盆祭り
その年晋太郎は母親から、今年の盂蘭盆会はお前が主役なんだよと、何度も釘を刺されていた。晋太郎は何を言われているかよく分からず、ただ首を傾げ、純粋な瞳で母の額を見た。
晋太郎は今年6つになる長男である。東北の片田舎にある村の平凡な一農家に生まれ、周りを囲む大自然に親しんで生きてきた。教育はない。だから盂蘭盆が何なのか知らない。ただ、毎年8月になると、村中が落ち着かない雰囲気に包まれ、やがて夜の道を鮮やかな松明を灯した行列が歩くことを、子ども心に覚えている。
「母様、盆って、何をするの?」
それが彼の口癖になった。そのことを問われる度、母はただ莞爾とするだけで質問には答えなかった。ただ、
「いずれ分かるよ。」
と言うだけだった。それは親ながらに子供に期待感を抱かせようとするものであった。
ある時、隣の家の巴子と例のように庭で遊んでいた時、晋太郎は
「巴ちゃんって、うらぼんえが何だか知ってる?」
と聞いた。巴子は驚いたように彼の顔を見て、しばらくうんうんと考えているような素振りを見せたが、諦めたように
「わかんない。」
と言って笑った。晋太郎もつられて笑った。それきり盂蘭盆の話題は出てこなかった。
やがて8月になる。今年の夏は比較的涼しい。作物もよく実る。働き手の男たちは、
「ご先祖様が、俺たちに恵んでくださってるのかもしれんなあ。」
と話し合って、各々家にある魂棚を一層雅に飾り立てた。
晋太郎は、巴子が夏風邪を引いたというので遊び相手もおらず、退屈で庭を歩き回っていた。時折生垣の向こうから楽しそうな子供たちの声が聞こえてくる。仲間に入れてもらおうかとも思ったが、元来人見知りな性質だったから、声をかけあぐねている間に、やがてその声は遠ざかっていってしまう。その度に悔しくて泣きたくなる。
「どうして僕は内向的なんだろう。」
とずっと考えた。しかし何も答えは出せなかった。代わりに庭に来訪する蝶やかぶとむしを追いかけているうちに日が暮れた。玄関から母が声をかけた。晋太郎は内へ入った。
玄関先に入るとすぐに、袴をはいた父を見た。晋太郎は不思議に思った。
「どうしてそんな恰好をしているの?」
「ご先祖様が、いらっしゃるからだよ。」
「ご先祖様?」
「御祖父ちゃんや御祖母ちゃん、さらにまたその御父さんや御母さんのことだよ。」
「爺様も来るの?」
晋太郎は爺様が大好きだった。晋太郎に生きていくうえの心得を教えたのは彼だった。いつも髭を蓄え、縁側で晋太郎の遊ぶ姿を見てにこにこしているような、気性の穏やかな人だった。爺様は物知りだった。晋太郎が不思議に思ったことは、何でも爺様が教えてくれた。ある日、晋太郎が
「お天道様とお月様はなんで一緒に出てこないの?」
と質問したところ、爺様は笑って
「お互い照れているからだよ。」
と言った。それが何だか晋太郎は面白くて心に残った。そしてあくる日巴子に教えた。巴子は笑って、
「やあね、お天道様もお月様も、もっと堂々とくっつけばいいのに。」
と言った。爺様は晋太郎が4つの時に死んでいた。
「ああ、きっと来るさ。」
「本当?」
「本当だとも。」
それを聞いて晋太郎は嬉しくなった。今すぐまた庭に出て走り回りたい気分になった。すると父が
「でもね、ご先祖様をお迎えするために、お前もしなきゃならないことがあるんだよ。」
と言う。
「なに?」
「今日の夜、お前に松明を一本渡す。それに火をつける。それを持って、裏山にでも行くんだ。」
「どうしてそんなことするの?」
「ご先祖様が、道に迷わないようにするためだ。」
「でも爺様は、家をよく知っているよ。」
「爺様は、死んでしまったから、家までの道を忘れてしまったんだ。だから心して、ご先祖様たちを案内しないといけないんだよ。いいかね?」
「はい。」
夜になった。晋太郎は松明を渡された。すぐに火をつけると危ないからと言って、裏山の開けたところへ行った。
火を灯すと、今まで闇に紛れていた山の景色が浮かび上がってきた。夜の山は森としている。たまに吹くそよ風に杉の枝が揺れる音が聞こえる。松明の周りには、羽虫の飛んでいるのがぼんやりと見える。よく耳を澄ましてみると、近くに川が流れている。そこまで行ってみると、たくさんの小さな光が空に浮かんでいる。蛍である。晋太郎は、美しいと思った。普段は早く床に就くから、この時間まで外にいたことはない。夜の外は静かである。それがなんだかうれしい。今まで味わったことのない世界に飛び込んで、内心高揚しているのだった。浮かれ気分で山の麓を歩く。やがて小高い丘に出る。見通しのいい、この村では有名な丘である。疲れたから、そこで休むことにした。
近くの切り株に腰を下ろす。ザラザラとしていて少々尻が痛い。丘からは村の家々が見える。皆盆だからか、明かりの未だ灯っているところばかりである。時折子供の笑い声が聞こえる。それに和するように、虫の鳴き声が大きくなるような気がした。
急に晋太郎は家に帰りたくなった。初めての外の闇に対する興奮も、幾分冷めかけていた。帰ろうと思った。切り株から腰を上げた。
その時、一陣の風が吹きおろし、晋太郎を包み込んだ。
かざした手を下ろしてみると、暗闇に何者かがいる。どうも人らしい。晋太郎はどきりとした。こんな時間に外に出ているなんて誰だろう。しかし、もしかすると帰りの遅いのを心配した親が迎えに来てくれたのかもしれない。晋太郎はそちらへ松明を掲げた。それとほぼ同じ瞬間、その人物が死んだ爺様であることが分かった。
爺様は生前と同じ容貌だった。長い髭も、鋭いが穏やかな眼も、曲がった腰も、全て生前そのままだった。晋太郎は驚いたが、恐怖は感じなかった。むしろ懐かしくて、今すぐ駆け寄って縋りつきたいと思った。
「じいさま。」
と晋太郎は呼びかけた。爺様はただ微笑むのみである。何も口をきかない。晋太郎は物足りなくて何度も呼びかけた。その度に爺様は莞爾としてただ頷くのみである。そのまましばらく向き合った。やがて爺様は、時が来たようにゆっくりと踵を返し、晋太郎に背を向けた。
爺様が往ってしまう、そう直感した晋太郎は泣きながら、じいさま、と叫んだ。しかし爺様はもう振り返らなかった。吸い込まれるようにして盆の夜へ消えた。後には晋太郎と、半分燃えた松明だけが残されていた。
晋太郎はもうすぐ25になる。妻子もいる。夫婦そろってよく働くと近所でも評判である。今でも盆の季節になると、あの時のことを思い出す。思い出す時は、いつも清新な気分であった。
あの日以来、晋太郎は不思議なことには出くわしていない。




