8月2日は「バニーの日」その1 後編(梨実視点)
「バニースーツ、ですか?」
顔なじみの店員さんに、思いっきり怪訝な顔をされてしまった。まぁ無理もないだろうけれど。
私がやって来たのは都内のとあるランジェリーショップ。天音さんは中学に上がったころから、身につける下着はすべてこの店で素材からのフルオーダーで作っている。
彼女の体を美しく保つことには、風雅さんがそれはもうこだわりにこだわっていて、とくにバストの成長が著しい時期にはそれこそ二~四ヶ月のスパンでぴったりサイズの合ったものを作らせていたほどだ。
既製品のバニースーツは、天音さんに着せるには少しばかり難がある。
天音さんは胴短長足なうえに、バストは形よく豊かで、ウエストは細くくびれ、腰回りは程よい肉付きと、同性から見ても羨ましいことこの上ない見事な体つきなのだけれど。せっかくのそれも、既製品なんかでは着丈は余り胸と腰がきつくウエストはぶかぶかで、魅力半減もいいところに違いない。やはりここは体のラインにきちんと合ったものをあつらえようと考えたのだ。
私が熱意をもって、天音さんのあのボディラインに完璧にフィットしたバニースーツを作りたいのだと訴えれば、最初こそ「なに言ってんだコイツ」みたいな顔をしていた店員さんも次第に理解を示し始め、最終的には天音さんの雰囲気に合う素材や色選びから相談に乗ってくれて、バニーの日前日までには仕立ててくれることを約束してくれた。
天音さんのサイズは夏用の下着を新調した際の、ほんの一~二ヶ月前に測ったものがあったのも幸いだった。
暑さに弱い天音さんは夏場は食欲が減退しがちで、若干痩せたかもしれないけれど、スーツの背中部分を編み上げにして多少の調整がきくようにしてくれるという。ありがたい。
バニースーツ入手のめどが立ったなら、次の課題は天音さんにどう着せるか。
おそらく凛人さんがいる状況では、きっと着てはくれないだろう。そもそも凛人さんに阻止されてしまうだろうし。となると、着替え終わるまでは凛人さんに家にいてもらっては困る。
「――それで? 私に凛人さんを呼び出して引き留めておけと?」
先触れもなく執務室に押しかけた私に、誠言おじさんから迷惑そうな視線が向けられるけれど、気にしない。
「誠言おじさんが言い出したことなんだから、協力してくれてもいいでしょう?」
私がそう言えば、誠言おじさんは納得したようにうなずき、請け負ってくれた。おじさんの呼び出しなら、凛人さんも渋々でも応じてくれるだろうしね。どういう口実で神門本家に呼ぶかは、おじさんにお任せしてしまおう。
ほんの一時間かそこら足止めしてくれればそれで十分だ。マンションと本家を往復する時間を含めれば二時間ほどになる。凛人さんが留守にするあいだは代わりの人間が天音さんにつくことになっているし、その役目に私が指名されるのはよくあることなので、なにも不自然ではないはず。
ちなみにフルオーダーしたバニースーツの代金は誠言おじさんが自腹を切ってくれることになった。じつはけっこうな金額になったから助かる。
そして迎えた八月二日当日。
私がおふたりのマンションを訪ねると、凛人さんは本家に行くのは気が進まないのか、天音さんから離れたくないのか。たぶん両方なんだろうけれど、予想通りの渋面で現れた。もっとも、凛人さんが機嫌のいい顔を私に向けてくれたことなんてないけどね。
というか、イケメンは仏頂面すらカッコよく見えるから得よねえ。
玄関まで見送りに来た天音さんの腰に腕を回して引き寄せ、頬や額にキスして、それだけでは足りないとばかりにギューッとハグしている。
「あの、凛人、あの、梨実さん見てるし、待ってるから」
「待たせておけばいい」
ひどい言われよう。私だけでなく下に車も待たせてるんですけど?
天音さんが恥ずかしがって身じろぎするのもおかまいなしだ。
……あれ。なんだろう、このラブラブカップル。じゃないや、夫婦。え、なに? この仲睦まじさでほんとにまだ、なの? なんかもう、私がそっと玄関閉めたら、凛人さんその場で天音さん押し倒しそうな感じなんだけど?
未だに特定の相手もいない独り身としては、いたたまれなすぎて直視するのもはばかられる。爪の先をいじったり髪の枝毛を探したりしながら、所在なく待たされること数分。
ようやく天音さんを解放した凛人さんが、めいっぱい名残惜しげにしながら「行ってくる」と声をかけている。すれ違いざまに天音さんのことを頼まれたけれど、とくにこちらに目を向けるでもなく。まぁ凛人さんの塩対応には慣れてるからいいんだけど。
「仲いいんですねー」
「えっ、あ、えっと、いつもは、ここまでじゃ、ないんだけど……」
恥ずかしそうに頬を染める天音さんに促されて、部屋へと上がり込む。
ふむ。ここまでではなくとも、近いことはあるんですね。ああ、もしかしたら私の前だから余計に、だったのかも。夫婦仲が悪いわけではないというアピールだったのかな。私経由で誠言おじさんに良くない報告が行くことを警戒されたのかもしれない。
……いや、凛人さんはそういうことにあまり気の回るタイプじゃないし。あれは素だな、うん。
「暑い中、わざわざ来てもらって、ごめんなさい」
天音さんが申し訳なさそうにしながら、凛人さんが作ってくれたというフルーツたっぷりのアイスティーを出してくれる。
少し意外なんだけど、凛人さんは紅茶をいれるのがとんでもなく上手い。紅茶にはかなりうるさい誠言おじさんが褒めていたほどだから相当なものだ。
凛人さんの紅茶が用意されていると知っていれば、来る途中にケーキかなにか買ってきたものを。でもこれだけフルーツがごろごろ入ってると、甘いお茶請けはかえってくどくなったかも? なんて思いつつ、天音さんと一緒に美味しいアイスティーを堪能する。
「そういえば天音さん、このへんでは夏のイベントとかあるんですか? 町内会の催しとか」
喉も潤って落ち着き、雑談に花が咲いてきた頃合いを見計らって、そう切り出してみる。天音さんは少し考えるような仕草を見せて、「近くの小学校で盆踊りとか、あったかも。あと、神社の境内で、縁日が出るとか。開催日は、忘れちゃったけど」と自信なさげに答えてくれた。
天音さんは人の多い場所が苦手だし、そういう所へは風雅さんが行かせなかっただろうから、あまり詳しくないのだろう。
「来月には、駅前からこの辺りまで、車は入れなくして、大きなお祭りがあるの。お神輿? 山車? の曳き回しもあってね、朝から夜まで、とっても賑やかなの」
ちょうどマンションの前でUターンしていくから、家の中からゆっくり見れるのよ。
今年も楽しみなのだと話す天音さんを、微笑ましい気持ちで眺める。その場に参加はできなくても、イベント時の浮きたつような雰囲気はきっと好きなのだろう。
「うちの町内は今日イベントがあるんですよ。『バニーの日』に因んだ小さなお祭りなんですけどね」
バッグから過去のバニーの日の写真を取り出して、テーブルの上に広げて見せる。
「うさぎの日?」
「そう。私と姉も、うさぎになって参加してたんですよ」
広げた中からバニーガール姿の自分たちの写真をより分けると、それを目にした天音さんは少し驚いたようだった。
「わ、大胆、ね」
肌の露出を好まない天音さんには刺激的すぎただろうか。けれども興味深げに見ている様子からして、嫌悪はないようだ。
「梨実さんも、菜穂さんも、スタイル良いから、こういうのも、素敵に着られるのね」
羨ましい、とこぼす天音さんに、いやいやいやいや、と突っ込みたくなる。もしかして天音さんてご自分のボディラインがどれほど垂涎ものなのか、自覚がないのだろうか。
おかしいな、私はけっこう前から天音さんのプロポーションの素晴らしさについては正しい評価を伝えていたはずなんだけど。もしや心にもないお世辞だとでも思われていたのだろうか。
「天音さんもこういうの着てみたらいいじゃないですか。きっとすごく似合いますよ」
「えぇ……?」
長いまつ毛を伏せて表情を曇らせる天音さんに、これば恥ずかしいとかではなくガチで似合うはずないと思い込んでいるのだと確信する。よろしい。ならば証明して差し上げなくては。
「じつはですね、今日はこのようなものをお持ちしたんですよ」
新たにバッグから出したそれは、天音さん用のバニースーツ。つい昨日、出来栄えに大満足して引き取ってきた逸品だ。天音さんが目を丸くしている。
「これは?」
「バニースーツです」
これが? と不思議そうにしながら、天音さんが手渡したスーツと写真の私たちのバニー姿を見比べている。
写真に写る私たちが着用しているのは、定番の黒のバニースーツだ。素材もフェイクレザー。一方、私と店員さんが天音さんに似合うようにと作ったそれは、上品な光沢をもつ真っ白なベルベット。
デザインはほとんど同じでも、色と素材が違うだけでずいぶんと印象が変わる。
「イベントにお連れすることはできませんけど、雰囲気だけでも味わっていただこうとご用意したんですよ」
「え、わざわざ?」
手にしたスーツを眺めて関心を示してはいるけれど、天音さん基準ではやはり布面積が少ないと感じるのか。あと一歩踏み出せずにいるようだ。それなら。
「私のも持ってきたんですよ。どうです、一緒に着てみませんか」
自分用のバニースーツもひっぱり出す。もちろんウサ耳のついたカチューシャやタイ、カフス、専用の下着から網タイツまで一式揃っている。
「でも……」
時計を見やって、時間を気にする天音さん。
「もし、凛人が、帰ってきたら……」
こんなのを着てるところを、見られでもしたら。
天音さんがそんな不安を漏らす。ちょうどそのとき、タイミング良く私の携帯電話が着信音を響かせた。すかさず携帯を開く。
「ああ、それなら大丈夫ですよ天音さん。なんか本家のほうで手間取ってるみたいで、凛人さんのお帰りは遅くなりそうです」
誠言おじさんからそうメッセージが、と伝えれば、天音さんは「そうなの」と少し残念そうにしつつもどこか安堵した表情を見せる。
本当はたった今、凛人さんが本家を出たという連絡だったんだけれど。
「今は私しかいませんから、大丈夫ですよ。ちょっと着るだけ。一緒に、ね?」
さらに言い募れば、ためらいと好奇心のあいだで揺れ動いていたらしい天音さんは、ようやく小さくうなずいてくれた。
さっそく天音さんの部屋へと移動する。
バニースーツ着用にあたって下着まですべて脱いでください、と言えば、またまた天音さんが戸惑いを見せる。こういうのは羞恥を感じさせたら負けだ。まずは手本とばかりに、私からぱっぱとすべて脱ぎ捨てて手早く着替えてしまう。
「さ、天音さんも」
バニーガール姿で天音さんに促せば、彼女も覚悟を決めたのか、服を脱ぎ始めた。
「ほら天音さん。見てください。すごく似合ってます、綺麗ですよ」
手を引いて姿見の前に導けば、天音さんは恥ずかしそうに伏せていた顔をそろそろと上げる。
やっぱりというかなんというか、天音さんのボディラインは本当に見事だ。そして純白のバニースーツはその美しさを余すところなく引き立てている。わざわざフルオーダーした甲斐があったというものだ。
カチューシャの耳を触り、タイに手を当て、横を向いてお尻の付けしっぽを鏡に映してみた天音さんが、少し照れたような微笑みを浮かべる。
「白うさぎさん、みたい」
「ええ。とっても可愛いです」
天音さんときたら、少しばかり淫靡なイメージのあるバニーガールの格好をさせてさえ、かえって清純な可憐さが際立ってしまうのだから。
だけど人は、こと男のひとは。新雪を踏み荒らすがごとく、手を触れがたいような清らかなものであればこそ、っていうところがあるからね。
天音さんに対する風雅さんの庇護は、度を越していすぎやしないかと思ったこともあったけれど、こうしてみるとそれは正しかったのだろうと思ってしまう。
ともあれ、この天音さんの姿を見てもなお凛人さんが手を出さずにいられるとしたら、もういっそ不能を疑うくらいだ。婚前不妊検査をクリアしている以上、それはありえないんだけど。
見慣れない自身のバニーガール姿が珍しいのか、天音さんが鏡の前で体の向きを変えては眺めている。
思いのほか楽しそうにしている様子に、ほんの少しだけ罪悪感を覚え始めたころ、玄関のほうで物音がした。凛人さんが帰ってきたようだ。ほとんど同時に、天音さんも気づく。
「え、凛人? え?」
「凛人さんお帰りなさい! こちらですよー!」
「え、梨実さん!?」
どういうこと、とパニックに陥っている天音さんにかまわず、凛人さんを呼びながら私自身は素早くジーンズとサマーカーディガンを身につける。こうしてしまえば上半身だけのバニースーツはレザービスチェにしか見えない。
天音さんがオロオロとしているあいだにも足音は近づいてきて、ドアが開けられる。
「天音、ただい……」
ドアのところで足を止めた凛人さんの目が見開かれた。天音さんは露わな胸もとを隠せばいいのかハイレグの下半身か、迷った末に両肩を抱くように腕を寄せたけれど、胸の谷間がより強調されてしまっている。
言葉もなく天音さんのバニー姿を凝視していた凛人さんが、こちらへと視線を向けてくる。その眼には剣呑な光。あら怖い。たった数秒でなにがどうしてこうなったかを察したらしい。
「御巫、おまえ……!」
大股にこちらへと歩み寄り、掴みかかろうと伸ばされた凛人さんの手をすんでのところで身を屈めてかわし、後ろに回り込んでその背中を思い切り突き飛ばす。天音さんのほうへ。
「うわっ」
「きゃあ」
体勢を崩した凛人さんが天音さんへと覆いかぶさっていくのを横目で確認しながら、私は脱兎のごとく玄関に向かった。うまいこと、おふたりがあのまま事に及びますようにと願いながら。
後日、誠言おじさん経由で凛人さんから「当面、御巫を天音に近づけるな」とお達しがあったと聞かされた。
当面。二度と、ではなかったことに安堵する。
あの後おふたりがどうなったのかは、ほとぼりが冷めたころに天音さんに聞いてみることにしましょう。