第040話 どん!と胸を叩いて
ダイヘンツが、ミシルパからの聴取を終えた翌日、魔導師団の捜査部隊はレイロゲート家の家宅捜索に乗り出していた。
当然、レイロゲートの保有する研究所も捜査の対象とされた。
ミシルパが意識を取り戻すまでの三日の間、レイロゲートへ直接捜査が行えなかったのには理由がある。
それは、技研国カルバリを含むクレタス全土が『法治国家』として成立しているからだ。
ミシルパを襲ったハドニスは、命こそあれど意識不明のままとなっている。現在、治療院の地下で、魔導師団の監視下に置かれ、治療を受けているとのことだ。
犯人であるハドニスを尋問することも出来ず、確たる証言や証拠品の無い状態で、捜査部隊がレイロゲート家と関係先に踏み込むことは許されない。
全ては、派閥を破門されたコールコホッソ家と研究所を退所していたハドニスが、レイロゲートとの繋がりを完全に断ってしまっていたがため、法的な手続きを面倒なものにしていたのだ。
故に、ミシルパの回復を待って証拠品となる『コールコホッソ家当主からの手紙』と、ハドニスの使用した精神汚染の魔法が、レイロゲート研究所に在籍していた際、ハドニスが手に入れていたという証言が重要だったのである。
ミシルパの誘拐未遂事件への関与に加え、違法な精神魔法の研究並びに行使の容疑が固まり、レイロゲートへの捜査が許可される運びとなった。
とはいえ、ミシルパが意識を失っていた三日間、ダイヘンツの指揮する魔導師団が指をくわえていた分けでも無い。
ハドニスとの繋がりが深く捜査対象となる可能性が高いとして、レイロゲートの屋敷と研究所には、魔導師団の監視が置かれ、出入りする人や物のチェックを行っていた。よって、屋敷から証拠品や資料を容易に運び出すことが出来ないのはもちろんのこと、精神魔法の被験者が存在していた場合、脱出させるのが難しい環境だけは作り出すことに成功していたのだった。
最低限と言ってしまえばそれまでなのだが、法を順守してレイロゲートの動きを制限するために、関係各所が知恵を捻りだしていたというのは、完全なる裏話である。
「魔力残渣の検証を怠るな。空間記憶の読み取りも許可が出ている。術式を行使する場合、研究設備や備品など、証拠品の汚染には注意しろ」
ダイヘンツは、数十人の捜査部隊を率いて、レイロゲート家の邸宅に入っていた。散らばり行く部下たちの背中に声をかけ、玄関ホールの中をぐるりと見渡した。
(大貴族というだけあって、屋敷も相当に広い。間取りの見落としに注意しなければ)
貴族の大邸宅ともなれば、隠し部屋の有無も考慮しなければならない。確証こそ出ていないが、後ろ暗い研究に手を染めているならば尚更といえよう。
現時点において、ダイヘンツが気にしているのは、隠し部屋の有無だけではない。
レイロゲートの本家に仕えているのは、百名からなる使用人たちだ。執事やメイドに加え、屋敷の警護に雇われたであろう武装した者も多い。
その中で、どれ程の数がレイロゲートの暗部に関わってしまっているのか、今のところ未知数としか言えないのだ。
「使用人は一所に集め、一人ずつ聴取を行う。我々が居るのだから、警備の者にも武装を解除させよ。魔導省へ『虚偽看破の可視』を使うことは伝えてある。同意が得られない対象は、本部での取り調べに切り替えるので、現場での聴取が終わり次第、移送を開始してくれ」
ダイヘンツの後ろに控えていた内の数人が、その指示を受けて動き出す。
彼の背後に続くのは、漆黒の外套に身を包んだ一団。技研国カルバリが誇る魔導師団の中でも精鋭とされる、エルダジッタ部隊に所属している者達だった。
ダイヘンツの言葉にある「虚偽看破の可視」とは、嘘を見破る術式の名称だ。対話をしている相手の魔力変化を見ることで、虚偽を述べているのかを判断する魔法である。
魔力の揺らぎや濃度を観察し、統計学的に「嘘」を見抜く方法を確立した犯罪捜査魔法の一つだ。だが弱点を上げるならば、その精度が術者の熟練度に左右されるという点だろう。故に、本来ならば魔力的に安定した部屋において、虚偽看破の可視は使われる魔法なのである。
しかし、精鋭と呼ばれる彼らならば、環境の整わぬ現場であっても問題にならない。その上、仮に武装した警護の者が反抗してきた場合においても、難なく鎮圧することが可能であろう。
「私は当主の聴取を行う、二人付いてきてくれ。他は捜査の指揮を。使用人の聴取へも気を配るよう」
二本指を立てた手を前に振ったダイヘンツは、上へと向かう階段の方に歩き出すのだった。
***
「ほわわ~。お外は良い天気ですよ」
「ぱわわ~」
窓の縁に腕を置き、そこに顎をのせたシャポーが、風に前髪を撫で上げられながら気持ちよさそうに言った。頭の上に乗ったほのかも同じような表情で声を上げる。
「腕の痛みが引いたら、治療院の庭を散歩したいですわね。広くて素敵ですもの」
「いいのですね。ぜひぜひ、したいのです」
ミシルパがくすりと笑って言うと、シャポーはとても素敵なことのように瞳を輝かせて返事をした。
意識こそ取り戻したものの、右腕の骨に入ったひびが完治しておらず、鈍痛の引かぬミシルパはベッド上の人のままとなっている。
攻撃を受けた時に、敵の魔力がミシルパの体内へ浸透していて、回復に時間がかかっているのだ。精神汚濁の魔法が充満していた空間に長く居たことで、敵性魔力を多く吸い込んでしまったのも、回復を遅らせている原因の一つであった。
「シャポーさん、昨日の今日で、毎日お見舞いにいらしてもらって、大変ではありませんの?」
「お昼を一緒したかっただけなので、全然大変ではないのです。研究院から歩いてすぐですので。それにそれに、ミシルパさんは利き手が使えないから、お手伝い出来たらなと思ったのですよ」
そういえばと前置きしたミシルパが聞くと、シャポーは首を振って笑顔を浮かべた。
ベッド横にあるテーブルの上には、昼食後であろう空の容器が乗っている。腕の怪我が治っていないミシルパでも食べやすいだろうと、シャポーがサンドウィッチを持って来てくれたのだ。
治療魔法のおかげもあってか、ミシルパの胃腸の調子はすこぶる良好であった。
「ダイヘンツさんは、大丈夫なのですかね」
昼ごはんの後片付けを始めたシャポーが、それとなく呟く。
「レイロゲートの本邸を捜査するのは、今日と言っていましたわね。エルダジッタの精鋭も数名加わるそうですから、心配する必要は無いと思いましてよ」
ミシルパは窓の外へと目をやり(問題は証拠となるモノが残っているか、ですわ。私が襲われてから三日もあれば、ある程度の証拠隠滅も可能ですもの)と心の中で憂うのだった。
「ですですね。ダイヘンツさん達は、魔導犯罪の捜査の専門的な訓練を受けてますので!」
純粋にダイヘンツの身を案じているシャポーは、不安を吹き飛ばそうと握り拳を作った。
その刹那、部屋の窓をびりりと震わせるかのような爆発音が、窓外に響き渡る。
「何ですの!」
動けぬミシルパの代わりに、シャポーは素早く窓の外へと身を乗り出した。
視力を強化したシャポーが見回した先、右手方向の街中に白い煙が上がっている。それは、建物が崩壊した直後のような、ぼわりとした土煙だ。
「ぱぁぁ!」
ほぼ同時に見つけたほのかが指さして声を上げた。
シャポーは太陽の位置を確認すると、窓から顔を引っ込めた。
「北東方向の街の中に、煙が上がっているのです。どこかの建物が壊れたのかもしれないのです」
それを聞いたミシルパは、カルバリの地図を頭の中に思い浮かべて、どの地区かを考える。ほのかが指さした方向からしても、シャポーの言ったことに間違いはない。
「……貴族区。赤屋根の塔は見えまして?」
「こちらから見まして、赤い屋根の塔の左奥なのです。他の建物よりも大きなお屋敷だったのです」
ミシルパの問いに、シャポーは脳内の映像を素早く確認して答えた。
「レイロゲート本邸、かもしれませんわ」
ぞわりとする悪寒が全身を走り、ミシルパは身を強張らせて言った。根拠こそ無いが、不気味な恐怖がこみ上げたのだ。
「シャポーが行って確かめてくるのです!ダイヘンツさんとかが関係してなければ、すぐ戻ってくるのです」
「ぱぁ!」
シャポーが握り拳を胸元に作ると、ほのかも同じように力強いポーズを決めた。
「でも、関わらないようにと、いっ!!」
シャポーを制止しようと身を乗り出しかけたミシルパは、右腕に痛みが走ってうずくまる。
「見て来るだけなので大丈夫なのです。ミシルパさんは待っていてくださいなのです。ダイヘンツさんも大切なお友達なのですよ」
ミシルパがベッドに横になるのを助けた後、シャポーは静かに微笑んで言った。ほのかも、シャポーの事はまかせろと言わんばかりに胸を叩いて見せる。
「私も、ご一緒出来れば……」
ミシルパは口惜しそうに唇を噛んだ。
「だーいじょーぶなのです!頼ってくだすって結構ですので!」
シャポーは、どんと薄い胸を叩くと、ミシルパの部屋を足早に出て行くのだった。廊下は走らないように気を付けながら。
次回投稿は6月30日(日曜日)の夜に予定しています。




