第3話 対価
どれだけそうしていただろうか。
俺は微動だにできず、未だに妙な空間を漂っていた。
まるで死んだかのように。
……いや、俺は死んだんだった。
おそらく、ほぼ確実に。
トラックに轢かれてから、いったいどれほど時間が経ったのだろう。
現世、と言って良いのかわからないが、あっちでは家族に俺が轢かれたことは伝わったのだろうか。
ニュースになっているかもしれない。
『悲劇!少女を救った男性、トラックに轢かれ即死』
自分で考えておいて、あんまりな安直さに鼻で笑ってしまった。
美談にはなりそうだ。
せいぜい、2、3日の間は。
腸が煮えくり返る。
意識がはっきりしてからずっとそうだ。
家族の、母親の悲しむ姿ばかりが脳裏をよぎる。
つい最近、妹が子どもを産み、父も母も初孫だと喜んでいたのに、俺が全てを台無しにしてしまった。
老後は少しくらい楽をさせてやりたいと思っていたのに、親孝行どころか死ぬまで悲しませる事になるなんて。
とんだ親不孝者だ。
神様でもなんでも良い。
もういっそ、俺が生まれてこなかった事にしてくれないか。
死んだやつの為に、生きている人間が一生悲しみ続けるなんて、そんなバカな事はない。
俺は子どもを助けたんだ。
それくらい、対価があってもいいじゃないか。
頼むから――
『承認。必要分の対価であると認定』
――声?
涙でぐちゃぐちゃの顔を、俺はようやく動かした。
金縛りを受けていたような身体も、途端に動くようになっていた。
『これより、世界に干渉します。
結果、貴方の存在は世界から切り離され、輪廻から除外されます。
この処置は一度遂行されれば、中止は完全に不可能となります。
貴方は、本当に自らの存在を抹消しますか?』
機械的な、しかし聞き心地の良い女性の声が頭に響く。
辺りを見渡しても、奇妙な空間が延々と続くだけで、俺以外の何一つ確認できない。
『再度確認します。
この処置には、貴方の肉声による最終確認が必要不可欠となります。
貴方は――』
「本当に」
俺は、頭に響く声を無視して話しかけた。
「本当に、俺の存在は無かった事になるんだな?」
『肯定します。
貴方の存在は、その痕跡に至るまで完全に消滅します。
結果、輪廻から切り離される際に莫大なエネルギーが生じ、貴方の核となって――』
「やってくれ」
にべもなく伝えた俺の言葉に、声は一瞬押し黙った、ような気がした。
『……まだ話は終わっていませんが?』
「こうしてる間も、俺のために悲しんでる人がいるかもしれない」
『肯定します。希望とあらば映像でお見せしましょうか?』
「……あんた、ほんとに機械かなんかなのか?」
『肯定も否定もしかねる問いです。
希望とあらば、お答えしますが』
「いや、いい」
どうせ、俺はもうじき消える。
それこそ跡形も無くだ、この話が本当なら。
輪廻からも外されるって事は、元の世界に生まれ変わることも、多分ないんだろう。
正直、輪廻やら転生やらを信じていた訳でもないが、それこそ本当にどうでも良い話だ。
この声がなんなのか、機械なのか、はたまた本当に神様なのか知らないが、願いを聞き届けてくれるのなら、それで良い。
十分だ。
「大丈夫だ、やってくれ」
俺の言葉に、声は今度こそ押し黙った。
ほんの少し、躊躇しているような、そんな風に感じ取った矢先に、周囲が異常に明るさを増していった。
『当事者の最終確認を受理。
これより、世界に干渉します。
TFORシステム起動、安全装置解除。
当事者の"存在"を対価とし、位相空間を形成……形成、成功。
並行世界とのリンクの為、マイクロブラックホール及びホワイトホールを形成……形成、成功。
座標固定、地球、日本国、東京より並行世界、多種族連合本拠地、スポットビークへ。
全システムオールグリ……外部からの干渉を確認、脅威度判定……危険と断定。
座標固定解除、目的地から誤差1000までを許容。
最終フェーズ4から13までを省略します。
位相次元からのエネルギー放出を確認、計測開始……想定を遥かに上回る数値を検出、緊急セーフティロック、効果判定を省略します。
それでは――良い旅を』
呪文のように唱えられる声を聞いているのかいないのか、それすらわからず、俺は猛烈な光に包まれながら、また意識を失った。
そうして俺は、異世界転生を果たすこととなる。
人ならざる力を、この身に宿して。