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カエル注意!
期末テストも終われば、一気に夏は真近だ。
日に日に気温も高くなってきた。
衣替え直後は、夏服も肌寒い時があったけど、今はもう半袖でも暑いよね。
これからどんどん暑くなっていくんだなあ。
廊下を歩きながらふと中庭を見る。
今日も天気いいなーとか、通り雨とか来ないかなーとか思いながら、空の向こうに入道雲を探していただけなんだけどね。
そうしたら、中庭の芝生の上に茶色の物体が。
なにあの塊。
結構でかいよ。
とりあえず、靴に履き替えて、中庭に回ってみる。
物体は、窓から見た場所から一ミリも動かずにあった。
ゴミかな?
ゴミなら、捨てますか。
夏の日差しを浴びながら物体に近づく。
物体は…ゴミじゃなかった。いや、もうゴミになってるのか?
分別するならゴミの種類は生ゴミだ。
「…なんか、カエルに縁があるなあ…」
そう。
物体は、カエルだった。さっきも言ったけど、でかい。
多分、ウシガエルとか言うのじゃないかなあ?
中庭の向こうに、生物部のビオ・トープ代わりの池があるから、そこから来たのかな。
「こんな天気に、自殺行為な…」
池から這い出て、この辺りで力尽きたんだろう。
自分の限界くらい気付けよ。
それにしてもでかい。
私の掌を越えるか?
右手を近付け、大きさを計るついでに、ぼよんとした背中を人差し指でつついてみた。
ボエーー。
ウシガエルが鳴いた。
って言うか、生きてた!
それにしたって、ボエーだよ、ボエー。
君はジャイアンか?
うひゃひゃひゃ。
ボエーだって。
しょーもないことながら、ツボに入ったみたいで私はひとりでうひゃうひゃ笑っていた。
勿論、心の中で。
だから端から見たら、カエルを前にニヤリと笑っている、大変不気味な光景だったことだろう。
いかん、いかん。
誰かに見られたら、ドン引きされてしまう。
我に返ったところで、とりあえず、ジャイアンを退避させないと。
私はジャイアンを両手で掴むと、池に向かって歩き出した。
ジャイアンは無抵抗だ。暴れる元気もないんだろう。
うひゃひゃ、ぼよんぼよんしてるよ。
面白いー。
大して遠くない池に着くと、ジャイアンをそっと放す。
ジャイアンは、つい先刻までの死にそうだったのが嘘みたいにすいーっと池の中に消えた。
なんだ、意外と元気じゃん。
それを見送ってから立ち上がり、遠回りして外の水道で念入りに手を洗った。
バイ菌とかついてたら、まずいもんね。
石鹸使ってじっくり手を洗う。
「ハンカチっと…」
ハンカチはスカートのポケットだ。
できるだけスカートを濡らさないようにハンカチを出そうと、手についていた水滴を払っていると、
「どうぞ」
「あ、どうも…」
横から差しだされたハンカチを思わず受け取ってしまった。
え、と?
このハンカチ誰の?
見ると、やんわり優しい笑みを浮かべて立っていたのは、和泉先生だった。
「……和泉…先生…」
何故、和泉先生がここに?
「どうされたんですか?」
「いえ…主を運んでいる明宮さんを見かけましたので」
「ぬし? ジャイアンのことですか?」
「ジャイアン?」
和泉先生は首を傾げた。私はうっかり続けた。
「あのカエル、ボエーって鳴くんです。ボエーときたら、ジャイアンです」
「そう…なんですか?」
私の言葉に、和泉先生は不思議そうな顔をした。
は、いかん。
つい、素が出てしまった。
間にカエルが入っているせいが、童心に返ってしまう。
「いえ、私が勝手に言っているだけです」
そうです。たった今、勝手につけました。
『ヌシ』なんて呼ばれているなんて知りませんでした。
「えっと、主のことを和泉先生はご存知なんですか?」
「ええ、随分昔からいるみたいですよ」
「む、昔から?」
え、そんな昔からいるカエルとか普通に怖いんですけど。
それ、ちゃんと生物? 妖怪じゃないの?
捕まえた感じ、普通のでかいカエルだったけど。
「確かめたことはないので、代替わりしただけかも知れませんね」
和泉先生はにっこりそう言った。
さすが生物の教科担任、カエルには詳しい。
準備室のアルビノと言い。
はっ、ちょっと待って。
カエルって、和泉ルート展開への選択アイテム?
え、なにソレ、難しい。
普通の女子は、カエルなんか選択しないでしょ。ジャイアンとかどうやって逃がすのさ。
いや、待てよ。逃がすまでいかなくても、ジャイアンを前に『どーしよー?』とか悩んでいたらいいわけ?
でも、あんなでかいカエルに、普通の女子は近づけないでしょ?
なにコレ。和泉ルート、超難解。
姉貴、和泉ルートをどうやって攻略したのさ。
訳わからん。
ひとり混乱していると、
「明宮さんは優しいですね」
誉められてしまった。
「別に優しくないです。カエルせんべいになったの見たくないですし」
「カエルせんべい?」
和泉先生は首を傾げる。
ああ、また余計なこと言っちゃったよ。
「………ぺっちゃんこに、なったらってことです」
こんなくだらないこと、言いまくってた、自分の子供時代が恨めしい。
ひとり軽い自己嫌悪に陥ってる私に、和泉先生は笑った。
「本当に、貴女は面白いですね」
「…そうですか…?」
変なことばかり言ってすみません。
ついでに、このままドン引きしてもらって、構わないんですけど。
「準備室のアルビノも、たまには見に来てあげてください」
「……え、と……そ、そのうちに……」
お誘いを受けてしまった。
一緒にカエルを見ましょう…って、人によっては罰ゲームだよ…
ドン引きされるどころか、言われた方がドン引きするよ?
和泉ルートは、この難関を乗り越えてクリアするのか……大変だなあ。
いや、いくらなんでも、ないでしょ!
アルビノガエルとかウシガエルとか。
次は何だ? 猫みたいに鳴くカエルか?
猫みたいに鳴くカエルは…ちょっと見たいかも…
いやいや、方向性違くないか?
和泉先生がどんどん訳解らなくなってきた。
この人は、もしかしたら、ただの両生類ヲタクなのか?
ヤバい。そういうのは嫌いじゃない。
「明宮さんは、蛇は嫌いですか?」
「持って来られたら困りますけど、見る分には別に……」
「そうですか…」
和泉先生は、実に嬉しそうに微笑んだ。
新密度が上がってる…
いろいろ、マズい?
にしても、カエルや蛇で上がる新密度って、普通に嫌だな。
いろんな意味で間違ってる気がする…
「…失礼します」
次の授業も始まりそうだったので、とりあえず私は逃げた。
和泉先生はニコニコと私を見送った。
◇◆◇
次の日の職員室。
集めたプリントを担任に持って行ったところで、別の教科担任に呼び止められた。
「明宮、悪いけどこれ和泉先生のところに持って行ってくれるか? 生物室にいると思うから」
「………はい…」
昨日の今日で和泉先生ですか。
正直嫌だったけど、断る理由がなかった。
頼まれたのは、資料の綴じられているだろうバインダー一冊。
荷物になるものじゃないし、生物室だってちょっと面倒なだけで、すごく遠いものでもない。
これくらいで断ったら、逆に不審に思われるだろう。
和泉先生は人気の先生だし。
仕方ない。さっさと渡してさっさと離脱しよう。
私はバインダーを手に、生物室に向かう。
生物室を覗くと、和泉先生はいにない。
ってことは、生物準備室か…
準備室に移動したが、姿は見えない。
どうするかなあ。
ちょっと席を外したっぽいから、この机の上に置いておいたら、気がつくかな。
机の上にバインダーを置いて、何気なくアルビノガエルの水槽を見たら、隣に別の水槽が増えていた。
中には黒い物体。
こ、これは!
「サンショウウオ!」
思わずサンショウウオの水槽に歩み寄った。
カエルの次はサンショウウオか…
どんどんハードルが高くなっていくな、和泉ルート。
マニアック過ぎるよ。
呆れつつも珍しいサンショウウオを眺めていたら、声がした。
「サンショウウオに食い付くとか、どういう女なんだ、お前は…」
ぎくっ!
「げ」
出たよ、鬼畜眼鏡。もう、あんたなんか鬼畜眼鏡に降格だ。それ以外には呼んでやらん。
鬼畜眼鏡の視線は冷ややかだ。
「い…五十嵐先輩は、なぜここに?」
「雅に用事があって来た」
「私は、バインダーを預かってきただけです。五十嵐先輩がしばらくこちらにいらっしゃるなら、和泉先生に伝言お願いします」
私は別に話すことないもんね。
あのバインダーが、和泉先生の手に渡ればいいんだし。
勝手に伝言を頼んで、準備室から出ようとしたけど、鬼畜眼鏡は丁度入口の前に立っていて、道を空けてくれない。
退け、邪魔すんな。
鬼畜眼鏡を見上げる。って言うか、睨んだつもりなんだけど、堪えやしない。
「別に待っていれば、いいだろう」
嫌だ。
何が嫌だって、鬼畜眼鏡の目の前にいることが嫌だ。
あんた、一体どれだけ私の邪魔すればいいんだ。
これは、あれか。喧嘩を売ってるのか。そうか、そうだな、そうなんだな。
「圭介君、明宮さんに意地悪しないでください」
イラっとしていると、おっとりした声が鬼畜眼鏡にかけられた。
和泉先生がいつの間にか帰って来ていた。
和泉先生は鬼畜眼鏡へと歩み寄る。
「知ってますよ。明宮さんの勉強も意地悪したそうですね」
「意地悪? 俺は親切にだな…」
鬼畜眼鏡か気色ばむ。
あれが親切? 嘘をつけ。私は認めない。
「勉強は人それぞれのペースがあるんですよ。自分のペースを押し付けるのは、ただの意地悪ですよ」
さすが現役教師、もっと言ってやって!
「侑紀君にも怒られたんでしょう?」
「ぐ…」
火村先輩の名前が出たら、黙ったよ。
そうか、今知った。後半ギリギリで鬼畜眼鏡が図書室に来なくなったのは、火村先輩にシめられからなのか。
うはい、ザマみろー。
次に鬼畜眼鏡の妨害があったら、和泉先生か火村先輩にシめてもらえばいのか。
いいこと知った。
「和泉先生、バインダーの確認お願いします」
私は当初の目的を達成したので、鬼畜眼鏡か和泉先生相手に怯んだ隙に、言うだけ言って準備室からの離脱を計った。
サンショウウオ…気になったけど、長居は禁物だ。
いや、あのサンショウウオはトラップに違いない。
やっぱり、生物準備室は鬼門だ。
もう、絶対に近付かない。
私は心に強く違って、廊下を早足で歩き抜けた。




