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第九話 受難の滞積

 ───なにが聞こえる?


 大好きな人たちの、大好きな笑い声。カナタが居て、ティリスが居て、ロウリィが居て……楽しそうに談笑している。耳を澄ませば、きっと彼女たちの声だって聞こえてくる。


 ───そこにお前は、なにを願った?


 この光景を守りたいと思ったんだ。心の底から、失いたくないと思ったんだ。血を見るのは、大切な人たちの笑顔が曇るのは、もう見たくなかったから。


 ───だが、お前は壊す。忘れるな。そう願い辿った、かつての仲間たちの末路を。


 分かっている。だからもっと猛く鍛えるんだ。だからこそ、もっと強く願うんだ。瞼の裏に張り付いたあの惨劇を、もう二度と繰り返さないために。


「ああ、ちゃんと分かってるさ。()()()


 小さく呟いて、俺は微睡から目覚めた。



 ♢



 英雄ローランとの生活は気が付けばもう三年が経過していた。俺が申し出た話ではあったけれど、行われた訓練は教官先生……ユウさんの訓練より何倍もハードな内容だった。

 元々ユウさんとの訓練は基礎訓練が主だった。だがロウリィとの訓練は応用、そして対人形式の模擬戦が主だ。

 カナタやティリスと遊んでる時の様子から、俺はアサシン。暗殺者の戦闘スタイルと動きが似ているとロウリィは言った。これは恐らくユウさんの影響だろう。彼女は元暗殺者だったと、何処かで聞いた覚えがある。

 以来俺はアサシンとして育てられた。理由としては単純に、今から定着した基礎を上書きするより、今持っている力を伸ばしていく方が効率的だということからだった。


 全く、英雄が暗殺者を育てるなんて前代未聞もいいとこだろう。


 ところが最近、ロウリィの様子が少しおかしかった。何処が変かは分からないが、どうも違和感が拭えない。


 訓練が実践から魔法の演唱訓練に変わったからか? いや、違うだろう。その手の訓練なら今までもしてきた。

 だから違和感の正体は別のところにある。だがそれが何かが分からないのだ。その燻ぶりが、俺の一層不安を駆り立てている。

 いつからかというのはハッキリとしている。違和感が現れたのは、ロウリィがデュランダルを使った最後の模擬戦の日からだ。

 あいつは確実になにかを隠している。俺に言わないのは言う必要がないからか? それともバツが悪いのか?


 ───それを問いただす勇気なんて、俺にはなかった。


 だから今日も俺は、一変した普段の生活を、飲み干すように過ごしていた。


 そこの三年で俺の周りの環境は劇的に変わった。再び始まった鍛錬、妹との再開、本当に目まぐるしい程、流れるように移り変わっていく。その中でも特筆すべきは……これだろう。


「リベル。腕はもう少し下げて……そうだ。クロウは……なにをしてるんだ?」


「ゆ、弓の練習です!」


「ほう? ならその構え方でどうやったら矢を放てるんだ?」


「そ、それは……」


「それは構えてすらいない。だから狙い済まして放つのはまず無理だ。全く、宴会芸の練習なら他所でやれ」


「す、すいません!」


「リスリア、クロウに構え方をもう一度教えてやれ。それでも覚えられないようなら、お前には弓を捨ててもらう」


「そ、そんな……」


 クロウは剣の扱いは目を見張るものがある。今は本人たっての希望で弓を触らせているが、この様子だと芽が出る見込みは薄いだろう。

 何故彼が弓に拘るのかは分からないが、ここまで意固地になるのだからきっと彼なりに理由があるのだろう。

 それに複数種の武器を扱うことは、これから戦場に出る彼らにとって重要なことだ。どうにか身に着けて欲しいところだ。


「出来ないものに時間を割いても仕方ないだろう。お前の資質を伸ばすなら、その時間で剣術を磨いた方が何倍も有意義だ。それじゃあ、後は頼んだぞ。リスリア」


「はい、教官先生!」


 この三年で最も変わったこと。それは城の新兵の教育係になったことだ。新居を構えてすぐ、俺はロウリィにこう告げられた。


『お前にはこれから城の新兵教育をしてもらう。勿論拒否権などない。タダ飯食らいはうちには要らないからな。おっと文句も一切受け付けないぞ? 就職先を確保してもらっただけ有難いと思え』


 訓練と並行してのこの仕事は初めの頃はかなりキツかった。早朝にボロボロにされ、朝飯を食って出勤。その後日が落ちるまで十人前後居る新兵を殆ど個別で指導。そして家に戻った後、またボロボロになるまで(しご)かれ、泥のように眠る。

 今でこそこの生活に慣れはしたが、初めの頃は全身の痛みを堪えながら眠っていた記憶がある。


 何故俺のような素人が一人で新兵全員を相手にしているか。それは決して、王城の人員不足などではない。

 これもロウリィから課せられた訓練の一環だった。


 本人曰く、『沢山学んでこい』とのことだったが……これが本当に自分のタメになったので驚いた。何かを教えると言うことはそれを理解していなければならないと言うことだ。よって必然的に、誰かに合った得物を教えるにあたって、俺は様々な武器、武術に触れることが出来た。

 結果として俺は、気付いた頃にはこの国の武器、武術の大半に精通していたのだ。これは些かやり過ぎかと思わなくはないが、手札が多いというのはいいことだ。

全て使いこなせているかと聞かれれば首を縦には振りづらいが、適所で使い分けられる程度には身についている自負がある。


 少しずつ慣れてきた王城での生活だったが、未だに慣れないものが一つだけある。それは……


「カミト様! 昼食をお持ちしました!」


「……」


 訓練場の一角に腰を下ろしていると、快活な声に乗って悩みの種が飛んできた。


「カミト様? 昼食を……」


「……」


 無視だ。努めて無視をしろ。ここは根気の勝負だ。


「あ、あのぉ……聞こえてません?」


「……」


「た、大変! 今すぐお医者様を───」


「ああもう煩い! 分かってるし聞こえてる!」


 観念だと両手を上げて振り返ると、いい笑顔で佇むメイドが一人。身体の前で小さなバスケットを下げていた。


「お前、俺が言ったことまた忘れたのか?」


「はて……なんだったか……」


 うんうん唸りながら、フロウラは考え込む素振りを見せる。


 フロウラ・アンプレクス。彼女は俺の世話役に抜擢された城のメイドだ。俺が城に初めて入った時に、武器庫に案内してくれた時から、彼女は俺とロウリィの世話役として食事の配膳や部屋の清掃を行ってくれている。世話をしてくれるのは大変有難いし、正直腹も空いて今すぐ昼食にあり付きたいのが本音だ。

 なのだが……これを一度見逃せば、恐らくフロウラは勝ち誇った顔で"それ"を続けるだろう。


「もう何回も言っている。俺を『様』付けで呼ぶな」


「あっ! そうでしたそうでした! たった今思い出しましたよ!」


 ……というやり取りはほぼ毎日行われていた。俺は様付けで呼ばれるのを嫌い、フロウラはメイドとして主人として俺をちゃんと扱いたい。この不毛なやり取りは出会った頃から今も尚続いている。

 恒例化しすぎて、二人にとってこれが挨拶替わりになっているのは言わないお約束だ。


「全く、いい加減諦めろよ」


「それはこっちの台詞です。カミトこそ、そろそろこの呼ばれ方に慣れたらどうですか? 昔は不便はなかったと思いますが、今貴方は新兵の教育係です」


 隣に腰を下ろし、フロウラの至極真っ当な指摘に堪らず黙り込む。


 そうなのだ。それが問題なのだ。


 フロウラ一人ならばまだいい。だが新兵達全員を納得させることはとても出来ないだろう。

 今は教官と呼べと指示はしているが、果たしていつまで持つのやら。


「まあ、その時はその時だ」


「……ふふっ。やっぱりカミト、少しロウリィ様に似てきましたね」


 その発言に思わず背筋に悪寒が走る。最近カナタやティリスにも口を揃えて言われるのだ。俺の口調が、段々とあの英雄かぶれに似てきていると。


「ど、どのへんが?」


「さぁて、どのへんでしょうね」


 肩で切りそろえられた栗色の髪を耳元で抑え、フロウラはイタズラっぽく笑う。少し頬に熱が昇るのを感じて、俺は反射的にそれを見られないようにと彼女から顔を反らした。


「あれ? もしかしてお姉さんに見蕩れちゃった? かっわい〜!」


「敬語はどうした敬語は!」


 ニヤニヤと嫌らしい笑を浮かべながら、フロウラは俺の頬を指でつつく。普段はメイド根性逞しいフロウラだが、気分が乗ると途端に普通の女の子に戻ってしまう癖がある。

 この時が一番対応に困るのだ。邪険にしても不機嫌になるし、メイドの仕事をつついても不機嫌になる。唯一好きなようにさせた時だけは上機嫌になるのだが、それはそれで俺の身が持たない。


 よって俺は、第三の手に出ることにした。


「ほら、休憩が終わっちまう。教官が遅刻なんてとても様にならん。さっさと飯を食おうぜ」


「あっ、忘れてました! 今準備しますね!」


 自分の仕事ではなく主の仕事をチラつかせれば、根っこがメイドのフロウラは強制的に自分を取り戻すのだ。フロウラの性格を利用するようで少し心が引けるが、仕方ない。

 フロウラが抱えたバスケットには、サンドウィッチが綺麗に並べられていた。料理はフロウラお手製のものらしい。


「さあお召し上がりください。今日の昼食はサンドウィッチです! 市場で獲れた魚を使ったツナに、ロウリィ様に教わった"不滅の調味料"を合わせてみました!」


「マヨネーズ、な」


 聞き覚えのある響きに堪らず頭を抱える。不滅の調味料ことマヨネーズは、ペーストと液体の中間にあるような触感の調味料で、まろやかな甘みと、ほんのりと残る酢の酸味が特徴だ。

 アイツはやたらと不滅に拘る節があるが、卵を使ったこの調味料が長持ちなんてする訳がない。

 キチンとした保存環境があれば別だが……恐らくはアイツが言いたかっただけなのだろう。


「では、こちらが私の分、そちらがカミトの分です。取りましたか? 取りましたね? では───」


 彼女自身空腹が限界に近付いていたのだろう。やや食い気味に配膳を促す。しっかり受け取り膝に乗せ、俺とフロウラは揃って合掌をした。


「「いただきます」」


 手に収まりの良いそれを掴み、パクり。


「……んっ」


 美味い。がしかし、その感動は口に入れた束の間のものに過ぎなかった。咀嚼の度に、様々な荒が見えてくる。

 マグロを煮すぎてしまったのか、身が少し硬い。それに合わさって水分もごっそり飛んでいる。

 油も切りが甘い。マヨネーズ自体が既に油を多く含んでいるため、非常にベタつく後味になってしまっている。

 これら以外に味薄な野菜等があれば多少は誤魔化せただろうが、残念ながらここに挟まれているのはツナのマヨネーズ和えのみだった。

 故に口内から水分を吸い上げ、ベタベタする重たい食感を残す結果になってしまっている。

 味が非常に良いだけに、その食感が必要以上に食事の手を止めてしまう要因になっていた。


 これを緩和するなら、ちぎったレタスでも挟むか? 細かく切ったタマネギを混ぜるのも美味いかも? いや、そもそもパンをトーストして───


「お口に合いませんでしたか……?」


 思考の途中だったため、突然掛かった声に肩が少し揺れた。横目で隣を伺うと、やはり黙り込んでしまったからだろう。少し……いやかなり不安そうな表情で、フロウラが俺の止まった手を凝視していた。


「い、いや。そんなことないぞ?」


「嘘ですね」


「だ、だから───」


「嘘です」


 フロウラが頬を膨らませながら有無を言わさず言葉を挟む。自分の感覚をどうにか伝えようと言葉を探すが、そもそも俺は誰かに気を使って言葉を選ぶということをしてこなかった人間だ。

 言葉を探そうにも、探すために溜めた言葉がそもそも存在しない。それでもどうにか誤解を解こうとするから、結果フロウラから目線を反らし、バカみたいに開いた口がパクパクと行く宛を見失ってしまう。


「なっ───!?」


 瞬間、フロウラの両手が閃き、逃げ遅れた俺の胸ぐらをガシッと掴む。完全に意表を突かれ、俺はただただフロウラの潤んだ瞳と意外と強い腕力に圧倒されていた。


「……さい」


「な、なんだ? もう少しハッキリ」


「教えてください! 今の間で貴方が思い付いた改善案を全部、ぜーんぶ教えてください!」


 至近距離で捲し立てられる大声に堪らず片目を瞑りながら、俺はどうにか言葉を返す。


「全部って……俺だってまだ固まってな───いや分かった! 思い付いた限りの全部を聞かせるから! だから泣くな! な? な!?」


 言い淀んだ瞬間、胸ぐらを掴んだ両手が小刻みに震え出したため、大慌てで軌道修正する。半ばヤケになりながら、念を押すように言葉を重ねる。

 それで気が済んだのか、フロウラの手から震えと強ばりが溶け、ようやく首元が楽になった。

 ほっと一つ息を吐いて、乱れた、もとい乱された服装を正す。


 その動作に隠して横目でフロウラを見やると、真っ直ぐに見据えた栗色の瞳があった。まだ少し潤んではいたが、その瞳は煌々と輝いている。

 どうやら俺の思考など、コイツに掛かれば全てお見通しらしい。


「仕方ないですね、では猶予を与えましょう。レシピについては後日で構いません。ですので必ず、私に教えてください」


 ───約束、ですよ?


 爛漫に笑いながら、そう彼女は口にした。ならば俺は応えねばならない。叶えねばならない。


 "約束"とは、そういうモノなのだから。


「ああ───約束だ」



 ♢



 夕刻。訓練場の使用時間いっぱいまで新兵の訓練をし、この日の務めは無事終えることが出来た。彼ら新兵は、訓練期間が一年とかなり短い。そりゃあもう、流れるように入れ替わる。

 故に手を抜いて居る暇はない。もう数ヵ月後には、彼らは死と隣り合わせの戦場へと駆り出されるのだ。それまでに可能な限り鍛え抜かねばならない。兵士を育てている者が言う台詞ではないかもしれない。


 でも俺は、もう誰にも死んで欲しくないのだ。もう誰にも、失って欲しくなかったのだ。


 訓練場の片付けをして兵士を宿舎に帰し、俺もそろそろ帰ろうかと荷物を纏めていたその時だ。背後から聞き慣れた声が飛んできた。


「お疲れ様です教官殿!」


「毎日の勤務、ご苦労様です!」


「……」


 ……ふう、聞かなかったことにしよう。


「あ、あれ? 聞こえてない? 大変! すぐにお医者様を──」


 続く台詞を振り向きざまに片手で制し、俺はため息交じりに言葉を返した。


「もうそれは昼にやった。ったく、王子や姫ってのはそんなに暇なのか?」


「暇なわけないさ。今は休憩中。昼間に執務は片付けたけど、まだ夜の座学が残ってる」


 綺麗に整った金髪がやや陰鬱気に揺れる。赤の瞳はそれを上手く隠してはいるが、彼の動作の端々からは疲労の色が見て取れた。

 そこから視線を隣で「時期国王様は相変わらず多忙ですな~」などと実兄を煽り散らしている、爛漫に跳ねた金髪へと移す。もう観察をするまでもなく、コイツは今日も元気百倍だった。


「あたしはもう暇だよ? 今日は街の土木工事を手伝うだけだったんだ~!」


 俺の訝し気な表情を満点の笑顔で跳ね退け、ティリスが軽快な足取りで訓練場の階段を降り、その後ろを肩を竦めたカナタが続く。


「土木工事って……それは姫の仕事なのか?」


「もっちろん!」


 自信満々に答えられてしまってはこちらも反論もしづらい。そんな汗土に塗れる現場より、コイツは礼儀作法や言葉遣いを正した方が後に役立つのではないか? と考える思考の端で、何処か納得してしまっている自分が居る。

 お城の姫様が建築出来たって使うシーンは皆無だと思うのだが……不思議な感覚だ。


「ティリスは加護の力があるからね。彼女の性格的にも、机に座る作業より、いっそ街の開発に尽力してもらった方が仕事が捗るんだ。それに、この子は座学が始まると途端に眠りだすからね」


「……ああ、なるほどな」


 苦笑を含んだその顔が、これまでの数々の苦労を物語っていた。


 そうか、座学は寝ちゃうのか。そっか……そっかぁ……


 今までコイツらの仕事に余り興味がなかったため、二人がどんな仕事をしているかなんて気にもとめていなかった。

 故に気になったのか、俺は気付いた時には既に口を開いていた。


「なあカナタ。執務って、例えばどんなことをしてるんだ?」


「珍しいね、カミトが僕の仕事について聞くなんて」


 何故今になって気になったのだろうかと考える。


 思い付くことを上げればそれなりの数になるが、恐らくこれが"成長した"ということなのだろう。目まぐるしい外の世界に慣れ始め、心に余裕が生まれ始めているのかもしれない。

 

「大したことはしてないよ。僕はまだ父さんの手伝い程度しかしていないからね。今日やったのは国民から集めた提案書の選定が主だったかな」


「提案書?」


 耳慣れない言葉だった。興味本位で聞いたことだが、これはもしや使われる言葉の大半が分からないという至極残念なことになる予感がした。


「うん。国内各地の領主たちに協力してもらって、国民に今の国政に不満はないかとか、新しい政策案とか色々調査してるんだ」


 つまるところ自分が王位に着いた時の下準備のようなものなのだろう。意思表示と言い換えても良い。

 自分はこれから国を背負うに辺り周到に準備を進めていること、また自分がこれからどのような国の未来を視ているのか。それらをカナタなりに周囲に見せ始めているのだ。


「それは国王の命令か?」


「ううん。あの人はそんな面倒なことしないよ。僕があんまりに暇だったから、街の皆と交流ついでに配ってみたのさ」


 それなら納得だ。国王はなんというか……伝統を大事にし過ぎる余り、新しい事に臆病な節があった。

 今のでこそカナタは自由にやっているが、始めの頃は政治やら教導やら軍略やらを一日中叩き込まれていた。当時のカナタは自由時間すらままならなかったのを、今でもよく覚えている。


「君の方はどうなんだい? この数ヶ月でまた腕を上げたと聞いているけど」


 腕を上げた……か。しかしそう聞かれても返答に困る。何故なら俺はロウリィに勝てるように戦略の幅を広げているだけで、戦闘技術そのものを磨こうとはあまり考えたことがなかったのだ。

 他に競う相手でも居れば別だったかもしれないが、俺の相手は毎度毎度いい笑顔で踏み潰してくるあの年増しかいないのだ。


「うーん……あんまりそんな気はしないな。腕を上げたと言うより器用になったのかも……?」


「いやいや、僕に聞かれても困るよ」


 首を横に振りながら苦笑する。こればっかりは実際に手合わせするか、その様子を見るでもしない限り伝わらないだろう。

 今度久々に手合わせでもしようかと口を開き───視界に割って入った空の瞳に遮られた。


「ねぇねぇあたしは? あたしに聞くことはないの?」


 煩いくらいに輝く瞳が、聞いて聞いてとしきりに騒ぎ立てている。情緒が豊かなのは良いのだが、目を見るだけで煩いのはもうある種の才能だった。

 嫌な予感をヒリつかせる。先手を打たんと、俺はティリスの肩越しにカナタに視線を送った。


「さて、もう遅くなってきたし帰るか」


「そうだね。僕もそろそろ座学の準備しなきゃ」


「あ、あれ? あたしの……」


「んじゃ、また明日な」


「うん、カミトも気を付けて帰れよ」


 そそくさと逃げるように荷物を背負って帰ろうとしたその時。物凄い力で右肩を掴まれた。


「あ た し の 話 は ……?」 


 鬼の形相がそこにはあった。


「ほ、ほら。さっき工事やってきたっての聞いたし」


 声が若干上擦ってしまう。怪力に肩をつかまれているのもあるが、俺が恐れているのはそこではない。その根源はティリスの話を聞くこと自体にある。


「ほ、ほら返してやれよ。カミトも勤めが終わって疲れてるんだろうし、第一お前の話は───」


「なに?」


 首だけ振り返ったティリスがカナタを睨む。こちらからはその表情は伺えないが、一気に血の気の引いたカナタの顔を見るに、一国の姫がしていいような表情ではないことだけは確かだった。


「二人ともそこに正座!」


 ビシッと人差し指を突き出し、激昂したティリスが吼える。まるで魔言(ストラ)のような気迫を放つティリスに、俺たちは成す術なく従うしかない。


「よしよし。それじゃあまずは───」


 ……そうしてひたすら話を聞きに徹し、一人語りが始まって優に二十分が経過していた。


「それでね? あたしが支柱の木材をグイッてやったらおっちゃんたちがゴゴゴゴってなってね?」


 ティリスの話は、長い。もうべらぼうに長い。それが含蓄ある話、かつこちらも楽しめる話なら俺もカナタも喜んで聞くだろう。

 だが語られることの大半が擬音で、内容も恐らく彼女の成功談や失敗談だ。聞かされる身としてはどちらも、誰かに迷惑をかけていないか、なにか大切なものを壊したりしていないだろうかと不安を煽る材料にしかならない。

 そして極め付けが、彼女が満足するまで決して返して貰えないということだ。


 結果貼り付けのように黙々と正座をさせられ続けているわけだけれど……こちらもやられっぱなしというわけではない。そろそろ頃合だと、俺はカナタにちらりと視線を送った。


 それを受けた赤の瞳が、やってしまえと一際強く輝いた。


「こらそこ! ちゃんと話し聞いて……へっ?」


 カナタの合図を受けて、俺は満を持して魔法を開放した。


「わっ! ぎゃあああああああ───っ!?」


 その途端、ティリスの足元に巨大な大穴が現れた。身体の支えを失ったティリスは逃れる術もなく、真っ逆さまにその大穴へと落ちていった。


 俺たちもただいいようにされていたわけではない。彼女が話しに夢中になっている間に、俺は袖に仕込んでいた鎖鎌を使って訓練場の砂を掘り進め、それにあたって地表に出る砂や掘り進める音をカナタが隠匿の魔法で隠す。それを繰り返すことで、俺とカナタは彼女の足元に落とし穴を仕掛けたのだ。

 そんな面倒なことをせずとも他に方法はあったのだが、生易しい方法で迎撃したところで、ティリスから逃れることはほぼ不可能なのだ。

 それは単純に瞬発力の差である。俺とカナタが魔法を起動してから高速移動をするのに対し、ティリスは踏み込むだけで巨人も卒倒する壊脚を発揮することが出来るのだ。


 故にこれまで先に彼女の視界から逃れることで脱走を図っていたのだが、今日はその逆の手を使ったわけだ。


「それじゃあ、また明日!」


「ああ! 気を付けて帰れよ!」


 お互いに早口で別れの言葉を交わし、そして一目散に訓練場を離脱した。



 ♢




 結局俺は、家路を本気も本気の全力疾走で帰っていた。訓練場を出てすぐ轟いた爆発音が、真っ直ぐにこちらを追いかけていたからだ。

 故に本来なら一本道だったところを、森の中を何週も逃げ回るハメになってしまったのだ。そろそろ次の手を考えないといけない頃合なのかもしれない。俺とカナタが色々手段を考えている間に、ティリスの対応力もぐんぐん伸びているのだ。


 まあ逃げたところで俺もカナタも居場所がバレているので、この行為は災厄を後に引き伸ばしただけに過ぎないのだが、その時はまた別の手を使って逃げれば良い。


「ただいまぁ」


 ようやくと言った思いで我が家の戸を潜る。その声を聞きつけ、バタバタと騒がしい物音が響く。


「おかエりゴ飯! ごっはんゴッはんごっはンハーん!」


 青の少女が、あちこちの壁にぶつかりながらすっ飛んできた。ちなみにこれはモノの比喩ではなく、本当に飛んできている。

 ご飯の歌を口ずさみながら視界のあちこちを飛び回るコイツは、一体どこに理性を置いてきてしまったのだろう。


「うるさい……」


 この食に飢えた精霊、いい加減理性が根こそぎ吹き飛んだのではないか? 以前はもう少し地理的な印象だった気がするんだが……。


「ごはんノハんハん……イタっ!?」


 ひとまずコイツは脳天に拳を落として黙らせる。ロウリィもよくこうしてウルを黙らせているが、もしかするとこれが理性を飛ばした原因なのかもしれない。

 よくいうではないか、頭を殴ると馬鹿になるぞ、とな。


 俺は支度を済ませ、台所に立つ。いつもならば帰路で献立を考えて来るのだが、今日に限ってはそんな余裕は一切なかった。さて、どうしたものか。

 暫く献立に頭を悩ませていると、トントンと少し気怠げな階段を降りる音が聞こえた。


「急に騒がしくなったと思えば、随分遅かったじゃないかクソ弟子」


 ロウリィだ。嫌味を含む言葉は眠たそうな欠伸によって随分間抜けな声になっているが……やはりその一連の動作にも件の違和感がった。

 しかしその飄々とした佇まいはいつもと変わらない。体調が悪い、ということもないだろう。故に現れる違和感の原因が掴めない。それがもどかしくて、俺は中々返事をすることが出来なかった。


「ふん。随分と呆けた面をしているな、カミト」


「考え事をしていただけだよ。ちょっと待っててくれ。下拵えだけしたら表に出るから」


 名前を呼ばれ、どうにか俺は言葉を見つけることが出来た。いまさら思い出すとは、俺も気が抜けていたのかもしれない。

 そうだ、この時間は午後の訓練の時間をとっくに過ぎているのだ。彼女が来たのなら献立に悩む暇は最早ない。ロウリィの気分が変わらないうちに、さっさと済ませてしまわなければ。


「そう慌てるな。今日の訓練はお休みだ」


 そう声が掛かったのは、手近にあった食材の幾つかを手に取った時だった。


「ま、待ってくれ! 俺は───」


 弾かれたように発された声は、ロウリィが翳した手のひらに制される。彼女の弁は、まだ終わっていないのだ。


「そう不安そうな顔をするな。これは別に、お前に何もするなという意味ではないのだから」


 可笑しそうに笑いながら、ロウリィは言葉を重ねる。


「明日の朝。最後の訓練をしようと思う」


 視線が、細まった紫紺の瞳に縫い付けられた。


「予定していたカリキュラムは全て終了した。故に明日の朝、最後の模擬線を行う。有体に言えば創業試験だな。故に今夜はそれに向けて療養の期間とする。そして、私を討ち果たす術を練り出す期間とする」


 息が詰まる。溢れる感情が一つも掴めなくて、吐き出した言葉は声にならずに零れて行く。


「ルールはいつもと同じだ。全力で掛かって来い、私も本気でお前に相対しよう」


「ちょ、ちょっと待ってくれ! まだ整理が」


「分からないか? ならば分かり易く単純に言い換えよう。明日の模擬戦では───」


 その相貌が一際強い輝きを放つ。彼女の薄く開かれた口元が、ニヤリと歪んだ。笑っているのだ。挑発的に、或いは成功した悪戯を喜ぶように。


 そして───大英雄(ローラン)は宣言した。


 ───私は初めからテュランダルを使う、と。

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