第044話 ペースに飲み込まれた老魔導師
「娘。お前は何者で、どうやって私の魔法を防いだ?答えろ」
混乱していたザレデスの思考は、様々な可能性を上げ連ねるうち、基本的な質問にまで立ち戻っていた。魔導師の優れた頭脳が、目の前の問題を究極に単純化した結果とも言える。
ザレデスの言葉が、耳に届いていたはずのシャポーは、じっと彼を睨みつけるだけであった。
ザレデスは、不快感を示すように片眉を上げる。
「無礼者め」
シャポーの態度に対し、ザレデスは静かに毒づく。だが、先程とは違い即座に攻撃を仕掛ける素振りは見せなかった。
「悪い事をしたのですから、おとなしく捕まって下さいなのです」
ザレデスにはっきりと聞こえる声でシャポーは言う。
しばらく視線を交錯させたのち、ザレデスは笑い出した。
「これほどの破壊力を私に向けておいて『捕らえられろ』と?よくも言えたものだ」
建築魔法によって強固につくられた屋敷の壁面を、粉々にする威力で反撃してきたのだ。その張本人から、まるで殺す気が無かったかのように言われたのが、矛盾しすぎていてばかばかしく思えてしまったからだった。
「足元に防御術式があるのは解っていましたので」
シャポーが返すと、再び二人は黙って睨み合った。
(威力を調整したとでも言うつもりか。であれば、私の放つ衝撃波の威力も、既に解っていた事になるではないか。そこのエルダジッタの者が『シャポー』とか叫んでいたな。確か、魔導検定試験の首位通過者が、そんな名であったような覚えがあるが)
ザレデスの脳裏に(異例の好成績者だったか)と浮かぶ。
ザレデスは、魔導業界――特に技研国カルバリの魔導師の間――で、ここ最近の噂として上っていた話題を思い出していた。
「そうか、お前が」
一つ目の疑問が解決したことで、ザレデスは「ふむ」と一つ唸った。
薄緑色に発光するシャポーの両目を見て、解析に類する魔法を使っているのだなと理解した。ザレデスの設置していた防御や衝撃波の魔法陣が、どの程度の術式かを把握できたのも頷けなくはない。
そこで、ザレデスの魔導師としての心がくすぐられた。
聞くところによれば、今期の魔導検定試験は高い難易度に設定されたと言うではないか。そんな検定試験を、歴代最高の成績で通過した者に、ザレデスの傑作達はどのように映ったのだろうか。
ザレデスは、どうしても確認したくなってしまったのだ。
殺してしまう前に。
「場合によっては捕まるのもよかろう。その前に、聞いておきたい事があるのだが、構わないかね」
無表情に戻ったザレデスが、投げかけてきた言葉に、シャポーは首を傾けた。
ザレデスは返事を待たずに続ける。
「このフロアーにも居たはずだが、私の創造した魔力オーバーフローしてもなお生存するに至った人族――仮に『人造魔人族』と呼称しようか――は、なかなかの出来だっただろう。与えられた指示にも十分に従う、優秀な存在だと理解できたのではないかな?」
ザレデスは、過度な自信に満ち溢れた魔導師特有の、尊大ともとれる語り口で言う。
己の研究結果、創り上げた成果物に、絶対の自信を持っているのが滲み出ているようだった。
「えっと」
突然聞かれたためか、シャポーは困惑の色を顔に浮かべる。
「残念だな。今回の検定試験首席は、不世出の天才だとの噂が出回っていたから、解ってもらえたかと思ったのだが。存外、期待外れだったか」
言い淀む様子のシャポーに、ザレデスは落胆の色を濃くして言った。
だが、次のシャポーの言葉により、表情を一変させることとなる。
「魔力贈与術式の失敗の状態になってしまっていた、使用人さん達の事なのでしょうか」
「……」
シャポーに何を言われたのか処理しきれずに、ザレデスの思考が虚無となる。そして、一瞬で頭に血が登ると、彼の顔は、血管が浮き上がるほど激昂の表情へと変化した。
「失敗、だと!」
「ですです。師匠の……大魔導師ラーネの魔導書に書いてあるのですけれども、人の魔獣化の研究においてですね『無理な魔力贈与はすべからく失敗に終わる』となっているのです。負番号二章に載っていまして、附則が負番号三章に記載されているのですよ。確か、魔導研究院の地下書庫に全章が巻別となって収められているはずなのです」
ザレデスの怒りの表情も気にせず、シャポーは本のページでもめくるかのように、瞳を左右に動かせながら説明した。
「ふざけているのか。読むだけで精神負担を強いる『負なる番号の章』を、魔導師として新人ふぜいである者が、網羅しているかのように語るなよ」
こぶしを握り締めて震わせるザレデスを前に、シャポーは「ん?」と再び首を傾げる。
大魔導師ラーネの魔導書とは、人族が魔法を行使できるようにするため、ラーネが術式を体系化して書き記したとされる書物だ。数百巻から成る書物には、全ての魔法の基礎となる摂理が、複雑極まる実験結果を伴って掲載されていると言われている。
だが、魔導師業界において、全章を理解している者はいない。理由は、ラーネのオリジナル魔法とされる難解なゼロ式シリーズも含まれるからだ。俗に零章と呼ばれている部分に相当する。
そして、魔導書は、正数の章にまとめられている魔法群と、負数の章にまとめられている魔法群が存在していた。
正の章は、一般的な攻撃魔法や防御術式などが記載され、魔導師界隈で盛んに研究されている分野となっている。負の章に書かれているのは、禁忌に指定される屍術や死霊呪術を代表とする「人の尊厳を踏みにじる魔法群」なのである。
ザレデスの言葉にある通り、負なる番号の章は、凄惨な人体実験もが記載されているためであろうか、読むだけで体調を崩すと言われている。都市伝説的に囁かれているのは、人体実験に使われた人々の怨念が、読む者を蝕むのだという、真偽の定かでない話だ。
「文章や術式を読んでいるとですね、思考実験を繰り返し行っている状態に陥ってしまい、魔力を知らぬ間に消費してしまうのが理由なのですよ。それに、人体実験の内容が内容だというのも、気持ち悪くなってしまう要因なのです」
人体実験の部分をまさに読んでいるかのように、シャポーは苦虫を潰したかの顔をした。
「まるで全章を記憶しているかの物言いではないか。嘘をつく相手を間違えているぞ、小娘!」
「嘘ではないのです。シャポーは、何度も読んだので覚えているので」
こめかみのあたりをぴくつかせるザレデスに、シャポーは至極真面目な顔をして言い返した。
「な、何度も、読んだ……。私でさえ、負番号一章の終盤で、留まっている、ものを」
「負の一章は『精神操作及び屍術式について』ですので、最初は読み進めるのに時間がかかるかもなのですね」
声を震わせるザレデスに、シャポーは「ふむふむ」と共感を示すように言った。
「最初、は?私を、初心者のように、言ってくれるでは、ないか」
「誰でも初めてはあるものなのです」
引きつった笑いのザレデスに、シャポーは最もな答えを返した。
「ふざけるな!貴様、その男ごと殺してやる」
「あ、ずるいのです!話を聞いたら捕まってくれるって言ってたのですよ」
「ずるくない!」
ザレデスとシャポーのやり取りの後ろで、ダイヘンツはどうすれば良いのか分からなくなっていた。
(シャポーさん、煽りすぎ、煽りすぎですから)
ダイヘンツは、体中の鈍痛が増す思いがするのだった。
次回投稿は7月28日(日曜日)の夜に予定しています。
やっと、ラーネの魔導大全集の話題が出せました。




