第052話 悩める精鋭魔導師
シャポー研究室に、代表研究員であるシャポーの声が響く。
「発見されていない物質は、重なり合う別次元にも存在すると思われるのです。こちらの世界より、検出しやすい可能性があるはずなのです」
丸机の上に置いた研究室用のゲージを挟み、シャポーとウォーペアッザが頭をつき合わせて話し込んでいた。
ゲージには、数多の数式や術式が書き込まれており、幾本もの引き出し線が伸ばされ、注釈となる文章が添えられている。
「全ての元素や魔含物質を発見できているわけでもないのだから、別次元にまで研究の手を伸ばすのは時期尚早だろ」
ウォーペアッザは、ゲージにある一つの術式を指差しながら言葉を続けた。
示す先に書いてあるのは、シャポー達のいる世界と重なり合っているとされる別の次元の存在を調べるための干渉術式だ。
「それに、他の次元と空間を繋げるにしても、安全を確保するための施設を準備しないとならないだろ。我々にとって有害な大気組成である場合や、極端な気圧の違いにより発生する被害を抑えることや、その他もろもろを考慮しなければならないんだからな」
「理論だけは出来ていますので、やってみたい気持ちはあるのですけれども、安全配慮は一番大事なのです」
ウォーペアッザが言うと、シャポーも同意して頷き返すのだった。
そんな風に、今後の方針だか研究の方向性だかを話し合っている二人に、聞き慣れた男性の声が話しかけてきた。
「難解な研究のご相談ですか。シャポー研究室が提出した論文を検証するために発足された委員会は、かなり頭を抱えているらしいですよ」
半笑いで部屋に入って来たのは、怪我から復帰したばかりのダイヘンツだった。その横には、彼よりも少し前に治療院を退院しているミシルパの姿もあった。
「大切な議論を交わされていましたの?勝手にお邪魔してしまいましたけれど、問題ありませんでした?」
ミシルパが聞くと、シャポーは「問題ないのです。お茶を準備しますのですよ」と言って、椅子からぴょんと飛び降りた。
ウォーペアッザも、手を振って問題ないことを伝えると、二人の席を用意するのだった。
四人は、丸机を囲んで、秋摘みの自然な甘さの紅茶で一息つく。
「んふふ。お二人が元気になって、シャポーは嬉しいのです」
顔の前に湯気の立つカップを持ちながら、シャポーは満面の笑みを浮かべた。
「その節は、本当にありがとうございました。私も含め、もっと多くの犠牲が出ていたかもしれませんからね」
ダイヘンツは、何度目かともなる感謝の言葉を口にする。彼が言っているのは、大貴族レイロゲート家で起こった事件のことだ。
「ダイヘンツさんが無事で良かったのです」
笑顔のままシャポーは返した。
「ところで、こんな時間に来られたということは、何か伝えるために?」
カップを置いたウォーペアッザが、窓の外へちらりと視線を送った。
夕日も落ちかけた時刻となり、薄闇が差しはじめている。
「レイロゲートに関する捜査が進み、関係者からの聴取も終わりましたので……」
ダイヘンツは言葉尻をすぼめると、口を引き結んで眉根を寄せた。捜査の内容を、シャポーやウォーペアッザに教えてしまっても良いのだろうかと、少しばかり悩んでいる表情なのがわかる。
「私は、ゼーブ家当主として報告を受けていますの。シャポーさんも、知っておくことで自らを守る一助となるかもと考えて、ダイヘンツさんに『伝えておくべき』と提案したのですわ」
ミシルパの言葉を聞いて、シャポーは今一ぴんとこない表情をしながらも頷いた。
(ダイヘンツさんが言い淀んだのは、俺が居るからか?)
はたと気付いたウォーペアッザは「俺は席を外しておいた方が良いか」と静かに問う。
「ウォーにも、関係する一人として聞いておいてもらいたいですわね」
ウォーペアッザの配慮に、ミシルパは口元に笑みを作って答えた。
何故笑顔なのかと疑問に思いつつ、ウォーペアッザは「そうか」と座り直した。
「気を使わせてしまいましたか。悩んでいるのは、ゼーブ家当主の提案があったとはいえ、捜査権を有する者が報告するような形で伝えてよいものか、判断が難しいと思っているのですよ。個人としてならば、やはりシャポーさんには伝えておくべきと考えますが」
腕を組んだダイヘンツは、ふうと大きく息を吐いた。
「私が責任を負いますの」
ミシルパは胸を張って言い切った。
ウォーペアッザは、ミシルパが強引に押し通している雰囲気を感じ取り(大貴族のお嬢が、ダイヘンツさんをあまり困らせるものじゃないぞ)と、心の中で呆れ声を上げる。だが、事実関係を知りたいとの想いが勝っているため、口には出さない。
その時、シャポー研究室の入り口が、誰にも気づかれぬほど静かに、すっと動いたのだった。
次回投稿は9月22日(日曜日)の夜に予定しています。




