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そこでは──
銀の甲冑の軍勢と泥色のそれが砂塵を蹴散らして騎馬戦の真っ最中だった。
銀の軍が劣勢なのは一目で見て取れた。数が圧倒的に少ない。銀一騎を取り囲む泥の五、六騎。多勢に無勢である。ジニーが息を継ぐ間にも一兵、また一兵と銀の数は減って行く。
その銀の中に一際目立つ、朱色を一筋甲冑に挿した騎兵がいた。大将だろうか?
と、見る内に、威勢の良い泥兵数騎がこの朱色めがけて突進して来た。
傍らにいた銀の一騎、身を呈して朱色を庇うものの一瞬に刃の餌食となって地に崩れ落ちた。
揉まれて朱も落馬する。
ここぞと突っ込んで来る泥色の尖兵。
咄嗟に、ジニーはちょうど足元にあった砂の塊を力任せにそっちへ投げつけた。
突然飛んで来た礫に馬が驚いて棹立ちになり騎手を振り落とす。しかし、勇猛な泥色の兵は悪罵しながらもすぐ立ち上がった。同じく地上に立つ朱色の方を向いて腰の剣を抜いた。
朱も抜刀──
ここで怒涛のごとく新たな騎馬隊が雪崩込んで来た。
先頭、銀の甲冑に一筋白を挿した騎手が騎乗のまま鮮やかに地上の泥兵を斬り崩す。
「無事か? 陽王……!」
「須臾王子……?」
形勢は一変した。
援軍を得た銀に対し不利を悟った泥色の群れはアッと言う間に退いて行った。
巻き上がる砂埃で視界が掻き消された一瞬の後、そこに残っていたのは星の雫を凝らしたかと見紛うばかりの銀色の軍だった。
「危ないところでした。だが、お蔭で救かりました。心からお礼を言います」
ジニーは夢から醒めたように目を瞬いた。
眼前に銀に朱を挿した甲冑が立っている。先刻の言葉は自分に向けて発せられたのだ。
とはいえ、ジニーはすぐには返答することができなかった。短い間に起こった目まぐるしい状況の変化に心と体がついて行っていない──
「貴方が? 陽王を救けてくれたって?」
今度近づいて来たのは銀に白の甲冑だ。
「!」
改めて間近で顔を見てジニーは驚いた。年の頃はジニーと幾つも変わらない。いや、年下かも知れない、まだ少年と呼んでいい容貌だった。
こうして朱と白、並んで立つと雰囲気の違いが一層鮮明になる。
朱は白よりも背が高く、歳も四、五歳上の様子。だが、実際の年齢以上に朱には凛とした威厳があった。静謐な気品に満ちている。一方、白は野性味に溢れて若鹿のようだ。
肩にかかる優しい髪の色と涼しげな目元は両者ともによく似ているが。
燦ざめく満天の星の下で寄り添う朱と白。
宛ら一幅の絵画のようだ、とジニーはうっとりと見蕩れてしまった。或いは、音楽のように美しい光景だ、と。
だが、その平穏な調和は長くは続かなかった。
退却して行く泥色の兵馬の喧騒が風に乗って聞こえて来た途端、白は荒々しく身を捩った。
「畜生! 湖鬼の野郎ども! 舐めやがって……」
淡い色の髪が揺れて四方の砂漠の色と重なる。
「第一隊、ついて来い!」
「よせ、須臾、奴らに構うな!」
慌てて伸ばした朱の腕が虚しく宙を切った。するりと躱した白は既に馬に飛び乗っている。
「頭を冷やせ、須臾! これが湖族の遣り口だ。これ以上深追いはするな! 私の命令だぞ!」
しかし、白は疾走してとうに砂丘の彼方だ。
「──」
不安に引き攣った朱の袖を引いたのは年配の兵だった。身に着けた甲冑とほとんど同じ銀色の髪を振りながら老兵は進言した。
「今の内に城へ戻りましょう。こんな処にこれ以上の長居は王ご自身にとって危険です」
「わかっている」
だが、目は未だ白の甲冑の消えて行った砂漠の一点を凝視している。
やがて、王と呼ばれた朱の視線が再びジニーに戻った。
「貴方は……この辺りの方ですか?」
「あ、いえ、私は遥々旅をして来て……」
ジニーはこわばる舌をどうにか動かして答えることができた。
「こ、この辺は……初めてなんです」
朱色が微笑む。
「ああ、どうりで──」
ここへ来て周囲の銀兵たちも漸くジニーの存在に気づいたようだ。彼方此方でさざめきが起こった。
代表して、先ほどの老将が質した。
「この者は何者です、王よ? 湖鬼にしては少し……」
王は優しいながらもよく通る声で答えた。
「私の〈命の恩人〉だよ」
ジニーはその紹介の仕方に少なからず驚いたが、続く言葉にもっと驚いた。
朱を挿した甲冑の王はジニーに申し出たのだ。
「よろしかったら一緒に城までお越しください。旅がお急ぎでないのなら、ぜひ!」
そうして、改めてジニーに向かって頭を下げた。
「申し遅れました。私の名は陽。この先の……沙嘴国の王です」
沙嘴国の銀色の軍が夜の砂漠を渡って行く。
王の隣、馬上の人となったジニーは好奇心を抑えられずに尋ねた。
「あの、沙嘴国って?」
王は気持ちよく笑って、
「とても小さい国ですから、旅の御方! ご存知なくて当然です」
流石にジニー・スーシャは赤面した。
私、この辺りは初めてだし、おまけに辺境の地理とか分布してる少数民族の民俗学や歴史サボりまくってたからなぁ。今にして思えば管理局の〈至宝〉向け必修科目、〈運営者〉養成カリキュラムはそれなりに意義があったのだ。もう少し真面目に勉強していたらこういう時大いに役に立ったことだろう。
せめて、この地域に現存する少数民族の文化と歴史ぐらいフッカー博士に聞いとくんだった──
「キャッ……!」
考え事に気を取られていたせいでジニーはものの見事に落馬してしまった。
派手に砂上に転げ落ちた娘を周りは信じられない、という仰天の目つきで見つめる。
「し、失礼。私、馬慣れてないんで……」
「アハハハハ」
突然の哄笑は陽王だった。
王は心底おかしそうに周囲を見回して言うのだ。
「どうだ、おまえたち? これでおまえたちの懸念は吹き飛んだであろう?」
「?」
首を傾げるジニーを横目に、これ以上疑うのはよせ、と王は兵たちにきっぱりと命じた。
「この娘は湖鬼などではないぞ!」
周りの兵たちも初めて声を合わせて笑い出した。
「そのようですな?」
「湖鬼多しと言えど馬から落ちる湖鬼など聞いたことがない……!」
「湖鬼?」
訝しむジニーに陽王は教えてくれた。
「先刻、我々を襲って来た連中、あれが湖鬼です」
その顔にさっきまでの笑いの痕は微塵もなかった。
「湖鬼──湖族はここ沙海地帯で最も力のある種族で連衡国家を形成しています。そして、強大な島帝国と覇権を争っているのです。私たちのような小国は安寧に生きながらえるためにはどちらかの傘の下に入って力を借りる以外道はない。私の国はある時は湖族連衡につき、またある時は帝国に与し、こうして今日までなんとかやって来たのです。だが、その話はまた後でゆっくりと。どうやら、着いたようだ」
眼前、沙嘴国の城壁が近づいて来た。
どこまでも尽きることのない砂漠の中、星空の下に眠っているその国はジニーの目には砂でできた森のように映った。
沙嘴国の第一印象を〝砂でできた森〟と思ったその感覚は間違いではなかったと城下に入った後、ジニー・スーシャは改めて思った。
沙嘴の都は予想した以上に小さく、そして、予想を遥かに超えて美しかった……!
不必要な衣装を剥ぎ取った裸体の美しさだとジニーは思わずため息を吐く。
豪奢なものは何一つない。砂漠の砂を固めた家々。王の居住する城でさえ土台は同じだろう。
但し、王城は銀色の、鱗と見紛う彩色色石をびっしりと張り巡らしてあった。
それら色石が夜の星の光に猩猩と燦めく。
月が出たらどんなだろうとジニーは夢心地で想像した。
精緻な細工を施された大卓に並べられたもてなしの料理もいたって質素だった。
その宴席で若き沙嘴王は語り始めた。
「私は島帝国で育ったのです」
沙嘴国の歴史について全く知識のないジニーがどう受け答えたものか困っていると、更に他人事のような調子で王は続けた。
「〈人質〉として、です。島帝国と湖族連衡の覇権争いは父の代に至って激しさを増しました。それで、帝国も湖族も我が国が一方に寝返らないように人質を欲したのです。よくあることですが。第一子だった私は帝国へ、弟は湖族連衡の宗都・湧へ連れて行かれました」
ジニーは会話について行こうと努力した。
「そ、そうですか?」
「しかし、結局はどちらか一つを選ばざるを得ない。父は決心しました。以来、我が沙嘴国は島帝国の属国となって帝国に護ってもらっています」
「まあ! それじゃあ、弟さんは?」
ジニーはさっき会った白を挿した甲冑の騎手を思い出して思わず聞き返した。
風のように駆け去った清冽な若者……
「当然ながら、弟は我が国が湖族を裏切った報いに殺されました」
「えええっ?」
ジニーの驚愕を見て陽王は思い当たったらしく、
「ああ、先刻、湖鬼の軍を追って行った? あれは末の弟です。第三王子。全く、私が止めたのも聞かないで──」
王の温雅な顔が苦悩に歪む。
再びジニーは何と言っていいものかわからなくなった。
会話の接ぎ穂を見失ったまま居心地の悪い思いで椅子の彫り物を触る。幸い若い王は異郷からの客人ではなく葡萄酒が満たされた銀杯を凝視していた。
「二十一の歳、父王が死ぬまで私は帝国で育ったのです。そして、再び故郷に帰って来て、私が王位を継いだ後、湖族の嫌がらせは年を追ってひどくなる一方だ……」
*豆知識*
沙海と呼ばれる砂漠の深奥、水源豊かな大小の湖の周辺に発展した湖族は勇猛果敢な騎馬民族。唯一砂漠ではない陸地、海に浮かぶ島帝国は絢爛豪華な文化を誇る…覇権を争う2大勢力に翻弄される小国が沙嘴国です。




