第98話 災禍のち乱闘
そこは簡単に言って地獄だった。
そこは屋台が立ち並ぶ通りだったのだろう。
ほんの数分前までは、祭りに騒ぐ人々の歓声で満ち溢れていただろう。
だが今は、倒れた建物の下敷きになっている人。破片を受けて流血している人。炎に包まれ火傷を負った人。
数えきれない負傷者がそこらに転がって苦悶の声をあげている。
「大変……」
青ざめたカタリアだったが、すぐに唇をきゅっと結ぶと、
「あなたはその馬鹿力で瓦礫に埋もれた人を救いなさい!」
馬鹿力って……いや、今はそれより行動だ。
「カタリアは!?」
「わたくしは家のものに連絡をつけて、軍を動かします。それから医者を呼び寄せ、治療にあたってもらいます。それに、原因の特定をしないといつ再び爆発が起こるか分かりませんわ。だからなるだけ負傷者はここから離れた場所に移すのです」
この一瞬での状況判断と行動力はさすがだ。
「分かった。任せる」
「ふん、あなたのためにやるんじゃありませんわ」
ごもっとも。
というわけで、僕らは別れてそれぞれに救助活動を始めた。
瓦礫の下敷きになった人。意識があるか分からないが、助けない選択肢はない。
軍神の力を使えば、それも容易に処理できた。
それを何度か繰り返し、救助活動に一区切りがついたころ。
いや、一区切りなんてついてない。今はみんなが傷つき倒れている。すすり泣く声、苦しみのうめき声に子供の泣き声。それらが周囲を埋め尽くしている。
まさに地獄絵図。こんな中で、無傷でいることが心苦しいと思うなんて。
一体、誰がこんなことを……。
胸の中に宿る、ほのかな怒りの炎。
そして救助以上の手助けができない自分に対するいら立ちが募る。
そこへ――
「っ、イリス!」
呼ばれ、振り返るとそこには学校の制服を着た男性がいた。
その人物を僕は知っている。
「トルシュ兄さん……」
そう、まさかの次兄、トルシュ・グーシィンだ。
「ちっ、まあいい。手伝え」
あからさまな舌打ちをされた。
「でもここは……」
「要救助者は対処が終わった。今、インジュインの娘が軍と医者を連れてきている。あとはあいつらに任せろ。それよりこっちだ」
有無を言わさぬ雰囲気に、トルシュ兄さんはこういう人だったかと首をひねる。
けど、それ以上の口論は無駄とトルシュ兄さんは踵を返して瓦礫の奥へ消えた。
僕は一瞬迷ったけど、ここにいても何もできないと判断して兄さんを追った。
トルシュ兄さんが向かったのは、火災現場の隣の区画。
近づくにつれ、怒号が響いてくるのが聞こえてきた。
「んだぁら、なんじゃてめぇは!!」
そこにいたのは数十人の男たち。
そのどれもがごつい体に、派手なハッピのようなものをきた荒くれ者。世紀末でヒャッハーな人種と言ってもいいだろう。
周辺には破壊された扉やら、のぼり、屋台の残骸が散らばっている。
男たちは近くで爆発が起きているのにも関わらず、徒党を組み、暴行を行っているのは見て取れた。
「急報を受け、駆けつけてみれば……イリス、手伝え」
「え、手伝うって何を……」
「ゴミ掃除だよ。都に住み着くクソゴミダニどもを、徹底的に排除する」
なんというか、あまり話したことないけど、このぶっきらぼうな感じと毒舌な感じ。うぅん、苦手かもしれない。
「だぁれがゴミじゃあ! 貴様らぁ、我々が誰か知らんのか!」
「知らん。だがこの祭りの最中に騒ぎを起こす馬鹿はこのボクが許さん。“凱旋祭安全管理委員”の長として、貴様らを徹底的に殴り倒し半殺しにしたうえで捕縛する」
え? 凱旋祭安全保障委員? そんなことやってたのか。
つか怖いよ。ただ捕縛する、でいいじゃんか。なんで殴って半殺しにしないといけないのさ。
「え、てかこの数! トルシュ兄さん、他に増援は!?」
「いらないだろ。ボクだけでも十分だが、まぁ暴れ者のお前でもなんかの役には立つだろう」
ちょ、言い方。
「このガキ……大人を舐めるとどうなるか痛い目にあわせてやるぜぇ!」
「大人? どこに大人がいる? 暴れて手が付けられなくなった幼児、いや、猿だ。猿にしつけをしてやろうと言っている」
「トルシュ兄さん!」
売り言葉に買い言葉とはいえ、なんでそんな煽ってるの!?
「ははぁ。そこのガキ。妹ってわけかぁ。野郎ども、これはもう、家族の前で大人の階段のぼってもらおうじゃねぇか、なぁ、妹さんよぉぉぉ!」
うわー、キモイ。この発言、言われると本当に気持ち悪い。
うん、僕も心が決まった。
こいつらの狼藉と、あちらの爆発が関係があるかは分からない。
けど、せっかく皆が頑張って準備して楽しんでいるお祭り。それを破壊しようなんて、あってはならないこと。情状酌量の余地もないほどにボコってしまおう。
ってあれ、僕もトルシュ兄さんのこと言えないぞ。
「やっちまぇ!」
お決まりのかかり文句と共に、男たちがこちらに向かって来る。
「やれやれ……イリス。撃ち漏らしたのを叩け。それくらいはできるだろ」
トルシュ兄さんは嘆息しながらも、手を振る。すると長袖の中から一本の太い棒が出てきた。
一体何を。そう思ったが、
「ぶへっ!」
「がふっ!」
握った棒、その射程内ではないのに、男の2人が吹き飛んだ。
「え……ばはっ!」
何が起きたか分からず止まった暴漢の1人がまた吹き飛ぶ。
僕には見えた。
トルシュ兄さんが取り出した棒。それはただの棒じゃなかった。
あれは一本の棒じゃなく、3本の棒を組み合わせて作られた武器。
てゆうかあれって、アレだよな。よくカンフー映画で出てくる……。
「東洋から流れてきた三節棍だ、餌食になりたいやつはかかってこい」
なんて決め台詞をばっちし決めたトルシュ兄さんは、三節棍を振り回し臨戦態勢。
「くそ! こっちも得物を使え! あとあの妹の方にも行け!」
スキンヘッドの暴漢が叫ぶ。どうやらあれがボスのようだ。
その声にこたえて、暴漢たちはそれぞれ武器を取り出す。ナイフや両刃剣、こん棒やメリケンサックみたいなもの。
卑怯とは言ってられない。だって身内が先に使ったからね! つか僕は何もないんだけど!
「ほりゃあ!」
ナイフを持った暴漢がトルシュ兄さんに突きかかる。だがリーチが違いすぎ、暴漢はトルシュ兄さんの一振りでKOされた。
「お前の相手は、俺だぜぇ!」
兄さんを回り込んでこっちにも来た。
相手は棒を手にしたチンピラ然とした男。これはラッキー。
相手が突きかかてきたのを、一歩ずれてかわし、そのまま棒を握ると同時に相手のみぞおちに膝蹴りを叩き込む。
「がっ……」
「もらいっ!」
悶絶した男の棒を奪うと、そのまま次の敵へと向きなおる。
ここに2対数十の乱闘が開始された。
この状況、数的不利は圧倒的だが、戦況としては悪くない。
まずトルシュ兄さんの三節棍による圧倒的なリーチ。そして相手は数が多いと言っても、それが逆に足かせになる。つまり同士討ちを恐れて一斉に打ってこれないのだ。
対するこちらはトルシュ兄さん以外は敵なので、とりあえず振り回せば敵に当たるという理屈。
だから楽勝とはいかないまでも、十分に勝負になる戦いなのだ。
あれがなければ。
「お、女だぁ! 女ぁ!」
血走った男のナイフを棒ではじく。そしてがら空きのボディに石突きの一撃をお見舞いしようとして、
「ぐっ……」
来た。来てしまった。
体の奥底から熱いものがこみ上げる。
そしてそれは食堂を逆流して、口からあふれ出た。
「ごふっ……」
口元を手で押さえる。けど、抑えきれず外に出る、生ぬるい液体。
あー……最近調子よかったのに。ここで来るか。
今日はレースの開始から今まで軍神スキルを要所で発動していた。とどめがこの乱闘となれば、無理させすぎたのか。
とりあえず目の前の敵。それを棒で打倒す。
だがそれで体が言うことをきかなくなった。重い。立っているのすら、辛い。
「なんだぁ、病気持ちかぁ? ま、それもいいけどよ!」
男の声。視界が涙で揺らぐ。
衝撃が来た。天も地も分からないまま、体が何かにぶつかった。
倒れた、と分かったのは、何かが体の上に乗っかってきてからだ。
視界が戻る。
見れば僕の上、マウントポジションを取る先ほどの男が、よだれを垂らし、見開いた目でこちらを見ていた。
「まぁ構わねぇよな。だってよぉ、気持ちよくなんだから!」
「は、なせ……」
力が入らない。声も出ない。
怖い。
これから何が起きるのか。何をされるのか。理解していても理解したくない現実。
「イリス!」
声が聞こえた。
この場で僕の名を呼ぶのは1人しかいない。
トルシュ兄さん。
暴漢たちを圧倒していた兄さんと目が合った。その瞳が一瞬戸惑い、だがすぐに憤怒の色に染まり、
「妹に、何をする!」
「ぎゃあ!」
僕に馬乗りした男を三節棍で殴り飛ばした。
助かったと思うより早く、叫んでいた。
「後ろ!」
「ん――ぐぁ!!」
トルシュ兄さんが背後から殴打されて地面に倒れる。
あぁ、僕のせいだ。僕がこんなやつに捕まって。
けどどうしてトルシュ兄さんはこんなことを。あれだけ嫌っていた妹だというのに。自ら危険になるのを承知で、加勢してくれるなんて。
いや、あるいは。彼も同じなのか。
家族を、兄妹を大事にする、あの甘ったるいグーシィン家の一員なのか。
それを、一番年が近いから。それで対応が不器用になってしまったとか。
そう思うと、なんだか愉快だった。
だとしたら、こんなところで倒れていられない。
たとえ寿命すべてを削っても、この場は、トルシュ兄さんは助けないと。
だが体は言うことを聞いてくれない。
それどころか次の男が馬乗りになってきて、その下品な間抜け面で僕に手を伸ばしてくる。
「いっただきまぁす!」
くそ、こんなところで。
思わず目をつむる。自分の無力さを呪う。
その時――
「舞え、月華乱舞疾風陣!」
風が巻き起こった。
頭上の男が薙ぎ払われた。それだけじゃない。その周囲にいた者を吹き飛ばした。
視界に現れたのはピンク色の和服。その大柄な体と、手にした薙刀をぶんと振り回した女傑。
「安心せよ、峰打ちだ」
「こ、こと、さん!」
例のサーカスにいた和服美人、中沢琴さんだ。
新選組、じゃなく……えっと、そうだ。新徴組の、彼女もまたイレギュラー。
「ん、おぉ。誰かと思えば。いりすの少女ではないか……んん?」
琴さんは僕の様子を見て、その額にしわを寄せる。
そして周囲を見渡し、そして暴漢どもを見据えると、
「あろうことか、婦女子への暴行未遂。府内を騒がす狼藉者どもが」
「ひっ」
彼女の全身から噴き出るような怒気に、暴漢たちは一歩後ずさる。
だがそれを逃がす琴さんではない。
「この新徴組が士、中沢琴が沈静する!」
怒気と共に吐き出されたその気迫と共に、駆けだした。
それで勝負は決まった。