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8月21日は「バニーの日」その2 前編(風雅視点)

8月21日の「バニーの日」、風雅(ふうが)視点のSSです。


活動報告にて8月21日に載せたものの再録。

時間軸は天音(あまね)15歳、風雅と凛人(りひと)が24歳の、本編より過去の話になります。

風雅(ふうが)さん、少しよろしいですか」


 祖父の部屋を辞して自室に戻ろうとしていたところへ、声をかけられた。

 廊下の角から周囲をうかがいながらいそいそとやって来たのは、老齢の女。俺が生まれるよりも前から神門(みかど)の家に仕えている使用人だ。

 俺が足を止めると、女も適度な距離を置いて立ち止まる。


「納戸を片付けておりましたら、これが出て参りまして。風雅さんにお渡しするのが、よいかと思いまして」


 奥さまに、見つかる前に。

 そう言って、両手で隠すように持っていたそれを差し出してくる。なんだろうと思いながらも受け取れば、女は二度三度と頭を下げてから、来た方向へと足早に去っていった。

 俺の手に残されたそれ―― 一枚の写真を見やって、ふと口もとがゆるむ。


「まだ、残っていたものがあったのか」


 なつかしいことだ。確かに、母には見せないほうがいいだろう。

 今日、母は屋敷にいるのだったか。万が一行き会ったときに見とがめられないようにと、俺はその写真を胸ポケットへと仕舞い、部屋へと向かった。



 部屋のドアを開ければ、室内には凛人(りひと)天音(あまね)がいた。

 ソファに深く腰かけて、なにかの冊子を読んでいる凛人のその膝に、座面に寝そべった天音が頭を預けている。片手で器用に冊子のページをめくりながら、凛人のもう片方の手は天音の髪を梳いていた。そうされるのが心地よいのか嬉しいのか、天音はとろりとした目で凛人の横顔を眺めている。


 よくもまあ人の部屋で、遠慮のえの字もなくイチャつけるものだ。

 天音は基本的に行儀よく(しと)やかな子だ。ほかの人間に見られることのない俺の部屋だからということを差し引いても、真昼間から凛人の前でこんなしどけない姿を晒しているのはいかがなものか。

 子どものころならばまだしも、来年はもう高校生になる年頃だというのに。


 俺が入室しても気にもせずにいるふたりに、思わず「よそでやれ」とベタな文句を言いそうになるのを、どうにかこらえる。

 俺の目の届くところであれば、一線を越えるようなことはさすがにないだろう。下手に注意などして、隠れてイチャつかれるよりはマシか。


「凛人」


 ざわめく気持ちを抑えて凛人に呼びかければ、冊子からこちらへと視線が向けられる。胸ポケットから抜き出した写真を差し出せば、手を伸ばして受け取ったそれに目を落とした凛人の眉が、わずかにひそめられた。


「なぁに?」


 興味を示した天音が起き上がり、覗き込もうとする。一瞬見せるのをためらうような仕草をしたものの、まぁいいかと思い直したのか、膝のあいだに座らせた天音に写真を見せた。


 天音が人の膝に乗るのは、祖国にいたころについた習慣だった。あちらの家の祖父や乳母は、天音と会話をする際には彼女を膝の上に座らせていたらしい。

 この家に来てすぐのころ、話をしようとするたびに膝の上によじ登ってくる天音に、俺も凛人もだいぶ戸惑ったものだ。次第に慣れてそれが当たり前のことになっていたが、中学に上がったころからその行為に恥ずかしがるようなそぶりを見せ始めた天音にふたたび戸惑った。


 膝に乗るのに抵抗を覚えるような歳になったのならと、俺のほうは控えてずいぶん経つというのに。凛人はそういう面では妙に鈍いところがあるから、天音の様子に気づかずこれまで通りに接し、天音も凛人相手には諦めているのかもしれないが。

 ……いや、案外、天音が恥ずかしそうにする姿さえ楽しんだうえで、気づかぬふりであえて座らせているのかもしれない。


 凛人の膝のあいだに落ち着いた天音が、写真を見て大きな目をまばたかせている。


「……わたし? ううん、違う。だれ? ……あ、もしかして」


 こちらを見上げてくる天音に、うなずきを返す。

 写真に写っているのは、三人の子ども。ひとりの少女と、その両サイドにふたりの少年がいる。


「左右にいるのは、俺と凛人。真ん中にいるのが、花音(かのん)


 おまえの、お姉さんだよ。

 俺がそう言えば、天音は写真と俺たちとを見比べ、自分の顔へと手を当てる。


 写真の中央で屈託のない笑顔を浮かべている少女は、確かに顔のつくりだけを見れば子どものころの、ちょうどこの家に来たころの天音によく似ていた。いや、天音が似ているのか。

 天音を初めて見たときは記憶にある花音と瓜二つだと思っていたが、こうして見ると色味も雰囲気もだいぶ違っている。


 写真に印字された日付を見るに、花音が死ぬ半年ほど前に撮られたものだ。納戸のどこにどう仕舞われていたのかはわからないが、十七年も前のものにしては色の鮮やかさが保たれていた。

 俺よりも濃いグリーンヘーゼルの瞳。髪の色も、天音よりも赤みのある栗色。浮かべる表情も天音とはまるで異なっている。


 花音の死後、彼女が写っている写真は、母によってネガや元データも含めてすべて処分されてしまったはずだった。俺たちが隠し持っていたものさえ残さずに。

 先ほどの女が納戸から見つけたというこれは、おそらく奇跡的に残った最後の一枚だろう。


 子どものころの俺や凛人を撮ったものにはたいてい花音も写り込んでいたから、花音の姿だけでなく幼少期の自分たちを見るのもずいぶん久しぶりだ。


「あの、これ」


 写真と俺たちとをまじまじと見比べていた天音が、ふと口を開く。


「これ、あの、なんで三人とも、うさぎの耳を、つけてるの……?」


 天音の問いに、俺も凛人も、思わず視線をそらす。

 凛人が天音に写真を見せるのをためらった理由はそこだろう。写真に写る俺たちは、三人揃ってうさぎの耳が生えたカチューシャをつけていたのだから。


「……花音に、せがまれたんだよ」


 しばらくして、凛人が切り出す。写真の日付を、とんとんと指先で示しながら。


「この写真を撮った八月二十一日ってのは『バニーの日』って言われてるんだって、どこで聞いたんだか花音が言い出してな。みんなでうさぎさんになろう! ってはしゃいで、うさぎの耳のカチューシャを買ってこさせて、みんなにつけさせて回って。俺たちも巻き込まれたんだ」


 凛人の語る昔話に、なつかしい記憶が思い起こされる。

 花音は神門のしきたりに従って片足首を失い、行動範囲の制限こそされてはいたが。使用人たちからはそれなりに大切にされ、大抵のわがままは許容されていた。今にして思えば、利用目的ありきのご機嫌取りだったとしても。


『バニーの日だからウサ耳をつけてほしい』


 花音のそんな無邪気でささやかな願いを、多少の羞恥を覚えたとしてもつっぱねる者はいなかった。


 ただ、大量に買ってこさせたカチューシャを屋敷にいる老若男女かまわず、つけるよう強請(ねだ)ったのには困惑した。若い女性ならばまだ可愛いですんだが、俺たちにもつけろとせがむのだ。しかもその日はつけたまま過ごせとまで言うのだから。

 断ろうものなら機嫌を損ねて怒り出すのは目に見えていたから、言う通りにするよりほかになかった。結局、夜寝る直前までつけさせられていた覚えがある。

 写真は、凛人の母親の千華(ちか)さんが笑いながら撮ったものの一枚だ。もちろん、写真を撮った彼女自身もうさ耳カチューシャをつけていた。


 そんなことを凛人とともに天音に話してやりながら、改めて写真を見る。


「お姉さんは、髪が短かったのね」


 花音は髪が短かった。伸ばしたことは一度としてなく、いつも肩どころか顎のラインあたりで切り揃えられていた。

 さらさらとしていて艶のあるきれいな髪質だったから、なんとか伸ばさせようとあの手この手を尽くしたが、伸びてきて邪魔だと感じると自分で切ってしまう。ろくに鏡も見ずに適当にざくざくと切るものだから、後で母が呆れながらも整えようと切り揃えると、どうしても短くなってしまった。


「姉さんが、髪が長かったから。だから私も伸ばすよう、言われてるんだと思ってた」


 天音が自身の、腰に届くほど長く伸びた髪を梳きながら言う。

 むしろ髪を伸ばした花音を見たことがなかったからこそ、俺も凛人も天音にそれを望んだ気がする。


 可憐で愛らしい容姿に似合わず、花音は騒々しい女の子だった。大きな声で人を呼ばわり、用を言いつけ、従わなければすぐにへそを曲げた。思い出される姿は笑っているか怒っているかのどちらかだ。

 天音のような儚げであえかな(たお)やかさなど微塵もなかった。


「そういえば、今日って、二十一日じゃない?」


 天音に言われて、カレンダーを見やって気付く。確かに今日は八月二十一日、バニーの日だ。どういう巡り合わせだろう。そんな日にたまたま、こんな写真が出てくるなんて。まるで運命のいたずらのような。


「このときのカチューシャって、まだとってあるのかな」


 おそらく残ってはいないだろう。花音は「これから毎年みんなでつけようね」と楽しげに言いながら仕舞っていたが、そういったものは写真同様にみんな母が処分してしまったはずだ。


「今のふたりが、うさぎの耳をつけたところ、見てみたい」


 そんなことを言い出した天音に、さすがに困惑する。当時は子どもだったからまだよかったが、今はもう二十代も半ばになろうという大人なのだ。凛人も顔を引きつらせている。

 俺たちが揃って難色を示せば、天音があからさまに気落ちした様子を見せた。


「姉さんのお願いは、聞いたのに?」


 天音は普段から従順でおとなしく、あまり自己主張してくることのない子だ。こんなふうに自分からなにかを願ってくることもほとんどない。

 この歳になってという気恥ずかしさは、あるにはあるが。花音のときは叶えてやったのに天音にはそうできないというのも、かわいそうに思えてくる。


「いいよ。じゃあ買いに行こうか」


 俺がそう言うと、凛人が目を剥く。


「付けたまま外を歩けと言うならともかく、まぁ家の中でくらい、いいだろう?」


 渋々といったふうにうなずく凛人と俺とを交互に見て、天音が嬉しげに微笑む。


 さて、肝心のうさぎの耳がついたカチューシャはどこに売っているのか。

 天音が着替えに行っているあいだに凛人とともに調べたところ、あらゆるイベント・コスプレ用品を取り扱っているという店を見つけることができた。

 駅近くの店舗だが、ごった返す電車や駅構内に天音を連れていきたくはない。祖父に天音の外出許可をもらうついでに、車を出してもらえるように頼んだ。

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