第038話 ぱぱっと、ちゃちゃっと、ばったばったと
ミシルパが目を覚ましたのは、白を基調とした部屋の中であった。
「治療院、ですの?」
視線だけを動かせて、周囲を確認したミシルパは、ぽつりと呟く。
薄いカーテン越しに日の光が差しており、清潔な布団の香りが、ミシルパには心地よく感じられた。
(レイロゲートの手に落ちた、とも考えることはできるのですけど)
ミシルパは、ふと浮かんだ最悪の事態を想像しつつ、手足の状態を確かめる。
右腕の鈍い痛みこそあるものの、体の自由を奪う物が装着されている気配は無い。
(頭の奥が重く感じますけれど、脳をいじられている様子もありませんの。レイロゲート家に対し嫌悪も感じますし、心配する必要は無さそうですわね)
何より、人を人とも思わぬレイロゲートが、虜囚のためにこれだけ清潔に保たれた部屋を用意するとは考えにくかった。
ミシルパが、ダイヘンツの到着が間に合ったのだろうなと結論付けていると、扉の開かれる気配がした。
「お目覚めですか」
白いロングチュニックに身を包んだ女性が、柔和な笑顔をミシルパへと向けた。
胸元には、硬貨くらいの大きさをした丸の上に、指先を合わせた両手を被せたようなシンボルが、白色の糸で刺繍されている。
それを目にしたミシルパは、カルバリにある教会施設に併設された治療院であることを確信し、僅かにわだかまっていた不安を、息とともにほっと吐き出すのだった。
「私、どのくらい、寝ていましたの?」
喉の貼りつく感覚に、何度も言い直しながら、ミシルパは女性に尋ねた。
女性は、ミシルパの肩にそっと手を置き、彼女の体の具合を診つつ答える。
「ここに運ばれてから約三日となります」
この女性が、高位の司祭であることをミシルパは理解する。
教会の者が扱う治癒の魔法というものは、対象者の自然治癒の能力を高める手助けをして、傷や病気を治療するものを指す。そして、患者の体内魔力の流れを読み取って、罹患部を特定したり、症状を確認したりもするのだ。
熟練の治療師ともなれば、この女性のように、体の一部に触れるだけで、相手の全身の状態を確認することが可能と言われている。
ごく少数であるが、目視のみで相手の体調の変化を『完璧に』把握できる者もいるようだが、最高司祭かそれに類する者だけであろう。それも、難解な術式を使用してのことだ。
魔導師の得意とするものと、教会魔法と称される治癒魔法を含めた魔法群は、一線を画す技術の系譜に属する。そのため、ミシルパは女性の手際を感心しながら眺めるのだった。
「ミシルパさんの意識が戻ったら、魔導師団エルダジッタ部隊のダイヘンツさんに連絡するよう言われていますけれど、お伝えしてもよろしいですか?」
一連の確認が終わったのか、ミシルパの掛け布団を直しつつ、女性が問い返す。
ミシルパは、この高位司祭の見立て的にも自分の体調が問題ないのだろうと察し「お願いします」と承諾した。
ダイヘンツが駆け付けたのは、女性がミシルパの部屋を去ってすぐのことであった。
二人は、挨拶もそぞろに、メルガードシア家の別邸で起こった出来事について話を始める。とは言え、魔導師団による捜査はかなり進められているため、その内容をミシルパが確認するという物がほとんどだ。
ベッドに座り直したミシルパは、水で都度都度喉を潤しながら、ダイヘンツの問いに答えるだけですむのだった。
「コールコホッソと会うに至った経緯についても理解しました。ただ、レイロゲート家に繋がる問題でしたので、事前に知らせてもらいたかった所はあります」
一通りの聴取を終えると、ダイヘンツはため息交じりに言った。
「申し訳ありません。貴族が派閥を鞍替えするだけの話と思い、軽く見てしまいましたの。結局、お手を煩わせてしまいましたわね」
ミシルパは反省しきった顔をして頭を下げた。
「しかし、無事で何よりでしたよ。仮に、ミシルパさんが行方不明ともなっていたら、関係各所、疑わしき場所が全て大変な事になっていたかもしれませんからね」
言ったダイヘンツは「一連の流れで、落ち着いてもらうのが、一番の山場だったかもしれません」と乾いた笑いを浮かべた。
「落ち着いてもらうって、どなたにですの?」
ミシルパはきょとんとして聞き返す。
ゼーブ家の者であるならば、当主の一大事として騒ぎ立てるかもしれない。だが、捜査権を持つダイヘンツに協力できぬほど、冷静さを失うとは考えにくい。
ミシルパが「はて?」と考えていると、廊下をぱたぱたとかけて来る足音があることに気が付いた。
「みじるばざぁ~ん!心配じていたのですよおぉう!」
扉を開けた勢いもそのままに、ミシルパへ向けてシャポーが飛び込んで来た。
「シャポーさん!って、うぎぃぃ!」
抱き着かれたミシルパから苦痛の悲鳴が上がる。
「ミシルパさん!?調子が悪くなったのですか?し、司祭様を呼んだほうがいいのですか?」
びっくりしたシャポーが、掴みかかったままミシルパを見上げた。
「違っ、違いますの。大丈夫ですのよ。右腕が、まだ、少しばかり、痛むのですわ。シャポーさん、落ち着いてください、ですの」
ミシルパは、左手でシャポーを落ち着かせるようにぽんぽんと叩いて言う。眼に涙を浮かべつつも、必死に笑顔を作るのであった。
「はわわ~。ごめんなさいなのです。嬉しさが突き抜けてしまってですね、抱き着いちゃったのですよ」
「ぱわわ~」
慌てて離れたシャポーの肩ぐちから、ほのかが顔を出して「あらまぁ」とでも言った調子の声を上げた。
ミシルパは、だいたい察したという表情でダイヘンツの方を確認する。
「ミシルパさんが治療院に入った事を、シャポーさん達にお伝えしに行きましたら、シャポーさんが『犯人を見つけ出す』と言われまして。結局、その時点で判明していることを全て説明したうえで、我がエルダジッタに捜査を任せてもらうよう説得したんですよ」
苦笑いを浮かべたダイヘンツは「その勢いたるや」と付け加え、ミシルパに首を振って見せるのだった。
ミシルパが視線を戻すと、ベッド横の椅子に腰かけたシャポーが、前傾姿勢でミシルパを覗きこんでいた。
「貴族社会は繊細なので、無理はいけないと教えてもらったのですよ。でもでも、ミシルパさんにもしもの事がありましたら、シャポーは全力でお友達を護りますので」
「ぱぁ!」
両こぶしを握り締めて力強く言うシャポーに、ほのかが賛同の意を示して拳を高く振り上げた。
「ちなみに、全力でと言うのはどういった感じですの?」
ミシルパは思わず聞き返す。
「ミシルパさんの魔力の残照を探し出してですね、閉じ込められていそうな建物などなど、ぱぱっと消失させる勢いで頑張れば、拉致事件もさっぱり解決しちゃうのです。悪い人達がいましたら、ちゃちゃっと眠らせたりしまして、とっ捕まえるのです。邪魔する人がいましたら、ばったばったとなぎ倒して終わりなのですよ」
「ぱっぱ!ぱっぱ!」
非常にまじめな顔で言うシャポーの頭の上で、ほのかは楽しそうに踊る。
「そ、そうですの。た、頼もしいですわね」
実際、やれてしまいそうなのが怖いなと、ミシルパは心の中で無敵のシャポーを想像していた。
「カルバリの都が破壊されかねませんでしたので、全力で止めさせてもらいました」
「賢明なご判断でしたわね」
こそりと耳打ちしてくるダイヘンツに、ミシルパは深く頷いて返したのだった。
その頃、シャポーに置いて行かれたウォーペアッザとピョラインとムプイムは、廊下を走ったシャポーの代わりに怒られていた。
次回投稿は6月16日(日曜日)の夜に予定しています。




