第004話 貴族社会は面倒くさい
魔導検定試験の初日、座学試験の終了を告げる合図が講堂に響き渡った。
「午前に比べて難易度は高くなっていたかと思うのですけれども、近々で受けた数回の試験よりもすらすらだったのですよ」
机の上に試験用のゲージを置きつつ、シャポーは小さな声で独り言を呟く。ほのかはいつも通り、シャポーが背中に垂らしているフードの中で穏やかすぎる寝息を立てていた。
友達が出来るという嬉しい事があったためか、彼女は午後の試験を上機嫌で乗り切れたのだった。
試験開始早々、シャポーは勢いのままに全問解き終わってしまったので、回答を見直す十分な時間を確保できた。
三十回ほど間違い探しをした結果、気になる個所などは現時点で見つけていない。
「お家に帰ったら、午前の分も含めまして、一応見返しておくのです。そしてそして、明日の実技試験を想定して、術式の脳内試行を何度かしておくのですよ。一日目が調子よかったからと、慢心するのは良くないのです」
ふんふんと鼻息を荒げながら、彼女は薄桃色のバックパックを掴んで立ち上がった。
そこにきて初めて、シャポーは二つ前の席でうな垂れている背中があることに気が付く。
黒色にも見える深い紫色の短い髪をした青年の後ろ姿だった。
「唸り声を上げているみたいなのです」
彼の様子が心配になったシャポーは、講堂内にいる監督官に伝えた方が良いと判断し、きょろきょろとあたりを見回した。
受験者が続々と出口へと向かう中、シャポーが声をかけられる距離に監督官はいない。
困惑するシャポーの耳に、青年が発している唸り声とは違う言葉が聞こえてきた。
「ぐぬぅぅ、俺に答えられない問題があるなんて。一問だ。一問だけ曖昧な回答をしてしまったじゃないかぁぁ」
机に額を押し当て、青年は端正な顔を歪ませていた。
「あらま。落ち込んでいる感じなのですね。こういう場合は……」
「そっとしておくのも優しさですわ」
シャポーに声をかけたのは、昼休憩の時に友達となったばかりのミシルパだった。
「そっとしておく、のですか?」
「シャポーさんはお優しい性格なのでしょうね。彼に声をかけてしまいそうに見えましたわ」
ミシルパの言う通り、シャポーは青年に大丈夫かと聞きに行く選択肢を頭の中に浮かべたところであった。
こくこくと頷くシャポーへ、ミシルパは話しを続ける。
「彼の服装から、私と同じ様にカルバリの貴族だとわかりますわ。気位の高い者が多い世界ですので、見ぬふりをして差し上げるのが正解でしてよ」
ミシルパの説明に、シャポーは「ほへー」と感嘆の声で返した。
濃ゆい紫髪の青年は、ごりごりと頭を机に押し付けて、自分を納得させるかのような言葉を呟き続けている。
「いや、あれは難しい問題だった。そうさ、二問目だったのも、俺達の時間を消費させる狙いの問題だからかもしれない。最終問題まで行きつけたから、俺はやらかしていないはず。皆同じ条件なんだ、主席合格は逃していないはずだ」
自己解決の糸口が見つかったのか、彼は徐々に落ち着きを取り戻せている様子だ。
「大丈夫そうみたいなのです」
「ええ、同じ貴族として恥ずかしい言い訳じみた内容ですけれど、あれならば大丈夫ですわね」
背後で二人の女性に観察されているとも知らず、青年ウォーペアッザは、明日へ向けて心を回復させて行くのだった。
「さてシャポーさん、すぐお帰りになるのでしょう。門までご一緒いたしませんこと」
気分を切りかえてと言わんばかりの表情をして、ミシルパはシャポーの席まで来た本当の理由を口にした。
「ごごっごっご、ご一緒するのです」
シャポーは即答する。例え魔導省の門までとはいえ、試験の後に友達と帰路を共にするのは、シャポーにとって初めての経験であった。
「では行きましょう。後半試験のご様子も伺いたいですの」
上品に微笑むと、ミシルパは講堂の扉へ歩き出そうと踵をかえす。
その時、シャポーとミシルパへ向けて、別の人物から声がかけられた。
「ミシルパ様、こちらでしたのね。お席におられないから、どうなさったのかとお探しいたしましたわ」
「そちらは、ミシルパ様のお知り合いですの?何と言うか田舎……可愛らしい方ですのね」
「ミシルパ様のご交友関係のお広いこと。ふふふ、初めまして。よろしければ、お知り合いになっていただけるかしら。ご遠慮なさらずにね」
試験が始まる前、講堂入り口にてシャポーと顔を合わせた事のある、ミシルパの後をくっついて歩いていた貴族の三人娘だった。
だが、三人はシャポーを忘れてしまっているかのように、初めましての挨拶を送ってよこした。当然、シャポーは三人を覚えているので、動揺してしまう。
「えとえと、ミシルパさんのお友達の……」
「シャポーさん。こちらの方々ですが、深いお付き合いもございませんので、友人などと軽々にお呼びしては、失礼かもしれませんわ。知り合いとしている貴族のご令嬢方、という間柄でしてよ。ところでご令嬢様方、私は今『友人』であるシャポーさんとご一緒させて頂いていますの。積もる話もありますので、ご遠慮いただけると幸いですわ」
気圧されてしまっているシャポーに、ミシルパがすっと助け船を出す。
胸を張り顎先をついと上げた様は、何者にも反論を許さぬ上位貴族特有の威圧感があった。
「ご、ご友人様でしたのね。またの機会がありましたら、ご紹介くださいませ。それではミシルパ様、ごきげんよう」
三人の貴族令嬢は、そそくさとその場を後にする。
何度もシャポーとミシルパを振り返っては、ひそひそと顔を寄せ合い、講堂から出て行った。
三人娘が慌てたのにも理由がある。
技研国家カルバリの大貴族であるミシルパが「友人」と宣う人物は、さもすれば他国の大貴族以上の地位に連なる人物の可能性が高い。その「友人」に対し、彼女らは蔑んだ物言いをしたとの自覚があったからだ。
三人も貴族の令嬢。ミシルパが暗に含めた言葉の意図を感じ取り、早々に立ち去ったのだった。
「お友達ではなかったのですか」
シャポーの問いに、ミシルパは申し訳なさそうに眉根を寄せて振り返る。ミシルパは、無邪気に友達と言ってくれる人物を、貴族同士で互いの胸の内を探り合うやり取りの「駒」として扱ってしまい、いくばくかの後悔を感じていたのだ。
「シャポーさんには縁遠いかもしれませんけれど、貴族社会の政治的な思惑を試験会場にまで持ち込むような方々、とお教えしておきますわね」
ミシルパは深く説明することは無かった。
彼女のような大貴族が、魔導検定試験の会場に居ることは非常に珍しい。普通ならば、名の有る魔導師がミシルパの素養を判断し、推薦状を魔導省に提出することで検定の合否判定が行われる。
言わば、試験を受ける必要がなく、王族に近い特権が大貴族にも許されているのだ。
貴族の令嬢たちは、貴族社会で箔をつけるため、ミシルパの存在を目ざとく見つけて近付いてきたにすぎない。
「後々の政治的な配慮なのですね。シャポーは教えてもらった事があるのでわかるのですよ」
ミシルパの事情を知ってか知らずか、シャポーは両手で握り拳を作ると力強く言った。
「え、ええ。ご理解いただけて良かったですわ」
ミシルパは心の中で(本当に理解しているのかしら)と不安になりつつ返した。
面倒な説明を省いたのはミシルパだが、一を聞いて十を知るような返事をしたのもシャポーなのだから。
政治から縁遠すぎて、理解できない思考が一周回って彼女を分かった気分にさせたのかもしれないと、ミシルパの胸中にシャポーを侮った考えすら浮かべさせてしまう始末だ。
そうは考えつつも、シャポーが理由も詮索せぬまま『駒』扱いしたことを許してくれたような気がして、ミシルパは不思議と安堵の気持ちを覚えるのだった。
「ふっふふーん。ではではですね、ミシルパさん帰りましょうか」
シャポーは、貴族令嬢三人娘に動揺させられこそしたが、ことの外機嫌を良くしていた。
なぜなら、知り合ったばかりであるところの同年齢で、かつ同じく魔導師を志しているミシルパが、シャポーを他の人に対して「友人」であると高らかに紹介してくれたからだ。
「シャポーさん、後半の二問目ですが、お解けになりまして?」
歩き始めたミシルパが問う。
「新しい教会魔法の論文からの出題だったのです。治癒と防御魔法をチェックしていれば簡単だったのですよ」
シャポーは笑顔で答える。
「きょ、教会魔法でしたのね。出題傾向に無かった分野ですの」
「ですですね。同じ魔法なのに、百二十五年前の試験で触れられて以来なのです」
(この子、教会魔法までお勉強していますの?そんなことより、教会魔法と私達の魔法が、同じ魔法ですって?大枠も大枠でまとめた言い方すぎるのではなくて?)
二人は仲良く講堂出口へと向かう。悩める青年は、いまだ机に額を押し当てているのだった。
次回投稿は10月15日(日曜日)の夜に予定しています。