第99話 疑惑
結局、琴さんの登場で腰砕けになっていた暴漢たちは、一刀のもとになぎ倒されたリーダーを見て、蜘蛛の子を散らすように逃げ去ってしまった。
「逃げ、たか……」
「安心したまえ。今に他の警邏の者たちが来ているはずだ。1人残らず、深淵の魂の牢獄で最後の審判を迎えることになるだろう」
えっと、捕まえるから心配するなってことでいいのかな?
その言葉を聞いたからか、周囲で恐る恐る覗いていた群衆が歓声をあげる。
中には直接的な被害に遭った人もいただろうけど、その誰もが笑顔になっているのを見て、僕もホッとした。
どうやら体の重さも緩和してきて、息も吸えるようになった。
「あ、その、助かりました」
「ああ、何やら天雷の祝福の音を聞いてね。いよいよ本番という時にこれだから、急いで駆けつけてきてしまったよ。そうしたら君が襲われていたというわけさ」
「そうだったんですか、助けてもらってありがとうございます」
「それはいいが……君は、その……労咳、なのか?」
琴さんがすごく悲しそうな顔で聞いてくる。
労咳? えっと、確かそれって……。
「知り合いに労咳にかかったという者がいてな」
「もしかして、沖田総司?」
「知っているのか?」
まぁ幕末で労咳とすれば、沖田総司だろう。
労咳、今風に言えば結核。今ではそれほどでもないらしいが、当時は不治の病と呼ばれ恐れられていたという。
まぁ沖田労咳説は実は本当ではないという説もあるわけだけど。
「そうか……」
「あ、いや。そういうのじゃないですよ。どうも僕、喉が弱くてちょっとしたことで血を吐いちゃうんですよ」
心配そうな琴さんの不安を取り払うように明るく答えた。
喉が弱くてよく血を吐くって、適当に言った言葉だけど、よく考えたらとんでもない話だよな。
「そうなのか?」
「はい、体はもうへいちゃらです」
「……そう、か。ならいい」
その時、琴さんはなんだか寂しそうな、それでいてとても満ち足りたような笑顔をした。
なにかあったのだろうか。
「それは本当か、イリス?」
と、そこにトルシュ兄さんが来た。
どうやら三節棍はしまったらしく、制服についた土を払っている。
「あ、うん。そうなんだ」
「ふぅん?」
トルシュ兄さんがいぶかし気な視線で見てくる。
そうか。疎遠とはいえ家族だから、前のイリスも知ってるわけで。そんな体質なんてないことは分かっていたのだろう。
けどそれ以上は突っ込んでこず、琴さんに向き直ってくれた。
「そこの方、危ういところを助けていただいて感謝する」
トルシュ兄さんは礼儀正しく琴さんに頭を下げた。
「いやいや。気にすることはない。これも魂の嚮導によるものということだろう」
「そうか、運命に導かれた者同士の邂逅と言うことか」
「そうさ。これは輪廻の挟間に記された神の記録によるもの。僕らが出会うのは必然。そして決然ということさ」
なんか始まったよ。中二病的な会話が。まったく意味がわかんないけど。
つかトルシュ兄さん、そうなのか。卒業できていないのか? そういう属性なのか!?
なんて僕がトルシュ兄さんのことを見ていると、
「…………ふん」
そっぽを向かれた。
なんだよ。さっきは助けに来てくれたと思ったけど、やっぱりまだ心の壁は厚いようだ。
「ところで、えっと、コトさんと言ったかな?」
「ああ、同志たる君は琴と呼び捨てにしてもらって結構」
「分かった、コト。ボクはトルシュ・グーシィン。こいつの兄だ。ところで、ちょっとそちらの猿を借りても?」
猿とは、琴さんがなぎ倒したスキンヘッドのリーダーだ。
「ああ、構わないよ“とるしゆ”殿。今のボクはただの“さあかす”の夢追い者だ」
「なに、すぐ済む。あぁ、すまないがバケツに水を汲んでもらえないかな?」
と、トルシュ兄さんは近くの店の人にバケツに水を汲んでもらうと、それを持ってスキンヘッドの前に立つ。
あ、なにするか分かっちゃった。
そしてトルシュ兄さんは、想像通りのことを、何の遠慮もなく行った。
すなわち、気絶したスキンヘッドの顔面にバケツの水をぶっかけたのだ。
「ぐへっ、がはっ……な、なにしやが――」
「言え。こんなことをした理由はなんだ?」
トルシュ兄さんがスキンヘッドの前にしゃがみ込むと、凄みを利かせた声で聞く。
「り、理由……?」
「そうだ、理由だ。適当で上っ面な言葉は要らない。あんな徒党を組んで、暴れまわ理由があるはずだ。そしておそらく、隣地区の爆発騒ぎもお前らだな」
そうか、そりゃそうだ。
何の理由もなく、あんな狼藉をする馬鹿はいない……いや、いるんじゃないか? むしゃくしゃしてやっただの、今は反省しているだの、そういう連中は。
「イリス、なんでボクが確信をもって聞いているか不思議か?」
「え、いや、全然!?」
なんで? もしかして心を読まれた?
「なに、精霊たちの声に耳を傾ければそれくらいのことはたやすい」
「なるほど、貴君は霊感精神聴音の使い手だったのか」
「ああ、コト。まだ初級だけどな」
あ、また中二的会話が始まった。てかなにそのスキル。ちょっと詳しく聞きたいんだけど。
「実は数日前、事務所に脅迫状が来ていた」
「脅迫状!?」
精霊関係ないじゃん! とは言わないよ。身内の情けってやつだ。
「ああ、凱旋祭を中止しろ、というありきたりなものだったがな。もちろんそんなものは無視された。だが何か起きてしまっては遅い。だからこそ、我々は隅から隅まで悪党どもの行動に目を光らせていた……はずだったんだが」
それでも起きてしまった、か。
とはいえ兄さんを責められるはずもない。
犯罪に対して、防犯こそが一番難しいのだ。
いつ、どこで、どうやって来るか分からない犯罪を、すべて防ぐことなんて不可能だ。だって犯罪者はその防犯の穴をつついてくるのだから。
戦いと同じだ。敵にいたして敵に致されず、と孫子が言っているように、主導権を握った方が状況を動かしやすいのだ。
だから本来は仕方のないことなんだけど、トルシュ兄さんは責任感が強いようで、それすらも自分の責任だと思い詰めているのだろう。
なんだかトルシュ兄さんのことが少しわかった気がした。
「なるほど、慟哭の断罪状がありながらも開催を強行したなら、事を起こすと睨んだわけだ。つまり、それほどまでにこの祭りで冥府の門を開きたい理由があると」
琴さんの言葉に兄さんがうなずく。
「そういうわけだ。ボクの聖三竜撃が火を噴く前に、何もかも喋ることをおススメするよ」
かっこよく言ってるけど、たぶん三節棍の攻撃だろうな。
「ぐっ……わ、分かった……」
スキンヘッドは、たぶん謎のトルシュ兄さんの迫力に屈して口を開いた。
「お、俺らはトントとの国境付近でたむろしてるしょうがねぇ賊だよ。それが2週間前、た、頼まれたんだ。イースでやる、祭りで騒ぎを起こせって」
「頼まれた? 誰に?」
「し、知らねぇ。顔も隠してたから。けど、ハンパねぇ金持ちだろうな。砂金の入った袋、3つも置いてきやがった」
「……続けろ」
「つ、続けろったって。それで終わりだよ」
「ならあの爆発は?」
「だから知らねぇって! 俺らは好き勝手していいって言われたからよ! この時間に、国都の西側でって。できるだけ大騒ぎにして、人を集めろって感じだよ」
何かが引っかかった。
時間と場所を指定された?
それに人を集めろ? いや、この様子だと人を集めろというより、注意を集めろってことか。
確かにここらは人が多くなってる。隣の爆発事故とあわせて、救助のために軍や医者がたくさん来ているのだ。これもカタリアが対処した通り。
きっとあの爆発も、その謎の男によって仕組まれたのだろう。大量の砂金を払って。
つまりこれは他国の妨害工作か。
凱旋祭の最中に事故や暴動が起きれば、他国からあざ笑われる。
たかがお祭り、されどお祭り。
イースはたかが祭り1つも満足にできないのか、という風に見られれば国の機能を疑われる。
犯罪者にも舐められて、治安の悪化や暴動などが起きかねない。
くそ、たかがそんなことのために、ここにいる人たちは怖い思いをして、隣地区の人たちは痛い思いをしたというのか。
許せない。
そんな負の感情が沸き上がる側面。
まだ何かが引っかかる。
これで終わりなのか?
それだけのために、こんな大金を払って仕組んだのか?
釈然としない思いに悩んでいると、
「くそ、こんなことならもっと早く西地区に力を入れるべきだった。インジュインの護衛などわずかで十分だろうに」
あぁ、トルシュ兄さんもインジュイン嫌いか。まぁ、あんな風に家で言われちゃね。
……ん?
「待って、トルシュ兄さん」
「なんだ、イリス」
明らかに不機嫌なトルシュ兄さんは、睨みつけるようにこちらを向く。
だが怖がっていられない。僕は懸念をぶちまける。
「インジュインは、今何してるの?」
「お前には関係ないだろ」
「教えてください。お願いします」
「っ!? ……ふん、いいだろう」
素直に頭を下げた僕に驚いた様子のトルシュ兄さんは、
「今頃、お前も参加していたはずのレースの観戦してるはずだ」
「それ、どこで!?」
「そんなもの、決まっているだろう。東地区の政庁前。レースのゴールだ」
「そこに父さんは?」
「父さん? それは、たぶんいるんじゃないか。あの太守のおもりだからな」
そういう、ことか!
くそ、まんまとやられた。防犯の方が難しいのは分かってるけど、これは防ぎたかった。
というかこんなことがあるのに、呑気に祭り見学にレース参加していた僕が情けないぞ。
「兄さん、すぐ戻ろう!」
「な、なにを……」
「これは陽動だ!」
ここは西地区の外れ。そちらで騒ぎを起こす。目立つように“花火”も添えて。
それを見れば、誰もがこちらに目を向ける。起きた惨劇を見れば、救助のための人員をこちらに割く。
そうなれば、東地区の警備の人員が減る。
それはつまり、襲撃者にとって好都合ということ。
そのためにこのスキンヘッドらは雇われた、使い捨ての駒だ。
そしてそこまでして狙うべき人物。
この国はトップが愚物で、軍部も愚物というのは、おそらく他国も知るところにあるだろう。
国を回しているのは2人。
インジュインと、僕らの父だ。
その2人がいなくなれば……この国はすぐに自壊への道を突き進む。
つまり今回のこの狙いは――
「父さんが危ない!」