第031話 感覚のずれ
「「「いっち・にっ!なの・です!さん・しっ!なの・です!」」」
「ぱぁぱっ!ぱぁぱ!ぱぁぱっ!ぱぁぱ!」
三人と一精霊の元気な声が、五十八階層の中庭に響き渡る。
洗練とは程遠い動きで体操をするシャポーを、ピョラインとムプイムが挟んでいる。三人を指導する先生かのように、小さな精霊は正面に立っていた。
「「「にい・にっ!なの・です!さん・しっ!なの・です!」」」
「ぱぁぱっ!ぱぁぱ!ぱぁぱっ!ぱぁぱ!」
閉鎖空間ながらも、朝の清々しさの感じられる庭には、四名の外にも複数の人影が蠢いていた。それらは、掛け声を上げるでもなく、黙々とシャポー達の動きをトレースしている。
彼らは、近隣フロアーの研究室に所属している魔導師達だった。
魔導師団員も兼任している者達は、軍隊所属であることから、体を動かす機会も多い。だが、純然たる研究畑の魔導師は、運動不足が叫ばれて久しい人種である。
ここに集まってきているのは、そんな運動不足の輩なのだ。
シャポー達が、さも楽しそうに体操をしているから、との理由で興味を覚えた者もいる。しかし、殆どの者は『なにやら体内魔力操作が、ぐんと上手くなるらしい』と聞きつけて集まってきているようだ。
運動不足解消を求めての行動ではなく、あくまでも魔導研究の一環が理由となっているのは、魔導オタクならではと言えるかもしれない。
他者とのコミュニケーションを好まぬ彼らは、開始時間にもそりと現れ、終了時間にすっと消えて行く。
五十八階層の珍名物が、研究者らの健康維持に貢献していると判明するのは、もう少しばかり先の話しである。
「ぷは~。朝一番に身体を動かすのは、気持ちいいのです」
額の汗を拭う仕草をしつつ、シャポーが晴れやかな笑顔で言う。定位置であるフードに戻ったほのかも「ぷぱ~」と真似をした。
「頭もスッキリするもんね。いい感じ、いい感じ」
「効果は、あるかも。変な動きだけど」
シャポーに負けぬ清々しい表情を浮かべるピョラインの横で、ムプイムが体内魔力の調子を確かめながら言う。
中庭に複数点在していた魔導師の姿は既になく、シャポー達だけが残されていた。
「終わったんですの?でしたら、朝食にいたしましょ。デザートにと、美味しいショコラテリーヌをお持ちしましてよ」
備え付けのベンチで本を開いて、終わるのを待っていたミシルパが立ち上がる。
「ミシルパちゃんも、せっかくだから一緒に身体を動かせば気持ちいいのに」
「私は、剣術の稽古を済ませてから来ていますので、もう結構ですのよ」
ピョラインの勧めに、ミシルパは首を振って答えた。
「ほへ~、剣術なのですか。かっこいいいのです」
シャポーは、ミシルパがスタイリッシュに剣を振るう姿を想像していた。
「剣術?魔導師なのに」
顎に手を当て頭を捻るムプイムに、ミシルパは肩をすくめて見せる。
「『貴族たる者、魔導を封じられても戦えねばならない』だそうですのよ。でも本当の所は『他国の王侯貴族と共通の話題になるから』というのが大きいんですの。乗馬などなど、貴族のたしなみというのは、えてしてその様な物でしてよ」
そんな雑談を交わしながら、四人はシャポー研究室へと入って行くのだった。
***
「お前ら、ほぼ毎日居るのな」
研究室に到着したウォーペアッザが、いつもの見慣れた面々を眺めて言った。
シャポー達は、切り分けたデザートを前に紅茶を傾ける、優雅な朝を過ごしていた。テーブルの上では、ショコラテリーヌを一つまみしたほのかが、あまりの甘さに身を震わせている。
「ウォー君も毎日来るねぇ」
「俺は、ここの所属な!」
カバンを降ろしつつ、ウォーペアッザはピョラインに突っ込みを入れた。
甘いものを進められたウォーペアッザだったが、朝からはちょっときついなと丁重に断り、自分のカップに紅茶を注ぐ。
「最近、書庫から本を持って来てるよな」
ウォーペアッザは、椅子に腰を下ろしながら、ミシルパが脇に置いている本を見て言った。
「防衛防御術式に関する書籍ですわ。私の研究室で、関連する研究をしているので、知見を深める必要がありますの」
「ああ、ミシルパの所の代表研究員は、軍事関係を専門にしてる講師だったもんな。それでか」
本を手に取って言うミシルパに、ウォーペアッザは納得の表情をした。表紙には『徹底解説!反動の障壁に類する防御魔法』と書かれている。
「高等術式である『反動の障壁』は、攻守に優れた魔法ですの。でも、構築に時間がかかる上に難解でもあって、即時的な運用は難しいと結論が出ていましてよ。せめて防御面だけでも抽出し、汎用性のある防御術式に組み込みめないか、と研究が進められているのですわ」
ミシルパは、ぱららと本を鳴らせた。ピョラインが「反動の障壁から抽出ねぇ」と天井を仰ぐ。
反動の障壁とは、大魔導師ラーネが生み出したオリジナル術式の一つだ。高い防御性と、受けた攻撃を反射するという、攻防一体の高等魔法である。
使い手の能力によっては、敵からの攻撃の威力を、数倍にまで増幅した衝撃波として反射することが――理論上では――可能だとされている。だがしかし、完全に自分のものとして扱える魔導師はおらず、使えたとて等倍威力での反射が精々といったところだ。
ちなみに、大魔導師ラーネのオリジナル術式は、ゼロ式シリーズと呼ばれており、超難解魔法群に分類される。一つ一つの魔法が、研究分野を確立するほどの遺物であり、魔導師達の飽くなき探求心を数百年にわたり刺激し続けているのだった。
「魔導師団などで実装されている、汎用にまで落とし込んだ防御魔法にですね、反動の障壁の術式を組み込むのは、一部だけだとしても難しいと思うのです」
シャポーが「うーん」と悩みながら言った。
「ですわよね。防御理論からして別物ですもの。衝撃力の持つベクトル方向を変更する干渉術式や、加えられたエネルギーを反発力とする相殺術式、同計算による吸収術式などとは、全く違うと理解しましたの。発生させた障壁の表面で、正に『反射』しているのですものね」
「ですです。そもそも理論の系譜からして違うものなのですよ」
頭を抱えるミシルパの横で、シャポーはうんうんと頷く。
「攻撃されたエネルギーを、接触からピークに至るまで、常に反射力として算出して、並行時間上で出力するんですのよ。どれだけの演算速度ですの。しかも、力を増幅してかえすだなんて……」
ミシルパは、難解な魔法であるが故に、ため息をついた。
「計算速度を飛躍的に上げるためにですね、攻撃のエネルギーを、方向や速度、微小時間における加減速量とか質量とかとか、情報の整理をしてですね、バラバラに計算しているのです。なので、術式の量としましては、膨大になってしまうのですけれども」
シャポーは、少しばかり面倒ではあるなと考えて、ため息をついた。
「こんな術式、実戦で発動できる気がしませんのよ」
「ですので、積層魔法陣に組み込んでおくと、楽ちんなのです」
ミシルパの呟きに、シャポーが人差し指を立てて答える。その場に居た四人の魔導師は「ん?」と、シャポーの顔を覗きこんだ。
シャポーは笑顔だった。
「積層魔法陣にゼロ式シリーズを入れる?情報領域が足りないだろ。簡単な術式みたいに言うなよ」
頭大の球や円錐を想像しながら、ウォーペアッザが言った。
積層魔法陣というものは、立体図形の表面に、術式を予め書き込んでいる物を指す。上席の魔導師ともなれば、それらの図形を思考空間と呼ばれる仮想次元に収納し、自由に呼び出すことができるのだ。
積層魔法陣の利点として、魔法の詠唱を省略できるという点があげられる。
常に、数種の魔法陣を準備しておいて、魔力を注ぐだけで魔法が使えると考えれば、想像しやすいのかもしれない。
だが、ウォーペアッザの言う通り、温存できる術式の量は、図形の表面積に依存する。近代の天才魔導師とて、頭部くらいの大きさの図形を数個持つのがせいぜいなのだ。
全容も明らかとなっていないゼロ式シリーズを、積層魔法陣に入れて持っておけと言う方が、常識的におかしいのである。
「反動の障壁の軸となる術式フローと、他の魔法への汎用が効かない部分を一纏めにしておけばですね、積層魔法陣の内部で術式構築ができちゃいますので、問題ないのですよ」
さらりと言ったシャポーの言葉を、瞬時に理解できる者は一人もいなかった。
「……シャポーさんは、反動の障壁が使えると理解して、いいんですの?」
ミシルパは、疑心を抱きながらも聞いた。いくら大魔導師の弟子だからといっても、超難解魔法を簡単に使えてしまうとは、考え難いからだ。
もっとシャポーが難しそうな顔つきで言っていれば、まだ信じられたかもしれない。
マイペースに定評のあるピョラインでさえ、細い目を見開いている。
「もし良ければ、お教えしますのですよ」
シャポーが言うと、ガタンと音を立てて魔導師達が立ち上がった。
弟子を取らぬで有名な大魔導師のオリジナル魔法を、その使い手から教わる機会が訪れるなぞとは、想像すらしていなかったのだ。
だが、この時の彼らは知らない。
思考空間の再構築に始まり、巨大積層魔法陣を一から作り直すと言う、脳が破壊されるほど酷使せねばならなくなる地獄を、味わおう事になろうとは……。
次回投稿は4月28日(日曜日)の夜に予定しています。




