第032話 厳しい練習とドリア
「頭が、割れそう、ですの」
丸机に突っ伏したミシルパが震える声で絞り出す。
夜に差し掛かろうかという頃、シャポー研究室には、いつもの顔ぶれが集まっていた。だが、その表情の多くに覇気はない。
「魔力枯渇も相まって、結構きついな」
ミシルパの隣で同じような姿勢をしているウォーペアッザは、先程まで行っていた『練習』を思い出して言った。
彼らは、魔導研究院の地下にある『実技検証室』という施設で、シャポーから反動の障壁の術式を教えてもらっていたのだ。
実技検証室とは、魔導師達が新たな術式を試す広い部屋で、壁や床に強力な防衛術式が施されている。中央王都の魔導省が持つ『術式実験室』とは一線を画す程の高性能を誇る施設である。
ここ数日、シャポー達は時間があれば実技検証室に集まって、反動の障壁を『練習』しているのであった。
「魔導の才能があるとか言われてた自分が、恥ずかしくなっちゃったよ。思考空間の構成方法から間違ってたなんて、思わなかったよねぇ。しんどい、しんどい」
窓辺に置いてあるソファの上で、仰向けになっているピョラインが半笑いで言う。
「脳の使い方から、直された気分。頭痛い、もう、だめ」
ピョラインの足元で、ぐったりとソファに身体を預けているムプイムが、口だけを動かせて呟く。
「俺が見習いの時点で教えてもらっていた魔導師は、詠唱至上主義な所があって、思考空間や積層魔法陣を使わない人だったからな。いや、今思えば使えなかったのか。どちらにせよ、思考空間に関して、ほぼ独学だったのが、ここに来て裏目に出た」
「そうも言い切れませんの。私は、思考空間を有する魔導講師に師事してましたけれど、基本とする概念が違ったんですのよ。些細な違いで、思考空間の領域に限界が生じてしまうなんて、知りませんでしたわ」
ウォーペアッザが顔を上げ、眉間を擦りながら言うと、ミシルパは顔を伏せたまま返した。
「シャポーも勉強になったのです。思考したり記憶するという行為の延長として、思考空間を考えてしまうと、キャパシティに限界が発生するのですね。思考する以前に、考えを思い浮かべるための空間がありますので、そこなのだと認識が改まるだけで大きな違いが出ると知れましたのですよ」
シャポーは食事の支度をしながら言った。
「それもだけど、新たな発見といえば『考えるのを停止する』って脳内で命令し続けると、三段階目の深い意識に気付けちゃうんだね。計算や術式構築を、その領域で出来るようになると、数十倍の速度で頭が回っちゃうものなんだねぇ」
「その深い、思考段階、使ったから、頭痛、ひどい」
見えている口元を嬉しそうに歪めるピョラインとは対照的に、ムプイムは両手をこめかみに当てて唸った。
「練習すればですね、もっと深い思考の段階があるのに気付けるのですよ。日ごろからですね、もの凄い速さで行動とかの選択肢を思い浮かべている部分ですので、無意識に近い状態での暗算を可能にしてくれるのです。一段階目って呼んでる『普段喋っているのと同じ速度の思考』ではですね、術式発動がとても遅くなっちゃうのですよ」
おたまをくるりと回し、シャポーは二人の言葉に説明を付け加える。
「それ、練習って言うか、特訓だし」
ムプイムは恨めしそうな目をシャポーに向けるのだった。
「っていうか……」
顔を上げていたウォーペアッザも、シャポーの背中に視線を送る。
人数分の夕食を手際よく準備している後ろ姿は、元気そのものだ。
「俺達の手本に、何度も反動の障壁を行使していたシャポーが、疲れ一つ無さそうなのは、何とも言えない気分だな」
ため息交じりに言うウォーペアッザを見て、机の上に居たほのかが「ぱ~あぁ~」と肩をすくめた。
「あ!ほのか!今『あーあ、情けない』って感じだっただろう!っうぐ、大声出すと、頭痛え」
眉間を押さえたウォーペアッザを見て、ほのかが「ぱぁぁ~」と再び肩をすくめるのだった。
「不慣れな事をすれば、疲れてしまっても仕方ないのです」
出来上がった料理を運びながらシャポーが言う。
トレーに乗せられてきたのは、シャポー特製のドリアだった。
「う~ん、魔力枯渇で食欲が……」
並べられてゆく料理を見て、ウォーペアッザが胸元に手を当てる。反動の障壁を何度も練習したおかげで、胸やけのような感覚に襲われているのだ。
他の三人も同じ有様で、食事に向かおうとすらしない。
「脳をたくさん働かせたのですから、糖分でエネルギーを補給しないとだめなのですよ。せっかく練習したことも、定着しずらくなってしまうのです。三歩進んだのに二歩下がることになってしまうのですからね」
人数分の食器を並べ終えたシャポーが、人差し指を立てて言った。
「せっかく進んだのに、後退しちゃうのはいやだもんね」
のそりと這いながら机に着くピョラインに倣い、皆が食事へと向き合う。
「お口に合えばいいのですけれども。どうぞなのです」
シャポーの勧めに、ミシルパが少量ながらもドリアを口にする。
「あら、おいしいですわね」
トマトの酸味の程よく乗ったミートソースが、あっさりとした風味に仕上げている。少なめに散りばめられたチーズには焦げ目がついており、香ばしさが食欲を誘うようであった。
「案外いけるな」
ウォーペアッザは、二口三口と食べ進める。
「お米の糖質はですね、吸収が穏やかですし、脳の疲労回復にちょうど良いのですよ」
笑顔となったシャポーが嬉しそうに説明した。
「おんや~、シャポーちゃんは、魔法や術式だけじゃなくて料理についても博識なんだねぇ。すごいすごい」
感心するピョラインの横で、ムプイムがモリモリと食べている。
「師匠の所では、シャポーが料理したりしていたのです。そしてそして、シャポーは旅の中でですね、練習するれば胃袋を掴めるくらい料理が上手くなる、と尊敬している人に教えてもらった事があるのですよ」
鼻息をふんふんと荒くしてシャポーが力説すると、ウォーペアッザが急に咳き込んだ。
「あら、胃袋を掴みたいお相手でもいましたの?」
ミシルパは目を丸くして問いかける。ピョラインは、シャポーの答えに興味津々と言った表情を浮かべていた。
「ん~とですね、お料理が上手すぎる人達が居まして、追いつきたいなと思っているのです」
他意は無しと言った様子で、シャポーは首を傾けて答えた。
そんな三人を横目に、ムプイムが咳の止まらぬウォーペアッザにこっそりと聞く。
「胃袋、掴まれた?」
「な!おまっ!げふん、げふん」
問われたウォーペアッザは、更に咳き込んでしまうのだった。
次回投稿は5月5日(日曜日)の夜に予定しています。




