暗殺成功と感謝
「かつては俺たち殺し屋も普通に小学生生活を送っていたわけだしな。フラワーはなぜ、殺し屋になったんだ?」
「詐欺の才能があることに気づいたからかしらね」
「ジャックは?」
「仲間だと思っていた奴が組織に所属していてな。誘われたんだよ。その男は今は組織を抜けてどこで何をしているかもわからん」
「友達を失ったのね。私は詐欺師だったから、今は小学生を騙すことを楽しんでいるけどね」
「今は暗殺はできないからな。日々、校庭で鬼ごっこやドッジボールをしているがな」
「へぇ、そんな悪人面が追いかけてきたり、ボールをぶつけてきたら正直怖がるでしょうね、だったらその悪人面で学校の悪事を制裁してみたら?」
「悪事を制裁?」
「いじめをなくすとか、悪い教師を追い詰めるとか。暗殺するわけじゃないけれど、社会的に暗殺するってことよ」
「俺はそんなにボランティアなんぞ好きじゃないからな」
「鍵盤ハーモニカを持ちながらのジャック。どんなカッコいいセリフもかカッコ悪く見えるわ」
次は音楽だ。鍵盤ハーモニカを用意しておくことは、かつて殺し屋だった俺から言えば入念な事前準備はどんな想定外の事態が起きても対処しやすいってことだ。
「ジャックは血の香りが恋しくないの?」
「血の匂いはもう忘れた。俺と言う存在も忘れたんだ」
「ランドセルを背負って言う台詞じゃないわ」
フラワーは赤いランドセルを片手にため息をつく。
「漆黒のランドセル、俺のカラーにぴったりだろ」
「真紅のランドセル、かつての私のカラーだったわ」
二人は無言でランドセルを背負い、下校の準備をする。共に己の色を纏う。昔の自分を思い出しながらも、今の自分を受け入れざるおえないという諦めの心を持つ。運命に抗えない苦しみが襲うが、自分ではどうにもできないことが世の中にはある。現実を知ったうえで俺たちは子供を演じる。
「私たちってたくさんのものを失ったわね。自由、大人としての尊厳、それに引き換え安全で平和な暮らしが手に入った。いい子にしていれば待遇は悪くない」
「でも、監視がついて知恵がついたまま体だけガキになってしまった。これは俺たちは望んでいなかった末路だ」
「でも、私たちは平凡な大人として普通に暮らしていたらどうなっていたのかしらね?」
「さあな。俺は前の生活は楽しかったけどな」
フラワーとの会話は唯一の俺のオアシスとなっていた。素の自分でいられる唯一の相手は自分と同じ境遇で、同じ秘密を持つ仲間だ。秘密の共有をできる仲間は精神的に大変ありがたい存在だ。もし、大人のままであれば、こんなに同じ女性と会話することも何かを共有することも生涯なかったと思える。闇の組織にいれば俺たちは交わることのなかった漆黒と真紅の色味だ。今でこそ小学生の姿であり、前科者だということがジャックとフラワーとを唯一結びつける理由となった。
隣にいることが心地いい、そんなことを感じるようになっていたのはいつからだろうか。それは自然な流れだったと思う。小学生ながら大人びた表情のフラワー。ほどよい厚みのある唇がとても艶やかだ。口紅をぬらずともほどよい赤みと弾力を帯びた濡れた唇は思わずどきりとする。そんなことを悟られないように視線を逸らす。彼女の口調や声のトーンはとても心地いい。少し鼻にかかる声も低めのボイスも愛おしいと思えるようになっていた。それに気づいた時、俺は勝手に赤面する。
「何顔を赤らめているの?」
「別に。暑いだけだ」
視線を逸らす。
「たしかに暑いわね」
青い空の下で澄み切った風を浴びながらフラワーが上着を脱ぎ、ノースリーブのシャツ一枚になる。どうにも大人だったころの異性に対する感情があふれだしそうになる。一度知った大人としての気持ちを忘れるということは人間難しいらしい。風が彼女の髪の毛を優しく撫でる。細く艶のある髪の毛がふわりと広がり美しさに釘付けになる。子供なのに大人の部分を持ち合わせている彼女は唯一無二の存在だ。彼女の傍に少しでも長くいたい。ずっと一緒にいたい。俺はいつしかそんなことを密かに望んでいた。
「今日、夕食後、施設の屋上に集合な」
遠回しにデートの誘いだ。勝手に色々な場所に行くことができない俺たちは、施設の屋上で夜な夜な語り合うことが日課になっていた。屋上へは自由に出入りができるようになっているが、星空しかない空間は本当の子供には退屈らしく、滅多に出入りする者はいない。星空の下は二人だけの本音で悩みやこれからのことを語り合える場所となっていた。そして、いつしか毎日決まった時間に、二人きりのデートの時間を過ごすようになっていた。
お互いに好きだなんて言わずに友達関係ではあったが、二人の間には普通の友達以上のきずなが存在していた。少なくとも俺はそう思っていた。前科があっても一人の人間として人を愛することができるなんて自分自身が一番驚く。人を人と思わずに殺し屋として生きていた自分が、一人の人間を特別大切に思うなんて普通ありえない。でも、恋愛感情はどうにもならないし、非常に本能というものは正直だ。
ある日の放課後のことだ。いつも通り掃除の時間が終わり、遊びたい者だけが校庭で遊んで帰ることとなっている。もちろん俺は遊んで帰るつもりはなかった。しかし、小学生というのは集団で群れたい性質を持っているらしい。誘いの声が聞こえる。
「おーい、豆太も校庭で遊んでいこうぜ」
一瞬戸惑い逃げようとする俺を見てフラワーが声を発する。
「暗殺者の心得は? 郷に入れは郷に従えでしょ」
彼女の圧には逆らいづらい。
仕方なく、俺は無言でランドセルを置いて、校庭に向かう。
「キャー」
「助けて」
「怖い」
遊んでいたガキどもが大声で叫びながら逃げ惑う。何があったのだろう。異変を察知する。
「蜂が飛んできた。刺されたら大変だ」
校庭ではガキどもが逃げ惑う。たかが虫一匹に大げさだな。
俺は落ちていたボールを拾い虫にむかって高速球を投げた。かつて培った動体視力がものを言う結果だ。あっという間に敵である一匹の蜂は俺の投げたボールと壁の間に挟まれ死んだようだ。摩擦で一瞬煙が見えた。
「すごいな、助けてくれてありがとう」
「豆太、かっこいいよ」
小学生たちがこちらへかけて来る。まるで胴上げされそうな勢いだ。
なんだなんだ? 殺すという行為に初めて感謝されたな。殺し屋時代も依頼者に感謝されることもあったが、ここまで爽快な感謝はなかった。後ろめたさがつきまとうお礼だった。なのに、今はどうだ? 虫一匹を殺しただけで英雄扱いだ。所変われば扱いが変わるというものだな。
思わず笑みがこぼれる。人助けっていうのも悪くはないかもしれないな。社会の悪を制裁するのも悪くはない。悪を退治する掃除屋みたいなものだ。自分が悪側にいたことを忘れて正義面してしまうことで我に返る。俺は、どうして悪に染まってしまったのだろうか。そして、今、充実感を感じているのだろうか。