助に専念していたのだから。
ボクが考えるイリス像とはかけ離れたその行動に、ボクは思わず声をかけていた。
あの時は、正直いっぱいいっぱいだったし、なにより騒動を止めることが最優先だったから。
そしてあの時。
彼女が押し倒された時。全身がかっと熱くなって思わず武器の三節棍を救助に使っていた。
嫌っていたはずの、妹のために。
そのせいで自分が不覚をとり、あのコトという魂の共鳴を起こした女性が助けてくれなければどうなっていたか分からない。
さらに驚くことはその後の彼女の行動だ。
賊の首領格を問い詰めてはじき出した答えは、これが陽動で、本命は東地区にいる父さんたちだという。まさか、という思いとは裏腹に、論理的に考えればなくはないとも納得できる。
これがあのイリスなのかと思う。
いや、これがあのイリスなのだ。
だからこそ、軍議にも呼ばれたし、初陣も飾った。
何かが起きたのかもしれないが、これが彼女の本性。
それを見抜けなかった自分が迂闊だが、それ以上にどこかすがすがしい気分だ。
あぁ、やはり妹はできる奴だ。優秀なこのボクと比較していた世間どもよ、思い知れ、と。
自らが比較して、卑下して、廃絶した妹なのにもかかわらず。母親が違うにもかかわらず。
やはり、彼女は妹なのだ。
思い出すは、幼少のころ。まだ善悪がはっきりしていない彼女は可愛らしかった。
なににつけても兄であるボクを頼り、泣きついてきたこともしばしばだった。
いくら嫌っていても、育まれた家族という絆の糸は、そう簡単に切れるわけがないようだ。
それを今になって、気づかされた。
そして今。
馬を走らせて前を行くイリスを見ながら思う。
彼女は今、ボクと同じく、父親の安全を願って走っている。
その家族への想い。それを感じて、あぁ根っこは同じなのかと安心する。
だから文句も言わず、確証もないまま、馬に乗って彼女の後を追いかけるわけだが。
……馬の乗り方も、妹の方が様になっているのがちょっと憎らしい。
いいんだ。ボクの本領は頭脳。神の英知を詰め込んだ知恵で勝負する。
「見えた!」
イリスが叫ぶ。
同時、ハッとする。東地区の一角、政庁の近くに噴煙が上がっているのを。
そして、
「悲鳴っ!」
怒声と悲鳴が入り混じった群衆は、我先に現場から逃げ去ろうとして恐慌状態になっている。
「どいてくれ! 危ないから!」
イリスが群衆に叫びながら前に進む。
その妹が開けた空間について進んだ。
「父さん!」
たどり着いた。
政庁前の空間。そこは本来、国都縦断クライング・ルーフ・ランニング・レースのゴール地点となっていた場所。
だがそこにあった壇や椅子は倒され、旗は燃え、観客のいなくなったその場は閑散としていた。
くっ、やはり警備が少なくなっている。イリスの言ったことは当たっていた。
「ぐぁぁ!」
慟哭。
警備の1人が倒れたのが見えた。
黒づくめの襲撃者たちの凶刃に倒れたのだ。
そこは家屋の壁を背にして誰かを守っているようで、それを襲撃者たちが白刃をきらめかせて囲っている。
「イリス!」
「分かった!」
イリスが棒――といっても救出した店から拝借した旗竿だ――をぶんと馬上で構えると、
「どけぇ!」
叫び、襲撃者の背後から突っ込んだ。
襲撃者たちはそれだけで壊乱し、警備の人たちがそれを期に反撃に移る。
ボクも黙っていられず、馬から飛び降りて三節棍を振り回し、襲撃者を叩きのめす。
完全に虚を突いた攻撃は、まさに一撃だった。
襲撃者たちはあっという間に叩きのめされる。
「助けに来ました、父さんは!?」
探す。だが守られていたのは太守様とインジュイン、大将軍の3人。その足元で将軍が膝を折ってうずくまっている。どうやら左肩に傷を負っているようだ。
あとは護衛のみで父さんはいない。
「た、助かったー! マジで! てかイリスちゃん、超かっけぇ! マジ惚れた! ヤバサンキュー!」
「む、むむむ! 大義であったぞ、少年少女。まぁこの大将軍の本気を出せばこれくらいは余裕だったのだがな! あえて若者に花を持たせるとしよう!」
太守と大将軍は無事だ。
そしてボクは残りの重臣に近づく。
「インジュイン様。お初にお目にかかります。トルシュ・グーシィンと申します。ご無事で?」
「グーシィンの倅どもか。助かった」
「1つお聞きしたいのですが、我が父はどこへ?」
「む……ここには来ておらんな。仕事をしているのではないか?」
「そう、ですか」
「うむ。それでは我々は失礼する。この混乱を静めなければならないからな」
「はっ」
横柄な言い方が癇に障った、インジュインの言い分は正しい。
今はこの混乱を静めるのが最優先だ。
インジュインは負傷した将軍を警備の1人に病院に連れて行ったあと、足早にその場を太守たちと共に離れていく。
父さんはいなかった。となるとこれで終わりか。
確かにイリスの言う通り、陽動による強襲が行われたのだから。
「トルシュ兄さん、父さんは?」
「ここにはいないらしい」
「いない……そんな」
イリスが考え込む。確かに、これを計画した連中は、ここでこの国のトップをまとめて排除しようという計画だったのだろう。
だが、何かが引っかかる。
それはイリスも同じようで、考え込んだまま動かない。
そしてそれは、ボクたちにとって、最悪のシナリオの結末となるのだった。