プロローグ
魔導師の少女は、今日も元気だ。
鼻息も荒く玄関を開け放った少女は、薄桃色の小さなバックパックを背負っていた。中身は、お弁当に飲み物などなど、必要な品々が詰め込んであった。
夏も去ろうかという時節の朝日が、幸せな一日の始まりを想像させる穏やかな色調で、中央王都の白い町並みを照らしている。
そんな中にあって、彼女のブルーグリーンの大きな瞳には、これでもかと気合の込められた輝きが滲んでいるのだった。
「シャポーは、支度万全なのです!」
ふわふわの柔らかそうな茶色の髪が、力強く放たれた言葉とともに軽やかに揺れた。
彼女の名前は、シャポー・ラーネポッポ。まだ「見習い」の身分である魔導師だ。その証拠に、腰帯から下げている円形の魔導師の印には、半人前の証である横棒一本の意匠が施されていた。
シャポーが、朝いちばんで気合十分な表情をしている理由は、魔導師の印が深く関係している。
本日は、魔導検定試験の初日なのだ。
試験を無事に通過すれば、シャポーは晴れて一人前の魔導師として、十字模様をあしらった魔導師の印を身に着けることが許されることとなる。
それは、彼女の住まうクレタスという広大な地域において、魔導関連の組織や諸王国の抱える魔導師団への加入が可能となることも意味していた。応募したとて受かるかどうかは、また別の話しになるのだが。
「ぱぁぁ、ぱぁぱぁ!」
シャポーの頭の上から、意気込みを真似たような高い声が響く。
小人であるそれは、燃え上がる炎のような髪をしていた。身に纏う衣も焔の如く、揺らめいては大気に溶けて消えるようであった。
「ほのかちゃんも、準備万端で大丈夫なのですか」
「ぱぁ!」
シャポーの問いに、特に準備など必要そうも無いほのかが、拳を振り上げて元気よく答えた。
ほのかは、始原精霊と呼ばれる最上位に類する精霊だ。
精霊と親交の深い種族曰く、始原精霊とは、天を割き地を震わせる強大な力を有する精霊を指すのだとか。だが、ほのかの姿や立ち居振る舞いを見て、畏怖の念を抱く者はそうそういないことであろう。
真面目な表情でやり取りするシャポーとほのかを、扉からそっと見つめている老人がいた。
グレーがかった白髪の男は、背をしゃんと伸ばし、執事然とした服装をしていることから屋敷の使用人であることがうかがえる。
「シャポーさん、肩に力を入れすぎませんように。普段通りになされていれば、おのずと実力を発揮できますよ。ご夕食を用意して、お帰りをお待ちしておりますからね」
妙なスクワットまで始めたシャポーに、老人は優しく声をかけた。当然ながら、頭の上のほのかもシャポーと同じ格好でスクワットをしている。
「カスリさん、ありがとうございます。お家を貸してもらったりと、色々な恩に報いる為にもですね、シャポーは頑張りたいと思うのですよ。カスリさんは、恩ある皆さんの筆頭なのです」
「ぱぁ!」
両腕で力こぶを作ったまま振り返るシャポーとほのかに、カスリと呼ばれた執事は苦笑いで返した。
シャポーは、魔導検定試験を受験するため、中央王都にある友人の家に住まわせてもらっている。カスリ老はその屋敷の管理を任されている人物なのだ。
故あって、その友人は現在この家を使っていないため、実質シャポーの家になっていると言っても過言ではない状態ではあった。
「お嬢様に仰せつかった事ですから、私めに恩を感じることはありませんよ」
カスリ老の言葉に、シャポーは「あ」と声を上げる。
「お嬢様って呼ぶと、トゥームさんにまた怒られちゃうのですよ」
シャポーにトゥームと呼ばれたのが、この屋敷「カスパード家」の主の名だ。
「おっと、トゥーム様には内緒でお願いします」
「シャポーも飛び火して叱られること請け合いですので、心配無用なのです」
「ぱぁぁぱぁ」
三人は顔を近づけて「しー」と人差し指を口に当て、くすくすと笑い合う。
そして、笑顔となったシャポーは、元気よく姿勢を正した。
「ではでは、シャポーは行ってくるのです。肩の力を抜きつつ頑張るのですよ」
「変わらぬお帰りを、お待ちしております」
手を振って歩き出すシャポーに、カスリ老は騎士を送り出す際、クレタスの地で使われる特有の言い回しを口にする。
屋敷の全てを任されている執事が、主の実力を信じ「その帰還こそが、功績を上げた何よりの証である」という意味合いを暗に含ませて送る言葉だ。
カスリ老は、洗礼された所作で頭を下げ、若草色の小さなローブ姿を見送る。
「あ、左じゃなかった、右なのです」
門を出てすぐにも道を間違えた魔導師少女に、老執事は一抹の不安を覚えたのだった。
次回投稿は9月17日(日曜日)の夜に予定しています。
完全新作にするか迷いましたが、シャポー・ラーネポッポのスピンオフを投稿させていただきました。
しばらく同タイトルを投降しましたら、新作の小説と交互に更新して行くスタイルにしたいと考えております。




