第014話 自覚のない人
「はわ~。きれいな景色が、ずっと続いて気持ちいいのです」
「ぱわわ~」
車窓から顔をのぞかせたシャポーが目を輝かせて声を上げる。頭の上に乗ったほのかも、彼女と同じ様に瞳をきらきらとさせていた。
「中央王都と商業王国ドートとの国境に沿っていて、技研国カルバリに通ずる重要な街道ですの。三国の政府が警戒に十分な兵を割いていますから、クレタスでも一番安全な道となっているのですわ。ですので、道の脇にまで自然豊かな森が迫っていても、賊や魔獣に遭遇することはほとんどありませんのよ」
カルバリの政府関係者ともいえるミシルパは、シャポーとほのかの反応に対して得意気に語った。
二人と一精霊を乗せた馬車は、ゼーブ家お抱えの護衛を伴い、魔導研究院のある技研国カルバリを目指している。
ミシルパの言葉にある通り、常緑の広葉樹が道の上にまで覆いかぶさるように自生しており、穏やかに流れる川が心地よい水音を運び、澄んだ空気が渓谷を満たしていた。
クレタスの街道は、見通しの良い場所に布設されるのが一般的とされている。
森に隣接させてしまうと、肉食の獣やより凶暴な魔獣に襲われる危険性が高くなるからだ。野盗や山賊についても、身を隠すところが少なければ、襲撃を抑止する効果が期待できる。
「この街道の景色を見るのが、旅の目的の一つにされると本で読んだことがあるのですけれども、理由がわかった気がするのですよ。それにそれに、昨晩泊まった宿場町もですが、治安の良さを感じたのです」
「ぱぁぱぁ」
シャポーが言うと、ほのかが賛同するかのように何度も頷く。
「法の整備も含めまして、当家が深く関わった事業でしてよ」
満足感を顔に浮かべたミシルパに、シャポーとほのかが「すごいのです」「ぱぁぁ」と感嘆の声を返すのだった。
彼女らの旅路は、中央王都を出発して六日目を迎え、技研国カルバリまでの道のりの約半分を終えている。だが、ミシルパは、ダイヘンツと話をしていた内容の一片すらも、シャポーに聞くことが出来ずにいた。
(秘密にしなければならない事を問われたら、シャポーさんはどのように思うのかしら。先の内乱に関与していた『魔導罪人』が、当家の縁者だと知ったら、失望されたりするのではなくて?はあ、私も案外気の小さい所がありますのね)
表情を戻したミシルパは、窓外を楽しく眺めているシャポーの横顔を見つめる。
視線に気づいたシャポーが、ミシルパへと振り向くと小首を傾げた。
「中央王都を出発してからなのですが、ミシルパさんは時々そのような表情を浮かべているのですよ」
「そ、そのようなとは、どんな表情ですの」
慌てて笑顔を作りミシルパは聞き返す。
「んっとですね。眉毛の間を少しだけすぼめた、真面目な顔をしているのです」
自ら意識していなかったミシルパは、そんな顔をしていたのかと気付かされた。
(……ここでお話しが切り出せないのでしたら、ずっと無理かもしれませんわね。教会が秘匿するよう要請したとの内容に触れるかもしれませんし、研究院に到着してからでは、誰の目や耳があるかもわからないですわね)
決心を固めたミシルパは、姿勢を正してシャポーと向き合う。
「シャポーさん、明日の夕方にはカルバリの領内ですの。その前に、お聞きしたい事がございましてよ」
改まった態度を示すミシルパに、シャポーはただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、窓をそっと閉めて膝に手を置いた。ほのかもシャポーの頭の上で正座をすると、膝の上に両手をちょこんとそろえた。
「何でございますのでしょうか」
妙な返され方をしたが、その表情からふざけているわけでは無いのだと察すると、ミシルパは気を取り直して口を開く。
「率直にお聞きしますわ。シャポーさんって何者ですの?」
小声であるが故に前へと身を乗り出し、ミシルパはシャポーに質問を投げかけた。
「……」
「……」
二人の間を束の間の沈黙が通り過ぎる。
「シャポーは、シャポーなのです、けれど?」
「ぱぁ」
どう答えたら良いのかと悩み散らかしたシャポーは、至極当然の答えを真面目に返した。
「そうではありませんの。私としたことが、雑な質問でしたわね。一つづつお聞きしますわ。教会の魔導講師であるというのは本当ですの?」
「ですね。ちょこっと前はしていたのですけれど、今はしていないので『元・教会魔導講師』と言うのが正解なのです」
あまりにもあっさりと答えが返ってきたため、ミシルパは拍子抜けしつつも次の質問へと移る。
「守衛国家セチュバーの起こした内乱では、シャポーさんは戦列に加わっていたんですの?」
「ですですね。教会魔導講師として参戦していたのですよ」
シャポーがすんなりと回答したので、聞いたミシルパの方が戸惑いを覚えてしまった。
(言い淀むことすらありませんのね。秘匿されているのではなくて?どういうことですの?)
ミシルパは、シャポーの澄んだ瞳を真っ直ぐに見ているが、シャポーからは動揺の色など一切窺えない。
「次ですの。当家の魔導罪人ゾレン・ラーニュゼーブなる魔導師とは、関りがありまして?」
可能な限り平静を装い、ミシルパは問う。
「……」
シャポーは、視線こそ逸らさぬものの、先程までとは違い一瞬口を閉じた。
「もし言いにくいのであれば――」
「いえ。シャポーもですね、お伝えすべきなのかと悩んでいたのですよ」
意を決した顔となり、シャポーはミシルパの言葉を遮った。
「魔導師ゾレン・ラーニュゼーブを消滅させたのは、シャポーです」
短く言い終わると、シャポーは下唇をきゅっと噛みしめた。
「消滅?シャポーさんは、ゾレンと、戦った、と言う事、ですの?」
ミシルパが途切れ途切れに聞き返すと、シャポーはこくりと頷いた。
(当家の者が、シャポーさんに害を与えたのではないかと危惧していたのですけれど。だのに、ゾレンと戦った?魔導の才だけは突出して秀でていたという、あのゾレンとですの?カルバリで施された、魔力の封印すらも解いていたと聞いていますわ。そんな魔導師と、シャポーさんが?しかも消滅させたというのは何でして?それ以前に、シャポーさんが最前線にいたという話になるのではありませんの?)
ミシルパは額に手をやり、混乱する思考をまとめようとする。
ゾレンが遠縁にあたる血族であり、魔導の研究以外に興味のない男であったことから、ミシルパとは親族としての深い交流など皆無であった。だが、その魔導の才能だけは、ゼーブ家の内外からミシルパの元へと噂として流れて来ていたのだ。
魔導のエリートであるゼーブ家きっての鬼才が、見習い魔導師であったシャポーに敗れたとは、直接聞かされたとて即座に頭が理解できるものではなかった。
「ごめんなさいなのです。ミシルパさんとお友達になった後に、ご家族なのではと気が付いたのですよ。もっと早くお伝えするべきだったのですよね」
動揺しているミシルパの耳に、シャポーの申し訳なさそうな弱々しい声が届く。
「なぜ、なぜシャポーさんが謝っているんですの?」
はたと現実に引き戻されたミシルパは、謝罪された事にも困惑を隠せなかった。
ミシルパの立場からすれば、ゼーブ家から排出してしまった罪人を、シャポーが処断してくれたとも言えよう。家名大事が故に、ゾレンが国元で極刑に処されるのを良しとしなかったゼーブ家にこそ非があるのだから。
「シャポーはですね、戦争のときにゾレンさんを消滅させたのは、正しい事だったと考えていたのです。周りの人達も、正しい行いだったと言ってくれていたのですよ。でもです、血縁であるミシルパさんに出会って、あの人にも家族があったんだなと、初めて実感したのです。シャポーは、そういう人の命を、奪ったのだなと、実感したのですよ。その親族であるミシルパさんを、お友達と呼んでもいいのかと、思ってもいるのです」
膝に置いたシャポーの手が震え、そこへぽろりと涙が落ちた。
「なぜ、シャポーさんがお泣きになるんですの?」
びっくりしたミシルパは、シャポーの頭を抱え込むように抱きしめた。
「理由は、解らないのですが、悲しく、なってしまったのですよぉ」
「謝罪するのは当家の、いえ、私の方でしてよ。カルバリで清算しておかねばならなかった罪人の件を、大貴族の傲慢さから流刑として遠ざけてしまったのですわ。あまつさえも、シャポーさんに幕引きをして頂くことになっていたのですから。謝罪も涙も、シャポーさんには必要ないものでしてよ」
静かに鼻をすするシャポーを、ミシルパはもう一度抱きしめなおした。
「本来であれば、我が家の者が戦場に赴き、決着せねばならない事でしたの。その役目は誰でもなく、次期当主たる私が背負うべきだったのかもしれませんわ。ゼーブ家を代表し、シャポーさんには感謝を伝えなければならないんですの」
少しの間、馬車の揺れる音が車内を支配する。
「お友達って、呼んでいても、いいのれすか?」
ずびびと鼻を鳴らしながら、シャポーがぽつりと聞いた。
「私の方こそ、お友達と呼んで良いんですの?」
ミシルパが逆に問いかけると、もぞりとシャポーが顔を上げる。
「お友達、なのです」
シャポーは「にへへ」と涙目で笑った。
「ぱぺぺ」
「ほのかさんも、シャポーさんを心配しているみたいですの」
ミシルパの目の前で、ほのかはシャポーの頭にがっちりと抱き着いていた。ミシルパの言葉を肯定するように、そのままの姿勢でぶんぶんと頷く。
「ところでなのですが、聞きたい事というのは終わりなのですか?」
ミシルパから離れたシャポーが小首を傾げながら聞く。
「そう、魔導師称にラーネとありましたわね。それについても聞きたかったのですわ」
思い出したミシルパは即座に質問した。
「シャポーの師匠が、大魔導師と呼ばれているラーネなのですよ。師匠が勝手に、シャポーの魔導師称を決めてしまっただけなのです」
「だけって」
あまりにも重大な事実をさらりと言うシャポーに、ミシルパは眩暈を覚えてしまった。
なぜならば「大魔導師ラーネは弟子を取らない」というのが、魔導師業界においては社会通念のように広まっているからだ。
「大魔導師ラーネに弟子がいたなんて、業界を騒がせる内容ですのに。門下生となる方法を聞きに、魔導師達が大挙して押し寄せて来そうですわね」
「うーん。師匠はあんまり教えてはくれないのですよ。術式なんて本を読んで覚えればいいって言われますし、魔法に失敗するとげらげら笑って煽ってくるのです。それにそれに――」
(シャポーさんったら、ご自分が色々な意味で驚かれる対象なのだということを、本当に自覚していないみたいですのね……)
ミシルパは、師匠の文句を言い連ねているシャポーを眺め、苦笑いを浮かべていた。
「ところでシャポーさん、全てすんなりと答えてもらった気がしているのですわ。でも、結局のところ教会が秘密にするよう指示した内容なんてありまして?」
「それはですね、戦争で変に祀り上げられてしまうような英雄を作らない、という意図があってですね――」
シャポーは、教会のとある理事が、異世界からクレタスに迷い込んだ『迷い人』と呼ばれる人物なのだというのを伏せつつ、可能な限りの説明を試みるのだった。
次回投稿は12月24日(日曜日)の夜に予定しています。
投降が遅くなってしまい申し訳ありません。




