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第037話 部屋に仕組まれていた罠

 ハドニスを殴り飛ばしはしたものの、ミシルパは相手に対する警戒心をより高めていた。


 完全な隙をついたミシルパの一撃が入ったにもかかわらず、ハドニスは意識を保てているからだ。


 貴族家の当主であるミシルパは、護身術として、剣の稽古も受けている。その中には、武器を失った場面を想定した素手の立ち回りも、当然含まれていた。


(手加減などしていなくてよ。この男の魔力量が、わたくしの思った以上に多いのか。もしくは、体内魔力制御が上手いのか。どちらにせよ、魔導師としてのレベルは、低く無いと言うことですわね。屋敷の者達が操られているのなら、攻勢に出るのも慎重にならざるを得ませんの)


 ミシルパは、左拳のじんとした鈍い痛みを感じながら、ハドニスへと冷ややかな鋭い視線を送る。そして、背後の扉にも意識を向けねばならなかった。


 屋敷の使用人たちが、完全に支配下とされているのであれば、ミシルパがハドニスに攻撃を仕掛けた瞬間、部屋の中に飛び込んでくる可能性が高いからだ。


(部屋の奥に行っておくべきでしたわね)


 そうすれば、意識を正面だけに向けることが出来たなと、ミシルパは少しばかり後悔していた。


「殴ってくるとは、野蛮にも程があると思いませんか。ミシルパ嬢」


 痛みに顔を歪めたハドニスが、のそりと立ち上がる。


「隙だらけだったもので」


 ハドニスの恨み節を、ミシルパはさらりと受け流した。


 険しい視線を交錯させる二人であったが、先に表情を緩めたのはハドニスの方であった。


「精神汚濁の魔法を、どのように防いだのですか。教えると言うのであれば、その態度も許して差し上げますよ。どうせ、精神保護の術式を予め施していた、などというような面白味のない答えなのでしょうが」


 言ったハドニスは、あたかも自然な動きのように半歩後ろに下がった。


 剣術を学んでいるミシルパが、間合いの変化に気付かぬわけもない。何かあると踏んだミシルパは、警戒心だけを強める。


「あら、目の前で保護の術式を展開したのですけれど」


 射るような視線はそのままに、ミシルパは口の端だけで笑って見せる。その上、内容が真実であった故か、ミシルパの意図した以上に、声にも嘲りの色が濃く現れてしまうのであった。


「目の前?ご冗談を。この部屋に入ってから行使したと言うつもりですか。仮にそうだとしても、私が気付かぬわけが無い」


 嘘を言い当てるかの表情で、ハドニスは軽く肩をすぼめた。


「魔力の流れも感知できませんでしたの?」


 口の端を上げたままミシルパが言う。


 剣の訓練において、怒りに囚われた方が負けるのだと、ミシルパは教えられている。理由は簡単、攻撃が力任せとなり、技の組み立ても単調になってしまうからだ。視野が狭くなるのは言わずもがなである。


 魔導師の戦いにおいても同様だ。


 頭に血が上った魔導師は、攻撃力と構築の早さにものをいわせた魔法を繰り出す傾向が強い。直線的な軌道の攻撃魔法ともなれば、知略を巡らせた物よりも対処が容易になるのは自明の理と言えよう。


 ミシルパの剣の師は『冷静な魔導師とは戦いたくない』と悟ったように、よくぼやいていたりするほどだ。


「小娘が」


 ハドニスは怒気をはらんだ声で唸った。


 少し間をおき、小さくため息をはくと「馬鹿にするのも大概にしてもらいたい。真実以外を語るなら、口を閉じておいてください」と引きつった笑いを顔に貼りつかせて続けた。


(案外に冷静ですのね)


 ミシルパは心の中で残念そうに呟く。


 ハドニスにしてみれば、作成に携わった精神汚濁の魔法を、いとも容易く看破されたことになる。それは、研究者としての彼のプライドを酷く傷つけたことだろう。


 更には、ハドニスと対面している最中さなかに、ミシルパは防御の術式を使ったとのたもうたのだ。気付けなかったハドニスは、魔導師としてミシルパよりも格下なのだと、暗に仄めかされたと言っても過言ではない。


 まだ少女と呼んでも良いくらい年齢の離れたミシルパに言われたのだから、ハドニスの忍耐力も相当なものではなかろうか。


「貴方、先ほど『解する者には知を与えよ』の精神だとか言っていましたわね」


 ミシルパは冷めた視線を一層細めた。


 彼女が口にしたのは、ハドニスも言っていた魔導研究院の標語の一節。


 魔導の研鑽を喜びとする研究院において、物事の理解できる頭脳を持つ者には、知識を存分に共有して研究を前進させようとする気質があるため、そのような高尚とも呼べる文句が生まれたのだ。


 ハドニスは、ミシルパの意図するところが掴めず、何が言いたいのかといった様子で片眉をぴくりと動かす。


「この言葉、裏を返せば『理解できぬ者には説明しても無駄』である事を示唆してもいるんですの。わたくしとしましては『今まさに』かと」


 言い終えると、ミシルパはにこりと微笑んで見せた。


 ぶつりと音がしたかのように、ハドニスの表情が変わる。


「小娘が。下手に出ていればつけ上がりやがって。最悪『死んでいなければ良い』んだから、始めからこうしておけばよかった」


 ハドニスは練り上げた魔力を両腕に集約する。


 相手の使う魔法の種類を判別しようと、ミシルパは身構えて意識を集中した。


 だが、ハドニスは術式を構築するでも、魔法の詠唱をするでもない。


「なっ!?」


 ミシルパの目に、足元で起きた異変が映りこんだ。


 床一面に浮かび上がる魔法陣。部屋全体が、ハドニスの最終手段であり『罠』だったのだ。


「もう遅い」


 ハドニスの言葉は的確に状況を示していた。


 ミシルパが対抗するため、術式を構築するにしても、詠唱するにしても『既に完成している』魔法に追いつくことは叶わない。


 魔法陣というものは、魔力を流し込み起動さえしてしまえば、準備された効果を正確に発揮する物だ。


 怒り心頭のハドニスであろうとも、冷静な時分に用意していたであろう緻密な魔法を使えてしまう事を意味していた。


 深い思考領域による術式の発動が、伝説の大魔導師ラーネに匹敵する無窮の深淵にまで到達しているならまだしも、ミシルパの脳の処理速度はまだまだ表層であると言える。


 シャポーの真似をして、術式の処理の高速化を試みたところで、計算酔いなる謎の症状に見舞われてしまう始末なのだから。


 そんなミシルパでも、先の精神防御の術式は、身体の中で完結する物であるため間に合いこそした。だが、外に向けて展開する防御術式ともなれば、全く別物と言っていいのではなかろうか。


(!?)


 魔力の注がれる魔法陣を前に、ミシルパは己の中にも『既に完成している』術式の存在があることに気付く。


 ハドニスの魔法陣が効果を発揮するまでの刹那の時間にあって、ミシルパは思考空間から積層魔法陣を取り出していた。


 不足している術式の計算は、シャポーに手本を示してもらい、何度も模倣して、何度も計算酔いで具合を悪くした。それでも、やり方だけは理解できている。


 一抱えもある大きな球状の積層魔法陣に魔力を注ぐのと並行して、ミシルパはシャポー・ラーネポッポが、やって見せてくれたことを脳内でなぞった。


 ハドニスの魔法陣が放出する魔力素の濃度や強さが、ミシルパの視神経を通して脳の奥の術式へと吸い上げられて行く。


 脳が変形するかのような、思考が歪むかのような、言い表せない気持ち悪さが襲い来るのをミシルパは必死に耐える。


「ぐげごぼっぐぼはあああああああ!」


 ハドニスの魔法陣が輝きを強めた次の瞬間、骨のひしゃげる音と、捻り潰されるような苦痛の叫びが室内に響く。


 ミシルパは、鈍痛の走る右腕を押さえて、声のした方へと顔を向けた。


 そこには、床から這い出た、土くれとも植物の蔦とも表現できる物体に巻きつかれたハドニスが、嗚咽を漏らして苦悶の表情を浮かべているのだった。


 腕や足は、蔦の圧力によってあらぬ方向へと曲げられ、飛び出た骨が皮膚を突き破っていた。


「反……動……の、障……壁?」


 ハドニスは、口から泡をふきながらも、その問いをミシルパへと投げかける。されど、答えを聞けぬまま意識を手放した。


(頭痛がひどいですわ。右腕も、骨にひびが入っているかもしれしれませんの)


 ミシルパは、腕をかばうようにして床にへたり込んだ。


 反動の障壁の発動が、僅かに遅れてしまったため、ハドニスの魔法を右腕にくらってしまったのだ。鈍器に殴られたようなずんと重い痛みが、腕の芯から伝わってくる。


(誰も駆け込んでくる様子はありませんわね。取り敢えず、ダイヘンツ卿に連絡を。警備隊が来てしまえば、面倒になりましてよ)


 ミシルパは、脈打つような痛みのする頭を振ると、動く左手でゲージを取り出した。


 魔導師団の一員でありカルバリでの捜査権限をも持つダイヘンツに短いメッセージを送り終えると、ミシルパはゆっくりと倒れ込んで意識を失うのだった。

次回投稿は6月9日(日曜日)の夜に予定しています。

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