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澄み渡る青い空に、斧を振る音と薪が割れる音が響き渡る。
……今日は声は控えめだ。しかし、そのせいで思っていた以上に力が入らず、効率が悪い。
「ふぅ」
調子も今一つ上がらない。そう感じながら、私は大きく息をつき、額の汗を拭う。すると。
「通行人がいない時は、声を出しても構わないんだぞ」
また、声をかけられた。……言葉の内容からして、昨日の騎士様に間違いない。
え? 何? この騎士様は暇なの??
そんな少し失礼なことを考えながら後ろ振り向くと、予想に違わず、昨日の騎士様が立っていた。
「あの、騎士様。今日も何か通報があったのでしょうか?」
恐る恐る尋ねてみると、騎士様は「いや、大丈夫だ」と答えた後、唐突に、こう言った。
「俺の名はセインという。君は?」
……何故、名乗る? 騎士とは、その辺の人にも律儀に名を名乗らなけれなならない規則でもあるのだろうか。
しかし、騎士様に名乗られたからには、名乗らざるを得ない。
「アンナといいます」
答えると、騎士様は何だかちょっと嬉しそうに微笑んだ。
「そうか、アンナか」
私の名を反芻した後、じっと私を見つめる。穴が開くほど、ひたすら見つめ続ける。……何だろう?
「騎士様?」
ちょっと不審に思った私が声をかけると、騎士様はにっこりと笑った。
「今、俺は名乗ったけど?」
……つまり、名を呼べ、ということだろうか。ううん。
「セイン様」
何だかよく分からないけれど、要望に沿って名を呼んでみた。しかし……まだ何かあるのか、相手は少しばかり不満げだ。……え、まだ何かあるの?
「様付けされるのは柄じゃない。セイン、と呼んでくれ」
敬称を付けてはならないという、強い圧を感じる。いやいや、騎士様を呼び捨てなんて、良いのかしらと思いつつ、私の受諾の言葉を待っているらしき彼の様子に、否やを唱えることはできなかった。しかし、
「分かりました、セイン。でも、敬語をやめるというのは、流石に無理ですよ」
と釘を刺しておく。身分も上だし、年も多分、私より少し上だろうから、流石に友達するようには話しづらい。
対するセインはやや不服そうな表情を見せたけれど、
「まあ、いいだろう」
と、取り敢えず受け入れてくれたようだ。
そして、近々お城で舞踏会があることなど、二、三世間話をした後、ふと尋ねてきた。
「ところで君は妹がいるんじゃなかったか?」
なぜ私の家庭環境に切り込んでくるのだろうか。実は私、まだ不審者の疑いを晴らせていないのでは? と微かな不安を覚える。包み隠さず答えておこう。
「義理の妹になります」
騎士様……セインには関係のないことだろうけど、一応訂正もしておく。すると彼は「なるほどな」と一つ、頷いたのち、不思議そうな顔をして尋ねてくる。
「手伝わせないのか?」
その答えは、以前話したんだけどな。でも、もう一度答えた。
「とてもか弱いので」
するとセインは少し難しい顔をして、
「それは以前聞いた。だが、か弱いなりにできることはあるんじゃないのか?」
と返してきた。
「それは本人のやる気によるのだと思います」
なんというか、シルヴィアは……特別に性格が悪いといわけではないが、貴族のお嬢さん気質が抜けず、庶民としては怠惰なだけだ。
もし、彼女が裕福な貴族のお嬢様や奥様だったとすれば、全く問題のない立ち振る舞いなのだと思う。
「あの、私が外に出ている間、母を見てくれています」
一応フォローは入れておく。
「? 君の母なら、まだ若いだろう? 介護が必要なほど体が悪いのか?」
「いえ、身の回りのことはできますけど……」
「君の母親が急に体調を崩した時には、呼びに来てくれる、ということか」
「はい」
察しの良いセインは、我が家の状況を的確に捉え、腕を組むと、
「……なるほど」
と言って、一つ、頷いた。
……というか改めて思う。何故、私はこの人に、家庭の事情まで話しているのだろうか。うーん。謎だ。
ちょっと怖いから、そろそろ退散しよう。
「あの、私、そろそろ帰らないと」
後ずさるようにして、一、二歩後ろに足を動かす。と、そこには丁度、地面から石がせり出しており、うっかりつまずいてしまった。
「……っ!」
体勢が崩れ、後ろ側に倒れそうになる。
が。
伸びてきた手が、私の腕を掴んだ。そのおかげで、私の体は何とか倒れ込まずにすむ。
当然、私を助けてくれたのは、目の前の騎士であるわけで。
「あ、ありがとうございます」
お礼を言いながら顔を上げると、すごく至近距離だった。……というか、すごく見つめられている。私の顔に土でも付いていたのかしら。
「あの、もう大丈夫です」
見られ続けるのも居心地悪いし、何より腕を掴まれっぱなしだ。離してほしいなぁ、なんて考えていたけれど……今度は反対側の手まで握られてしまった。
なにゆえ?
頭に中を疑問符が飛び交う。そんな私をよそに、セインはその手を持ち上げて、しげしげと見つめた。
「まめができてるな」
毎日斧を握っているうちに、そうなってしまった。
いわば勤労の証の名誉のマメな訳だけれど、そんな、まじまじと見ないでほしい。綺麗に手入れしているわけじゃないし。
早く手を離してくれないかな、とそわそわしていると、セインはくすりと笑って、さらに手を引き寄せ……手のひらにキスをした。
「!?」
……………。
……というか、なんで手のひら? 普通騎士や貴族がするキスって、手の甲じゃない??
色んな意味で驚いて、私はその場で石のように硬直してしまった。そんな私を見て、セインは小さく笑うと、ようやく私の手と腕を解放し、
「足元に気をつけて。それじゃあ、また」
と、そう言って手を振り、何事もなかったかのように去って行った。
一方、私はといえば、我に返るまで、しばらくの時間を要した。
「……」
ん? また、ってどういうこと?
いや、それより、さっきのは何??
こういうのは私の柄じゃないから、慣れないのだけど!?
きっと、林檎のように真っ赤になっていたに違いない。去り際のセインの目がからかうような色をしていたし、恥ずかしい!