第036話 何度も何度も
眼光衰えぬミシルパを見ていたハドニスが、妙案でも閃いたかの顔つきとなって「ふむ」と唸った。
「目的を聞いていましたよね。多少の時間がかかりそうですので、耐えているご褒美に説明してさしあげましょうか。貴女も退屈でしょう?」
ハドニスは、後ろ手について底意地の悪い笑みを浮かべる。
「まあ、説明したところで、覚えていられやしませんがね。寂しいですが、私とこうして喋ったことすら、精神汚濁が完了すれば忘れてしまうことでしょうから」
くつくつと喉の奥で笑うと、ハドニスは『目的』について喋りはじめた。
「この後、貴女は、術式による精神支配のみならず、記憶操作や敵味方の認識まで、きっちりと改変を加えられる予定となっています。可哀想に、頭を切り開いて脳に直接施術されるなんて、考えただけでぞっとしませんか?」
おどけるように肩をすくめたハドニスは、わざとらしい仕草で首を横に振った。
ハドニスの仕草や声色から、ミシルパの恐怖に震える表情を引き出そうとしている意図が垣間見える。だが、ミシルパは更に視線を険しくして問い返す。
「そんな事が……できるはず……」
「数度の人体実験をしていますから、都合の良い傀儡に作り変えるのは可能であると検証済みです。死亡率もさほど高くはありませんでしたよ」
満面の笑顔で、ハドニスは「さほど、ね」と念を押すように繰り返した。
「傀儡にして……どう、したいんですの」
「ゼーブ家を手中に収めるのだとか。当主である貴女に、レイロゲート家の嫡男であるデガンさんとの婚姻を結ばせるのだそうです。良かったですね、恋だの愛だのといった面倒な手順を踏まずに、一生涯の伴侶が得られますよ。私だったら、頭の中身をいじくられた相手など、願い下げですけれどね」
ハドニスは、両の眉を上げると、音を立てて長いため息をついた。さも『いやだ、いやだ』と聞こえてきそうな顔つきだ。
「貴方、破門にされて……いませんのね」
コールコホッソ家は、レイロゲートの派閥から除名されたと公表されており、ミシルパの部下も裏付けを取っている。しかし、我が事のように語るハドニスからは、その様子が見受けられない。
「先代は、破門されていますよ。前当主は責任を取って引退し、私の代で復帰するというだけです。しかも、ゼーブ家の持つ商会から販路に至るまで、この私が任されることになります。これから、ミシルパさんをレイロゲート研究所まで連れて行く大役を果たすのですから、当然の報酬だと思いませんか?」
得意げに話していたハドニスだったが「ところで」と真顔に戻ってミシルパを見据えた。
「精神汚濁の術式が、なかなか浸透していない。精神魔法への耐性が、異様に高いということもあり得るか」
訝しむようにミシルパを観察しながら、ハドニスはぶつぶつと呟く。
ミシルパは、術式を強められたら不利になると考え、ハドニスから視線を逸らして強く目を閉じた。
「この魔法……どうやって……かけましたの」
少しでも情報が得られればと考え、ミシルパは答えを期待せずに質問を投げかける。
ミシルパの苦しそうな表情に気を良くしたのか、はたまた魔導師の『教えたがり屋』の気質によるものか、ハドニスは口元に薄ら笑いを浮かべた。
「ええ、ええ。やはり疑問に思っていましたよね。オージオーネスの花冠に術式を書き込み、その臭いに精神汚濁の効果を持たせています。鼻腔の最上部にある嗅上皮から、精神を蝕む魔法が脳に直接影響を与えますから、回避するのも容易ではないでしょう。嗅上皮と脳は、物理的にも距離が近く――」
魔導師の性か、ハドニスは饒舌に語りだす。
術式を発動させる魔力については、あらかじめ茎に吸わせて蓄えておくのだとか、花弁の大きなオージオーネスだからこそ、術式を組み込んでおけるのだとか、聞かれてもいないことまで、ハドニスはべらべらと話すのだった。
「――オージオーネスの利用は、私の提案です。当家の商会で多くの品を扱っていたのが、良案を生む結果となりました。大手商会を抱える貴女になら、私の豊富な知識と柔軟な発想によるものだと、理解してもらえるのでは?」
ハドニスは、得意げな表情をミシルパに向けた。魔導師としてだけではなく、商売を取り仕切る者としての承認欲求もが、その態度から窺い知れるようであった。
語りたいのなら語らせておこうと、ミシルパは知らぬ風で通している。
「ところで、長らく説明をしてあげましたけど、よく耐えますね」
素の表情に戻ったハドニスは、ミシルバに向き直って言った。
(話が長いと、自分でも理解してましたのね)
ミシルパは、心の中で突っ込みをいれつつ、ハドニスの視線から逃れるように顔をそむけた。
「水を差すようで悪いですが、あのリボータが戻るのを期待してるのでしたら、残念としか言いようがありません。なぜなら、あなた同様、使用人たちも精神魔法の影響下にありますからね。粘るだけ無駄に辛い時間が増えますよ」
ハドニスの言葉に、ミシルパが肩を震わせる。
「図星でしたか。いやはや、健気に頑張っていたんですね。去り際にリボータが、茶を持ってくると言い残していましたから。期待するのも仕方ありません」
ゆっくりと首を振って、ハドニスは呆れと嘲笑の入り混じった様子で「ふぅ」と息を吐いた。
そして、ミシルパの顎に手をかけると、無理やり正面を向かせる。
「魔導研究院で言うところの『解する者には知を与えよ』の気分でしたが、このまま夜を明かすつもりも毛頭ありません。二重にかけると対象者の負荷が増大してしまいますが、私の精神汚染の術式も使わせてもらいますか」
ハドニスが精神汚染の術式を構築し始めると、ミシルパが震える左手を持ち上げる。
「本当、頑張るんですね」
魔法を行使するため、ミシルパの瞳を覗きこんでいたハドニスは、目の端で彼女の左手を捉えると、その根性に感動すら覚えていた。
直後、ハドニスの顔面に、ミシルパの裏拳がめり込む。
体内魔力によって制御された左拳は、距離に頼らずとも強烈な一撃であった。
「へぶぅ!」
吹っ飛ばされたハドニスは、顔面を押さえて床を転げまわる。
「ぐあっ。っつぅぅぅぅ!くそがぁ!マジで、痛ぇ」
痛む顔を右手で押さえ、必死に後退りしながら、ハドニスはミシルパを見やる。
すっくと立ちあがったミシルパは、顎をついと上げて冷淡にハドニスを見下ろした。
「どうやって!どうやって回復した!?」
ハドニスは、驚愕して目を見開く。
先ほどまで精神汚濁の影響で弱っていたとは思えぬほど、ミシルパはしゃんとした姿勢で立っていたのだから。
「回復?元より精神を害する魔法になぞ、かかっていなくてよ」
虚勢ではあったが、その堂々たる物言いは、ハドニスを信じさせるには十分な圧が込められていた。
(シャポーさんに、深い思考領域の使い方を教わっていなかったら、実際は危ない所でしたわね。まさか、精神保護の術式を『脳裏に思い浮かべただけ』で即座に発動できるとは思いませんでしたわよ。驚いた拍子に、椅子に腰かけてしまいましたもの)
更に言えば、ミシルパが眩暈を覚えた初期の段階で、ハドニスが『精神魔法』だと口にしていなければ、保護の術式も間に合ってはいなかっただろう。
微かな頭痛こそしているものの、ミシルパははっきりとした意識を保てていたのだ。
ミシルパは胸中で、友である魔導師の少女に向けて、何度も何度も感謝の言葉を崇め奉るかのように繰り返すのだった。
次回投稿は6月2日(日曜日)の夜に予定しています。




