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燦光伝  作者: sanpo
13/63

*12

     


 ジニーを王城内の客舎に送った後、王子がやってきたのは中院最奥。

 頬に風を受けて立ち止まる。

 海棠の繁み越しに透かして見る八角の堂宇は〈蒼落堂〉と呼ばれていた。

 元々は病を得た先王が静臥していた離宮だ。ここを帝国派遣軍が牙城にしたいと行ってきた時、(ちのひ)(はらわた)が煮えくり返ったものだ。

 父王の思い出と重なる懐かしい明かりが零れる離宮を螢はなお暫く黙って見つめていた。

 程なく、美しいのは、あの頃と変わらないのは、闇に(にじ)む灯だけだと悟った。

 内からは、先刻紅燈街で耳にしたと同種の喧騒が漏れ響いてくる。

 下草を踏みしめながら螢は唇を噛んだ。

 開け放した高窓を通して嫌でも屋内の光景が見て取れた。

 どこで調達したのやら、目を剥くほどの豪勢な料理や林立する酒瓶。ほとんど全裸に等しい美妓たちを侍らせて、紂将軍以下帝国派遣軍将領が床に直座して饗宴の真っ最中だ。

ここ(・・)は亡き父王が愛した離れだぞ!)

 父上はここ(・・)で静かに息を引き取ったんだ。その長子を待ちかねて……

 螢は臨終の苦しい息の下で小さな自分の手を最期まで握って離さなかった父の、その手の温もりを思い出した。

 知らず知らずの内に(こぶし)に力が入る。

(それを……こ、こんな……?)

 真実、螢には信じられなかった。

 生まれてこの方、これほどの醜状を目の当たりにした経験がなかった──

 沙嘴国人は清澄の眷属(けんぞく)である。

 砂漠に抱かれた厳しい自然環境の中、絢爛豪華さとは縁のない、静謐(せいひつ)で瀟洒な文化を育んで来た。

 離宮〈蒼落堂〉も、床のモザイクは雲を模し、天井は空を写している。

 そういう美意識の中で育った一途で清廉な王子にとって眼前で繰り広げられている酒宴図は淫靡(いんび)極まる獣行に映った。

 湖族も性的には奔放で放埒な民族だが、彼らはもっと剛直で帝国人の(まと)う淫蕩な瘴気(しょうき)は微塵もない。


 茫然として立ち尽くす王子の姿を先に気づいたのは紂謖(ちゅうしょく)将軍の方だった。

「!」

 光と色を満載した(ただ)れた屋内から一転、月光に因って銀色に煙る闇の中、庭先に独り屹立する精悍な若者の姿は身震いするほど妖艶だった。

 軽い眩暈さえ覚えて、暫くそのまま見蕩れていた。

 幾許かの後、紂謖は声を発した。

「これはこれは……王子ではないか! いかがなされました?」

 先んじて声をかけられた螢は少々バツが悪かった。

 それでも決心して、離宮へ続く玉砂利の小道へ一歩足を踏み入れた。

 張り出した露台の下で問う。

「紂将軍! あれはどういうことだ?」

 月琴や琵琶の音曲を潜って将軍の野太い声が返ってきた。

「はて、何のことですかな?」

「貴方の兵たちの城下での蛮行のことだ! あ、あんな振る舞いを貴方は自分の兵に許しておくのか?」

 城下で目にした痴態を思い出して螢の声は震えた。

「盛りのついた獣同然だ! 俺は沙嘴国人として……我慢できない……!」

「まあ、そう熱くならず──とにかく、こちらまで来られよ」

 紂将軍は口の端を歪めて笑った。

「そんな処に突っ立っておられてはまともに話もできないではないか?」

 螢は躊躇した。

 あんなおぞましい場所に足を踏み入れたくはない。だが、毅然として顎を上げ、将軍の座す方へ歩を進めた。

 その道程(みちのり)たるや……悪夢だった。

 裸の妓女や、(こぼ)れた料理や、転がる空の酒瓶を、幾度も避けねばならなかった。

 紂将軍は近づいてくる王子をずっと凝視していた。

 ちょっと手前で、酔っ払った将の一人に押された妓女がよろけて王子にぶつかった 王子は紅潮して露わな乳房から目を逸らす。

 その面差しを見て、紂謖はまたニヤリとした。


 紂謖の前に至って、王子は言った。

「将軍、一刻も早く城下の帝国兵たちの行為を正してもらいたい!」

 征夷派遣軍総帥は尊大な態度で顎をしゃくっただけだ。

「座ったらどうです?」

 螢は即座に断った。

「けっこうです。俺はこのままでいい」

「フン。 私の兵たちについては大目に見てやってくれませんか? 何しろここ2ヶ月余というもの砂また砂の荒れて不毛な世界を行軍して来たんだ。少しばかり命の洗濯をしたところで文句はあるまいと私は思うが」

「しかし──」

「その上、我々が艱難辛苦を重ねてこんな(・・・)辺境の地に遥々やって来たのは、他ならぬあなたたち、沙嘴国人のためなのですぞ」

 ここで言葉を切って周囲の将領たちをひとあたり見渡してから、

「感謝されこそすれ、そういう風に邪魔者扱いされる憶えはないはずだが?」

 螢は歯を食いしばって面伏せた。

 その様子を見て、紂はまたまたうっそりと笑う。

「どうも誤解があるようだな? 沙嘴国王子様からして我々を〈侵略者〉扱いだ!」

 居並ぶ帝国軍将領たちの射すような視線を螢は感じた。

 紂は巨体を前に迫り出して訊く。

「我々はそんなに信用が置けませんかな? ……湖鬼ども(・・・・)より?」

 将軍は執拗に繰り返した。

「王子は我々がそんなにお嫌いですかな?」

(これまでだ。)

 螢は悟って、胸を焼く怒りの(ほむら)を必死に抑えて将軍に背を向けた。

 次の瞬間、予期しないことが起こった。

 こともあろうに、紂将軍がその太い腕を伸ばして螢の肘を掴んだのだ。

 螢は愕然とした。

 いかに小国とは言え、王子として育った螢は今まで他人からこんな無礼な振る舞いをされた憶えがなかった。軽々しく身体に触れるとは……!

「──」

 王子の動揺を知ってか知らずか、紂は平然として言葉を継ぐ。

「何、まあ、そう慌てずともよいではないか、王子? せっかく我々帝国人の宴にいらっしゃったんだ。ゆっくりしていけばいい。どうです、一緒にやりませんか?」

 配下の将領たちは皆、ニヤニヤして事の成り行きを見守っている。音曲の音もいつの間にか止んでいた。

 螢は厳然として首を振った。

「……俺は失礼する」

 ところが、紂は更に仰天の振る舞いに及んだ。

 螢の面前に酒瓶を突きつけたのだ。

「?」

 訝しんで紂を見つめ返す螢。

「御自分が飲まないとおっしゃるなら、それはそれで結構──」

 濃い眉の下の小さな目を瞬いて将軍は言った。

「しかし、ならばせめて酌ぐらいしてからお帰りになって欲しいものだ」

 耳を疑う螢に構わず、紂は続ける。

「それが礼儀だとお思いになりませんか?」

 左右の部下たちに首を巡らして、聞こえよがしに、

「全く! これだから辺境人は困る。我々文明人(・・・)の作法にはとんと無頓着だ!」

 配下の将たちはどっと嘲笑の声をあげた。

 螢の怒りは心頭に達した。

 改めて真っ直ぐに帝国派遣軍将軍に向き直る。

「生憎だが、将軍。俺たち沙嘴国には、一方的に男に酌を強要する無礼な礼儀作法などない」

 紂は、待ってました、とばかり、

「おや! 何か誤解をしておられますな?我々偉大なる大帝国にも男に酌をさせる作法などないですぞ」

「?」

 螢は首を傾げて紂を見た。砂色の髪が鎖骨に零れる。

 その風情を楽しみながら、紂謖、

「私が酌をさせるのは常に加護を必要とされる非力な寵姫様(・・・・・・)ばかり。自分で自分の身も守れない惨めな者どもよ……!」

 今や〈蒼落堂〉は水を打ったように静まり返っていた。

 将軍の酒興と悟った将領たちは次なる嘲罵の言葉を笑いを押し殺して待っている。

「そういうお姫様方は、せめて媚びる以外能がないからな? 力を有す本物の男たち(・・・・・・)の機嫌を取る他に生きる術のない哀れな寵姫様!」

 紂はしたり顔で螢に微笑みかけた。

あなた様(・・・・)もそのクチかと思ったのだが。 違いましたかな?」

 紫の帝国軍将領たちは声を揃えて爆笑した。

 膝や手を打ち鳴らして自分たちの隊長の露骨な当て擦りを囃し立てる。

 その歓声が海嘯(つなみ)のように瀟洒な離宮を洗う中、意外にも螢は静かに目を伏せただけだった。

 烈火の如く怒り狂うかと半ば期待していた紂将軍以下帝国軍将領は、これには逆に吃驚してしまった。

「──」

 螢はまっすぐに腕を伸ばすと紂から酒瓶を受け取った。

 活きの良い、俊馬のようなこの王子なら、殴りかかってくるかも。そのくらいのことはしかねない。いや、まさにそれを期待して挑発した当の将軍は、思いの他従順な螢の態度に大いに拍子抜けしてしまった。

 酒瓶を手にした王子は、改めて紂謖に視線を戻した。

 その何という澄み切った眼差し……! 

 つい、釣り込まれて見入った刹那──

 酒瓶が翻って、紂は頭から酒を被っていた。

「う……ぬっ……?」

 あまりに突然の行為に、座して居並ぶ将たちも、妓女も、目を瞠ったまま動けなかった。

 高く結った髷から広い肩へと酒を(したた)らす島帝国驍将・紂謖。

 それを見下ろしながら沙嘴国王子は邪心のない笑顔で言ってのけた。

「失敬、将軍! 手が滑ってしまいました。本当は酌をしようとしたんですが──やっぱり俺たち(・・・)辺境の田舎者は貴方がた都会育ちと違って……立居振る舞いが洗練されていないようです」

 今度こそ颯爽と身を転じて、乱れた床を突っ切って去る王子だった。

「では、俺はこれで」

 漸く将の何人かが怒号とともに立ち上がった。

「このっ! ……ふざけた真似を──」

「無礼にも程がある!」

「わざとやったな……!」

 酒でぐっしょりと濡れた顔を腕で拭いつつ紂は色めき立つ部下を押し留めた。

「よせ」

「──そうそう」

 中院へ出る一歩手前、露台の上で螢は思い出したように振り返る。

「心から楽しみにしていますよ、大帝国征夷派遣軍隊長殿! 貴方(・・)の湖族を相手にした戦いぶりを、ね?」

 真白い歯を燦めかせて、婉然たる微笑を一つ。

「さぞや、俺たち護ってもらうか弱い者(・・・・・・・・・・)と違って、力を持つ真の男(・・・・・・・)は凄いんだろうな!」

 それから、ヒラリと跳んで、去った。

 闇に消えたその後ろ姿に紂は吐き捨てた。

「……湖鬼め!」






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