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燦光伝  作者: sanpo
20/63

*19

     


 湖族連衡(れんこう)沙海遠征軍総隊長用幕舎の中で、玄頻迦(げんびんか)は読んでいた書物から顔を上げた。

「湖鬼神に来客だと?」

「はっ」

 側将が膝を折って何やら耳打ちする。

「……なるほど」

 興味深げに美しい眉を寄せる姫将軍だった。


 同じ頃、湖鬼神は自身の幕舎で(ちのひ)と相対していた。

 荒い(むしろ)を敷いただけの、この間虜囚として囚われていた所と広さ以外にはさして違いのない簡素な幕舎内で、螢は帝国軍の姦計を洗い浚い語り終えた。

 湖鬼神より先に、両脇を固めていた配下の将兵が蔑みの声を上げる。

落とし穴(・・・・)だと? フザケタ野郎だな!」

「よりによって俺たち湖族相手にか?」

 二人とも螢には見覚えがあった。

 右側の恰幅の良い年嵩(としかさ)美髯(びぜん)は、沙海で自分を虜囚にした際の副将。左は同じく、王子だと名乗りを上げた際、真っ先に首を切ろうとした逸雄(いつゆう)だ。

 螢は改めて両者が湖鬼神の股肱(ここう)の兵であることを知った。 ※逸雄=血気盛んな若者

 当の大将、湖鬼神は先刻より腕を組み、目を瞑って座したまま微動だにしなかった。

 伝えるべきことは全て伝え終わって、螢は待った。

 やがて、見開いた双眸を真っ直ぐに螢に据えて湖鬼神は訊いてきた。

「何故こんな真似をする? 俺はおまえの敵だ」

 螢は慌てなかった。それを問われるのは承知の上だ。

「貴方には借りがある。俺は言ったはずだ。『恩は必ず返すからな』と。受けた恩は返すべきものだ。そうしないのは」

 いったん言葉を切った後、きっぱりと言う。

潔くない(・・・・)

 いつかの湖鬼神の台詞をそのまま返してニヤリとしてみせる王子だった。

「違うかい?」

 しかし、湖鬼神は笑わなかった。

「……俺が信じないと言ったら?」

「え?」

 螢はギョッとした。

 両側の湖鬼が将の言葉を受けて口々に叫ぶ。

「言われてみれば──その通りだ! この話は出来過ぎて(・・・・・)いるっ!」

「この王子を使って帝国軍が罠を仕掛けてきたとも考えられるぞ、湖鬼神!」

「!」

 ここに至って、若い螢は初めてその種の疑惑を持たれる可能性に思い当たった。

 湖鬼神は身動(みじろ)ぎもせず、ただ真っ直ぐに自分を見つめている。鋭く凍えるその瞳には月下の沙漠を長駆した夜、見せた優しさは微塵もなかった。

(そうか、うっかりしていた。罠か。そういう(・・・・)取り方もあったんだな?)

 だが、今現在、眼前の湖鬼たちの疑心を打ち砕く何ものをも自分は持っていない──


 湖鬼神はハッと息を飲んだ。

 対峙する沙嘴の王子が一筋、落涙した。

 頬を伝う涙を拭おうともせず螢は立ち上がった。

 両脇の将兵は驚いて腰の剣に手をやる。しかし、螢は中央の湖鬼神だけを見ていた。

「信じないのは、貴方の自由(・・・・・)だ」

 低い声ながらきっぱりと言い切った。

「だが、俺が騙しに来たと疑うのは──俺への侮辱(・・・・・)だ!」

 いきなり佩刀を抜くや、反転して刃の方は自分が握り、柄を湖鬼神の鼻先に突きつけた。

「信じないなら、俺をこの場で斬れ! それこそが、俺の誠意に対等というものだ!」

 力を入れ過ぎた螢の、掌に食い込んだ白刃から鮮血が滴り、暗い筵に零れた。

「わかったよ、螢」

 湖鬼神は初めて相好を崩した。

「さあ、早く……その物騒な物をしまえ」

 片笑窪(かたえくぼ)を燦めかせて頭を振る。

「ったく、おまえは血の気が多過ぎて敵わん……」

「……湖鬼神?」

 瑚鬼神は立ち上がると両脇の兵に命じた。

(ほう)峰雀ほうじゃく、俺の御客人に何か見繕って持って来い!」

 それから、首に巻いていた巾を解くと、血に濡れた螢の掌に縛って素早く止血した。

 時を置かず側将たちは酒と肴を持って戻って来た。それらを筵の上にザザッと並べる。

 二人はそのまま姿を消した。

 頓着せず、豪胆に湖鬼神は酒瓶を掴むと螢の方に傾けた。

 たった今、巾を巻いてもらったその手で螢は慌てて盃を持つ。

 一瞬、螢の眼差しが揺れて差し出された酒瓶の上に止まった。

「どうした? 酒は嫌いか?」

「あ、いや、そうじゃない」

 螢は帝国派遣軍との一件を思い出したのだ。

(同じ酒宴でも雲泥の差だな?)

 眼前の湖族の将をこっそりと盗み見て螢は考えずにはいられなかった。

 この将(・・・)になら──俺は喜んで酌ができるのに。そして、この将の下でなら、俺は喜んで命を賭して戦うだろう。

(だが、何故だ(・・・)? この熱い思いは何処から──)

 ここで螢は別の気配を察した。

 湖鬼神もそうだったらしく二人はほとんど同時に幕舎入口を振り返った。

 そこに、かの麗しの姫将軍が立っていた。

「やあ! やっと気づいていただけたかな? これで……登場して行ける」


 螢は盃を持ったまま硬直して、歩み寄る玄頻迦を眺めやった。

「一体いつお呼びがかかるかと心配したぞ。一晩中立ちん坊も有り得ると腹を括っていたんだ。何しろ二人だけで完璧に盛り上がっていたものな!」

 殊更、悪戯っぽく姫将軍は微笑んだ。

「だが──気づいてくれたからには、私も呼んでもらえるんだろう? この素敵な秘密の夜会に?」

「人聞きの悪いことを言うな」

 湖鬼神も笑った。

「それにしても、いつからそこにいたんだ?」

「これだものな! 白状すると……実は物騒なシーンは一部始終見せてもらった。いや、全く! あれこそまさに〈破邪の剣〉だったな?」

 ここまで言って言葉を切った。真摯な眼差しで、

「とはいえ、改めて正式に紹介を願いたいのだが。湖鬼神、こちらは?」

「ああ、これは俺の客人にして、友人の螢だ」

 微かに頻迦の微笑が揺れた。そよ風に大輪の牡丹が(そよ)ぐほどに。

「すると、沙嘴国王族のお一人? 確か第三王子様がその名だと聞いている……」

「その通り! その王子様(・・・)さ、ここにいるのが」

「これは素晴らしい! 身に余る光栄だ……!」

「こちらは?」

 螢も待ちきれず湖鬼神を促した。急き立てられて鬼神は苦笑する。

「さあ、今度はおまえ(・・・)が光栄する番だぞ。螢、こちらが姫将軍の名で知られる玄頻迦殿だ」

「というと、湖族連衡の宗都・湧の閥族、玄家の、あの?」

 頻迦は静かに顔を螢に向けた。

「私を御存知か?」

「名……御名前だけは……」

 螢は口籠る。心の中で叫んだ。

(知ってるとも! 当たり前だろ?)

 小国沙嘴などと違って、帝国と覇権を争う列強・湖族連衡。その宗都・湧で玄家と言えば屈指の名門、武人一族である。

(そうか、今回の沙海遠征軍には玄家のお姫様が加わっていたのか……)

 螢の上気した顔を横目に見て湖鬼神はからかった。

「おい、螢、妙なことに感激するのよせ。姫将軍は花を手向けにきたわけじゃないんだぞ? おまえの沙嘴国にイチャモンをつけに来たんだ」

 湖鬼神の指摘に螢は一層赤くなった。

(そうだった。でも──)

 姫将軍からの酌を畏まって受けながら、なおも螢は思わずにはいられない。

 皮肉なもんだな? 本当、こうして見ると湖族は他人に思えない。実際、俺は奴等、帝国人の方が傍にいるとゾッとするぜ。

 螢は頻迦と湖鬼神にそれぞれ酌を返した。

 それをしながら考える。

 湖鬼神といい、この姫将軍といい、心が(とろ)けそうなくらい落ち着く……

 この安堵感は、一体何処から来るんだろう?



 【豆知識】 湖族は鳥の名を付ける伝統のようです。

       鵬は白鳥、頻迦も天界に住むという鳥の名です…

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