第002話 経験は身になる
試験会場である講堂に足を踏み入れると、ほのかは早速シャポーのフードに潜り込んで、安らかな眠りへと旅立っていた。
「はわぁ~。こんなにすごいお部屋だったのですね。今までと同じ会場なのは解るのですが、ぜんぜん様子などを気にしていなかったのですよ」
シャポーは広い講堂を見渡して感嘆の声を上げた。
階段状に設置された机は、正面の演壇に向かって整然と並べられている。天井は高く、頭上に広がる空間には、室内を照らす飛翔灯が等間隔で浮かんでいた。
「ランプにも、監視用の法陣が仕掛けられているのですね。音の反響などから推察しまして、壁や床にも、音漏れを防止するための術式が施工がされているみたいなのですよ。論文の発表も行われる場所なだけあって、最先端のお部屋と言っても過言ではないのです」
興奮気味に握った拳を上下させ、シャポーは鼻息も荒く呟いた。
シャポーは、試験で五回は訪れているはずの場所なのだが、内装にまで意識を向けられたのは、今回が初めてのことであった。
「貴方、とてもお邪魔でしてよ」
扉を入ってすぐの所で立ち止まっていたシャポーの背中に、その内容にそぐわぬ上品な声がかけられた。
「あっ、ごめんなさいなのです。とても立派な講堂でしたので、思わず見回してしまったのですよ」
はたと我に返ったシャポーは、声の主に道を開ける。
振り向いた先には、緩やかなウェーブのかかった金髪の女性が立っていた。彼女の長い髪は、飛翔灯の光を反射して磨かれた宝飾品さながらの輝きを放っている。
年齢こそシャポーと同じくらいなのだろうが、ダークブラウンの双眸が落ち着いた印象を与えて来るようであった。
つんと尖った顎先は僅かに上を向いており、金髪女性の気の強さを表していた。
「・・・」
シャポーに道を譲られた女性は、すぐさま通り過ぎず、シャポーの頭から足先までを冷ややかな視線でさらりと観察する。そして、何事も無かったかのようにシャポーの前を通り過ぎるのだった。
歩き出した彼女の後を、身なりの整った三人の娘が追ってゆく。
「どこの田舎の方かしら。この程度の講堂を立派だなんて」
「本当に驚いていなければ、扉の真ん中で立ち止まらないでしょうね」
「あら、私達でしたら、驚いても礼儀作法まで忘れることはありませんわ」
三人娘は、シャポーから少し距離ができると、くすくすと笑いながら言った。
「貴方達、人の小さな失敗を笑うものではありませんわよ」
後ろをちらりと見やり、金髪の女性が静かに三人をたしなめた。
「さ、流石は、ゼーブ家次期ご当主のミシルパお嬢様。寛容でいらっしゃいます」
表情を強張らせた三人の内、一人の娘が取り繕う。
「家柄は関係ない事と思いますけれど」
ミシルパと呼ばれた女性は、ぽつりともらして前を向く。
後方を行く三人が、視線を交わしつつ肩をすくめあっていることも、ミシルパは薄々感づいているのだった。
彼女らの道を塞いでしまっていたシャポーは、四人の背中を見送っていた。
「急に声をかけられたので、びっくりしたのですよ。お洋服から察するに、カルバリの貴族の人達みたいなのです」
気が強そうな人物であったため、シャポーはやり過ごせた事にほっと胸を撫でおろした。
多勢に無勢と判断したシャポーは、四人から十分離れるのを見計らい、自分の席を探し始める。
「ほのかちゃんは、肝心な時に寝ちゃっているのです。四対一よりも四対二のほうが、勇気もりもりになるはずなのですよ」
フードの中で眠っている友人を恨めしく思うシャポーなのであった。
***
机の上には、試験で使うための専用ゲージが置かれている。
半透明の樹脂を、薄い板状に加工して作られているゲージには、自分の名前と席番号の刻まれたカードをかざすようにと表示されていた。その他に、試験時の注意事項などが細かな文字で浮かび上がっている。
シャポーは、大切に握りしめていた獣皮製の座席番号札を、指示通りゲージの上に乗せる。
ゲージは音も無く使用可能になり、試験開始を待つ状態へと変化するのだった。
「試験用のゲージって、こんなに大きかったのですね。個人用の九倍ほどの表示面積があるのです」
手を使った目分量で測りつつ、シャポーは不思議と新鮮な気持ちになっていた。
過去五回の検定試験では、周囲を気にする余裕なぞ存在せず、がちがちになっていたものだ。
だがしかし、今年はどうであろう。
緊張こそあるものの、程よいそれが集中力を高めてくれているのを、シャポーは実感していた。周囲の様子も目に入るし、何よりも『お弁当のおかずが楽しみ』と頭の片隅に浮かぶ余裕すらあるのに、自分事ながら驚きもしている。
「これが、胆力なのでしょうか。そういえば、過去の失敗についても『経験として蓄積していると考えて、自信を持てば良い』と言われたのでした。深呼吸という必殺技も身につけましたシャポーに、死角なしなのですよ」
得意気な「ふふふーん」という声が聞こえそうな表情で、シャポーは胸を張るのだった。
顔を上げたため、視界の端にきらりと反射した光が映る。
「あれは、先程の髪がとても綺麗な貴族の人なのです。ちょっと羨ましいのですよ」
シャポーは、無意識に自分の髪をいじりながら、ぼんやりと眺めた。
そしてふと気づく。
目立つ彼女は、周囲の視線をちらちらと集めている様子であった。
「うう、シャポーは注目されるのが苦手ですので、羨ましくないかもしれないのです。でもでも、艶々さらさらウェーブは憧れるのです」
魔導師少女が意見をころころ変えていると、座学の試験開始時間はすぐにやってくるのだった。
次回投稿は10月1日(日曜日)の夜に予定しています。