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姫将軍の一行が到着したと峰雀が呼びに来たのは夕刻だった。
流石に昨夜来の疲れが出て螢もジニーも涼しい幕の下で手を繋いだままグッスリ眠り込んでいた。
帝国軍の襲撃の際、分散してやり過ごした頻迦の軍勢は、湖鬼神が傷を負って身動きが容易でないことを狼煙によって知らされ、急ぎ合流して来たのだ。
その姫将軍は、螢の顔を見るなり破顔して叫んだ。
「よく戻って来たな、螢! 私も心から嬉しいぞ!」
頻迦のこの手放しの喜びように螢は恐縮した。自分の不覚のせいで湖族連衡沙海遠征軍は酷い打撃を被ったのだから。
ところが当の総隊長は剛毅に笑い飛ばすのだ。
「こんなもの何でもない! 幸い父の率いる部隊と合流予定だったから──そうだな、早ければ明日にでも帝国の連中に返り討ちができよう」
「…まさか、もう援軍が?」
沙嘴の末王子はつくづく驚嘆した。
「何て先見の明だ! 先を読む力が半端じゃないな? 流石、名将と讃えられる武人一族は違う!」
「先見だと? 馬鹿な。私は別の要件で既に父を呼んでいたのだ。と言うより──」
ここで姫将軍、悪戯っぽく、湖のような瞳で目配せして、
「私の報告を聞いた父が居ても立ってもいられなくなって馳せ参じた、と言う方が正しいか。フフフ……どうした、その顔は? まだわからないのか? それとも、しらばっくれているのかな?」
勿論、螢には姫将軍が何を言っているのか全くわからなかった。
「……何の話です?」
「父はおまえに会いに来るんだよ。おまえに会いたがっている」
螢は微かに眉間に皺を寄せた。
先刻、許嫁として紹介を済ませた後、ずっと傍らに座っていたジニーは恋人の動揺を察知してそっとその手を握った。
「螢?」
「何故……あなたの父上が俺に会いたがるのでしょう?」
不安の黒雲が胸に広がって行く。
「何の関係もない玄大将軍が?」
「何の関係もないことはないだろう? 自分の伯父を捕まえて?」
「──……」
螢を襲った衝撃はあまりにも大きかった。
螢は微動だにできなかった。
一方、頻迦は自身の上機嫌に心奪われていて眼前の王子の驚愕に全く気付かなかった。
「父は男の子に恵まれなかったからな! 挙句の果てに、目をかけ手塩にかけて育てた湖鬼神を養子にしようとしたが……これも、湖鬼神が名を挙げ過ぎて、恩知らずにも『うん』と言ってくれそうにない」
湖鬼神が臥せっている幕の方をそっと振り返って見る姫将軍だった。
改めて螢に視線を戻して言う。
「だが、甥っ子のおまえが立派に成人して、自らの意思でこっちに還ったとあっては──きっと相好を崩して大はしゃぎするぞ。今から覚悟しておけよ? ハハハハハ」
螢から返答はない。
姫は続けた。
「おまけにおまえときたら! 亡き玄鵠……私の叔父貴、つまり父の弟に生き写しだもの!」
「……姫将軍」
泣きそうな声。
螢はやっと口を開いた。
「俺は……あなたの父上、玄大将軍の弟の息子だと……おっしゃるのですか?」
「何を今更?」
「螢?」
声をかけたジニーを螢は目で制した。
(シッ、ジニー)
それから、素早く頻迦の方へ膝を詰める。
「詳しく話していただけませんか? その事実を」
それが真実なら……!
「?」
ここに至って漸く頻迦はその場を流れる空気の異常さを悟った。
とはいえ、請われるままに姫将軍は語り始めた。
「 先王・旻の代は沙嘴国が我等湖族連衡と最も仲睦まじい〝蜜月〟の時代だった。
それと言うのも、王が沙海を放浪して来た娘と恋に堕ち、后として迎えたからだ。
勿論、それがおまえの母上だということは言うまでもあるまい?
惹苺皇太后の正確な出自は現在も不明だが、彼女が湖族諸族の出であることに疑う余地はない。
さて。
沙嘴国と湖族連衡のこの結び付きは当然ながら島帝国にとって面白くないやっかみの種となった。何しろ帝国は今も昔も、折りあらばその卑しい勢力をここ沙海の果てまで伸ばそうと窺っているのだから。
沙嘴国は小国とは言え、地理的にも帝国にとって、沙海支配の格好の橋頭堡……侵攻の道標である。
そう安安と湖族寄りにさせたくはなかった。
虎視眈々と我々の仲を裂くべく機会を待っていたに違いない。
と、言うのは──
勃発した一連の忌まわしい〝事件〟に際して、帝国はあまりにも手際が良すぎたから……




