第三話 良識の叫喚
「ほらカミト! 起きなさイ!ネェ、ねぇっテば! ティリス達が迎えに来てるワヨ!」
「ん……? うわっ、もうこんな時間!?」
「そうヨ! ほら起キて起きテ!」
「ま、待ってよウル!」
バタバタと騒ぎながら一人と一体は部屋を転がるように出て行った。喧騒が去った部屋で取り残された私は、ポツリと一つ呟いた。
「馴染むの早くないか……?」
♢
城に厄介になってから既に一週間が経った。カミトと名づけた糞ガキは、初めは部屋の隅で置物のようにじっとしていたが、王の娘の猛襲により引き摺られながら、毎日のように何処かへ連行された。そのおかげか、少しずつだが年相応の表情を取り戻しつつある。
王の娘とはなんとも強引な性格だ。引きずりまわされてばかりいるが、なんだかんだでカミトも楽しそうにティリスと遊んだことを話して聞かせてくれる。
ティリスは見た目通りカミトと歳も近く、あの日以来彼女とはよく遊ぶようになっている。
武器庫は想像していたものより手狭だった。長らく使っていなかったためか、始めは随分と埃っぽくじめじめとしていた。武器庫が湿っていてどうすると思ったが、聞けば三年以上は放置されていたらしい。
ここは騎士団や衛兵の武器を保管する倉ではなく、門番や警備の武器を保管する場所だったと、案内をしたメイドは言った。
手狭とは言っても、この場所は確実に私の家より広い。二人で住むには十分だ。子供のお守りは姫様が買って出てくれているので、私は作業台を拝借して新居の設計図を書くことに専念している。
ちなみにウルだが。完全にあの少年と意気投合している。警戒していたのは最初だけ、姫やその双子の兄の王子と遊ぶうちに警戒心も童心に還ったらしい。精霊にも、人間と同じように幼心があるのかは知らんが。
そんなことを考えながら、広げた用紙に図面をサラサラと描く。これは新居の製造図だ。普通ならば業者に頼めば済む話だと思うのだろうが、それでは速度に難がある。王国裏の小山はそれなりに標高も高く、魔物も出る。上と下を行き来するだけでも重労働だろう。ならば私がさっさと組み上げた方が早く済むし確実、というわけだ。
私は昔この手の仕事を齧っている為、図面を描くのは容易だった。
「後はここにこれを……ん?」
倉庫の扉の前にこちらを伺うような気配が現れた。この感じは……ふむ。どうやら遠目に伺うだけでこちらに干渉するつもりはないらしい。丁度作業にも飽きてきたところだ。少々脅かしてやろう。
イタズラなど何時ぶりだろうか。芽生えた邪心に逆らうこと無く、私は一つ魔法を唱えた。
『惑え』
小さく略式で唱える。身体が少し窮屈になる感覚を感じながら戸口へと向かう。抜き足……さし足……ふっふっふっ……
「やあ王子!」
「わぁ!? び、ビックリした……」
扉の前に居たのは背の低い金髪。驚き見開くつぶらな瞳は、カミトの物よりやや明かるい赤。やはりティリスの双子の兄であるカナタ王子だった。だが、一緒に外へ出かけたはずの王子が何故一人で居るのだろうか。イタズラの前にその疑問だけ解消しておくことにした。
「どうした、アイツらと一緒じゃないのか?」
「あの二人と同じ外遊びをしてたら、ボクの身体が持たないよ……」
「ああ……なるほど」
カミトは例によって、人の身では有り得ない異常な身体能力を持っているからそれも頷ける。だが、それは姫も同じだったのだ。
ステアフィロートの王家には代々とある力が継承される。その力は精霊より賜りし力、『精霊の加護』と呼ばれる力だった。『精霊の加護』とは精霊が気に入った人間に分け与えた力だとウルは言った。人間を超越する存在である精霊が、己と波長の合う人間を見つけた時に、その強大な力から一部を分けて与えるのだと。
加護によって得られる力は与える側の精霊に依存するが、与えられた人間をその者が抱く望みに近付けるものが大半だ。波長が合うものを選ぶのだから、それも当然のことだがな。
加護の力の一体なにが強力かと言えば、その力の行使に魔力を一切消費しないという点に尽きる。加護の力は宿主の精神力が関わってくる。かいつまんで話せば、ガッツがあれば力をいつまでも使い続けることが可能だということだ。
まあそんな例はあまり聞いたことがない、極々稀なパターンである。通常は一時間も継続して力を使えないケースが殆どだった。
さて、話を戻そう。王家の人間に継がれる加護の力は『身体強化』。文字通り身体能力が上昇する加護だ。そしてこの力は、前述で言う極々稀なパターンに該当する。
『身体強化』は、身体能力を劇的に増加させる。この力は抑えることこそ出来るが、基本常時発動されている。精霊の思惑としては、刺客などから守るための自衛の策だったのだろうが……正直あまり意味のない加護だった。例えるならば、クラスの中で一番運動が出来る子が育つ。という程度の気休めのような加護である。
きっとこの力を与えた精霊は可能性を与えたかったのだろう。努力すれば、己の力で何者にも負けない力を得られるぞ、とな。
しかし、この双子はその継がれ方が少々特殊だった。この双子はなんの間違いか、本来二人に均等に与えられるはずだった加護が、妹の方に偏って宿ってしまったのだ。いやそれだけではない。それは末代まで継がれるはずだった力を、ティリスが全て吸い尽くしたかのような宿り方であった。
よって、姫であるティリスは歴代王家で最高の怪力を誇っているという。ここでは仮にそれを、『超身体強化』と呼ぼう。
その力の強大さは何度か見たが……握ったコップは微塵に弾けるわ、手に取ったスプーンは即座に折れるわ、一度癇癪を起せば石造りの壁が一部吹きどぶわと。怒れる巨人族顔負けの怪力っぷりだった。
出産時に油断して姫に触れた医師が大怪我を負ったという噂も聞くが……その真偽や如何に。
まあ要するにだ。姫は今まで、己の力を抑えなければ人と関わる事が出来なかった。ところがそこに、カミトという彼女と対等に関われる存在が現れてしまった。今も時折外から爆発音が聞こえてくるが、十中八九奴らの遊びの影響だろう。
そんな中に、ただの一般人が混じって遊べるわけがない。
「そりゃあ無理だな。うん、ドンマイ」
少し寂しそうな頭にぽんと手を置く。すると王子は恥ずかしそうに頬を赤くした。全く可愛い反応である。カミトにもこれくらいの可愛げがあれば、もう少し世話にもやる気が出るというのに。
さてと……そろそろ始めるとしよう。
「だがお前には姫にはない……うっ!?」
「……? ロウリィさん?」
王子が私の顔を覗き込んだ瞬間、私は窮屈な殻を破った。
「があああ……!?」
私の口から白い腕がにゅっと伸び、振るえる王子頭を掴む。これは下級闇魔法の『義体外装』だ。下級魔法の中でも第三階位に位置するこの魔法は、その名の通り自身の周りに偽装の殻を生成する。通常であれば暗殺者などが変装に使う魔法だ。
私はこの魔法を使い、自分に自分と全く同じ外見の殻を被せた。つまり傍から見れば、私の口をこじ開け、別の人物が這い出して来るというなんとも気持ちの悪い絵面となる。
今思うと、幼子にするイタズラにしては多少グロテスクだったかもしれない。だが、カナタの美味しい反応で猶々イタズラ心が育った私は止まらない。
「あ……ああ……」
恐怖に震えた王子が一歩二歩と後退しようとするが、掴んだ手がそれを許さない。演技の悲鳴を徐々に悲痛なものに変え、私は肩口まで這いだした。
「アアアアアア───」
「ひっ……ひぃぃいいい!?」
王子が目を剥いて悲鳴を上げた。首を振ったり私の手を叩いたりと、見せる必死の抵抗が私の嗜虐心を大いに煽る。
だがどれほどもがこうと、私の手から逃れる事は出来ない。やがて手は少しずつ伸ばし、肩、頭と私は殻から徐々に身体を引き抜いた。
そこまで抜け出して、私はようやくある事実に気付いた。
「あっ、やばいやり過ぎた」
殻により遮られた視界が戻り、目がよく見えるようになってやっと気付いた。私が頭を掴んだ王子が、恐怖の余り立ったまま泡を吹いて気絶していたことに。
「あはは……これ、見つかったら殺されるのかな」
そう思うと若干の焦りが生まれた。私が殺されるということはまず有り得ないだろうが、一応私はこの城に厄介になっている身だ。あまり問題ごとを起こしたくはない。
即決即断。私は泡を吹く王子を素早く抱え、駆け足で武器庫の中へと引き返した。
♢
「カミト! 行くよー!」
「ちょっ、ちょっと待っ」
「待たーん!!」
ドンッ───
爆音が轟き、大地が震撼する。僕は咄嗟に左へ飛び退る。直後はためいた服を掠め、引きちぎりながら、弾丸と化した少女は豪速で通過した。
「死ぬ! 死んじゃうから!」
「大丈夫大丈夫! カミトなら死なないって! 行っくよー!」
「ひいっ!?」
ロウリィの奴隷として、城に住み始めて一週間が経つ。ようやく新しい識別番号……いや、名前に慣れてきた頃だ。だというのに、新環境に落ち着いて早々、僕は絶賛命の危機に瀕していた。
フリフリの可愛らしい服を纏った、可憐な少女の手によって。
「待てー!」
「絶対待たない!!」
城の裏山を潜り、全力で後方の爆音から逃げる。振り返ると、美しい黄金の髪と秀麗な純白のスカートを暴風にバタバタと靡かせ、少女は木々を薙ぎ払いながら速度を落とすこと無く追い縋る姿が見えた。
後方に、まるで範囲魔法で一帯を吹き飛ばしたような惨状が広がる。普通、追いかけあいっこでこんな事態にはならない。
「あははっ!楽しいね!」
「僕はあんまり楽しくないかな!?」
喉がはち切れんばかりに叫び返して、木の枝を蹴り飛ばした。もっと速度を上げないと、このままではすぐに追い付かれてしまいそうだ。
肩越しに振り返り、後方の様子を目で伺い……瞬時に後悔した。今天高く吹き飛んだ大樹は、どうか幻覚であって欲しい。
ティリスは『精霊の加護』の力により常識外れの身体能力を持っているらしい。加護持ち自体はそんなに珍しい存在でもないらしいのだが……この国の常識をよく知らない僕は、『精霊の加護』がなんなのかをよく知らない。
だから現状ろくな対策も出来ず、ただただ逃げ回ることしか出来ていなかった。
だがこのまま逃げ続けていても仕方がない。逃げながら、彼女の加護について整理しよう。
まずは加護の能力についてだ。身体能力の強化とは、一体どこまでだ?
「くーらーえっ!」
「へ? うおぉ!?」
気合いの声に振り向くと、引っこ抜かれた樹木が轟々と音を立てながらこちらへ一直線に飛んで来ていた。慌てて木の枝から飛び降り、直撃を回避する。
後方で今まで聴いた中で一番の爆音が鳴った。気を抜けば、僕の細身など瞬時に潰れてしまうだろう。
これのどの辺りが遊びなのか……一度ティリスに懇切丁寧に教えて貰いたいところだ。
「くっそー外れたー!」
「当てちゃダメでしょ!?」
叫び返してひた走る。と、ここであることを思い付いた。今まで攻撃を避けることで頭がいっぱいだったが、逆に僕が攻撃した場合はどうなるのだろう?
右手に魔力を込め、手近な木にめがけて思いっきり振り抜いた。スパッと、容易く一刀で大樹は切断出来た。
「そっちがその気なら……こっちだって!」
倒れかかる木を細かく切り分け、ティリス目掛けて蹴り飛ばす。放たれた丸太は、極大の弾丸に姿を変え、笑顔で待ち構えるティリスの許へと飛んで行った。
断続的に飛翔する丸太の弾丸は、しかしティリスの拳によって尽く粉砕されてしまった。普通の人間の少女に、このような芸当は到底不可能である。
───動体視力も強化されているのか。
こう考えるのが妥当だろう。今見た光景を余さず観察し、彼女を分析する。だが見れば見るに程、この能力がデタラメだという結論しか浮かばない。魔力による肉体強化の究極系とでも言おうか。硬い丸太を素手で殴っている拳にすら、かすり傷一つついていない。
───なるほど。だったら……
僕はこの防戦一方の状況を打開すべく、彼女から一度姿を隠した。草むらの中から、微塵に砕かれた木粉と、ティリスの巻き上げた砂埃が晴れるのをじっと待つ。
「へっへーん! どうだーってあれ。カミト?」
ようやく晴れた砂塵の中、少女が辺りを不思議そうに見渡している。
───第一段階、成功。
僕の勝利条件は……ハッキリ言ってかなり厳しい。あの怪力少女に捕まることなく、逆に捕まえなければならないのだ。今は追いかけっこの状況になっているが、勝利条件は共に同じだ。
そして、僕とティリスでは致命的なまでに地力に差がある。全くなにが最強の兵器だ。一歩外に出た途端にこの為体ではないか。
「分かった、今度は隠れんぼね!」
そう言ってティリスは辺りを今度は探るように目を細めた。その様子を、僕はこれまでよりも集中して観察する。
───よし、第二段階も終了だ。
彼女の能力が、身体の何処まで及んでいるのかを探ること。さっきの攻撃で反射神経、つまり感覚器官にも効果が作用していることが分かった。
では、視覚は? 聴覚は? 嗅覚は? それを確かめるのが作戦の第二段階だ。
そして今、彼女が僕の視認できない範囲まで探っているのを見る限り、視覚も強化の影響を受けていることが分かった。
───それなら、プランAで続行だ。
それさえ分かれば十分だった。ここまで強化が及んでいるのだ。聴覚と嗅覚だけ除け者、なんてことはないだろう。
ティリスの加護の分析を終えた僕は気配を殺し、次の作戦へ移行すべく移動を開始した。
「……!? そこかっ!」
地面が抉れる程の力で跳躍し、ティリスは"音"がする方へ全力で突進する。
彼女の受けた恩恵は感覚器官にさえも作用する。つまり、聴力にもその力の影響が及ぶという事だ。その強化された聴力はきっと、遠方で生き物が草を分けて移動する音をも聞き取るだろう。
───第三段階、終了。
ティリスの誘導に成功し、僕は音を立てずに駆け出す。
駆け出した先で、ティリスは"僕"と揉み合っていた。やはり力では彼女に敵わなかったのだろう。予定通り"僕"はティリスに押し倒されていた。
その背中に気配を殺して近付き、僕は右手に握った得物を思いっきり振り抜いた。
「がっ────」
短刀に見立てた木の棒が、寸分違わずティリスのこめかみへ直撃する。強化されていようがいまいが、人間の急所は一緒なはずだ。
問題は僕の腕力で彼女の恩恵を撃ち破れるかどうかだったが……うむ。この様子ならば上手く入ったのだろう。
通常の人間であれば、平衡感覚を失い気絶するはずなのだが、やはり強化の影響でそこまで上手くはいかなかったようだ。組み倒した"僕"に覆いかぶさるように倒れ、苦しそうに喘ぐ少女を見る。
僕は確かに本気で殴ったはずだ。それでまだ意識を保っていられるとは。改めて、加護の力の偉大さに舌を巻く。
───第四段階成功。
僕は囮に使った分身魔法を解き、未だ起き上がることが出来ないティリスを見下ろす。
───次で最後。
そう思って右手を腰の後ろに回し……
回して、どうするんだ? 僕は……僕はいったい、この子をどうするつもりで……
「うっ……ううっ……」
苦しそうに呻くティリスを見て、僕はようやく我に返った。慌てて駆け寄り、まずは気道を確保。次に楽になる態勢に寝かしてやり、全身の緊張を解いてやる。
「ごめん。ちょっとやり過ぎた……」
ティリスの呼吸が落ち着き、手足の自由が効くようになったのを見届けると、僕は堪らず深い安堵の溜息を吐いた。最後の一瞬。僕は間違いなく彼女を殺そうとしていた。余りに夢中になりすぎて、本気になりすぎて、無意識のうちについ手が動いていた。
捕まえるだけならばもっと他に案はあった。怪我をさせない方法だって……
「ごめん……大丈夫?」
「うん! ちょっとビックリしたけど、もう全然苦しくないわ」
ふわりと咲いた暖かい笑顔はまるで天に昇る陽光のようで、僕にはその光が身を焦がすほどに眩しく思えた。眩しすぎて目がくらむ。とてもじゃないが直視出来なかった。
なんとか返せた笑顔は酷く歪だったと思う。
「心配だから、お城までは僕がおぶるよ」
「えっ、本当? じゃあお願いしようかしら!」
手を引いて助け起こし、未だ足取りのおぼつかないティリスを、僕は背中に背負った。
何処か嬉しそうな温もりが、火傷しそうな程に熱い。でも降ろすことはしない。この熱さはきっと、罪を犯した僕へ与えられた罰だから。
今しがた僕が消そうとしていた背中の灯り、痛いくらいに熱い人肌の暖かさにほっと息を吐く。その熱の優しさと柔らかさが、胸の辺りを強く締め付けた。
「僕はやっぱり……」
「うん?」
なんでもないと首を振り、下山を開始する。散々に破壊された山を眺めながら歩いていると、不意に背中にかかる重さが増した。
「寝ちゃったのか」
すぅすぅと言う寝息まで聞こえる。首筋に当たる寝息が少しくすぐったい。
しかしまあ、頭部を棒で思い切り殴った相手の背中で何故ここまで安心出来るのだろうか。ティリスの豪胆っぷりに、本日何度目かの溜息がこぼれた。
「ねえネえ」
突然隣に、淡い光と共に生き物の気配が現れる。ウルだ。
「どウシてそんなに強いノ?」
本当に不思議そうにウルは首を傾げる。悪意のない、ただの興味から来る問いだとは分かっていた。だが、暗く荒んだ僕の心は逆立つ一方だ。
───強い? 強いだって?
「僕が強いわけないだろ」
「え? アッ、チョっと!」
僕が強かったら、家族は傷つかなかった。血だまりを作ることもなかった。
僕は頭を左右に振って、沈む思考を強引に止める。やめよう。自己嫌悪に浸ったところで、強くなれないのだから。
「ごめん、八つ当たりだった。僕はここに来る前に、色々訓練を受けていたんだ」
「へェ〜! どんナ訓練だったノ?」
その後は城に着くまで、ウルに僕が受けていた訓練の内容を話して聞かせた。終始楽しそうなウルの笑顔に、ほんの少しだけ気分が晴れた気がした。