愚かな女神の理解
「愚かな女神の独り善がり」の後日談
私はなんで目を覚ましたのだろうか……?
女神としての役目を放棄してまでも眠り続けていた私は瞳をゆっくりと開けて微睡みを感じている。
私は無責任にも眠った。自らが愛おしいと思った人が無念の中に生命を落とした時に己の心の「歪み」が彼の人生を狂わせたことに耐えられず、私はその苦しみから逃れようと眠ろうとした。
しかし、なぜか私は目を開いてしまった。
「………………」
私は目を覚ますとすぐに横を見た。
だけど、そこには何もなかった。
「そう……私にはあなたの傍にいることも許されないのね……」
そこにはあるはずの生命を落とした心優しき少年の亡骸がなかった。
私が最初で最後に抱きしめたはずの彼の姿はなかった。
でも、私はそれでもいいと思っている。
むしろ、私の存在が彼の魂の安寧を妨げると言うのならば、それでよかった。
自分を不幸にした存在なんかが隣にいても、彼からして見れば不愉快極まりないのだろうし。
そして、私はふとあることに気づいた。
「……人間の身体?」
感じたのは肌の実感だった。
肌に感じるのは冷たい洞窟の空気と湿気、そして、肉体の重さだった。
ああ……これが「生命」と言う存在なのね……
生きていると言う感覚を初めて知った私はその感触にかつてない未知を感じた。
胸に鼓動を感じ、身体中に血が巡るのを感じ、重さを感じる。
ただ女神であったと言うことから、只人よりも力があることは感じられるが。
「―アーラ―」
私がそう唱えると私の背中から純白の翼が生え、私はそれを使って地上へと出た。
地上に乗り出すと私が感じたのは澄んだ空気が流れている森の匂いと太陽の光の暖かさだった。
その中で再び私は新たなる変化に気づいた。
「魔力が少ない……」
それは私が目覚める前と後で感じた中でも女神であった時でさえ感じることのできる大きな違いだった。
大気中の魔力濃度が薄いと言うことはそれは魔族の数が減ったと言うことなのだろう。
それはつまり
「そう……英雄たちは勝ったのね……」
あの力ある英雄たちは魔王に勝ったのだろう。
人々の望みどおりに魔王は倒されたのだ。
だけど、私にはどうでもいいことだった。
尊い光一つすら守る事のできなかった私からすれば。
全能とも言える力を持ちながら、それゆえに世界に介入するわけにいかなかった愚かな私。
もしあの時……この身体でいたら……
私は悲しかった。
人としての身体を得ることができ、ようやく世界に関われるようになったのにそこには私が最もいて欲しいと存在が既にいなかったのだ。
既にあの人がいない。
ようやく自分勝手に世界への愛を捨てることができたと言うのに既にその理由が存在しない。
これは「罰」なのだ。
私の女神としての力はこれからも世界を守り続けるだろう。しかし、「私」は世界を守ろうとしないだろう。
これはあの尊い光を無価値だと断じた世界と総てを愛し、赦した女神への罰なのだ。
私はなんて愚かなのだろう……
結局のところ、私は彼のことを世界と天秤にかけられるほどに想っていた。それなのに私は彼を特別扱いできずに見捨てた。
そして、ようやく力を捨てたことで世界への怒り、彼の死への哀しみ、己の愚かさへの嘲り、そして、彼のことを知ることができたことへの喜びを等身大に理解でき、それらが何度も私に襲いかかる。
「アハハ……」
頬に伝う涙と頭を燃やす熱、胸に貪る疼き、そして、頭に浮かぶ彼のこと。
喜びが何度も哀しみに変わり、哀しみから逃れるために怒りが生まれ、その怒りが己への嘲りへと変貌する。
それはあまりにも遅すぎた女神としての傲慢さとただの女としての独善への罰。
ただ嗤うしかなかった。
ただ苦しかった。
己の愚かさに笑うしかなかった。
これが人間なのだと理解した。
私は女神ゆえに人間の弱さを知りながらも理解できなかった。
なんて……自分勝手なのだろう……
己の犯した過ちをいつまで悔い続け、何度も涙を流して変わることもない過去を思い出し、自己嫌悪に陥って、その苦しみから逃れようとする。
だけど、どれだけそれを繰り返してもその苦しみは消えない。
狂えれば楽だろう。畜生になれば楽だろう。外道になれば楽だろう。
しかし、それでも私はそれを拒絶する。
なぜならば、それは私が持つことができたあの「幸せ」への裏切りだとも思えるからだ。
結局のところ、私は己の愚かさを理解しても彼への未練を捨て切れないのだ。
ああ……わかった……私……彼のことが好きだったんだ……
ようやく、私は己を狂わせて彼を苦しめた「歪み」が何なのかを理解した。
それはあまりにも遅すぎると言うのに。