第041話 え!本物?
「えっほ!えっほ!」
シャポーは、おおよそ速くも無さそうな走り姿で、カルバリの街を颯爽と駆け抜ける。
突然鳴り響いた爆発音に驚き、立ち昇っている白煙を見上げている町の人々の中で、珍妙なまでに素早く移動する魔導師少女に気付く者は少ない。
「あれ?今、凄い勢いで何か通った?」
「そんな事より、ほら見てよ。あの煙が上がってるのって、貴族区の方だよ!」
シャポーが横を通り過ぎたのを感じ取った男の言葉を、上空を指差す女性が遮る。
建物から顔を出している人たちも、薄れゆく煙に注目し、上を眺めているのだった。
シャポーの進行方向には、路上に出た多くの住人たちが足を止めており、馬車ですら停車してしまっている。
そんな、障害物だらけとなった道を、彼女は速度緩めぬまま軽快なステップで躱して進む。お世辞にも、そのフォームはかっこよくは無かった。
「ぱっ、ぽぁ。ぱっ、ぱぁ。ぽぁ、ぱ」
シャポーのフードから顔だけ出したほのかが、揺れに合わせて声を出す遊びをしている。
(この前、親睦会で町を歩いた時にも思ったのですけれども、カルバリは友獣が少ないのです。馬車を引いているのは馬ばかりで、ワロワもグダラもほぼ見ないのですよ。クウィンスは元気にしているのですかね)
シャポーは「よっ」とか「ほっ」とか「はっ」などと声を上げながら、人ごみを避けつつ、ふと考えていた。
友獣とは、クレタスの人族と共生している、高い知能を持った獣を指す。
大きなくちばしとつぶらな瞳が印象的なのが、ワロワと呼ばれる友獣である。鳥類に似た顔立ちをしており、ふわふわの体毛が抱き着きたくなってしまう、人族の最高の友人だ。
グダラというのは、言うてしまえば巨大なトカゲの姿をしている。頭部は堅い骨で覆われ、腐肉を好んで食す姿から「腐肉食らい」の二つ名で呼ばれる。商人が馬の代わりに馬車を引いてもらっていることが多く、商業王国ドートではメジャーな友獣とされている。
馬と友獣の大きな違いとして、ワロワは一緒に行動している人を外敵から護ってくれる存在であり、グダラは上質な腐肉の提供を条件に、商人の荷物を守ってくれるのである。ちなみに、馬は逃げるのを優先するのが一般的だ。
シャポーは、馬車の横を通り過ぎながら、旅を共にしたことのあるワロワ種の友獣クウィンスを思い出していた。
鮮やかな青と白の毛並みをした、美しい空色の友獣。
シャポーの向かっている先の白い煙が、青空に溶け行くのを見たせいで、不意に思い出してしまったのかもしれない。
そうこう思いを巡らせていると、シャポーは目的の場所に到着していた。
「おおお、大きなお家なのです」
シャポーは、開け放たれた門の前に立って声を上げた。
金属の柵によって囲われた広大な敷地の真ん中に、その建物はある。玄関まで続く道の両脇は、短く刈り揃えられた芝の広がる前庭となっていた。
所々に剪定された木が植えられているが、建物までの視界を邪魔するような物ではない。それが、屋敷を余計に大きく感じさせているようであった。
本来であれば、この屋敷は左右対称に設計された落ち着いた雰囲気のする邸宅にちがいない。だが、その一部が倒壊しており、壁だったであろう瓦礫が積み上げられてしまっている。
「えっと、レイロゲートさんのお宅で、間違いないのでしょうか」
目の前まで来て、シャポーは大切なことに気が付いた。
そもそも、目的とする場所の住所を知ってもおらず、レイロゲート家の家紋やら家の特徴を理解しているわけでもないのだ。
きょろきょろと辺りを見回すが、さすが貴族の住まう区画とでも言えようか、野次馬の姿は見当たらない。門柱には家門が彫刻されているのみで「レイロゲートの家」などと書かれているわけでもなかった。
門が開いているとはいえ、勝手に入れば不法侵入として捕まってしまうかもしれない。
シャポーが、どうしようかと考えあぐねていると、遠目に屋敷の扉が開かれて、魔導師団のローブ姿の者達が慌ただしく出てきた。その中に、漆黒のローブの者も混じっている。
「エルダジッタ部隊の人が居るのです。あの人に聞けば、ダイヘンツさんが居るかわかるのですよ」
シャポーが走り出すと同時に、屋敷から戦闘音であろう喧騒が、広い前庭にまで響いて聞こえてきた。
「急ぐのです!」
表情を硬くしたシャポーは、足に循環させる体内魔力の強度を高めるのだった。
***
「運び出した怪我人は、建物から離れた場所に寝かせて。魔導師団本部へ連絡!すぐに動けるエルダジッタを全て寄こすように伝えてちょうだい」
女性は、険しい表情を顔に浮かべ、魔導師達に指示を飛ばす。
彼女が羽織っているのは、エルダジッタ部隊の所属を示す漆黒の外套だ。
(指揮官であるダイヘンツさんが、レイロゲート当主の聴取へ向かった後、我々は使用人を広間に集めていた。体調が悪いと訴えてきた数人を、別の部屋に移そうとしている矢先、対応していた魔導師団員が攻撃を受けた。屋敷の警護の者にではなく、非戦闘員と考えられるメイドから。そこからは――)
突然始まった戦いに、虚を突かれてしまった魔導師団の者は、次々と深手を負わされてしまったのだった。
戦況を整理しようと思考を巡らせる彼女であったが、左肩に走る鋭い痛みに顔を歪める。
深く肉をえぐり取られた肩の傷は、驚くことに敵の素手による攻撃で受けたものだ。
彼女が決して油断していたわけでは無い。
百人弱もいるレイロゲート家の使用人が、集団となって襲ってくることも家宅捜査を開始する前に想定し話し合われていた。指揮官であるダイヘンツが、注意するよう彼女に念を押してきたのは記憶に新しい。
(まさか、武器も持たず、魔法を発動する気配も無かった相手が、素手で襲い掛かって来るなんて)
右手で傷口を強く握りしめ、女性は脂汗を額に浮かべた。
当然、襲ってきた相手は、彼女の手によって葬り去られていた。だが、左腕を動かせなくなった女性は、近くにいた仲間を助けつつ、屋敷を脱出するので精一杯だった。
建物の中に残って、継続して戦闘に加わるのは困難な状況だ。
他の仲間により、屋敷から引きずりだされた魔導師の首元は、歯で噛み千切られたような跡があり、そこから血液があふれ出ている。それは、誰の目にも致命傷であると解るものであった。
彼の両腕には、防御創と思われる傷が何本も刻まれており、袖は破け散って見る影もない。
(この者を襲ったのも、ごく一般的な使用人だった。戦いとは縁遠いと思える存在だった者が、あんな……)
女性は目をぎゅっと瞑った。
おぞましい。
彼女の中で、その一言が適切な表現のように思われた。
首を噛み千切られた魔導師を亡き者にした使用人は、己の皮膚を破るほどに筋肉が隆起し、手足に加えて首が異様に長く変形したのだ。
女性を襲ってきたメイドも、異様な変化があったのを覚えている。
(一瞬のことで定かではないけれど、皮膚が灰色に変わり、硬質化していたようだった。私の攻撃魔法の通りが悪かったから、まず間違いではないと思う)
個々の差異はあるようだが、ひとまとめに『変異』と呼んで差し支えないだろう。女性の目には、人ならざる姿へと変異したかに見えたのだから。
だが、共通しているのは、無表情な顔のまま、ただただ魔導師達を襲い始めた一点である。
女性が、援軍を待つため屋敷から少しでも距離を置こうかと考えた時、唐突に背中から声をかけられ、心臓が飛び出してしまいそうな位におどろいた。
「あのあの、ここはレイロゲートさんのお家で間違いないでしょうか?」
場違とも感じられる少女の声に、女性は傷の痛みも忘れて勢いよく振り返る。
「ダイヘンツさんは、お屋敷の中なのですか?」
女性は、重ねて質問してくる少女に見覚えがあった。
己も徴集された守衛国家セチュバーの起こした内乱。その折、ダイヘンツを隊長として、敵の要塞へ向かった時に、一緒に行動した教会魔導講師の少女と同じ顔がそこにあった。
「しゃっ!しゃしゃしゃしゃぁ」
「しゃ!?」
女性の慌てた口ぶりに、少女もびっくりした表情で返す。
「シャポー・ラーネポッポさん!?セチュバーの要塞攻略の際に、ご一緒させてもらいました、エルダジッタ部隊所属、アーナスです!え!本物?ですよね?って、肩がぁ!」
アーナスは左肩を押さえてうずくまるも、視線だけはシャポーから外そうとしなかった。その双眸には、驚きと期待が入り乱れている。
「あ!覚えているのです。あの時、ダイヘンツさんに水を吹きかけられてた人なのです」
シャポーは、ぴこんと人差し指を立ててアーナスに答えた。
シャポーの脳裏に、ダイヘンツが水分補給をしていた時に、突然口から水を吹き出した場面が思い出されていた。記憶が正しければ、目標地点とする要塞の前まで走った後の事だ。
そのダイヘンツ水を正面から浴びてしまった女性魔導師が、目の前にいる彼女だったはずである。
「そ、そう、です、ね」
アーナスは痛みに耐えながら、そんな覚え方をしていたのかと、シャポーに一言思いもした。それに、この場にいる理由だとか、レイロゲートとの関りだとか、諸々の疑問も頭にわく。
だがしかし、精鋭エルダジッタの部隊員である彼女は、現状における要不要を一瞬で脳内整理すると、シャポーに言った。
「ダイヘンツ指揮官は、二階右奥にある、当主の執務室に行きました。現在、屋敷内部は、魔導師団が未知の敵と交戦中。敵は変異した使用人で、数は百弱。戦況は不明ですが、劣勢が想定されます。応援要請は出していますが、どうか、どうか、お力添えを頂けないでしょうか」
アーナスは、左肩の激痛をぐっとこらえ首を垂れた。
(内乱に関し、シャポーさん達の存在に、緘口令が敷かれているのも解ってる。でも、我々が敗れ、あの変異体が町に出るのだけは防がないと。個人の判断で、シャポーさんに助勢を求めてしまった。けれど、私が罰せられても構わない)
アーナスの事情を知ってか知らずか、シャポーは屋敷に視線を向けて答えた。
「シャポーのお友達であるダイヘンツさんがピンチなのですね。教えてくだすって有難うございますなのですよ」
そう言い残して、シャポーは迷いのない様子でレイロゲートの屋敷へと走り出す。
シャポーの後ろ姿を見送った途端、アーナスは全身が重たくなる感覚を覚えた。
(よかった。内乱の英雄に助けてもらえるのなら、もう、大丈夫。私は、戦場から距離をとって、負傷者の救出指示を、出さないと。あれ、立ち、あがれ、ない。身体、重すぎ、て)
視界の中で、屋敷がぐらりと傾くのを、アーナスは不思議に感じた。
(芝の匂い?セチュバーに、生えてるはず、ないのに。要塞の魔法陣を、解除しに、行かないと。ダイヘンツ隊長の、せいで、左肩が、ぬれてる。やだ、な)
意識が混濁した後に、アーナスは、そのまま気を失うのだった。
次回投稿は7月7日(日曜日)の夜に予定しています。




