人魚のうそ
赤いろうそくと人魚というお話がありました。
このお話は、その後のお話です。
人魚がつれていかれてしまって、海はあらしばかりになって、おみやの下の村がすっかりさびれてしまってからのお話です。
そのいりえの近くで、人魚が子どもをうんだのです。その人魚は、ろうそくを作っていたかなしい人魚のいもうとでした。
でも、この人魚のおや子はずいぶんよわっています。いつからか、人魚にはすみにくい海になってきていたのです。人魚のいちぞくはすっかりおとろえて、一人へり二人へりして、ついにはこの人魚のおや子がさいごの二人となってしまっていたのです。
人魚の母おやは、つめたいなみの上であおむけになり、子どもをおなかの上へのせてただよっていました。もうこのまま海にしずんでしんでしまうだろうとおもっていました。
よ明けの光がさしました。どんなかなしみもうすれて、きぼうをおもいだすしゅんかんに、人魚のおや子にきせきがおとずれました。
一そうの小さなりょうしのふねがとおりかかったのです。のっているのはもちろん人げんでした。わかいりょうしでした。
わかいりょうしは、人魚のおやこを見つけておどろきました。
「これはなんとしたことだ。こんなものを見つけるとは。」
わかいりょうしはおそれていました。人魚は海をあらすものだとすでにいいつたえられていたからです。
りょうしは、人魚にいいました。
「おい。かえりの海と、この先のりょうの海をあらさないとちかうなら、その子をたすけてやる。そうでないなら、このままに見すててしまうぞ。」
人魚は、よわよわしいいきで、もう海をあらすことはないとやくそくしました。だからその子をたすけてほしいといったのです。
わかいりょうしは、それなら分かったと言って、もうすっかりよわってしまっている母おやの人魚はおいて、赤んぼうの人魚をふねにのせました。
そのときに、母おやの人魚はかぼそいこえでいいました。
「この子が十五になったさいしょのまん月のよるに、海へだしてください。きっとむかえにきますから。」
わかいりょうしは、そうかといいすてて、ふねをこいで行ってしまいました。
ふねの上で、ぐったりとしている赤んぼうの人魚は魚とも知れず、人とも知れませんでした。
母おやの人魚は、かおをあげて子どもののったふねを見えなくなるまで見おくっていました。そのかおは、もう一ど生きる力をとりもどしたかのようでした。いのるようでもあり、いどむようでもありました。
☆
はまへかえってきたわかいりょうしは、村人のあいだをせっとくして回りました。
「そんなもの、すててしまえ。」
そのようにいう村人もいました。しかし、人魚のやくそくをきかせると、しぶしぶなっとくしてくれました。
もらいちちのいえもきまりましたが、それも少しのあいだでおわりました。人魚のせい長は、あるていどまではにんげんよりも早いのでした。
人魚の赤んぼうに名をつけることになって、わかいりょうしは『あやめ』と、名づけました。ちょうどそのころ村はずれのうつくしいぬま一めんにさいていたからです。
あやめは、おとなしい子でした。せっせとわかいりょうしの手つだいをしました。あみをつくろったり、りょうりをしたり、せんたくをしたり、小さい手とからだで、だまってはたらきました。
わかいりょうしは、あやめを海へつれて行きませんでした。けっして、海へ入れようとはしなかったのです。それでも、くりかえし、くりかえしいったのは、母おやの人魚のわかれぎわのことばでした。
あやめは、十五さいになったさいしょのまん月のよるを、それはそれは、たのしみにまっていました。
☆
あやめは、うつくしくせいちょうしました。小がらでしたが、色白で、くろ目がちの、ほおのすっきりとした、からすのぬればいろのかみの毛もゆたかな少女となりました。こしからしたはさかなです。にじ色にかがやくうろこも、ときおり水あびをするくらいなので、すっかりかわいてはい色に見えていますが、それでもあやめのすがたを見るものは、おもわずはっと目をうばわれるのでした。
しかし、あやめにいいよるものはけっしていません。あやめは人げんではないのです。一ときだけのかりずまいであることは、あやめにもわかっていました。もうすぐ、こいしい母さまのところへかえれるのです。
やがて、あやめは十五さいになりました。
あやめは、月のみちるなん日かまえのよるにすなはまに出ました。もうすぐかえれるそのまえに、少しだけ海に入っておきたいとおもったのです。そだててくれたりょうしも、なにもいいませんでした。
あやめの足もとをなみがあらいます。ここまではいつもきていますけれど、これよりふかくはいっていくのは、はじめてでした。
あやめはすなはまを海へとすすみました。少しずつふかくなります。やがて、あやめのこしのあたり、魚になっているうろこのあるところをすっかりと、少し大きななみがぬらしたとき、
「……!」
あやめのからだによろこびのちがわきあがりました。
もう、ざぶりとからだのすべてを海へとあずけずにはいられなくなって、あたまのさきから海へもぐりました。しおからいみずがからだにしみていきます。きものをきたままなのに、海のながれをずいぶんとからだにかんじます。なにかがよみがえってくるのです。
わたしはやっぱり人魚なのだわ。海で生きていたのだわ――
よろこびにまかせたままにからだをくねらせて、あやめがむちゅうでおよいでいると、あやめの耳になにかがはなしかけてきました。
なんだろう――ふしぎにおもっていると、さらにこえは大きくなってきます。そのこえは、むこうのはまのほうからきこえてくるようでした。なにをいっているのかはよく分かりません。
こえをたどって、はまへもどると、そこにはなみうちぎわに大きなくろいくじらが一とう、よこたわっていました。かみときものをしぼりながら海からあがり、そばへよると、小さな目がかなしそうにあやめをみています。
「だれだ……もうよく見えないが……」
「くじらのおじさん……だいじょうぶですか。」
「きものをきた……人魚か……おまえは……わたしのしっている人魚に、にているようだ……」
「その人はきっと、わたしの母さまです!母さま……お元気だったのね――」
――そのあと、くじらは、どうしてここにうちあげられたのかをはなしました。それは、くじらどうしのあらそいのせいでした。そして、それをいのちをかけていさめた人魚がいたこともはなしてくれました。その人魚は、うつくしいうたごえでくじらたちをなだめようとしたそうです。しかし、くじらたちのあらそいの中で、そのこえはかれてしまいました。やがていきたえた人魚は、しずまったくじらたちのまん中を、ひとすじのあわをのこしてしずかに海のそこまでしずんでいったということでした――
「――うそ!母さまがしんだ……なんて。母さまはやくそくしたもの。わたしが十五になったさいしょのまん月のよるの海に、むかえにきてくれるって。」
「……。」
あやめは、くじらの大きなからだにすがってなきました。
くじらはやがていいました。
「わたしが生きているあいだに、わたしの血をのみなさい。きっと海で生きるつよい力になるから。」
あやめは、くじらの目をじっと見つめました。それはやさしい目でした。いままで見たことのないやさしい目でした。
あやめは、くじらのわきばらから出ている血をのみました。力づよいあじでした。くじらはまたいいます。
「おまえが人のなかで生きているからには、おまえのせわするものがいるのであろう。わたしがしんだら、そのものにたのんでくれ。わたしのまっこう(※)をとり出して、おきへ出て海の上でたいてくれと。それでわたしのなかまに、わたしのことがつたわるから。」
それから、くじらは、
「わたしのおびれをとって、いえのやねにでもかかげるようにいっておくれ。そうすれば、いつでも魚がとれるようになるから。」
ともいいました。
あやめはうちへかえり、りょうしにそのことをおしえました。すると、
「なに……あの人魚がしんだだと……それよりも、くじらのこと、でかしたっ!」
そういって、りょうしはとび出して行きました。
やがて、村中の人がくじらのもとへあつまりました。くじらはすてるところがないといいます。村中がまつりのようになりました。
よがあけても、まだくじらのかいたいはおわりませんでしたが、あやめたちの分はもうとりおえていました。まっこうとおびれもとりおえていて、今、りょうしがいえのやねに大きなおびれをかかげているところでした。
明日はいよいよまん月です。でも、あやめはまだかなしみにむねがつぶれそうなきもちでした。母さまとのやくそくは、うそになってしまったのね……
それでも、りょうしは海へ出ろといいました。十五さいのまん月のよるになったからです。そして、くじらとのやくそくをはたすためです。
つぎの日のよるになりました。はれたよぞらからまん月がこうこうとてらしています。海はしずかにかがやいています。
りょうしはまっこうをつんでふねを出そうとしています。あやめは、きものをぜんぶぬいでしまっていて、そのまま海へ入って、ふねのさきをすいすいとおよぎ回っています。今日はなんだかとくに力がみなぎってくるようです。
「……。」
そんなあやめを、そだてたりょうしは光る目で見ています。あやめのうつくしいしろいはだかが海のなかでぼうと光ります。ながいくろかみは、水の中で広がり、月の光をきらめかせています。くねらせるさかなのようなこしからしたは、いきいきとにじ色の光をとりもどしています。
ふねは、やがておきへでました。りょうしは、ふねの上に小さい火ばちをおいて、そのうえでかわかしたまっこうをたきました。えもいわれぬかおりがけむりとともにたちこめます。
あやめは、海にはいったよろこびにむちゅうになっていました。大きなおびれをうれしそうにかいめんにだしてながめたり、おもいきってとびうおのようにとびあがって、あたまから海へとびこんだり、あるいはいるかのようにまっすぐにとびあがり、からだをまげておしりからどぶんとおちたりして、たのしそうにあそんでいます。
しばらくは、あやめのたてるしぶきの光のきらめきと、おとだけのひびきだけが、あたりをつつんでいました。
りょうしはじっとそのすがたをみつめていました。
そよかぜがけむりをたなびかせていて、まんまるな月が見つめているようでした。
ふいに、あたりのざわめきがたかまってきました。まるで、ざざざざとゆっくりと回りはじめたうずしおの真ん中にいるようです。
くじらたちがあつまってきたのです。あやめは、少しおどろいてふねのわきにつかまりました。
あつまってきたおおきなくじらたちは、めいめいにしおをふきはじめました。
「わっ。」
ぶしゅーぶしゅーとたくさんのくじらがふくしおで、りょうしのふねは雨の中にいるようでした。
やがて、くじらたちはふねのまわりをぐるぐる回りながら、うたをうたいはじめました。人げんのりょうしにはわからなくても、あやめにはわかります。これはちんこんのうたです。しんだなかまのたましいをなぐさめるうたなのです。そして、その中にまじって人魚へのかんしゃのいのりもかんじたのです。あやめはからだのおくがあつくなってくるのをかんじました。
そうして、くじらたちのとむらいは、はげしさをましてきました。どぶーん、ざばーんと、くじらたちが、その月の光にてらてらと光るまっくろなからだのなかばを、かいめんにだしてはたたきつけることを、ふねのまわりで、つぎからつぎへとくりかえしはじめたです。
あたりはおちてくるたきのようなみずしぶきと、どーんとはらのそこまでひびく大きな音と、くじらたちのおこすおおきななみで、まるであらしの海のようになりました。
小さなふねは木のはのようにもまれて、いまにもしずみそうです。
「こりゃ、たまらん。」
りょうしは、まっこうのはいった火ばちを海へほうりこみ、なんとかふねをあやつって、そのわのなかからはなれました。そうして、まだまだつづくくじらたちのとむらいのおどりとうたをあとにして、ひっしになってはまへもどってきました。
☆
「おーい。あやめ。」
きがつくと、あやめがいません。よんでみましたが、へんじもありませんでした。
つぎの日のあさになっても、あやめはかえってきませんでした。そのつぎの日も。またそのつぎの日もかえってきませんでした。
「あいつは、人魚じゃからのう……海へかえったんじゃろう。」
みなはそういいあいました。
あやめをそだてたりょうしは、まだしばらくは光る目で待っていましたが、あやめはついにかえってきませんでした。
やがて、そのりょうしは、みながどんなにふりょうの日でも、一人だけは魚をとってかえるようになりました。
しばらくして、りょうしは、にんげんのつまをもらい、なにふじゆうなくくらしました。人魚のはなしは、だれがきいてもひとこともはなさなかったそうです。
※……龍涎香。マッコウクジラの腸内に発生する結石であり、香水の原料となる。(wikiより)
よんで頂いてありがとうございます。
この作品は、「ライアー☆企画」参加作品です。
漢字の開きは適当です……
追記。
あらすじに追記しました。参考作品名と作者、発表年。