54 ピヨるの概念
「お世話になりました」
オレイオ家の玄関で、私は集まったみんなに完璧な角度で頭を下げる。是非、分度器で測ってもらいたいものだ。
「今までありがとうございました」
ハロルドがやはり隙のない所作で礼を返した。
「ミーシャ、本当に止めてしまうの?」
「ミーシャ、行っちゃうの?」
お嬢様方は涙目だ。
「このままずっと居てもいいのよ?」
「いっしょに居て」
「申し訳ありません、お嬢様」
私は頭を下げる。
惜しんでくれているのは、正直ありがたい。
短い間だったけど、こんなに受け入れてくれたんだね。そう思うと感慨深い。
昨夜なんかは、グスタフが来たよ。
「私と共に、お嬢様がたを見守っていきませんか」
とかすんごい真面目な顔で言われたけど、丁重にお断りしといた。
この先、ずっとメイドとか、ふつーに無理だし。
グスタフは肩を落としてたね。
そんなに一緒に仕事したかったのかなあ。
随時よくしてもらったもんね。
毒味の辺りから、一目置かれたような感じがしたし。まあ、毒味できるメイドとか便利だもん。人員確保しときたいよね。
今もなんか元気がない。サリィたちのグスタフに向ける視線が生暖かいのは何故なんだろう。
ともあれ、そんな残念に思ってもらえたのなら、私も頑張った甲斐があるってもんだ。
御従兄弟様が信用できる使用人を何人か連れて来たので、屋敷の人員不足も解消された。オレイオ家の使用人たちとの関係も良好だ。
なおさら、私が留まる意味はないのだ。
「それでは失礼いたします」
再び完璧な角度の礼をして、私はオレイオ家を後にする。
これから乗り合い馬車に乗って帰るのだ。
オレイオ家から馬車を出すと言う申し出は断った。
依頼が終わったのだから、馬車を出してもらう必要はない。
なので、乗り合い馬車で充分。なんなら徒歩でも良いし。それに、いい加減着替えたいのだ。
と、言う訳で、乗り合い馬車に乗る前にメイド服は着替えた。
いつもの格好になると、ようやく依頼が終わったんだなあって実感する。
スカートで立ち回りとか面倒だもんね。
メイドとしての作法も気を付けないといけないしさ。
そういったもの全部、なくなったので解放感も半端ない。
あー肩凝ったー。
伸び伸びした気分でウクレイ町に戻る。
直ぐ様跳ね兎亭の部屋を押さえ、ひと安心したところでギルドに向かう。
「あ、ショウさん、お帰りなさい」
真っ先にアネッサが声をかけてくれる。
ああ、帰ってきたって実感する。
「ただ今、戻りました」
挨拶を返し、依頼の証明を手渡した。
「お疲れさまでした。オレイオ家では活躍されたそうですね」
「緑野の皆さんほどではないですよ」
「緑野の皆さん、誉めてましたよ」
「それは嬉しいですね」
「ギルマスが待っていますので、このまま上がってもらっても良いですか?」
「ギルマス? わかりました」
はて、何の用だろう。
オレイオ家の依頼は無事に済んだから、私は用なんてないんだけどね。
「行ってきます」
アネッサに断って階段を登る。
途中、視界の端に黒い塊がいると思ったら久我っちだった。
あれから、久我っちは緑野の面々とこちらに来たんだね。まあ、そうなるよね。
緑野としても話は聞いておきたいだろうから仕方ない。
久我っちとは後で話せばいいから、階段を登る。
ギルマスを訪ねると、歓迎された。
「今回はよくやってくれた。首謀者を捕らえられたのは大きい」
「そうですか」
「スチュアート殿がオレイオ家に入る前に片付いたことが何より良かった」
そりゃそうだ。
婿入りする前に面倒事が片付けば、これほど楽なことはない。
しかも首謀者は放蕩叔父。ことが大きくなったら面倒この上ない。
「スチュアート殿も君たちのことを誉めていたよ」
「ありがとうございます」
なんか、めちゃ誉められる。
嬉しい。
メイド頑張った甲斐があったよ。
「ギルドへの貢献も大きい。これを機にDランクへの昇格も出来るが、どうする?」
「…早いですね」
「確かに。しかし、今までの討伐内容その他を考慮すれば、妥当ではあるが」
「私に聞くと言うことは、保留にも出来るんですか?」
「出来る」
「じゃ、今回は保留で」
と、ギルマスは意外そうな顔をした。
「良いのか?」
「まあ、急いでランク上げる必要もないですし」
「そういうものなのか…」
「私的には」
ここまでだって、かなりスムーズにランクを上げて来ている。
私としては出来すぎだ。っていうかやり過ぎな感じがして、ビミョーに落ち着かない。
もっと、ゆっくりのんびりやっていく筈だったんだけど、何でこうなったんだろう?
割りと普通にしてきたつもりなんだけど。
「今回は見送るが、次回は確実に昇格すると思っていてくれ」
「…わかりました」
なんだ。一回持ち越せるだけか。
とりあえず話が終わったので、ギルマスの元を後にする。
階段を降りていたら…
階下に久我っちがいたよ。ずっと待ってたらしい。出待ちか。
「やっと降りてきた!」
久我っちは階段を見上げ、ため息混じりに言った。
「久我っち暇なの?」
「暇じゃねーよ」
私が聞くと、久我っちは顔をしかめた。
「ショウさんはクーガさんと知り合いなんですか?」
アネッサがカウンター越しに私たちの方を見る。
「まあ、同郷ですから」
「そうなんですか」
割りとあっさり納得されたのは何故だろう。
私は久我っちの目の前に立つ。
「クーガ?」
「なんか、そういうことになった。クガより伸ばした方が言い易いらしい」
「ふうん」
改めて久我っちを見る。
森で会った時はスタンダードな忍者装束だったけど、今はその上に黒のチュニックに黒の外套…髪も黒いから、真っ黒だな!
「何で、そんなイタい格好を…」
「夜はこの方が目立たないからな」
「暗躍ありきなのか」
夜の活動が前提なのか。別に忍者なんだから良いのだけど。
「お前は…下に着てるのか」
純白の忍装束のことだ。
「まあ、私の場合、夜も昼も目立つからね」
「雪影だもんなあ」
言って、久我っちは笑った。
「で、ステータスどうなってるんだ?」
「ステータス? さあ?」
ステータスなんて気にしたことないよ。
「はあ? お前、ステータスは小まめにチェックしとくもんだろ? HP切れたら死ぬんだぞ」
「別に大丈夫だよ。どれだけ食らったらピヨるかくらい解るんもん」
「ピヨる状態がもうヤバいんだろうが」
「だから、ピヨったことないし」
「そういうことじゃなくてだな」
久我っちがなんか怒ってる。
でもさ、どれくらいでピヨるかなんて、大体解るよね。
ゲームで前後不覚に陥るなんて、散々経験してきたんだし。
現実には、頭の回りをヒヨコがピヨピヨ飛び回ったりしないけどさ。
「ピヨ、る?」
「ピヨるってなんだ?」
「ピヨってなんだ?」
私たちの会話を耳にした人たちが首を傾げている。
ピヨる、の概念なんかそりゃ解らないわ。
「場所、変えるか」
「だね。ご飯でも食べよう」
「ああ」
私たちは首を傾げている人たちを置き去りにギルドを後にした。
謎の忍者コンビ・・・