第013話 旅立つ二日前の話
大貴族の令嬢ミシルパ・レルウェムコス・ゼーブが、魔導検定の試験期間中に中央王都での仮住まいとしている大きな屋敷に、ダイヘンツは呼び出されていた。
ミシルパとダイヘンツの二人は、屋敷の地下にある部屋で、机を挟んで向かい合っている。
さながら尋問室のようだな、とダイヘンツは心の中で呟く。
正方形の室内には装飾品の類は一切ない。机と数脚の椅子だけが置かれている面白みの欠片も無い部屋であった。
机の上に置いたダイヘンツのゲージには、外部との連絡が遮断されているのを示す文字が浮かんでいる。恐らくは、床や壁材の裏に、大地の情報網からゲージを切り離す術式が設置されているのだろう。
「教えては、いただけませんのね」
ミシルパは、ダイヘンツを真っ直ぐに見つめたまま、ぽつりともらす。
「私の知る事実は、ありませんので」
そう答えるダイヘンツに投げかけられていたのは、シャポー・ラーネポッポについて知っていることを教えろ、という内容の問いだった。
探るようなミシルパの視線を、ダイヘンツは正面から受け止める。
「ダイヘンツ卿ほどの傑物が、黙して語らずとされているのですから、相応の理由があるのですわね」
小さなため息とともに、ミシルパは首を横に振った。
「突然、シャポーさんの素性を気にされるとは。逆に私から質問を返したい所ですが」
真意を探るようなダイヘンツの問いに、ミシルパが一瞬迷いの表情を浮かべる。
そして、机上に広げていた資料の中から、数枚の獣皮紙をダイヘンツの方へと差し出した。
受け取ったダイヘンツはさらりと目を通す。資料には、魔導検定試験を通過した者達の名前と素性が書かれていた。
「今回の魔導検定試験には、見習い魔導師の身でありながらもその名を耳にしたことのある実力者が多くいましたの。でも、私がシャポーさんのお名前を聞いたのは、試験を共に受ける段になってからですわ。当家には、魔導師業界の些末な情報ですら入ってきていますのに。少しばかり引っかかりましたの」
言って、ミシルパは新たな資料をダイヘンツに示す。
シャポーの名が記載されているそれは、他の者の資料と異なっているのが一目で解る物であった。
「空欄ばかりが目立ちますね」
「ほとんど、ですの」
冷静な表情を崩さないダイヘンツに対し、ミシルパは語気を強めて返した。
「そ・れ・に、どうやらダイヘンツ卿は、検定試験よりも以前から、シャポーさんとお知り合いだったご様子ですわ。どちらでお会いになりまして?」
ミシルパの流すような目に見据えられ、ダイヘンツの表情が微かに動く。
「実技試験の一件があり、シャポーさんから気兼ねなく話しかけられているから、既知の間柄に見えたのではありませんか?」
姿勢を正したダイヘンツが、何事でもないかのような声色で答える。
「私思い出したんですの。実技試験で気絶してしまう直前、朦朧とする意識の中でダイヘンツ卿が第一術式実験室に入ってこられて、シャポーさんの名を叫ばれたのではなかったかしら」
ミシルパの声には、静かではあるが否定を許さぬ圧力がこめられていた。
「……さて」
ダイヘンツは首を振り、覚えがないことを表現する。
「ダイヘンツ卿は、エルダジッタ部隊として先の内乱に出ておられましたわね。そこでシャポーさんとお会いになられていたのではなくて?手の者に調べさせたのですけれど、シャポーさんの名が一度だけ、中央王都を奪還した際の式典に『教会魔導講師』として出席したという記録として残っていましたの。その後は、まるで意図的にでも消されたかのように、一切の情報が見つからないのですわ」
「同名の別人、という可能性をお考えには?」
大貴族ゼーブ家の情報収集能力は伊達ではないなと感心しつつ、ダイヘンツは言葉を返した。
ミシルパの遠縁にあたる人物に『魔導罪人』が出た為、現在のゼーブ家は政界における求心力を大幅に失っている。罪人を出しても尚、大貴族として持ち堪えられているのは、魔導に関連する商売を幾つも手掛けている巨大な財閥という一面を持っているからだ。
商いの世界で培われた情報網が、貴族としてのゼーブ家を下支えしているのである。
「魔導師称に大魔導師の名が入っていなければ、その可能性も考えられたのですわ。大魔導師ラーネの名を冠する者など、シャポーさん以外に出会ったことがありませんの」
がたりと音をさせ、ミシルパは椅子から立ち上がる。数歩進んだところで腕を組んで床に目を落とした。
思いつめたような横顔を見て、ダイヘンツはミシルパの次の言葉をじっと待った。彼女の表情に、為政者でも貴族でもない、一個人としての感情が浮かんでいるのを感じ取ったからだ。
「ここ数日は、楽しかったですの」
ミシルパが小さな声で呟く。
「カルバリに戻れば、私はゼーブ家の事実上の当主となります。最初は、このままの友人という関係を壊さぬよう、どうすればいいかと考えを巡らせていたのですわ。でも少しづつ引っかかる部分が現れて、調べを進めるうちに、当家から出してしまった魔導罪人とシャポーさんには、関りがあったのではないかとの考えに至りましたの」
ミシルパは大きく息を吐いて続ける。
「私は、シャポーさんにとって、友人と呼ぶに相応しい者では……」
「貴族の立場として、シャポーさんを利用できると判断したわけではないようですね。安心しました」
ミシルパの言葉を遮り、ダイヘンツは口元を微かに緩めて言った。
「利用などするなんてあり得ませんの」
真剣な表情を向け、ミシルパは即座に否定する。
ダイヘンツはミシルパへちらりと視線を送ると、机上に広げられている資料を手元に手繰り寄せた。
「ふむ、ゼーブ家の調査力は素晴らしい、と言っておきましょうか。血縁が罪人として処罰を受けたがため、内乱に関わることを許されなかった。にも拘らず、正確な調査を行った様子ですね」
ダイヘンツが態度を変化させたのを受け、ミシルパは懐疑的に表情を曇らせる。彼の意図を図りかねたためだ。
だが、ダイヘンツは構う事無く話しを続けた。
「内乱において、占領されていた中央王都を奪還した後から、通称『教会の一団』とされている者達の動向が記録に無いのは、内乱終結後に教会からの強い要請があったため秘匿されているのだと聞いています。その理由は、戦いに加わった私ですら知らされてはいませんが」
「教会の一団?」
興味に駆られたミシルパは、再び席に着いて聞き返す。
「私の口からお伝え出来るのは、この程度の情報しかありません。あとはシャポーさんに直接お尋ねになってみては?」
多くの疑問が口を突いて出そうになっていたミシルパだったが、ダイヘンツの一言で口をつぐむ。
本人に聞けるのであれば、ダイヘンツを屋敷へと呼び出すような遠回りなことをするはずがないではないかと、ミシルパは胸の奥で文句を言った。
「シャポーさんならば、誠意をもって答えてくれると思いますよ。なにせ、かのエルート族と対等に会話をしていたような人ですから」
ダイヘンツは、先の内乱でシャポーと何度か会った場面を思い起こしつつ言う。
「真実の耳を持つエルート族と?」
ダイヘンツの話しを聞いたミシルパは、両目を見開いて問い返した。
ミシルパの記憶によれば、真実の耳とは相手の心の内を全て聞き分け、真偽をつまびらかにする聴力のことではなかっただろうか。
エルート族はその超聴力が故、クレタスの人族の間では高尚な種族と認識されているのだ。
「シャポーさんは、それだけ純粋で真面目な人なのではないかと」
「純粋すぎる、とは私も思っていましたわ」
額に手を当て、ミシルパはふぅと長いため息をついた。別の意味で、心配な事が増えたのを感じてしまったのだ。カルバリの魔導研究院で、シャポーはやっていけるのだろうか。
ミシルパの知る限り、魔導研究院には複雑な人間関係と競争社会が待ちかまえているのだから。
「でも、流石はシャポーさんですの。直接聞いてみようという気持ちにさせてもらいましたわ。別の不安こそ芽生えてしまいましたけれど」
決心がついたのか、ミシルパは顎をついと上げて胸を張る。
「友人なのでしょう。政治のように裏から手を回すのは、控えた方が良いかもしれませんね」
「痛い所を突きますのね。ご忠告として受け取っておきましてよ」
ダイヘンツの皮肉を込めた言葉に、ミシルパは肩をすぼめて答えるのだった。
「ところで、シャポーさんの魔導師称に『ラーネ』が入っている理由は、ご存知ですの?」
ぼそりとミシルパが問う。
「そこについては本当に知りませんね。薄々は気になっていましたが」
今度はダイヘンツが肩をすぼめて言った。
シャポーが、カルバリへと旅立つ二日ほど前の出来事であった。
次回投稿は12月17日(日曜日)の夜に予定しています。




