第94話 凱旋祭2日目・エントリー
凱旋祭2日目の朝はどにょりと曇った空模様で、暑くはないがなんともすっきりしない雰囲気だった。
「今日は障害物競争に出るんだよね。気を付けるんだよ、イリス」
「ううう、イリスちゃんが危険なことにならないか。パパはもう、心配だぞぅ!」
「お義父様。イリスちゃんはお強いから大丈夫ですよ」
「うむむ……フィナーレの大宴会のための差配がなければ全力で応援にいったのに、おのれインジュイン! 娘の晴れ舞台にわしに仕事を振るとか、鬼か!」
「……ま、せいぜい恥をさらさないよう気を付ければ?」
家族からのエール(?)を受け、今日とて西地区――ではなく、南門の方へと向かう。
参加者はそこへ集まるよう、事前に通達があったからだ。
この南門。
思えばここから僕は入ったのだ。あのザウスからの逃避行。その果てに。
あれから僕はこのイース国の国民になったつもりで、今日まで生きてきたわけで。
なんとも感慨深いものだ。
「あら、逃げずにやってきたものね。臆病者にしてはよくやったと褒めてさしあげますわ」
そんな感慨は一瞬にして吹き飛んだ。
到着早々、朝っぱらからそんな皮肉を言われればげんなりする。
カタリア・インジュイン。
そういえば出るとか言ってたけど本気だったのか。
本来なら僕としては反論の1つでもかましてやりたかったが、それはできなかった。
うまく言葉が出なかったのだ。
朝だからとか調子が悪いとかではない。
カタリアのその格好。
それに絶句してしまっていた。
そしてようやく絞り出した言葉は、
「なんでブルマ?」
古き良き(?)絶滅したはずの体操着。
それをカタリアはぴっちりと着こなしている。細長い脚の肌色が眩しい。
いや、なんで? もしかしてこれがこの国の、この時代の正装なのか? いやそんな馬鹿な。
けど見回してみれば、参加者らしき人たちは女子はブルマ、男子は短パンという格好で集まっている。
これが小学校とかそこらだったらまだいい。
けどここにいるのは体力自慢の猛者たち。つまり年齢無制限。だからすね毛がぼーぼーの輩も短パンで粋がってるし、なんともまぁ、要は地獄絵図だった。
「この祭りを仕切る実行委員の人からの命令よ。ま、わたくしとしては動きやすく、耐久性もありそうなので問題ありませんが? 庶民には十分でしょう」
いいのかよ。確かに動きやすいのかもしれないけど。
ただ、いつも制服姿しか見ていないカタリアの体操着姿というのは、なんというか新鮮で若干目のやり場は困る。
元々、彼女の素体は良いのだ。
「何を呆けていますの? 頭の中が熱望に侵されて溶けだしているのでは? あ、溶けるほどのものは入っていませんでしたわね、失礼」
……本当に、外見だけならなぁ。
「いつまでぐずぐずしてますの。さっさと受付でゼッケンとこの服をもらって来なさい」
「教えてくれるんだ」
「勘違いしないでもらいまして? 競技の場であなたをぶちのめしてこそ、意義があるのですから。不戦勝など何の意味もありませんわ!」
さっきはよく来たな、とか言ってたのに。
てか勘違いしないでよ、ってツンデレかよ。最高かよ。
「んじゃ、受付してくる」
そう言ってカタリアと別れ、受付を澄ましてゼッケンと体操着を受け取ったところではたと気づく。
あれ? そういえば……着るの? これを? 僕が?
今まで考えないようにしてたけど、またその障害が出てきた。
「あのー、これって着ないとダメです?」
一応、動きやすい格好はしてきたから、ワンチャンそれで押し通せないか受付のお姉さんに聞いてみる。
「はい、こちらで選手の方を区別していますので。これを着なければ失格となります」
「じゃ、じゃあ。男用のあの短パンでいいので、そっちに替えてもらえません?」
「それもできません。女性の方はこちらで。これもネイコゥ様の言いつけでございますので」
くそ、なんて時代錯誤なんだ。あ、時代が違うのか。
とはいえどうやら何を言っても無駄のようだ。
失格と言われてしまえば仕方ない。
短パンみたいなものだと思えば、たぶん、きっと、おそらく、メイビー、パハップス、何とかなる……気がする。
というわけで更衣室の端でさっと着替えてスタート地点へ。
そこはもう人だかりができていた。
スタートラインとなる場所が一番混雑しており、鎧を着た屈強な兵たちが一本のラインとなって封鎖している。
ざっと数えただけでも100人。それがぎゅうぎゅうと一か所に集まっていて、さらにその周りをスタートを待ちわびている観客が人の壁を成している。なんとも物騒なスタート地点だった。
ふと見れば、スタートラインから少し離れた位置にカタリアを見つけた。
スタートラインに群がる人たちを、それこそゴミのように見下しているのが分かる。やれやれ。
ほかに知り合いはいなそうなので、手持無沙汰にぼうっとしていると、
「御集りの皆さん、お待たせしました」
静かながらもよく通る、音楽的な声が響いた。
左手、少し高くなった壇の上に2つの影。
1人はあの馬鹿太守で、もう1人は――
「このたびは国都縦断クライング・ルーフ・ランニング・レースに参加いただき誠にありがとうございます。代表してこのネイコゥがお礼申し上げます」
そう言って女性が深々とお辞儀をする。
ネイコゥ。そうだ、あの女だ。理事長室で出会ったあの美しさと恐ろしさを兼ね備えた女。
無難で丁寧な挨拶しただけにも関わらず、それまでうるさいくらいにざわついていた群衆が、一斉に静まりかえった。
彼女から発せられる空気に、ただ者ではない雰囲気を感じたのだろう。
「いやー、みんな! 今日は集まってくれてサンキュー! 俺様もうちょうハッピーだぜ!」
約1名、近くにいながらも感じ取れないやつもいるけど。
「それでは今回の競技のルールを説明させていただきます。皆さまはここスタート地点から、政庁の門にあるゴールまで競争していただきます」
ネイコゥが太守の挨拶をあっさりと切り捨ててルール説明に入った。
それは超絶簡単。だが、かなり厄介なものだった。
「ルールは簡単、地面に足がついたら失格。それだけでございます」
「え?」
疑問の声があがり、再び辺りがざわつく。
それもそうだろう。聞き間違いじゃなければ、地面に降りたら失格だという。じゃあどうやって政庁まで行けば――
「屋根、か」
「カンの良い方がいらっしゃるようで」
僕のつぶやきを、ネイコゥが耳ざとく拾ってわざとらしく微笑む。背筋がゾッとした。
ネイコゥが手を叩く。
するとどこから現れたのか、屈強な男たちが大きな板を背負って現れた。
彼らは決められた通りに動き、次々と板を地面に設置していく。そしてそれの終着点は、近くにある民家の屋根に立てかけられるところまで続いた。
なるほど、これを通って屋根に登れと。
そういえば数日前、ラスとここら辺を巡った時に、何やら屋根で作業している大工さんたちを見た。何をしているかと思えば、どうやらこのコースづくりをしていたのだろう。
「さて、ルールは以上でございます。あ、いえ、もう1点。この競技。もちろん参加者への妨害は可能ですが、不用意な傷害、当然のことながら殺人はその場で失格。屈強なイース兵の人に捕縛され罪に問われますのでご注意を」
「そういうこと! みんなフェアに行こうぜ、俺様のように、フェアに!」
なんてこった。
こういうのってもっとスポーツマンシップに乗っ取って、と思ったけど、どうやら時代と世界も違えばスポーツマンシップも違うようだ。
殺さなければ何をしてもいい。
それが成り立って、誰も文句を言わないのだから、乱世だなぁと思う。
「そして見事、一番にたどり着いた優勝者には賞金100万ゼリが送られます」
その言葉に参加者が歓声を上げる。
貨幣の価値換算は、まだ正確には分かっていないけど、昨日食べたあの菓子職人の飴細工は、1つ200ゼリだった。
あれは日本でなら少なくとも100円、利益を考えるなら150円……いや、この世界における砂糖の価値を考えるともっとか?
それを考慮したうえで1ゼリは1.5円くらいとすると、100万ゼリというのは最低でも150万、おそらく200から300万くらいの日本円の価値があるのだろう。
「そうそう、これも俺様の国庫から出てるから安心して――ぶっ!」
「……2位以下、10位までの方にも順位に応じて賞金がありますのでぜひ頑張ってください。えい、えい、おー」
不用意な発言をしようとした太守のボディに、超速の手刀を叩き込んだネイコゥは、淡々とした口調で後を続けた。最後のなんて、まったく気持ちの籠ってない、棒読み極まりないわけだけど、誰も気にしない。賞金に気を取られているからだ。
つか国庫からって……つまり税金じゃねぇか。ポケットマネーでもなく。
これも参加者には聞こえていなかったのが幸いだ。もし聞こえていたらと思うと、あの恐ろしい手刀を繰り出したネイコゥの判断に拍手したい。
というかこれまた負けられない理由が増えたな。
こうも簡単に大金をばらまくのはいかがなものか。そもそも、この凱旋祭というのももっとやりようがあったはずだ。
今、この国は未曾有の危機にある。
なんとかザウス国の侵攻を跳ね返し領土を拡張したが、事態は大きく変わっていない。
周辺諸国はすべからくイースより大国で、滅亡に瀕していると言っても過言ではない。
それなのにこうも能天気にバカ騒ぎをして、少ない国庫の金をばらまいているのだから。
本当につくづく思う。
力が欲しい。
腕力とか知力とかじゃない。
この馬鹿太守や大将軍を止める、権力だ。
父さんは権力を持っているが、それもインジュインとの政争でどこまで通用するか怪しい。
だからこそ、僕個人の力が――いや、やめよう。
そんな権力を握ったところで、さらに上のレイヤーからサッと切り捨てられるのがオチだ。もうあんな失敗は繰り返したくない。
けど、この浪費を止めないことには国が滅んで僕が死ぬ。
だからこの支出をなんとしてでも取り返すために、僕が1位になってそれを国に返すようなことをすればいい。
大金はもったいないけど、この世界にはたいして欲しいと望むものはない。たとえあったとしても命には代えられない。
だから勝つ。
理事長との賭けの件と賞金。
それでこの国の、そして僕の命をつなぐ。
……まぁ、そのためには軍神の力が必要で、そのためには寿命を削るという、なんとも矛盾した話ではあるんだけどね。