第92話 最強の人質
「というわけでこっちの問題は片付いたので、そちらの取引はどうぞご自由に」
商人と粗野な男に向き直り、なるべく穏やかに語りかける。
圧をかけるためで、それは効果抜群だ。
「え、いや、その……」
「あ、ちなみにですが、他のイース国の人に売りつけようとしても無理なんで」
「な、なんだと!?」
あわよくばそれをしようと思っていたのだろう。笑みを消して商人が愕然とする。
「この国において、お二人の取引は制限させていただきます」
「な、なんの権限があって!?」
カタリアを真似るようで、そして家という僕の力じゃない虎の威を借るようで情けないけど、ここは一気に押し通す場所。
だから堂々と告げる。
「イース国大臣、グーシィン家が子として、違法取引を厳重に取り締まらせていただきます」
「グ、グーシィン家!?」
再びざわめきが起こる。
おお、なんかこれ。いいな。カタリアが得意になるもんだ。
「あ、それなら私のお父さんにも手伝ってもらいます。捕吏を動員してもらって。それでいいかな、イリスちゃん」
ラスの提案に大きくうなずく。
「完璧だよ、さすが捕吏の長官の娘」
「もう、それは言わないでって……」
制服の袖を握ったまま(萌え袖だ)ポカポカとぶってくるラスが可愛かった。
「ほ、捕吏!?」
商人の顔からは笑みが完全に消え、粗野な男もこれまでの横柄な気質はどこへやら。完全にしおれてしまっていた。
さて、そんでもってこれでとどめだ。
「皆さんも、こういった取引にはお気を付けください。彼らの取引停止は皆さんが証人ですので」
すると、周囲から拍手がわいた。
さらにエールのような声も続いて、どこか有頂天な気分。
だが、それが決定的な隙になった。
「このガキっ!」
粗野な男の方がこちらにつかみかかってくる。
「イリスちゃん!」
ラスの声にハッとする。
相手が来る。けど、軍神スキルが発動する。迎撃。その前に、影が割り込んだ。
「女子に手を出す。所詮は猿のすることですわ」
カタリアだ。
粗野な男の腕を横から押さえ、突進を止めていた。
「なに――お!?」
カタリアが男の腹に蹴りを放つ。
もんどりうった男は、1歩、2歩と後ずさりする。
「やる」
「ふん、こんなザコにやられてはタヒラ様に申し開きができませんゆえ」
素直じゃないねぇ。
「貴様らァァァぁ!!」
完全に頭に来た様子の男は、見境なくこちらに突進してくる。
「ったく。女の子に手を出すのはさ。ザコのやることだって、気づかない? あ、漫画がないのか、この世界は」
「何を言ってるんですの。タイミングを合わせてやりますわ!」
「はいはい」
「はいは1回! いいですわね、1、2……」
「3!」
男の懐に入り込んだ僕とカタリアは、互いに右手と左手を突き出して、男のみぞおち当たりにぶちかます。
「ぐお……おぉ!!」
男は苦悶の表情を浮かべながら、唾を吐いてそのまま仰向けに倒れ伏した。
「あぁ、汚い。ユーン、サン、わたくし汚れていませんか?」
「ええ、カタリア様はいつもと変わりませんわ」
「外国のことわざで“肥溜めに美女”という言葉があるっぽいっすよ。だから問題ないじゃん?」
「サン? それは美しいのです? 汚れ切っていません?」
なんだこの漫才は……。
カタリアたちのやり取りに気を取られていた僕らは、完全にこれで終わったものだと油断していた。
「きゃああ!」
ラスの悲鳴。
「ラス!」
見ればラスは商人のでっぷりとしたお腹に背中を押し付けられて羽交い締めにされていた。なんて絵だ。
「ふ、ふふふ……わたしは終われない。終われないのですよ!!」
商人が笑みを完全に消した、狂気の表情で叫ぶ。
しまった。あのラスが人質に取られるとは。
「ラスを放せ!」
あまりに迂闊な光景に、ありきたりな言葉を吐いてしまう。
その様子を見て、商人は勝ち誇ったように禍々しい笑みを浮かべる。
「こ、この娘は、捕吏の長官の、娘、なのでしょう? なら、わたしは、このまま、逃げましょう!」
その時、笛の音が鳴った。
どうやら捕吏が到着したらしい。黒づくめの揃いの制服に身を包んだ男女が周囲に展開し始めた。
「くく、く。手は出せないでしょう? あなたたちのボスの、娘なのです、から!」
不敵に笑う商人。
それに対し、カタリアが発言する。
「そんな裏切り者が人質? ちゃんちゃらおかしいですわ!」
「カタリア!」
「ふん!」
こいつ、まだラスを恨んでるのか。
くそ、このまま手をこまねいていたらカタリアが何をしだすか分からないぞ。
「ご、ごめんね……イリスちゃん」
「ラス! 大丈夫だ、すぐ助ける!」
けどどうやって。
あれだけ密着してたら、軍神の力はラスにも及んでしまう。
せめてラスが少しでも離れてくれれば……。
「あ、ち、違うの。ごめんねっていうのは、そうじゃなくて」
と、ラスが不思議なことを言い出した。
いつもと同じ様子のラス。だけど何か違う。何が違うかは分からないから、頭に疑問符が乱立する。
「ちょっと、乱暴するからごめんねって」
「は?」
それは僕と、商人の声。
ラスが言った言葉が理解できない。だから素っ頓狂な声が出る。
それはそうだ。言った言葉の意味と状況がまったくそぐわないのだから。
けどそれはまさに事実だと一瞬後に思い知らされる。
「えっと、死なないでくださいね」
なにが、と聞く前に、ラスは動いた。
「ふっ!」
一瞬、ラスの体が縮んだ。違う、身を丸くしたんだ。
ラスは首に回された商人の腕をつかむと、そこに全体重をかけて沈み込む。
「お、重い!?」
商人の態勢が崩れる。
人1人が腕にぶら下がっているようなものだ。重心が高くなり、片足が浮き、引っ張られるように前へ倒れそうになる。
それをこらえるように、残った右足で踏みとどまろうとするが、その右足をラスが払った。足を真後ろに蹴り上げるようにして。
ラスの左足は地面に直角、右足は天高く空へと突き出される。なんて柔らかい身体なんだ。
「うぉ!?」
それによって生まれたのは、男の悲鳴。
重心を崩され、さらに両足が宙に浮いた男は、天地がさかさまになり、あとは重力に引かれるだけだ。
だがいけない。
さかさまになった男。このままでは、頭から地面に落ちる。舗装されていない――いや、舗装されていたとしても、地面は硬い。そんなところに頭から叩き落されれば、頭蓋が陥没するか、首の骨が折れる。
まさかそんなことをラスが。
「はいぃぃぃ!」
と、気合一閃。落下する男の腹部を、ラスの右こぶしが真横に打ち抜いた。
それにより、横方向へと推力を得た男の体は、頭から下に落ちるのではなく、斜めへ、背中から地面に落ちた。
起きたのは一瞬。
けど、軍神スキルに鍛えられた僕の目は、その一部始終を見て取った。一瞬のうちにどれだけの動作が行われたかを。
それが何の技かは分からない。
けど“崩し”という過程を踏む以上、それが何に類するものかはわかる。
つまり柔道、もとい柔術。
そしてもちろん最後のは正拳突き。空手だ。
日本とは縁がなさそうなこの世界になぜ……。
いや、今はどうでもいい。
ラスが助けられた……いや、自力で助かったというべきなのかもしれないが。
と、ラスと視線が合った。
するとじわりと涙目になって、
「イリスちゃん、怖かったよぉ」
「いや、怖かったって……
ラスの方が怖いんだけど。あのまま落としてたら、死んでたかもしれないんだから。
「けど、すごいな」
「うん! ハロール流秘儀『二段落とし』なの! って、あ! はわわ……いけない! 素人さんには使っちゃだめって、お父さんから言われたのにぃ!」
なんだよハロール流って、秘儀って。二段落としって。素人って。
いやぁ、はわわって可愛いなぁ……と、軽く現実逃避。
「お嬢様、ご無事で!?」
と、黒服の捕吏たちが一斉に集まって来た。
突然のことに僕は、カタリアたちさえも言葉がない。
「あ、隊長さん。お疲れ様です」
「申し訳ありません! お嬢様の御身を守ることが我らの使命だというのに……」
「いいんですよぉ。それに私より、国民の皆さんを守ってあげてくださいね」
「はっ……ははぁっ!」
隊長と呼ばれたいかめしい顔をした、額に傷のある40がらみの大人が膝をついて頭を下げた。
それにならって、他の隊員も膝をつく。
「それではこの男ども、連れて行きます」
「お手柔らかにお願いしますね」
「はっ!」「おい、てめぇこら! なにお嬢様を人質に取ろうとしてんだ!」「無事に帰れると思うなよ!?」「お嬢を触った腹はここかぁ!? いい肉してんじゃねぇか……焼き加減は何が好みだ!?」
「ひ、ひぃぃぃぃ!」
引っ立てられる、というか何十人もの男女に囲まれて軽くリンチ気味の商人と粗野な男。
その光景を唖然とした様子で見ていると、ラスが振り返り、
「あ、みなさん。仲良くが一番ですよね?」
「は、はぃぃぃぃ!!」
ラスの笑顔を前に、僕だけでなくカタリア、ユーン、サン、菓子職人の男、その他野次馬全員が気を付けをして声をそろえた。
皆、本能で悟ったのだ。
この場で一番怒らせてはいけない相手は誰か。そのことに……。
切野蓮の残り寿命197日。
※軍神と軍師スキルの発動により、12日のマイナス。