周一叔父
「ワーニャ伯父さん、生きていきましょうね」(チエホフ「ワーニャ伯父」)
「いいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」(太宰治「ヴィヨンの妻」)
オッチャンと俺は一緒に生きてきた。俺が子供の時の話だ。
オッチャンと俺は大垣から近鉄の電車でさらに田舎に行った村に暮らしていた。ゴチャゴチャと親戚たちが家を並べて暮らしている中に、俺たちの家もあった。平屋の小さい家だった。
周一叔父は若い時、東京に行って文学の勉強をしたそうだ。でも、誰からも尊敬されていなかった。俺も尊敬していなかった。
オッチャンはまともな仕事をしていなかった。近所の子供にちょっと勉強を教えたり、習字を教えたりしていた。
子供ながらに俺はオッチャンをうっとうしく、暑苦しく、時代遅れの存在に感じていた。
でも、俺はオッチャンと生きるしかなかった。
俺は父ちゃんと母ちゃんにすてられたのだから。オッチャンに育ててもらったのだ。
オッチャンは時々、俺を大垣に連れていってくれた。近鉄の電車に乗って。
一度、俺が小学生になるかならないかの年の真夏、オッチャンは俺の手を引いて商店街の方でなく、住宅地の方に歩いて行った。そして民家の一角にある一軒の本屋に入った。あまりキレイな本屋でなかった。そして、オッチャンは不思議なことにお金の入った封筒を受け取った。それから、オッチャンはまた俺の手を引いて商店街の方に向かった。バブル前夜で日本がまだ元気なころだった。店内に池があって鯉が泳いでいる喫茶店に入った。「エスカルゴ」という一種のパフェと「ナポリタン」という料理を頼んだ。「ナポリタン」は他の地域は知らないけど、俺の住んでいる所では鉄板に玉子焼きがしいてあり、その上にケチャップで味付けしたスパゲティが載っていた。
それで、当時は屋上に小さい遊園地のあるデパートが二つあり、そういう所にも連れていってもらった。その日は違うかも知れないが、映画館もよく連れていってもらった。
オッチャンはフットワークの軽い人ではなかった。実父ではないせいもあるのか、一緒に遊具に乗ったりしなかった。また運動神経が鈍いせいか、スポーツ系の遊びもやってくれなかった。また、オッチャンは対人恐怖症気味で、バスに乗って村の人たちと大きい遊園地に行ったり、プロ野球を見に行ったりもしなかった。そんな周一叔父に俺は苛立たされた。
周一叔父はTVも持っていなかった。ラジオを聴きながら、本を読んだり、書き物をしたりしていた。俺は退屈していた。オッチャンは俺に話を聞かせて、寝かしつけてくれたが、それはダンテの「神曲」、オスカー・ワイルドの「サロメ」、ブレイクの詩など、子供に何の配慮もなかった。
一度、オッチャンは芥川龍之介の「地獄変」を話してくれた。
「それで良秀は本当の地獄を描くため、人を焼き殺そうとするんやで。道長は良秀をこらしめようとするため、良秀の娘を焼き殺そうとするけど、良秀はそれを描くんや」
「何でや?何で、娘を助けんかったんや・・・」
「娘より芸術が大事やったんやで・・・」
その夜、俺はうんうんうなされた。流石の周一叔父も少し反省したようだった。
周一叔父は友達も、恋人もおらず、皆からはみそっかす扱いだったが、村の神社の祭りの時は、寄付をしてくれた人の名前を和紙に習字で書いていた。神社の本堂で。俺は手伝いをしていた。名前の書かれた和紙は境内に飾るのだ。
境内では村人が役所の人から菓子を配られていた。子供たちが遊び回っている。
オッチャンが人づきあいが苦手なので、俺も今一つ、周りの子に溶け込めなかった。
オッチャンのボランティアが終わると、助六(稲荷寿司と太巻寿司)を二箱と、お供え物の中からかご入りの果物と一箱の菓子をもらった。夕闇が迫っていて、俺たちの影は長かった。
「みんな、オッチャンをバカにしとる!」
オッチャンは苦笑していた。
「大丈夫やで、勇吉。今、オッチャンは小説を書いとる。それを出版したらみんなに先生先生と言われて、お金も入ってきて、こういう果物や菓子も床に置ききれんくなるで」
俺は半信半疑だった。
お正月も情けなかった。一番大きい親戚の家で俺とオッチャンは隅の方に座らされていた。雑煮を食べ、お節料理を少し食べ、俺はむずかって、帰りたがった。晴れ着もなく、セーターとジーンズのオッチャンは帰るさ、親戚の子供たちの古着と、料理をお重に入れたものを毎年もらうのが常だった。
俺とオッチャンは凍えて布団の中にいた。オッチャンが聞かせてくれたのは「ワーニャ伯父」だった。
「ワーニャ伯父さん、生きていきましょうね。長い長い昼と夜を。そしていつか時が来たら大人しく死んでいきましょう。天国に行ったら、苦しかったこと、泣いたこと、つらかったことを神様に申し上げましょう。そうしたら神様はわたしたちを憐れんで下さって、明るく美しい暮らしが出来るんだわ」
俺は明るく美しい暮らしを夢見ながら、眠っていった。
小学校に上がる頃、俺は母親に会いたいと駄々をこねた。入学式がオッチャンだけというのが恥ずかしかった。オッチャンはどう思っていたのか、俺の手をつないで、また大垣行きの電車に乗った。桜が咲き誇っていた。
オッチャンは俺の手をつないで、住宅地の方に歩いて行き、一軒の家を指さした。そう立派な家ではなかった。そこから一人の女性が出てきた。俺の体は凍りついた。「母ちゃん!」と出て行こうとしたが、出来なかった。その時、家から小さい子供が三人出てきた。
俺はくるっと振り返って走り出した。ノロノロしているオッチャンだったが、流石に俺に追いついた。俺はへたりこんで泣き出した。オッチャンは俺をおぶって駅まで歩いて行った。帰りの電車で俺はオッチャンにしがみついて泣いていた。オッチャンは俺の頭を撫でてくれていた。
村に一台だけあるタクシーで家まで帰った。オッチャンは寝床にいる俺に話しかけた。
「勇吉。人はみんな幸せになるため生まれてくるんや。お姉ちゃんも幸せになろうとしとるんや・・・勇吉、勇吉は勇吉の幸せを見つけて生きていけばええ・・・」
俺の幸せって何や?
俺はショックのためか、肺炎を起こして入院した。オッチャンは大垣の市民病院に俺を運びこんだ。真夜中、村のタクシーに乗り込んで。
俺は峠を越すまで、何日か苦しんだ。オッチャンは体をさすったり、ロシアの歌を歌ったりしてくれた。
今にして思うと何日かしてすぐ退院出来た。長く思えたが、すぐだったのだ。
しかし、家に帰った俺は別のショックを受けた。オッチャンは貧しい平屋にふさわしくない立派な文学事典や、子供にはハッキリ分からなかったが、貴重な本をいろいろ持っていた。
そういう本がなくなっていた。子供ながらにオッチャンが入院の費用を出すため、事典や本を売っていたことが分かった。
俺はオッチャンにしがみつき、泣いた。オッチャンは俺を包みこむように抱きしめてくれた。
「何でや・・・何で芥川みたいに・・・芸術のため・・・俺を見捨てんかったんや・・・」
「何でやろ?・・・芸術や文学が大事と思ってきたけど・・・勇吉の方が大事やったから、本は売ってまった・・・昔な・・・一度だけ出版社に原稿を見てもらったんやけど・・・人を押しのけるアクの強さがないから、ダメやって言われた・・・やっぱ、そうなんやな・・・でも、ええんや、芸術や文学で成功するより勇吉の方が大事なんやから・・・」
俺はオッチャンが俺のため、夢を少しずつ手放していたことを知った。オッチャンの大切な本は、大切な夢はお金に換えられて、俺の食べる美味しい食べ物や、デパートでの遊びや、いろいろなものに換えられたのだ。
数日後、俺は小学校に入学した。オッチャンと記念写真を撮った。
成長した俺がオッチャンの夢を継いだとかなら、座りがいい。でも、俺は高校二年になる時、理系のクラスに行くことにした。オッチャンは少しさみしそうだったが、「ええで」と言ってくれた。
高校ぐらいになると俺は野球も好きだったし、友達も多くなった。高校を出ると大学でコンピュータの勉強をした。
少し大人になってくると分かってきたが、親戚の中でオッチャンが本家の跡継ぎで、家や土地は親戚にかしているのだと分かった。オッチャンは周りの人に無償の愛で尽くし、清貧に甘んじていた。
ただ俺の学費だけは土地を売って工面してくれた。
大学を出て、働いて、俺が結婚することになると、オッチャンは「この家で暮らすとええ。オッチャンはうちの土地の外れにある離れで一人で暮らす」と言った。そして、封筒にまとまったお金を入れて俺の方に差し出した。俺はそれをおしいただいた。
俺はある日、妻と子を連れて、オッチャンとつくしとりに行った。
俺と妻は鉄道の線路の辺りのニョキニョキ生えているつくしをとっていた。オッチャンは俺の息子のめんどうをみていた。俺の息子を抱くオッチャン。うす曇りの空からは光がこぼれる。淡い光がオッチャンを包みこむ。俺はオッチャンがいつか行く所がどこかを知った。その日までオッチャンは生きていく。オッチャンのおかげで、俺も生きている。