表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/4

第1話 ヒーローの条件

 田舎から東京の大学に出て、それなりにバイトとサークルに行きもって、卒業ギリギリ足るくらいを計算して単位を取得し、自分探しだとかなんとか言って自転車で旅をして、親の脛をひたすら齧りながら海外にまで行った俺は、新卒にてめでたく英語を一切使わない、今をトキメクブラック企業に入社した。

 声優になりたいとか思ってもいたが、一歩踏み出す勇気も当然なく、就職氷河期にも関わらず就活も殆どせずに、たまたま内定をもらった会社がそこだった。


 少々特殊な業態で、始業は朝の3:00から。

 皆が寝る時間に起き、休憩もなく、大体終わるのは19:00前後。

 斜陽産業なために業績は落ち込むばかりで、朝礼では2代目社長の有難いお言葉を2、3時間拝聴するのは当たり前、これでボーナスも出ないのだから離職率も半端ない。


 そんな素敵極まりない会社に8年勤めた俺は、この度ようやく退職を決意。

 さんざっぱら引き止められた挙句、「ええ加減にせんと労基にぶっこむぞ(意訳)」の一言でようやく退職できることになった。


 俺ももう三十路。

 いや、今年で31になる。

 子どもの頃に思い描いていた20代とは大分かけ離れていたが、それなりに度胸もストレス耐性もついた。

 相次ぐ離職で消去法的に務めた営業リーダーとしての経験も、多少なりとも役に立つだろう。

 曰く、役職のない人間はひたすら現状維持に固執するとか、自発的に何かをするような人間はリアルに稀だとか、精神論でまくし立てるバブル世代の凄まじさは弁舌に尽くしがたいとかetcetc...


 そんなドス黒く輝く20代にさよならを告げ、30代はもう少し自発的に行こうとか考えていた。

 ブラック企業で鍛えられ、幾許かの自信を得た俺は、自己啓発本やビジネス書を読み、外に出て、起業したり目指す人々と出会い、色んな価値観に触れる内に、自分でも割となんとかなるんじゃね?

 やりたいこととりあえずやればいいんじゃね?

 そんな難しく考えずにまず始めればええんや!


 ……てな感じに妄想を膨らませるだけ膨らませながら、日々の転職活動に励んでいた。


 それから何社も落ち、それでも粘り、遂に世に言う白っぽい企業から内定を得たその日、俺はこの世界にさよならすることとなった。



 本当に、あっけなく。



――



 よく見る光景だが、子どもの手も引かずにスマホに夢中な母親に眉をひそめていた。

 その女の子はあっちをウロウロ、こっちをウロウロと、危なっかしいことこの上ない。

 まだ2歳か3歳くらいだろうか、人が歩いていようが自転車が来ようがおかまいなしに。


 俺はそれを傍目に見つつ、心の中でその母親に悪態をつきながらも、直接伝える勇気は持ち合わせていなかった。

 それなりに人がいる通りの交差点、まばらに人の目がある中でだんまりを決め込んだ。

 どうせよくある事だ、今時珍しくもない。

 他人に干渉するなんて面倒だし、ヒーロー面して恥をかきたくもない。

 いつも通り何事もなく済むだろうし、そもそも俺には関係がない。


 無意味に自分を正当化しながら、周りの連中が皆そうしているように、俺は意識をスマホに向けることにした。

 受信メールには先程届いた内定メールがある。

 人前でニヤニヤするのを堪えながら何度も確認してしまうあたり、自分の小市民ぶりに関心してしまった。



 そんな悦に浸っている俺を、特大のクラクションが現実に引き戻した。

 音に驚き、身体を震わせた俺は勢いよく顔を上げる。

 あろうことか、先程の女の子が横断歩道を覚束ない足取りで渡っている光景が目に飛び込んできた。

 距離はほんの五歩先程度。

 まだ歩行者用信号は赤のまま。

 不快なレベルの音源に目を向けると、クラクションを鳴らし続けるトラックが急ブレーキをかけているところだった。

 甲高い鉄の擦れる音が周囲に響き渡り、女の金切り声が耳をつき、人々が悲鳴をあげ、頭が真っ白になる。

 そして、突然の音に驚き、怯えて立ち尽くす女の子をもう一度見る。

 瞬間、トラックが女の子を跳ね飛ばし、目の前が真っ赤に染まる映像が脳裏をよぎった。


「――!」


 気づけば俺はスマホを放り投げ、何事か叫びながら女の子目掛けて飛び出していた。

 くたびれた革靴でアスファルトを蹴りつける。

 周囲の喧騒が全く聞こえなくなり、全てがやけにゆっくり動いて見えた。

 4歩目を踏み出したところで、立ち尽くす女の子の服を掴む。

 顔を横に向けると、迫るトラックは目と鼻の先だった。

 速度を殺しきることはできなそうだ。

 必死の形相でハンドルを握りしめるトラックの運転手が見えた気がした。


 俺は女の子を、掴んだ服ごと思いっ切り引き寄せて、そのままの勢いで歩道側にぶん投げた。

 強張った表情の女の子と目が合う。


 次の瞬間、凄まじい衝撃とともに、俺は意識を手放した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ