第017話 五回の同士
「いち・に・なの・です!さん・し・なの・です!」
シャポーの掛け声が、魔導研究院の五十八階層に位置する中庭に響き渡る。
五階分の高さを吹き抜けにした広い空間には、植生豊かな草木が生い茂り、心地よい風が葉を揺らせている。
外界とは隔離された閉鎖空間であるはずなのだが、自然光が取り込まれ、清々しい朝を演出していた。
「にい・にっ・なの・です!さん・し・なの・です!」
シャポーは、柔らかな芝を素足で踏みしめながら、両足を肩幅に広げて上半身を声に合わせて振り回す。
シャポーの動きは、体操と呼ぶには雑で奇妙なものであったが、彼女の顔は真剣そのものだ。
「ぱぁ!ぱぁ!ぱっ!ぱっ!」
シャポーの足元では、ほのかも楽しそうに体を動かせていた。
魔導研究院には、福利厚生の一環と魔導の実験場を兼ねた室内型の中庭が、五から七フロアーに一か所の割合で設置されている。ベンチも置かれていて、魔導研究に追われて疲れ切った魔導師達に、一時の心の安らぎを与えるオアシスとなっているのだ。
その円形の庭を、廊下がぐるりと囲んでおり、八つの扉が等間隔に並んでいる。八個の内の一つが、シャポーの研究室なのであった。
「おんや~、朝から元気が良ろしいことで」
シャポーの声を聞きつけたのか、二つ上の階から顔をのぞかせた女性が、声をかけて来た。彼女は、ぼさりとした長い黒髪を両サイドに分け、さも適当に結わいている。
「おはようございます」
奇妙な体操を一時中断し、シャポーは見上げて丁寧に挨拶をした。
「おんや~、君は初年度から研究室持ちになったシャポーちゃんじゃないですか。おはようございます」
女性は、不釣り合いなほど大きな黒縁の眼鏡をかけており、興味深そうにぐいと持ち上げる。
そして、顔を出していた手すりへ更に体重を預けると、そのままの勢いで中庭の方へ身を乗り出す。
落下するかと思いきや、眼鏡の女性は滑り台でもあるかのように、空中をゆるりと下ってシャポーの所まで降りて来た。
「おおー」
「ぱあー」
術式の発動を感知していたシャポーとほのかは、驚きではなく感嘆をもって女性を出迎えるのだった。
「一般の人だと『落ちるー』とか言って驚いてくれるんだけどね。さすがに、魔導研究院ではばればれだよね。いやはや、どうもどうも」
シャポーの足元まで到着した女性は、顔だけ上げて「にへへ」と笑った。シャポーもつられて「どうもどうも」と頭を下げる。
女性は立ち上がると、服に付いた芝を払い、ずれてしまった眼鏡をなおす。
「自己紹介がまだだったよね。六十階層の研究室に所属してるピョライン・ラーニョンって言います。仲良くしてね~」
ピョラインは、顔の丸い輪郭とおっとりした口調が相まって、人の良さがにじみ出ているかのような人物だ。
身長も自分とほぼ同じくらいのピョラインに対し、シャポーは親しみやすさを覚えるのだった。
「私は、シャポー・ラーネポッポって言います」
「うんうん、噂の有名人だからね。知ってる知ってる」
首を縦に振り、ピョラインは答える。
「噂の有名人、ですか?」
シャポーは首を傾げた。
「主席合格の人って、いつも噂になるらしいよ。そいでもって、異例の好成績だったってことで、研究院の中でいつも以上に話題になってるみたい。有名人有名人」
にこにこの笑顔でピョラインは言う。
「ピョラインさん。ゆ、有名人って言われると、何だか恥ずかしいです」
シャポーはもじもじと身をよじった。ほのかも、シャポーの頭の上までよじ登ると、もじもじの真似をする。
「ところで、シャポーちゃん。私に対して『さん』付けはいらないよ。私もね、シャポーちゃんと同じ、今期からの所属なんだ~。出来れば『ちゃん』付けがいいな」
ピョラインは細い目を更に細めて言った。
「年上に見えたので、先輩さんなのかなと思ってしまったのです。ではでは、えっと、ピョライン、ちゃん……って呼ばせてもらうのです」
「私もシャポーちゃんって呼んでていいかな」
「ぜひぜひなのです、ピョラインちゃん」
二人はにへへと笑い合う。
「あ、でもね、シャポーちゃんの見る目は正しいんだよ。私ってばね、おっちょこちょいで、すーごくマイペースだから、魔導検定試験を通過するのに六回もかかっちゃったんだよね。だから、シャポーちゃんより年上、二十三歳なんだ~」
ピョラインは、気にしている様子もなくからからと笑って言った。
「ほえ!?六回目なのですか」
「うんうん、五回失敗してるの。主席なシャポーちゃんには、信じられない感じでしょ」
主席で通過したシャポーが、極度の緊張屋であったことなど、ピョラインは知らない。
「信じられるのです」
「おんや~?」
シャポーの様子が変わったことに気付き、ピョラインは方眉を上げてシャポーの顔を覗きこんだ。
そこには、ピョラインを見つめ返して来る潤んだ瞳があった。
「シャポーも、五回失敗してるのですぅ。はわ~、同じ人が居たなんて、初めて知ったのですよぉぉ」
「おんやまぁ~、なんて奇遇な」
二人はがっちりと両手を握り合う。
「シャポーもですね、とっても緊張しちゃう性格だったのですよ。ちょっとだけですけれども克服できまして、ようやく試験を通過することが出来たのです」
シャポーの言葉にピョラインは、はっとした表情を浮かべる。
「こんなところに居たんですね、同士のヒト~」
「居たんです~」
「ぱぁぁ~」
近々、五回同盟なるものを結成することになる二人は、一精霊を交えくるくると回転しながら喜び合うのだった。
ひとしきり回った後、ピョラインは真面目な表情でシャポーに向き直る。
「では、先程の(奇妙な)体操は、魔法の上達の方法だったり、なかったり?」
「ふふふなのです。朝一番に、体内魔力の循環を良くしておくと、一日が快適に過ごせること請け合いなのです」
シャポーは、右手を顔の横にまで上げると、体内魔力を集めて輝かせる。
「ご一緒しても?」
「是非なのです」
「ぱぁ!」
そして、シャポーとピョラインとほのかは、横一列に並ぶと「いち・に・なの・です!さん・し・なの・です!」と体を動かせ始める。
魔導研究院五十八階層の朝の名物になるまで、さほど時間はかからなかった。
次回投稿は1月21日(日曜日)の夜に予定しています。




