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第四話 深意の片鱗

「さて」


「さて?」


「さて!」


「はぁ……」


「おい最後の。もう少しやる気のある返事をしろ」


「背中のこれがなかったらなぁ……」


 小さな背中が背負うのは見上げる程に積み上がった丸太の束だ。童子が巨木を背負う絵面は、流石の私も大丈夫かとハラハラする。だがそんな心の内は一切見せず、私はあくまで冷静に徹する。


「お前が壊したんだ。しっかり直せよ」


 ぶっきらぼうに言い放つと、尻尾を踏まれた犬がたまらず吠えた。


「壊したのはロウリィでしょ!」


「あっはっはっ。何を言っているのか分からんな!」


 グルグルと喉を鳴らしながら怒るカミトを笑って一蹴し、私は眼前に出来た新地に目を向ける。ここは城の裏山。先日カミトとティリス……主にティリスが荒らしに荒らして教育係にめっちめちゃ怒られていた場所だ。

 緑が生い茂っていたため、日影が多かったこの裏山だが……先日のどんちゃん騒ぎで大分開けたため、この辺り一帯は陽光がこれでもかと降り注いでいた。家を建てるには持って来いの場所だ。


「さあて……どっかの阿呆どもが山の木を軒並み倒してくれたおかげで木材は十分だ。さあ作るぞ、私の新居を!」


 小さな頭が二つ震えた気がしたが、まあこれ以上の小言は言うまい。チビ達を弄るのはこれくらいとして、早速作業を始めよう。

 私は丸めていた用紙を地面に広げる。これは私が先日書いていた新居の図面をさらに頑丈、かつ低コストに製作出来るよう弄ったものだ。


「全く、ホントに近頃のガキンチョはどうなってんだ。大人の出る幕がないじゃないか」


 この図面はとある事情で気絶し、ぶっ倒れた王子を心優しい私が看病した礼に、カナタが厚意で添削したものだ。

 きっとこの子は知識をよく吸収し、己の中でどこまでも発展させて行ける子なのだろう。プロ顔負けとは言わないが、少なくとも私よりは建築に関する知識をカナタは有していた。

 純粋な善意に、私のプライドが少しばかり傷付いたが……凡庸が非凡に敵わぬように、英雄もまた鬼才には敵わぬということか。得手不得手は人により様々なのだ。

 うむ。決して負け惜しみなどではないぞ? 私はただそのように物事を考える性分というだけの話だ。そう、私が造ろうとした当たり障りない家より、カナタが造った優しい工夫満点の家に住んだ方がいいに決まっている。


「さあ始めろ。まずはカミト、必要な材木を切り出せ。私はここで見ている」


 うじうじ沈む己が内を隠すように、私は広場の隅にどかりと腰を下ろした。半ば予想していたのか、カナタとティリスはこちらにあまり関心を寄せていない。対照的に、カミトだけが瞳を大きくして振り返った。


「なっ……なんで座ってるの!?」


 まさかこいつ、私も手伝うとでも思っていたのだろうか。唖然とするカミトに私は端的に答える。


「黙ってさっさとやれ。初めに言ったが、お前は私の奴隷だ。拒否権など初めからないと思え」


「ぐ……ぐぬぬ……」


 まだ何かを言いたそうな顔だが、カミトは渋々ながら背中の巨大な丸太たちを降ろした。

 程なくして。作業は滞りなく、極めて順調に進んだ。ティリスが持ち前の剛力で木材を運び、カナタがその頭脳を遺憾なく発揮し、切り出す位置指示。最後にカミトがそれを豆腐のように、寸分たがわぬ大きさに一刀で切る。意外とバランスのいい即席パーティーは、みるみるうちに広場を大小様々な材木で覆っていく。

 次第に口数も減り、皆が黙々と作業に取り掛かる。容量を得てきた所で更に彼らの作業スピードは加速し、予想よりも半刻ほど早く作業は終了した。


「終わったー!」


 叫び声を上げたのはティリスだ。


「ホントにこんなに早く……これ、一日掛かりの作業だよ?」


「細かいことは気にしたってしょうがないって。それでロウリィ、次はなにをするの?」


 身体を動かすのが楽しかったのだろうか? 落ち着いているように見えるがカミトの頬は少しだけ赤みを帯びており、声も普段より弾んでいる。やはりどれだけ大人ぶったものの考え方をしていようと、カミトも根っこの部分は子どものままなのだ。

 私はズボンの裾に付いた砂を払って立ち上がり、子どもたちが揃えた材木の山を見る。材木が何処になにがあるか一目で分かるよう並べられているため、合否チェックは容易かった。


「うん、上々の出来だ。さて、ここからは大人の仕事。お前らがやるのはここまでだ。組み立てるのは私がやる」


「へ? む、無茶ですよ! ロウリィさん何を言って……」


 あまりに堂々と言うから、現実論を言うカナタの方が自信無さげな態度になってしまっている。何処か心配そうな頭にポンと手をやり、二ッと笑いかける。


「まあ見てろって。じゃないと、すぐに終わっちゃうぜ?」


 子どもたちを後ろに下がらせ、私は並べられた材木や工具等々を見渡す。数が全て揃っていることを確認し、私はいよいよ組み立て作業に取り掛かった。


『言う事を聞け』


 右手を材木へと翳し、悠然と魔言を唱える。すると、放たれた言葉に引かれるように材木たちが一人でに動き出した。ひとりでに動く材木たちはやがて空高く舞い上がり、順序通りに家の形へと組み上がっていく。


 これは第五階位に位置する上級闇魔法、『重力操作グラビティ・オペレイト』の応用だ。私が自らの手で設計図を書いていた手間も、最終的にはここに結び付く。

 魔法を発動すること自体は私にとって造作もないことなのだが、この百を超える対象を一度に動かすのは流石に難しい。『重力操作グラビティ・オペレイト』は対象の物体を、術者の意のままに操る魔法だ。この魔法はかなり高度な技術を要するもので、術者に動かす導線がしっかりと見えてなければならない。導線が途中で崩れると同時に魔法も解除されてしまうのだ。

 だから私は家の設計図を自分で描いた。それだけでなく紙面に書くことで頭の中で完成図をも完璧に想起させている。元より私は記憶力がいい方なのだ。

 だから後は材木全てに『重力操作グラビティ・オペレイト』をかけ、順番通りに動く様指示をすればいい、というわけだ。


 間もなくして。地面に並べられた材料の数々は、一軒の見事な一戸建てへと姿を変えた。後は適当な家具を放り込めば、家として十二分に機能するだろう。


「ふう。まあ、こんなところか」


 額に手を当て掻いてもいない汗を拭い、新居を見る。ピカピカに磨かれた木造の我が家は陽の光を反射しており、凛としてその巨体を据える。感動する胸中からか、はたまた実際にそう見えるのか。目の前に建つ豪邸は煌々と輝いて見えた。


「すごい……凄いわロウリィ! 家が勝手に建っちゃった! ロウリィって、凄い魔法使いなんだぁ……!!」


 その視界の端でティリスが飛び跳ねて両手を叩きながら喜んでいる。そういえば、この子は魔法が大好きだったな。魔法オタクからしてみれば、今目の前で起こった光景は垂涎必至だったろう。


「これだけの物を同時に動かすなんて……貴方はいったい何者なんですか?」


 カナタは未だ呆けているのだろう。その口調は普段の芯が見当たらない。疑念半分好奇心半分といった目だ。


「何者……か」


 大昔は英雄などと呼ばれていた頃もあったが、現状浮浪者歴の方が圧倒的に長いしなぁ。とすると……。


「うーん、そうだな。元英雄のカリスマ浮浪者……と言ったところか?」


 小首を傾げるカナタの頭の上に、クエスチョンマークを幻視した。だがこれ以上、私の口からは説明のしようがない。だがカナタもそれ以上は聞いてこないため、私から敢えて追加の説明などはしなかった。

 私は再び新居に目を向ける。完全した、初代ボロ屋とは比べ物にならない豪邸を前にして、久々に私の気分は高揚していた。

 私は感情が行動に直結するタイプの人間だ。だというのにこうして堪えて平然を装っているのは、単に大人の威厳を損なわないためである。


 ふと、こちらを探るような視線を感じた。その主は大方カミトだろうと察しが付く。だが、その理由はなんだ? カナタやティリスであれば、己の常識を大きく覆す光景に戸惑うのが自然だ。しかしカミトはまず常識というものが備わっていない。彼は今の光景について、一体なにを感じたというのだ?

 そこまで考えを巡らせて、本人に聞いた方が手っ取り早いと気が付いた。


「なんだ。用があるなら口で言え」


 いきなり私に話しかけられたからか、カミトの小さな肩が少し跳ねた。基本的にカミトは、私の質問に対しては素直に答える。分かるものは分かる範囲の全てを語り、分からないものは根本から分からないという仕草を見せる。だが、今回は───


「ううん。なんでもないよ?」


 嘘の臭いがした。騙す臭いじゃない、隠す臭いだ。少しばかり驚いたが、私は鼻を鳴らしてその嘘を受け入れた。


「そうか、ならいい」


 追及してやってもよかったが、するとしても今ではないだろう。()()()()()()()()()()に居るうちは、恐らくカミトはなにも語らない。

 この話題はまた後日に回すとして、私は思考を切り替えた。頭の隅でずっと考えていた、私が身体を動かすいい口実を思い付いたからだ。


「さてガキども。そろそろ家具を王室に取りに戻るぞ。なんなら、城まで競争でもするか?」



 ♢



 で、本当に競走をした。全員、力の出し惜しみなしの本気の駆けっこだ。新居から城までは直線距離でおよそ五百メドル。本気で走ったのはかなり久しぶりだ。私が森林を強引に真っ直ぐ突っ切り、城に着くまで十秒もかからなかった。

 一足先にゴールに辿り着いた私は、後続の子どもたちの様子をしばし観察することにした。裏の城門の上に飛び乗り、適当な場所に座る。裏山の方を見やると、予想を裏切る景色に私は思わず目を細めた。

 先頭を走るのはカミト。これはまだ予想通りだった。ティリスは身体能力こそ『加護』の力で向上しているが、身のこなしは素人丸出しだ。直線距離ならまだしも、舞台が木々の生い茂る森林であれば、軍配はカミトに上がるだろう。

 しかしそのすぐ後ろを、カナタが必死の形相で駆けている。一方ティリスは先頭からかなり遅れていた。悔しそうな面持ちで走る姿は少々いじらしかった。

 私はティリスからカナタに視線を移す。『超身体強化スーパー・フィジカルブースト』を持つティリスに、どうして『加護』を持たないカナタが勝てるのだろう? 私は魔力を瞳に込め、カナタの魔力の流れを読んだ。

 浮かび上がったのは点だ。通常、肉体の魔力強化を行う場合、魔力を血管のように全身に張り巡らせて身体全身を強化する。こんな魔力の流れは一度も見たことがなかった。

 数瞬考えて、ようやく私は結論に至る。この少年は魔力を面ではなく、点に集めているのだ。その証拠に身体のあちらこちらを駆けまわる点は、動作の支点を目まぐるしく移動している。

 恐らくカナタは、魔力の操作に長けているのだろう。重たいものを持ち上げるような強化方法ではなく、爆発による瞬発力で、彼は己の肉体に強化を施していた。

 雑な私には到底出来ない芸当だ。なにかにおいて、誰かに敵わないと思ったのは一体何百年ぶりだろうか。

 拮抗していた両者だが、ゴール付近になってカナタが徐々に減速を始めた。どうやらこれはあまり効率は良くないらしい。カミトが涼しい顔で走るのに比べ、カナタは大粒の汗でぐっしょりだ。

 まあ無理もない。カナタは身体を動かしながら、最短ルートの見極め、次の動作になる支点の感知、強化対象外の肉体が傷つかないギリギリの魔力操作と、脳も限界まで稼働しているのだ。そこまでしてカナタが走る理由は……実に単純で、最も譲れない理由からだ。


「大丈夫。お前はちゃんと、お兄ちゃん出来てるさ」


 やがて一行は暴風を伴って城門へと駆け込んできた。順位はカミト、カナタ、遅れてティリスといった具合だ。涼しい顔の二人に比べ、カナタは今にも倒れそうなほど疲弊している。ちょっと子どもたちを焚きつけ過ぎたかもしれないと、心の隅で自戒する。

 呼吸の乱れたカナタを休ませ、四人での運び入れ作業が始まった。大きい荷物は全て私が『重力操作グラビティ・オペレイト』で運び、子どもたちは食器などの小物類をせっせと運び込む。作業は順調に進み、陽が落ちる前に全ての作業が終了した。

 まだ明るいが、もう数刻で日は落ちるだろう。物足りなさそうにしているカナタとティリスを、やや強引に城まで送り届けた。あまり連れ出すと国王の機嫌を損ねかねない。そんなくだらない事で新たに手にした新居が燃えてなくなるのは御免だ。


 それから陽が落ち、そろそろ夜行性の魔物が動き始める頃合いだろう。さて、極めて円滑に進んだ一連の作業だが、ここで一つ問題が発生した。城から拝借した食材をせっせと調理しながら、隣で難しそうに揺れる白を見る。

 そう、問題とはコイツだ。カミトとの契約では、新居の造設をするまでしか条件付けされていないのだ。もう家が完成してしまった以上、私がカミトを匿う理由はもうないのだ。

 別段、カミトが居ることで私が不便な思いをすることはない。だが、親身に世話をしてやる義理もない。この可哀そうな子どもをここで見捨てるか否か。考えているうちに、珍しくカミトの方から声がかかった。


「ねぇ、ロウリィ」


「ん? なんだ?」


 切った野菜を硬いものから鍋に放り込み、適量の水を鍋の中に生成する。焜炉に火をつけ、ひとまずこちらは終了した。私は鍋に蓋をし、少年の様子を伺った。カミトには味付けに使うスパイスと、後から乗せる肉の下ごしらえを頼んである。その作業に集中する素振りを見せてはいるが、ペースが明らかに落ちている。

 この少年は感情が無意識のうちに行動に現れる。恐らくこれからその口が語るのは、その胸に燻ぶる黒い渦に関わることだ。


「ローランって名前、知ってる?」


「ん? 知ってるぞ。お前が言っているのはローラン・ヴァン・デュランダルだろう?」


「う、うん」


 この大陸に生を受けた者であれば耳にタコが出来る程聞いた名だ。今から約千年前。荒ぶる精霊、幻獣を沈め、人の尊厳を取り戻した、この世で最も有名な英雄だ。

 しかし、世界から隔離されていたカミトが何故その名を気にする? 少年の纏う空気が少しずつ変わるのを感じながら、私は探るように言葉を続けた。


「知っているさ。自分の名前も分からないほど老いちゃいない」


 カランと、金属製の調理器具が床を叩く音がした。普通であれば、人間が千年も生きられるはずがない。嘘も大概にしろ。これが正しい反応だろう。

 だが、眼前の少年は呆けた口を閉じようともせず放心している。再び色を取り戻した紅の瞳は、自信無さげに揺れ出した。


「そ、そんなわけないでしょ……? だってあれは」


「その通り、千年前を生きた人物だ。そして、その後千年生き続けた人物でもある」


 直後、揺らぎの色が戸惑いから怒りに変わった。


「ふざけるのもいい加減に───」


「ステアフィロートの城に伝わる宝剣を知っているか?」


 怒りをはらんだその言葉を、私は問いで掻き消す。この少年は私の正体に既に気付いているはずだ。だというのになんだそのつまらない反応は。カミトには悪いが、私は粗野な茶番に付き合ってやるほど優しくはない。


「……うん。確かエクスカリバーって名前だった」


 気圧されたような小さな声だ。だが構うことはしない。私は教科書を読むように話を次へと進めた。


「あの剣が宝剣たる理由は?」


「その剣が、無限の魔力を与える力を持っているから」


 王の間に重々と鎮座する黄金の剣、エクスカリバー。城の中に入った人間で知らない者はいない。それほどの存在感を放ち、また名声を持つ剣なのだ。


「何故、剣を装備するとその無限の魔力が使えると思う?」


「……分からない」


 予想通りの返答だ。子気味よく進む話に、私は徐々に気分が乗ってきた。


「剣の内包する魔力は、装備した時点て装備者の体に宿る。だがここで……一つ問題が発生する」


「……それは?」


 私は煮立ち始めた鍋を箸で突き、話を続けた。


「人間の身体が、その魔力を留めていられる造りになっていないことだ」


 手近な物で例えるならこの鍋だ。人間を鍋として魔力をここに張られた水とするなら、鍋の許容量を超える水を入ればどうなる? 答えは簡単だ。器の許容量を超えれば水は溢れる。

 鍋であれば噴きこぼれる程度で済むだろう。だがこれが蓋のない、密閉された人間で起これば……何が起こるかは明白だ。膨れ上がり、破裂する。空気を入れすぎた風船のように。


「だから剣は装備者の身体を、自分()の好みに作り替える。あの宝剣の場合は無限の魔力を内包出来る身体に、装備者の体を弄る」


 勿論誰でも扱えるというわけではない。剣による肉体改造に耐えられるだけの強い身体、加えて剣と装備者の相性が良くなければ即刻肉片になるだろう。適合するかどうかは剣を握るまで分からない。決死の覚悟でもない限り、剣に挑戦しようなんていう愚か者は居ない。

 よってあの宝剣はその能力を発揮する機会を持つことなく、飾り物として保管されているのだ。


「これを言い換えるならば、剣の能力を装備者に付与するという事だ。そろそろ私が何を言いたいか分かってきたか?」


 ふと気付きてカミトの方に視線をやると、途中で作業の止まったスパイスが目に入った。全く、これがなければ美味い飯は作れないというのに。

 私の語りに呆気にとられ、すっかり手が止まったカミトからスパイスを取り上げ、話は料理の仕上げ作業と並行することにした。


「つまり……デュランダル。不滅の剣の能力を、ロウリィも持っている……?」


 震えた声で、絞り出したようにカミトが答える。スパイスと一緒に取り上げた肉を火にかけ、私はそれを訂正した。


「半分それで正解だ。能力は持っているのではなく与えられているに過ぎない」


「そ、そんな話……」


 まあ信じる方が無理というものか。なにせ今語ったこと全て、確証とする証拠が一つもないのだ。さて、この子を信じさせるにはどうしたらいいか……。

 そうして伏せた視線の先で、カミトが取り落とした包丁が目に映った。


「ふむ、丁度いい。その包丁で私を刺してみろ」


「え? いや、でも!」


「いいから思いっ切り刺してみろ。証拠を見せるにはそれしかない」


 何故自分がこんな真似をしているのか分からない。王城でロウリィと幼名で名乗ったのは、こういった類の面倒事を避ける為だったはずだ。


 カミトが落とした包丁を拾い上げてから、たっぷり五分が経過した。鍋に特製スパイスを投げ入れ、ダマにならないよう掻き混ぜる。

 カミトは人を傷つけることを酷く嫌う。きっとその性格を作ったものこそ、彼の渦の正体だ。自身に燻ぶる渦を払拭したいという感情と、再びトラウマの再現をしてしまうのではないかという恐怖。知識欲と理性が激しくせめぎ合っているのが伺える。

 勿論、ローランが英雄たる理由。不滅の剣デュランダルを見せる事も出来た。だが、それでは私に与えられた不滅属性を証明することが出来ないのだ。

 ローランの名は、少年にとってそれほど重要な名前なのだろう。しかし、時間が掛かりすぎている。これでは話が先に進まない。


「遅い。時間切れだ」


 硬直するカミトから包丁を取り上げた。包丁を逆手に持ち替え、私は躊躇いなく己の腹へと突き刺した。


「あっ……!?」


 堪らずカミトが両手で顔を覆う。いい加減少しイライラしてきた私は、覆った手を掴み、服が破れて剥き出しになった私の腹へと押し当てた。

 きっとこの小さな手は、驚くほどに冷え切っているのだろう。それも、私にはもう分からない感覚だった。


「こ、こんなことって……」


 カミトの白い顔が、みるみると青に染まっていく。その目が湛えるのは脅えと疑心。"折れた"包丁の突き立った私の腹に、紅蓮の双眸は縫い止められたように留まっている。

 服は多少破れたが、その下、薄肌色の素肌に傷は全く付いていない。今から千年前、デュランダルを始めて握った時から。この肌が形を変えたことは一度たりともなかった。


「デュランダルに与えられた不滅属性の能力はその名の通りだ。私の身体は、外傷を一切負わない。それは剣で斬られても、魔法で撃たれても同じだ」


 私は握っていた手を離し、代わりに己の右手で刺した箇所をさする。驚愕のあまり床に座り込んだカミトを見下ろし、私はこの話を締めくくるべく口を開いた。


「そして不滅ということは、握ったその時点から不変であるということだ。私の刻は、剣を握った十七歳の頃から一秒足りとも動いちゃいない」


 見開かれた大きな瞳と視線が交差する。その瞳に既に脅えはなく、代わりに別の色が現れていた。熱を帯びたそれの色は確信、そして決意と呼ばれる類の色であった。

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