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第五話 少年の冀望

「さて、話を戻すか。ローランについてだったな。いい機会だ答えてやる。私の何が知りたいんだ?」


 未だ放心していたカミトだったが、その言葉を聞いて我に返ったようだ。腑抜けて力の入らない四肢を奮い立たせ、ゆっくりと立ち上がる。呼吸を整え、落ち着きを完全に取り戻したカミトは、振り絞るようにして小さな口を開いた。


「どうして……どうしてあんな本を書いたの?」


 しかし、彼が常に秘めていたであろうその問いかけは、更に彼を苦しめる材料にしかならなかった。


「はぁ? 本だと? 私は本なんか一冊も書いた覚えがないんだが……」


「な、何を言って……だって確かに……」


「お前が何を見たのかは知らんが、私は読むのは好きだが書くのはやらん。だって面倒臭いからな」


 私が登場する本が幾らかあることは知っている。だが、その中に私が関わった本は一つたりとも無いはずだ。ましてや自伝など論外だ。そんな退屈なことをする暇があれば、昼寝でもしていた方がまだ有意義である。

 しかし、籠の中の鳥(カミト)が知ってるほどの本か……つまりそれは、世間一般では常識のような扱いを受けているかもしれない、ということにはならないか? 次に城の者に会った時に聞いておくか。


「その本の話は飯を食いながらにしよう。ふふっ、私の飯は美味いぞ? なにせ人類で一番長く料理を作っているんだからな」


 鼻をくすぐるいい匂いで完成を知らせる鍋を指で叩きながら、私はカミトに食器を用意さるべく指示を出す。程なく私の手元に二人分の食器が渡され、私は完成したカレーを皿に盛った。ちなみにこの料理を世に放ったのは私だ。巷では"英雄の残した伝説の味"と語り継がれているらしい。


 どうせならもっとマシなものを語り継いで欲しかった。こんなもの、ただの家庭料理だ。


 新居を構えて初めての晩餐(ばんさん)には、完成を祝う雰囲気は微塵もない。互いに発する言葉はなく、ただカチャカチャと食器を叩く音だけが広い部屋に小さく響く。

 美味いものを食えば多少は覇気が戻るかと思ったが、カミトの冷えた心はそんな程度では和らがなかった。口に合わなかったかとも思ったが……米は炊くのが面倒だったから王城の食堂から少し拝借した炊きたての飯だし、他の材料も同様だ。城の物だけあってくすねた食材はどれも一級品。だから味に関しては非の打ち所がないと言えるだろう。

 だから料理の味の問題ではない。ああ、決してないはずだ……!!



 食事を終えてほどなく、カミトはようやく塞いでいた口を開いた。



「お姉ちゃんが好きだったんだ。その本の名前は『デュランダル・レコード』。最古の英雄の、至高の自伝らしい」


「は、はぁ? 自分で自分の自伝を至高とか普通言わないだろう……。相当頭のめでたい奴が書いた本なんだな」


 まさか私の自伝を名乗るパチモンが出回っていたとは。いいやしかし……そんな明らかに怪しい著書を、普通信じるか? そもそも、自伝に至高もクソもないだろう。

 人は、よくその人生を航海に例える。それは人それぞれに、それぞれが進む航路があるからだ。自伝にあるのは、先人が力の限り大海を泳いだ末に残った(わだち)だけ。それを指針とするかは船主である読み手自身が定めるものだと、私は思う。


「まあいい。そういう面白い物も含めて、私は私について書かれた本を許容してるわけだし。それで? その至高の自伝が一体どうしたんだ」


 他事を考え出す思考をすぐに放棄する。カミトがようやく身の上を語ろうとしているのだ。今後コイツをどうするかを考えるためにも、この話には真剣に向き合ってやらねばならない。


「本の中身はめちゃくちゃだった。山を割ったり海を作ったり。お姉ちゃんが一番好きだったのは、巨龍を一刀で屠ったところだった」


「その程度であれば……ああいや、なんでもない」


 その程度のことであれば何度かやったことがあるが、話の腰を折ってしまいかねない。この話は後日してやるとしよう。


「……その本には何度も、『勇気を持って敵へと臨め。勇気を忘れなければどんな敵にだって打ち勝てる』。そう書かれていた」


「つまり、それを間に受けた馬鹿がいたんだな?」


 私は鼻で笑いながら、カミトの神経を逆撫でるように言う。すると、面白いようにカミトは声を荒げた。


「お姉ちゃんは馬鹿じゃない!」


 感情の起点は人によって様々だ。カミトの場合、それが怒りであることが多い。加えて声に籠る熱でそれが嘘であるか本当であるかの見分けも容易くつく。子どもの心理を利用するようで悪いが、正確な情報を得るためだ。多少の大人げない行為は目を瞑ってもらいたいな。


 どうやらその"お姉ちゃん"という存在はカミトにとってとても大切な者らしい。あーいや、仮にも姉と呼ぶ存在が大切でないはずがないか。

 結果的にカミトの身内を知りもせずコケにしたわけだが、私には彼に対して申し訳ないという気持ちは全く沸いてこない。激昴するカミトを見てもそれは同じだ。


「いいや。そんなくだらない本を信じて無謀に見を投ずるのは、考えるまでもなく大馬鹿者の所業だ。これは本の中の人間の価値観であって、現実に準ずるものではない。自伝というものが例え生きた人間の残したものであっても、そもそもローランは人間の規格を大きく飛び出している。感化されるのは勝手だが、馬鹿正直に受け取るのは頭が足りないと言わざる負えない」


「それは……そうだけど……」


 返す言葉が見つからないのか、それとももう残っていないのか。いずれにせよ、カミトは口を開くことをやめてしまった。

 どうしたものかと顎に手を添え、瞬きもしないうちに閃いた。私も私で抜けている。これは、考えるまでもなく問わなければならない問いだったから。


「さて……もう話すことがないのであれば、次はお前の番だ」


「……僕の?」


 こう言われるとは全く予想していなかったのだろう。件の仕草で、カミトは疑問を表す。


「ああ、私は話した。だから当然、次はお前が話す番だろう?」


 今まで詮索は避けていたがこの際だ。この少年の過去について、そろそろ聞き出してもいい頃合いだろう。


「洗い浚い聞かせてもらおうか。お前が何者であるか。いや、お前が何であるかについて」


「……僕もよく分かってないことが沢山あるんだけど、それでもいい?」


 私は返事の代わりに姿勢を正し、それを肯定と受け、静かに少年は語り出す。思い起こすように語られる少年の過去は、十もの世紀を跨いだ私ですら想像もつかないものだった。



 ♢



 少年。私がカミトと名付けた浮浪児の元の名前、正確に言うと製造番号は"219番"と言うらしい。研究者たちからは、その番号から付けられたあだ名、『ジーク』と呼ばれていたと彼は言った。

 彼が製造された理由は、"この世から全ての魔物を消し去る兵器を作るため"らしい。それは後から分かったことだと少年は告げた。その事実を知るまで、彼は己が受ける実験、鍛錬がなにを目的としているのかを理解していなかったのだという。


 研究所での生活は基本的に鍛錬続きだったらしい。なんでも、めちゃくちゃ強い漆黒のヒューマノイドに、毎日ボロボロになるまでしごかれていたそうな。訓練の内容は基礎的なものから実戦的なものまで様々あり、そのどれもが生き物を殺すことに特化していた。その対象の中には、あろうことか人間も含まれていた。


 全く笑わせてくれる。なにが魔物を消すための兵器だ。人間殺る気満々じゃあないか。


 彼には姉と妹がそれぞれ一人ずつ居たらしい。姉の名前をニイナ、妹の名をフミナと言うらしく、どちらもジーク同様に番号から付けられた名前だ。ニイナは身体は強くなかったが頭が良かった。所謂天才と呼ばれる類の人間だったらしく、研究員に混じって実験を手伝うこともしばしばあったらしい。一方フミナの方は、ジークを作った際の副産物のようなものだったらしく、特別なにか訓練や実験を受けてはいなかったようである。

 カミトは気付いていないが、この二人は間違いなく人質だ。カミトが不穏な動きを見せれば、研究者のたまり場にいる姉が死ぬのだろう。カミトが鍛錬や実験から逃げ出そうとすれば、予備の妹を引き合いに出すのだろう。

 本当に。一体どこまで心を腐らせれば、そのような悪行が出来るのだろう。


 さてさて。ここからが話の本題だ。


 ジークが兵器たる理由。それは彼の中に棲む龍の存在にある。彼を作った研究者レアンは、全く何処から手に入れてきたのやら。神祖の巨龍の亡骸を持っていた。少年は実験の過程で、その心臓を体内に宿すことになってしまったという。

 レアンは幼い頃から少年の世話をすることで、少年から絶対の信頼を得ようとしていたようだ。計画通り、彼に懐き、疑念の一つもなく、カミトは差し出された毒を躊躇うことなく飲み続けた。そうやって何度も何度も埋め込む龍の力に合うよう人体の改造を繰り返し、龍の移植は極めて順調に行われていったそうだ。


 魔物を屠る超兵器の製造は滞りなく進んだ。だが、とうとうそれに邪魔が入った。それが彼の姉、ニイナだった。


 ニイナは私を語ったあの本。『デュランダル・レコード』に強く影響を受けていたらしい。本を片手に、私は記録者(コードナー)になると、鼻息を荒くしていたと少年は何処か懐かしむように話した。記録者(コードナー)は今でこそありふれたものだが、私の生きた時代では希少であり、栄光の称号だった。世間を知らない少女は、その黒く錆びた輝きに、きっと目を奪われてしまったのだろう。


 少し話がずれたな。さて、ニイナがローランに感化されたこと。それの何が問題なのかと言えば、私の後世に伝わる話の大半が、()()()()()()()()()()()だからだ。勿論、ローランが魔物を倒さない英雄だった、というのではない。むしろ私は倒しまくっている。当時はまだ数が少ないが、他の記録者(コードナー)の百倍は屠ったと自負している程だ。

 だがそれでも、魔物や精霊と和解するという行為それ自体が偉業にあたるのだ。そして少年が言うその本には、その功績が大分脚色されて書かれていたらしい。

 後はもう察しが付くだろう。レアンはカミトに、魔物は殺すものだと今まで教育してきた。だがそこに、よりにもよってカミトが信頼を寄せるニイナが、和解というレアンの望まない選択肢を彼に与えてしまったのだ。


 こうなれば、次に起こる事象は子どもでも想像がつく。


 続く話は酷いものだった。カミトを兵器として完全なものとしたいレアンは、当然の如くニイナを殺害しようとした。それに気付き、同時に前述した自分が作られた目的を知った少年は、混沌極める感情の抑えが効かず……二人の前で龍の心臓を暴走させてしまったのだ。

 神祖の龍が寿命で死ぬなどほぼほぼ有り得ない。故にこの龍は人間に殺されたのだろう。そのあふれ出る人間への恩讐を、カミトは小さな身体に一身に受けた。

 我を失ったカミトは、眼前で脅えるレアンを瞬時に肉塊へと変えた。続いて、騒ぎを聞きつけ制止に入った教官役のヒューマノイドを、鉄塊へとなるまで弄んだ。実験は失敗と判断し、カミトを処分しようと現れた警備隊を全て惨殺した。

 そして、手刀を表す右手でニイナの腹を突き破ったところで、ようやく正気に戻った。語るカミトの唇には、微かに血が滲んでいた。


 暴走の後施設を破壊したカミトは、被害を逃れた妹を連れて施設を脱走。だが心臓の暴走で人ならざる者へと変貌していたカミトは、外に出た途端王国の衛兵に追いかけ回された。ということはつまり、その(おぞ)ましい施設は王国の中にあったのだろう。それも後日調べに行かねばなるまい。

 戦えない妹を庇いながら、それでも尚勇敢に戦ったカミトは、衛兵による魔法や剣撃により重傷を負ってしまった。カミトの実力であれば、一国の衛兵程度、倒すのは造作もなかっただろう。それをしなかったのは、姉の腹を破った記憶が脳裏に焼き付いて離れなかったからだろう。

 カミトは夜な夜な思い出すのだという。貫いた柔肌の感触を。身体を濡らす暖かい血の温度を。冷たくなっていく姉の体温を。


 そうして戦いに恐怖を覚えた戦闘兵器は、このままでは妹を守り切れないと判断し、知識として知っていた孤児院を探した。皮肉なことに、カミトは龍の暴走以降その力の使い方を学習していた。

 尽きることのない膨大な魔力。下位から超位までの炎、雷、闇系統の魔法。肉体の龍化による身体強化(フィジカルブースト)。そして、素体の龍が持っていた魔眼である千里眼までも、その矮小な体躯に納めていたのだ。

 千里眼を使い周囲を観たカミトは妹をそこに預け、再び逃走。身軽になったカミトは衛兵を振り切り、逃げ伸びた先で、私のボロ屋を発見したらしい。衰弱しきった身体を休めるため、死体に偽装する魔法をかけて眠りについたのだ。

 屋根の上で休息を取っていたのは、家の中に誰かが居ることが気配で分かったからだ。これで私が出会い頭に襲われた理由にも合点がいった。


 それが、カミトが私と出会うまでの地獄の全容だった。



 ♢



 濡れた声がようやく落ち着きを取り戻した。少年の過去は、輝かしかった私の人生とは全くの逆だった。力が及ばなかった劣等感も、敗北の屈辱も、死に対する恐怖も、私は一度だって経験したことがない。

 私が負けを考えたことは無い。無論恐怖などという感情は知らない。だって私は傷つかないから。私は全てを斬り裂けたから。

 私はデュランダルを握ったその日から、不変を保っている。喜びや怒りはあれど、喪失感の類は一切抱くことが無かった。どうやら私の感情は偏ってしまっているらしい。いつも思う。思ってしまう。たとえそれが不謹慎だと分かっていても。


 ───様々な感情を抱くことが、抱けることが、羨ましいと感じてしまうのだ。


「ねぇ……ロウリィ。いや、ローラン・ヴァン・デュランダル。お願いがあるんだ」


「ほう、その名で私を呼ぶか。面白い、聞いてやる。貴様は私になにを願う?」


 全てを語った少年は、静かに私の名を呼んだ。炎を取り戻した紅蓮の双貌で、真っ直ぐにこちらを見据えながら。過去と向き合う決意を帯びた声で。


「こんな思いは……もう二度としたくないんだ。カナタや、ティリスや、大切な人たちを守れるように───僕を鍛えて欲しい。」


 瞳に燃える光。ああ、これは炎を取り戻したのではない。新しい炎が灯ったのだ。これまでのような他を喰らう炎ではない。瞳が宿す炎は、紛れもなく上に臨む炎だ。

 海原で彷徨った手漕ぎの船は、荒波を越えて尚足掻き、見出した新たな航路を捉えている。そうして見出した灯台の灯りこそが私なのだろう。


「つまり、これからは弟子として私に世話になろうと言うのか?」


 底意地の悪い問いに対する返答は、至極完結だった。カミトは私の脇まで素早く移動し、迷うことなく床に跪き、額を擦り付けたのだ。何処で知り得たのかは定かではないが、それはハモンノ国に伝わる座礼。"土下座"と呼ばれる、礼儀を示す最上の礼式だ。


「そうか……。ならばもう、私から貴様に問うことはない」


 椅子から立ち上がり、跪くカミトを見下ろして、私は高らかに宣言した。


「いいだろう! 貴様を我が弟子と認めてやる!」


 直後、跪く少年は弾かれたように私の目を捉える。そこに安堵の色を見た私は、間を置かずに捲し立てた。


「知っていると思うが、私は己にとって無価値なものをいつまでも世話してやるほどお人好しじゃあない。捨てられたくなければ、その身を以て己が価値を示し続けろ! 後退も停滞も許さない! 貴様に許されるのは前進のみと知れ!」


 カミトの瞳がまた別の色を映す。それは脅えや驚きではない。もっと好戦的な……


「なんだ、そんなことか」


 土下座の姿勢を崩し、立ち上がった少年は獰猛に笑った。


「いいの? そんなに悠長だと、あっという間に追い抜いちゃうよ?」


 私は今、どんな表情(かお)をしているのだろう。無謀な物言いに呆れて嗤っているだろうか? 礼儀知らずの言動に怒っているだろうか?

 いいや違うだろう。きっと私が浮かべているのは、目の前に浮かぶ憎たらしい笑みだ。


 痛がる白い頭に何度も手刀を落としながら、しかし私は大変気分が良かった。今まで私に啖呵を切った輩は、誰一人として私に触れることすら叶わなかった。ただの人間であれば、その結果は当然至極だ。


 じゃあ、私が育て上げた人間は? 既に人の身から掛け離れている存在ならばどうだ?


 私はこの生涯で、己に拮抗する実力の持ち主に会った試しがない。超常に、遥かに及ばない人間が勝てるはずがないのだ。だが同じ超常を有する者ならば、或いは……


 ───ああ、胸が躍る。この小さな愚か者は、果たして私に触れることが出来るかな?

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