表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

迎え火の故郷

作者: 宮村 鴻

第三回yahoo文学賞に応募しようとして、締め切り間違えて送れなかったものです。

テーマは「思い出」。書き足りない所がありますので、ぜひぜひ、評価、感想をお願いいたします。

 電車の外に出ると、見渡す限りの森と夏独特のむわりとした空気に包まれ、蝉の鳴き声に聴覚を占拠された気分になる。目につくようなビルは一つも見当たらない。この、自然以外何も無い場所が、俺の故郷だ。

 三年前、この駅から長い時間をかけて東京に出て、それからは一度も帰ってなかった。忙しかったのもあるが、それよりも、帰りたくない、という気持ちの方が強かった。ここが嫌いな訳ではない。だけども、ここに帰る、と思うことが出来なかった。

 駅から出ると、入り口にお袋が待っていた。

 三年見ない内に小さくなったように感じるお袋の後について、俺は荷物を持つ。幼いころから全く変わっていない黄色いナンバープレートの軽トラックの荷台に荷物を乗せ、俺は助手席に乗り込んだ。

 駅は山の中腹にあり、そこから村に降りていくと村の全貌を見る事ができる。何一つ変わった様子のない村をぼんやりと見つめていると、カーブの度に身体が振られるのが分かる。ふと、前を見た。高校三年間毎日のように通った道のカーブの一つ、そこを曲がろうと車体が動いた時だった。何とも言えない不快感が身体の中を逆流し、喉元までせり上がってきた。

 思わず口を押さえて前屈みに身体を倒す。

「英治!? どうしたの? 酔った?」

「……何でも、ないよ。大丈夫。行って」

 景色が見えていない分、振動と揺れがダイレクトに伝わってきて気持ち悪い事この上ないが、今は顔を上げたくない。景色を見る事が怖い。俺はこの景色を恐れている。

 やがて伝わる振動が、整備された道路のものではなく、でこぼこの農道に変わった頃、俺はようやく顔を上げた。さっきまで下ってきた山はすでに後方にある。ほっと息を吐いて背もたれに身体を預けると車が止まり、運転席に視線を向けるとお袋が少し眉間に皺を寄せて俺を見ていた。

「英治、大丈夫? 降りようか?」

「大丈夫だよ。ここまで来れば、すぐ家だろ。それに家で休んだ方が落ち着く」

「そう、じゃあ、行くけど。気持ち悪くなったら言うのよ?」

「はいよ、分かった。」

 さっき感じた不快感は引いていたがその名残が喉元に残っているようで胸をさすりながら、ぼうっと窓の外に流れる景色を見ていた。


 家に着き、車を降りると犬の鳴き声が聞こえてきた。

「コロ!」

 小さい頃から飼っていた柴犬のコロは俺の事を忘れずに覚えていたようで、俺の姿を見た途端鎖をがしゃがしゃ言わせながら、飛び掛からんばかりに前足を上げて吠えていた。

「元気にしてたかよ!」

 くしゃくしゃと顔を撫でてやると気持ち良さそうに目を細めて、鼻先を俺の手に押し付けてくる。この頃は年も取り、元気が無くなってきていると電話では聞いていたが、実際に見てみると年を感じさせないくらいに元気が良かった。

「後で散歩に行ってあげなさい」

「オッケー」

 三年も留守にしていたのに、ここは何も変わらない。何一つ変わっていない事に心が落ち着く。毎日が目まぐるしく変わっていく東京とは大違いだ。

 離れるのが名残惜しかったが、後で散歩に行くから、とコロの頭を撫でて俺は家に入った。

 二階にある自分の部屋へ行く前に居間に顔を出すと、相変わらず元気の良さそうな祖父母が待っていた。

「お帰り、英治」

「…なんだ。早かったな」

「うん、ただいま」

 優しい祖母と素直じゃない祖父にあいさつをして、階段を上がる。高校に行っている妹はまだ学校の時間で家にはいない。荷物を置いて窓を開けると、森からの風が少しの涼しさを孕んで流れ込んできた。外に出れば汗が出るのに、日陰にいれば充分に涼しい。東京にいる時はこんなことはなかった。日向にいても日陰にいても暑いのに変わりはなく、涼をとるにはクーラーの効いたどこかの店内に逃げ込むしか無かった。

 そんなことに耽っていると、外から犬の鳴き声が聞こえた。下を見ると、コロがぶんぶんと勢いよく尻尾を振ってこちらを向いていた。

「あ、散歩、ね」

 Tシャツとハーフパンツに着替えて階段を下りる。玄関に置いてあったリードを持って外に出ると、コロが鎖を限界まで引っ張って、もう若干二足歩行できるんじゃないかってくらいにぴょんぴょん跳ねていた。

 それほど嬉しいのか。

 足下にまとわりついてじっとしてくれないコロに悪戦苦闘しながら鎖をリードに付け替える。

 今日は久しぶりに山に行ってみよう。

 それに、今日駅から帰ってくる途中感じたあの嫌な感じの正体を探ってみたい。


 軽くジョギングをしながら、リードを握る。中高と陸上部に所属していた俺にとってコロの散歩はちょうどいいトレーニングになった。コロは俺の走る速度に合わせて、俺のそばにずっと着いて走る。

 行きは意外と簡単に、通った途端に気持ちが悪くなったカーブも何事も無く通り過ぎた。さっきのは車に酔っただけなのだろうか。

 駅の駐車場で軽くストレッチをして、再びリードを握った。同じ道を下っていく。途中までのカーブは問題なく。やはり、このカーブ、だ。

 俺の足は突然動かなくなった。

 この先に行きたくないと全身の筋肉が硬直し、俺は指一本動かす事が出来ない。

 カーブを曲がった所でさっきまでとそう変わらない風景が広がっているはずなのだ。なのに、俺は何をこんなに怖がっているんだ?

 犬が吠える。その声にはっとすると、コロがリードをぴんと張って前に行っていて振り返ってこちらを見ていた。

「あぁ、…ごめん。行かなきゃ、だよな」

 でも、怖いんだ。この先を見るという事が。

 ……そういえば、なんで俺は、この村を出たんだっけか。

 もう二度とこの道は通りたくないと思ったんだ。でも、何故?

 コロがリードを引っ張る。足がぎくしゃくと動いていく。一歩一歩ゆっくりと、相変わらずコロが引っ張る力は強いが、足はそれに追いついていかない。

 崖側のガードレールに沿って歩く。だんだんと村の風景が見えてきて、そして、カーブが終わった。何も変わりはない。

 緊張していた筋肉が一気に弛緩して、俺はついその場に座ってしまった。コロが俺を気遣うように見てくるから、安心させるように頭や顎を撫でてやった。

 ほっと息を吐いていると、今降りてきた方から俺を呼ぶ声が聞こえた。目線をやると、白いワイシャツに黒のスラックスを合わせた格好の青年がいた。それは、こっちにいた時、一番仲良くしていた奴だった。

「彩人?」

「そうだよ。久しぶり! いつ帰ってきたの?」

「…今さっきだよ」

 座っている俺に手を差し出して、目配せをしてくる。素直に手を握るとそのまま引っ張られ、俺は立ち上がる事が出来た。

 彩人は小柄で、少し見下ろさないと彼と目線を合わせる事が出来ない。でも、こんなに小さかっただろうか?

「彩人、…縮んだ?」

「失礼だな。英治が伸びたんでしょ」

 偶然帰ってきた時にまさか彩人に会えるなんて、待ち合わせをしていた訳ではないのに素晴らしい偶然だ。

 そのカーブを抜けてからは何事もなく、俺は彩人の歩幅に合わせるように少しゆっくりと歩いた。

「ずっと帰ってこなかったよね? 忙しかった?」

「う…ん、まぁ、な。……あ、そういえば、お前だって成人式来なかったんだろ? 森田から電話きてさ、「彩人も来れなかったからな」って言われたぞ。お前こそ忙しかったのか?」

「え…? …覚えてないの?」

「何を?」

「僕のこと。」

「は? いや、覚えてるよ。だって、現に今こうやって喋ってるだろ」

「違う。そうじゃなくて……」

 全く要領を得ない。俺は彩人が何を言いたいのか分からないし、彩人は眉間に皺を寄せて黙り込んでしまった。

「なんだよ」

「ホントに覚えてないんだね」

「だから……」

「いいよ。今日はもう帰る」

 彩人はそう言うとさっと身を翻した。振り返った時にはもう遅く、彩人の姿は何処にも無かった。気付いてみると、もう山は下った後だったが、彩人の家はこっちだっただろうか。

 はっきりとしない違和感を胸に抱いて家に帰ったが、お袋の顔を見た瞬間、とっさに彩人と会った事は黙っていなければならない、と感じていた。

 居間では祖母が茄子ときゅうりに割り箸を折った足を刺している所だった。じっと見ていると俺の視線に気付いたのか、祖母がこちらを向いた。

「明日は迎え盆だからね。これは、きゅうりが馬で茄子が牛の代わり、ご先祖様はこれに乗って帰ってくるんだよ」

 俺は、漠然と、馬は随分早く駆けてきたのだ。と思った。

 それからしばらくして帰ってきた親父と妹と一緒に、久しぶりに家族五人で食卓を囲んだ。三年帰ってこなかった分、家族の質問は煩わしく思ったが、一人暮らしの俺は誰かと食事を摂るなんて久しぶりすぎて気にならなかった。

 その夜、昔のように妹と布団を並べて眠った。



 夢を、見た。

 その時俺は高校三年で、そこは散歩の時に通ったあのカーブ。一面真っ白な雪道の中心に誰かが倒れている。

 そこだけは雪面が酷く抉られて、赤い、液体が白を蹂躙していくのが分かった。

「彩人っ!」

 …そう、だった。間に合わないのは、分かっていた。

 それでも俺は何度も、何度も、彩人の名前を呼んだ。

 救急車のサイレンが近付いていたが、俺は少しでも彩人に近付きたい一心でもがき続けた。



 叫ぶように飛び起きると、息が上がっているのが分かった。

 呼吸で肩が上下するのを押さえられない。

 久しぶりに、あの夢を見た。当時、彩人が、死んだ時には毎日のように夢を見ていた。うなされて飛び起きたことは何度もあった。後悔しても、し足りない。あの時、もうすこし早く俺が彩人を追いかけていれば、彩人と同じ電車に乗れれば、彩人は死ななかったかもしれないんだ。

 だけど、現実はもう戻らない。彩人は死んでしまって、どうにもならないんだ。俺はそう自分に言い聞かせて過去を押し込め、無かったことにして上っ面だけを繕っていた。なのに、いつの間にかそれが普通になっていた。その方が苦しくないから、その方が傷つかないからだ。全て、俺が。

「ごめん、彩人」

 もう一度、彩人に会いたい。

 何を言っていいか、今は分からないけど、でも、もう一度会っておかなければまた後悔すると思った。


 朝になると、もう一度、山に登った。

 あのカーブに差し掛かる、そこには彩人が昨日と同じ格好でガードレールに座ってこちらを見ていた。目の前には昨日と寸分違わない彩人がいる。その姿が少し幼いと感じたのは、彩人が高校三年の時点から時を止めていたからだった。まだ、少しあどけなさが残るその顔には、俺にはもう無い青春時代の輝きが今でも秘められていた。

「おはよう」

「……彩人、俺、思い出したよ」

 彩人の言葉を遮るようにして言い切ると、彼は一瞬目をそらし、ためらうような素振りを見せた。本当に俺が彩人の聞きたいことを思い出しているのかまだ、信用できないのだろうと思う。

「何を?」

「…お前が、死んでるってこと」

「…………」

 彩人は黙って俯いた。

 まだ涼しい朝の風が俺たちの間に流れる。沈黙が続いた。

「……良かった。英治が僕のこと思い出してくれて」

 そう言ったが、彩人はまだ顔を上げない。俺は何も言わずにただ、彩人の次の言葉を待った。

「僕は、もうこれ以上年をとることは無いんだよ。…僕は、英治がこの先、どんなに年をとってもこのまま、十八歳のままなんだ。…僕はもうここにはいないんだよ」


***


 高校三年生の冬だった。その日は朝から雪が降り、このまま積もるかもしれないとニュースが騒ぎ立てた日だった。

 そんな日、俺は同級生の女子から告白された。彼女は彩人が好きな奴だった。

 でもそんなことも言えない俺は断ることも出来ずに一瞬黙り込んでしまった。

 はっきりした答えの返せない俺に業を煮やしたのか、彼女に抱きつかれた。

「私はこんなに好きなの」

 と、言われた言葉が昨日のように思い出せる。

 こんなにも積極的な子がこんな田舎にいるとは思わなかった。

 ただ、抱きついてきた彼女の身体も細かく震えていて、この行動にも恐らく一生分の勇気を使っているのだろう。そう思うと、彼女を邪険にすることも出来なかった。

 それが、間違っていたんだ。

 俺は断るべきだった。付き合う気がないのなら、突き放すべきだった。

 抱き返してはいけなかった。

「英治〜、まだ帰んないの? ……っ…?」

 がらっ、と音がして、聞き慣れた彩人の声が聞こえた。それから、引きつるように息を吸いこむ音。

 俺は彼女について、彩人から相談を受けたことがあった。彩人が彼女のことを好きなことを知っていた。それなのに、彩人が見たのは、俺と、その彼女が抱き合っているシーンだ。

「彩人!」

 俺はとっさに彼女の腕を振りほどいて、彩人を追いかけた。

 そんなに差はなかったはずなのに、校舎の中には彩人はいなかった。外に出ると、正に自転車に乗って走り出そうとしている彩人がいた。

「彩人! 待て!」

「嫌だ!」

 彩人はそう叫んで走り出した。

 俺も急いで後を追ったが、いつも走って学校まで来ている所為で足が無い。自転車に追いつく訳が無かった。

 駅に着くと、彩人の自転車が駐輪所に入れられずに転がっていた。それほど急いでいたのだ。

 電車は行ったばかりで一時間しないと次は来ない。待つしか、無かったのだ。

 彩人の自転車を駐輪所に入れて、鍵をかけてやった。鍵は後で返せるようにポケットに入れておいた。

 急いで出てきたからコートは学校に忘れてきたが、戻る気にはなれず、ストーブがぽつんとおいてある待合室で、手を擦り合わせながら電車を待った。

 次に来た電車の車両はがらがらに空いていたが座る気になれず、早く早くと落ち着かない心で窓の外をじっと睨んでいた。

 それから一時間。窓の外にはちらちらと雪が舞い、すきま風が俺の身体を刺した。

 できるものなら、今すぐ電車を降りて走って帰りたい。でも、電車で帰った方が早いに決まっている。


 駅に着くとすぐに開かない扉に舌打ちしながら、構内を飛び出した。

 朝から降っていた雪が随分積もり、走りにくいことこの上ない。それでも、俺は懸命に走って、あの、カーブだった。その前から救急車の音が聞こえていた。嫌な予感がしていたんだ。

 カーブを曲がり切る。目に入ったのは、コンテナの部分が横倒れになっている大型トラックの姿だった。

 俺の足下には彩人の自転車。ひしゃげて、ハンドルの部分はつぶれてしまっていた。

 コンテナが工事に使われる機械で持ち上げられている。

「被害者発見! 高校生だ!」

 ……目の前が真っ暗になった。

 

***


「彩人、…ごめん」

「中沢さんが英治のこと好きだなんて知らなかったよ」

「ずっと、お前に謝りたかった。俺は、中沢のことは好きじゃなかった」

「今更だね。…もういいよ。」

「あの後、中沢とは喋らなかったよ。喋れなかった。向こうも俺のことは避けてたみたいだった」

「……だから、もういいってば」

 言葉の最後が、震えていたように思えたのは俺の勘違いか。

 俺は彩人の目の前に立った。彩人は俺の影につられるようにして顔を上げた。その顔に光るのは明らかに涙。彩人は震えている手で、俺のシャツの裾を握りしめた。どれくらいの力がこもっているのだろうか、両手は白く、少しだけ、震えていた。

「英治も中沢さんもこれから未来がある。まだ何十年って生きていくんだ。そんな高校時代のことなんていつかは忘れることだって出来る。でも僕はもうずっと、思い出のままなんだ。思い出の中にしかいられないんだよ! それなのに、忘れられたりしたら、僕は、…僕の生きてきた意味は! ……なんにも、なくなっちゃうんだよ。謝ってもらわなくてもいい。でも、僕のことまで忘れないで」

「彩人、…ごめん」

「…忘れないで。僕のこと覚えててよ」

「ずっと、覚えてる。みんなが忘れちまっても、俺だけは覚えているから、もう絶対に忘れたりなんかしない」

「怖いんだ。いつか、誰の記憶の中からも僕という存在が消えてしまうんじゃないかって。そう考えると、怖くて怖くて仕方がなかった」

 恐る恐る彩人の身体を抱きしめると、体温は低く、鼓動も感じることは出来なかった。それでも、肩に感じる彩人の涙だけは酷く暖かく、まるで彩人が生きてそこにいるかのような心地がした。


 ずっとずっと逃げてきた三年間だけど、ようやく俺は彩人と向かい合うことが出来た。

 彩人を傷つけたことは変わらないし、彩人が死んだことだって変わらない。

 それでも、俺は彩人とすごしてきた時間を後悔したことはない。

 忘れちゃいけない。

 忘れちゃいけないんだ。

 何があっても、もう二度と忘れない。

 痛みも傷も全て抱えて俺は、生きていく。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ