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梅雨の合間に体育祭。
学園の体育祭は秋じゃなくて、初夏。
秋は学園祭が控えているからなんだろうね。
私は百メートル走にエントリーした。
リレーとか、放課後の練習が面倒くさいし。
その点、百メートル走は個人競技だから、練習も個人の自由。
ゲームセンターに行くのに自転車に乗ってるから、脚力には自信がある。
目立たない程度には調整できると思う。
借り物競争とか、障害物競争とかは論外。
あれははっきり言って娯楽競技だから、意外と全校生徒の注目を浴びるんだよね。
それに比べて百メートル走は目立たない。
走るのであれば、リレーの方が華がある。抜きつ抜かれつの攻防戦は、見ているだけで手に汗を握るだろう。
ただ、そんなドラマを作りたいなら、練習もやりこまなくちゃいけない。作戦も練らなくちゃいけない。
そういうのは、面倒なんだよねー。
そういう訳で体育祭。
当日は、梅雨前線はどこ? ってくらいの快晴。
暑いなあ。
日に焼けるなあ。
私は日焼けくらいのどうってことないんだけど、母さんがうるさいんだよね。
今日も、日焼け止めクリームだとかスプレーとか持たされたよ。
クリームは面倒くさいけど、スプレーは簡単でいいね。
これなら、頻繁に日焼け予防できそう。
そんな中、百メートル走の時間になった。
私は三位。
真ん中、丁度いい位置。
やっぱ、真ん中って結構落ち着く。
午前中に終わって、ひと安心。あとはのんびり観戦するのみ。
お昼ご飯も食べて、さあ昼の部だ。
昼のプログラムは、借り物競争に障害物競争に騎馬戦。
どれも、ベクトルは違うけど、盛り上がる。
特に騎馬戦、いいよね。燃えるよね。
結構ワクワクしていたのだけど…
「明宮さん」
「なんですか?」
委員長が、なぜだか泣きそうな顔をしながらやって来た。
あー………
委員長は私の目の前で立ち止まる。
「…あの…借り物競争にエントリーしていた後藤さんが…」
うわ、ヤな予感。
「後藤さんが?」
「お昼の時に、足を挫いてしまったんです」
後藤さん!
何をやっているのかね!
君はじゃんけんで勝ち抜いて、借り物競争エントリーの権利を手に入れたって言うのに。
まさかの、ドタキャンとは。
「代わりの方を探したのですが…」
その口振りだといなかったんだね。
で、私のところに来た…
私は午前中の百メートル走しか出てないし、全力で走ってないからそんなに疲れてないし。
エントリーの時はじゃんけんで取り合いでも、当日になったら自分のエントリー競技で、みんな手一杯だよね。
二回も三回も走りたくないって。
走ってもいいって人は、最初から複数エントリーするし。
そうなると、余裕がある人はかなり少ない訳で…
はあ…
しょーがない。
「…わかりました…私が出ます」
「お願いできますか?」
委員長がすがるような目で私を見つめる。
小型犬を目の前にしている気分だね。
私はSだけど、弱いもの虐めはしない主義なんだよ。
「仕方ありません」
「ありがとうございます」
委員長は泣きそうな顔をで深々と頭を下げた。
◇◆◇
ピストルの音で走り出す。
目の前には白い封筒。開ければカードが一枚入っている。
題目は、っと…
「げ」
私はカードを手に固まった。
「きゃあ」
周囲には、悲鳴をあげて真っ赤になった女子がいた。
「わぁ…」
真っ青になって呻いている女子もいる。
他には、複雑そうな顔をしていたり、あからさまにほっとしていたり。
『さあ、第二グループのお題発表です』
放送部の能天気な実況がグランドに響く。
『借り物競争第二グループは、学校関係者! 学校関係者となりました! 指名された皆さんご協力をお願いします!』
出たよ、学校関係者。
察するに、始めの女子が引いたのは、『生徒会長』だろう。二番目は『生活指導』。ほっとしているのは、チラ見したら『生徒』だった。なんてアバウトな。もうひとり、ほっとしている子も似たようなものか。残り、複雑そうな顔になるのは…誰だ?
きっと馴染みのない人なんだろう。
そして、私。
引いたよ、引いちゃいましたよ。
『風紀委員長』!
マジか!
マジだよ!
よりによって、あの鬼畜眼鏡だよ〜
生活指導を引いた女子の気持ちがわかるよ。
怯むよ。
私も、借り物競争の題目じゃなかったら、誰が近づくか!
攻略対象だとかを除いたって、嫌だよ。
私としては、生活指導の方が気が楽なくらいだよ。
生活指導、攻略対象じゃないもん。
はあ…
いつまでも固まっていても仕様がない。
私は深く息を吸って、三年の応援席に向かって歩き出した。
五十嵐先輩の居場所を歩きながら探す。
先輩は目立つからね。遠目にもすぐに判ったよ。
三年生は近付く私を、興味津々に見ている。
私は五十嵐先輩の正面辺りに立ち、カードを掲げた。
「風紀委員長! ご足労願います!」
私がまっすぐ五十嵐先輩を見て言い放つと、三年生からどよめきが起こった。
そんな…
どよめくほどのことなのか…
やだなあ。
目立つの、マジ嫌なんだけど。
「俺か…」
「はい」
五十嵐先輩は嫌そうな顔をした。
が、先刻放送部の実況で全方向に『協力』を要請されているので、五十嵐先輩だけ拒絶はできない。
五十嵐先輩は仕方なさそうに立ち上がって、グランドに出てきた。
「ありがとうございます」
目の前に来たところで頭を下げて礼を言う。
「行くぞ」
「はい」
私と五十嵐先輩は、ゴールに向かって軽く駆け足を始めた。
無表情で走り出す私たちは、さぞ不気味だったことだろう。
少し走ったところで、五十嵐先輩は並走する私に視線を向けた。
「…お前は確か、神宮寺を連れ出した女子か」
「何のことでしょうか?」
ちっ、覚えてたか。
忘れていてくれたら良かったのに。
って言うか、あんな数秒のことを何故覚えている?
しかし、私は当然ながらすっとぼけた。
「以前、学食の前で神宮寺と話していた時だ」
「…………」
わざわざ、説明してきたよ、この人。
しかも、綾香嬢と『お話』をしたことになってるよ。
かーなーり激しい言い合いだったのは、記憶の底に封印したのかよ。
いや、捏造?
生徒会長、この風紀委員長は不正を働いていますよーー!
「侑紀が話に割り込んで来た時に、神宮寺を連れ出しただろう」
「…私は、別に…」
連れ出してないよ!
綾香嬢が勝手について来たんだよ!
なに、勝手に記憶を改竄してるんですか!
「お前を責めている訳じゃない。なかなか埒が開かなかったから、いいタイミングだった」
「…はあ」
五十嵐先輩はひとりで喋ってひとりで納得している。
ちょ、なに、私、何認定!?
まさか、あの一件は私が綾香嬢を助けて、一旦落ち着かせたことになってるの?
どこをどうしたら、そんな誤解が成立する訳?
勘弁してよー!
ここで何を言い返しても、墓穴を掘りそうだ。
黙るしかない私は、五十嵐先輩の中の、妙に高い印象を変えることはできなかった。
ぐぐう。
ミステリーだ。
この世界には、私じゃない私がもうひとりいるらしい。
出会したら、死んでしまうかも知れない。
要注意、要注意。
特にそれ以上の会話のないまま、私たちはゴールした。
三位だった。
一位は『生徒』と『教師』を引いた女子とのデッドヒートだった。
これは結構盛り上がったみたい。
四位は意外や『生活指導』で五位はなんと『教頭先生』だった。あの複雑そうな感じは『教頭先生』だったのかあ。
納得。
で、ラストは意外や意外、『生徒会長』。引いた女子が恥ずかしがっちゃって、なかなか三年の応援席に近付けなかったのが敗因
しかし、火村先輩は相変わらずスマートに女子生徒をエスコートして、グランドを駆け抜けて来たよ。
どこかから、悲鳴があがってた。
別次元ってことだね。
あー、良かった。
『生徒会長』を引かなくて。
鬼畜眼鏡で良かったんだと、今日のところはポジティブに考えよう。
とりあえず。
借り物競争が無事だか何だか解らないうちに終わった。
それにしても。
とうとう、五十嵐先輩にまで関わっちゃったよ。
あーあ。
溜め息をつきながら、自分の席に向かってほてほて歩いていたら。
『明宮さんっ!』
委員長と後藤さんが走って来た。
後藤さんは片足を引き摺っている。
後藤さん駄目じゃん。足、捻挫してるんでしょ。
無理したら、悪くなるよ。
ふたりは私の目の前で止まる。
「ご、ごめんなさい!」
「は?」
「わ、私が怪我したせいでっ!」
「何がですか?」
ふたりとも、落ち着け?
なんでふたりして泣きそうな顔してんの?
「い、五十嵐先輩にっ」
後藤さんの声は裏返っていた。
「ああ…」
借り物競争の題目が『風紀委員長』だったのを、気にしてるんだ。
確かに、風紀委員長なんて近より難いよね。
それに自分から向かわなくちゃいけないんだから。
「こんなことになるなんて、私、思わなくて!」
うん、後藤さん。それは私も思わなかったよ。
「もういいですから…」
「でもっ、五十嵐先輩が!」
無表情で走ってたのがまずかったのか、ふたりは完全に誤解してる。
泣いて謝られるほどのことは何もなかったんだけど。
「別に不興を買った訳ではありませんから」
「本当ですか?」
「本当です」
きっぱりはっきり言う私に、ふたりはようやく小さく息をついた。
「席に戻りましょう」
『はいっ』
促して歩き出す私に、委員長と後藤さんは、実に元気よく返事をした。