第54話 神々の黄昏と陰謀論の夜明け
東京都千代田区永田町。
日本国の深淵、首相官邸地下5階『特別情報分析室』。
この部屋は今や、世界で最も「情報」が濃縮された特異点となっていた。
分厚い鉛の壁と最新鋭の電子ロックに守られた聖域。
その中央にある円卓を囲むのは、副島内閣総理大臣、官房長官、そして主要閣僚たちだ。
彼らの視線は、スクリーンの脇に立つ一人の男——内閣官房参事官、日下部に注がれている。
日下部は、どこか憑き物が落ちたような、しかし底知れぬ疲労を湛えた表情で、手元のコンソールに手をかけた。
「……では、定例報告を始めます」
彼の手指がスイッチを押す。
「『位相干渉装置(Jammer)』起動」
ブゥン……。
重低音と共に空間が震える。
テラ・ノヴァ由来の波動が室内を満たし、物理的・電子的なあらゆる盗聴を無効化する。
ここだけの話、この「儀式」を行う瞬間だけが、日下部にとって唯一胃痛が和らぐ時間だった。
世界中のどこにもない完全なる密室。
ここでだけは、本音(毒)を吐くことが許される。
「ジャミング、正常に作動中。
……というわけで、総理。
ご報告申し上げます」
日下部はスクリーンを背にして、淡々と告げた。
「アメリカ合衆国、および中華人民共和国。
両国ともに、我が国が提案した『ナノマシン・レーダー網』の導入を正式に決定し、ビーコンの設置が完了しました」
おお……。
閣僚たちの間から、安堵と驚愕の入り混じった溜め息が漏れた。
「……本当に受け入れたのか?
あの猜疑心の塊のような二大国が?」
外務大臣が、信じられないといった顔で尋ねる。
日下部は肩をすくめた。
「ええ。
正直、私ももう少し揉めるかと思っていました。
ですが、彼らの『飲み込み』は予想外に早かった。
トントン拍子、と言ってもいいくらいです」
日下部はスクリーンに世界地図を投影した。
ワシントンD.C.、ニューヨーク、ロサンゼルス。
北京、上海、重慶。
それぞれの都市に青白い光点——「ビーコン」の設置場所が輝いている。
「勝因は、我々がついた『嘘』の質が良かったことでしょうね。
『位相空間レーダーアレイ』という魔法のような異次元技術を、そのまま説明しても彼らは信じなかったでしょう。
ですが、『ナノマシン・レーダー網』という嘘には、リアリティがありました」
日下部は皮肉な笑みを浮かべた。
「彼らは、すでに日本の『医療用ナノマシン』の奇跡を目の当たりにしています。
『体を治すナノマシンが作れるなら、空気を読むナノマシンも作れるはずだ』。
……そんな彼らの勝手な思い込みと、日本技術への過大評価(買い被り)が、最高の隠れ蓑になりました。
彼らは、自分たちが理解できる範疇の科学技術だと思い込み、安心して罠に飛び込んだのです」
技術的なブラックボックスを「企業秘密」の一言で押し通し、メンテナンス権限を日本が握る。
その条件すら、彼らは飲んだ。
それほどまでに、このシステムの魅力は抗いがたいものだったのだ。
「で、成果はどうだ?」
官房長官が身を乗り出した。
導入した結果、世界はどう変わったのか。
「劇的ですよ」
日下部はまず、アメリカのデータを表示した。
「アメリカでは、テロ対策において革命が起きています。
先週だけでFBIとCIAは合同で12件のテロ計画を未然に阻止しました。
それもアジトへの突入といった派手なものではなく、容疑者が爆弾の材料を買おうと家を出た瞬間に拘束する、というスマートなやり方で」
画面にはNY市警の検挙率グラフが表示される。
右肩上がりどころではない。
垂直に跳ね上がっている。
「殺人事件や誘拐事件に至っては、発生から1週間以内に犯人が見つかるケースが98%を超えています。
目撃者がいなくても、防犯カメラがなくても関係ありません。
『その時、その場所に誰がいたか』をシステムが全て記録しているからです。
アリバイ工作など不可能です」
「……凄いな」
警察庁長官が、羨望の眼差しで呟いた。
「犯罪捜査のパラダイムシフトだ。
冤罪もなくなるし、迷宮入りもなくなる。
アメリカ国民は治安の劇的な改善に歓喜しているそうです」
「そして、中国ですが……」
日下部が画面を切り替える。
こちらは、もっと生々しいデータだった。
「こちらも『成果』が出ています。
反体制勢力、および党内の腐敗分子の摘発が、恐ろしいスピードで進んでいます」
地図上の赤い点が、次々と消えていくアニメーション。
それは「排除」された人間を示している。
「地下組織の会合、密使の接触、海外への送金ルート。
これまでは見えなかった『闇』が、日本のビーコンによって白日の下に晒されました。
MSS(国家安全部)はリストに従って戸別訪問をするだけでいい。
……不思議ですねー。
彼らがどうやって隠れ家を見つけたのか、市民たちは首を傾げているそうですが」
日下部は乾いた声で言った。
中国指導部は、このシステムを「権力の安定化」のためにフル活用している。
恐怖政治の完成だ。
「……だが、日下部くん」
総理が鋭い視線を投げかけた。
「それらの情報は、全て日本側にも流れているのだな?」
「はい、もちろんです」
日下部は手元のタブレットをタップした。
「アメリカが追跡したテロリストの顔写真。
中国が粛清した幹部のリスト。
そして……それらの命令を下したホワイトハウスや中南海の『密室での会話』。
全てログとして、テラ・ノヴァ経由でこちらのサーバーに保存されています」
ドンと、日下部は分厚いファイルを机に置いた。
それは物理的な紙の束ではないが、その存在感は鉛のように重い。
「まぁ、今の所、日本側は『見ていない』ことになっていますので、ご安心ください。
我々は、あくまでシステムのメンテナンスとビーコンの管理を行っているだけ。
他国の内政には干渉しませんよ」
嘘である。
日下部は暇さえあれば重要人物のログをチェックしているし、必要ならいつでも脅迫材料として使う準備ができている。
「見ていない」という建前こそが、最強の外交カードなのだ。
「……ナノマシン・レーダー網ねぇ」
副島総理は天井を仰いで、深く息を吐いた。
その顔には、一国のリーダーとしての重圧と、共犯者としての奇妙な達成感が浮かんでいた。
「思い返せば、最初は『木材』だったな」
「ええ。
新木場の倉庫に現れた、異常に品質の良い木材。
あれが全ての始まりでした」
日下部もまた、遠い目をした。
たった1年前のことだ。
だが感覚的には、数十年が経過したような気がする。
「木材から始まって、石油、鉄、そして戦車……。
ついには医療用ナノマシンによる不老不死騒動。
そして今、世界中を監視する『神の眼』まで行き着いてしまった」
総理は自嘲気味に笑った。
「まさか木材の話が、こう繋がるとは思っていなかったよ。
一人の男のDIYが、世界の安全保障を根底から覆すとはな」
「工藤創一氏という特異点ですね。
彼は、ただ工場を大きくしたかっただけなのですが」
「その結果がこれだ」
総理はモニターに映る「硝子の世界」を指差した。
プライバシーなど存在しない完全管理社会。
日本がその鍵を握り、米中という巨人をコントロールしている図式。
「……なぁ、日下部くん」
「はい?」
「なんか我々、『悪の結社』みたいになってるなぁ」
総理のポツリとした一言に、会議室の空気が一瞬止まった。
閣僚たちが顔を見合わせる。
否定したいが、否定できない。
秘密基地(地下シェルター)に集まり、世界を裏から操り、超技術で大国を手玉に取る。
やってることは仮面ライダーや007に出てくる悪役、そのものだ。
「……失礼な」
日下部は心外だと言わんばかりに眉をひそめた。
「我々は『日本国民第一』ですよ。
日本を守るため、国民の平和な生活を維持するために最善を尽くしているだけです。
その結果、多少の手法が……アクロバティックになっただけです」
「アクロバティックというレベルか、これは?」
「国家というのは、時には悪魔にもなるものです」
日下部は開き直った。
胃薬の袋を開けながら、彼は淡々と語る。
「綺麗な正義だけで国が守れるなら、警察も軍隊もいりません。
アメリカも中国も、裏では汚いことを山ほどやっている。
日本だけが清廉潔白でいて、その結果滅びるなんて真っ平御免です。
……悪魔と呼ばれようと、生き残った方が勝ちです」
その言葉には、官僚としての冷徹な矜持があった。
誰かが泥を被らなければならないなら、自分が被る。
その代わり、この国には指一本触れさせない。
「……人権無視だろ、これ」
法務大臣が蚊の鳴くような声で呟いた。
彼はまだ、このシステムの非人道性に心を痛めている数少ない良心だ。
「プライバシーの侵害、通信の秘密の冒涜、主権の侵害……。
もしこのことが明るみに出たら、内閣総辞職どころでは済まない。
歴史に残る大犯罪者として、我々は裁かれるぞ」
「バレなければ、犯罪ではありません」
日下部は即答した。
「それに、国民は気づきませんよ。
彼らは便利さを享受するだけです。
『最近、治安が良くなったな』
『テロがなくて安心だ』
……と。
その裏で自分たちの寝室が覗かれているかもしれないなんて、想像もしない」
「……だが、噂にはなるだろうな」
官房長官が顎を撫でた。
「人の口に戸は立てられん。
『どこで見られているか分からない』という感覚は、じわじわと広がる」
「ええ。
すでにSNS上では、都市伝説として囁かれ始めていますよ」
内閣情報官が、モニターの端にネット上の書き込みを表示させた。
『最近、警察の検挙率が異常じゃない? 予知能力でもあるのか?』
『俺の友達、家で万引きの自慢話してたら翌日に警察来たらしいぞ』
『政府が“神の目”を持ってるって噂、マジかも』
『空気中にナノマシンが散布されてて、全部監視されてるらしい』
『アルミホイル巻いて寝ないと思考盗聴されるぞ!』
「……頭、陰謀論かな?」
日下部が冷ややかにコメントした。
「ナノマシンが散布されてるとか、思考盗聴とか。
SF映画の見過ぎですね。
そんな技術、あるわけないでしょう」
会議室に乾いた笑いが広がった。
実際には「ナノマシン」ではないが、「監視されている」という点では真実だ。
だが、その真実があまりにも荒唐無稽(異次元レーダー)であるがゆえに、真実を語る者が最も狂人のように見えてしまう。
完璧なカモフラージュだ。
「都市伝説として消費されているうちは安全です。
『信じるか信じないかはあなた次第』……そういうレベルの話にしておけば、誰も本気で追求しようとはしません。
陰謀論者の妄言として片付けられます」
日下部は、その状況すらもコントロール下に置いていた。
「木を隠すなら森の中」。
「真実を隠すなら、馬鹿げた噂話の中」。
「……さて」
総理が立ち上がった。
会議の終了を告げる合図だ。
「これで当面の安全保障環境は劇的に改善した。
アメリカは日本に依存し、中国は日本に首根っこを押さえられた。
テラ・ノヴァからの資源供給も安定している。
……しばらくは枕を高くして眠れそうだな」
「ええ。
工藤氏も『これで安心して工場を拡張できる』と張り切っていましたよ」
日下部が付け加えた。
その言葉に、全員が一瞬だけ表情を曇らせた。
「工場の拡張」。
それはつまり、新たな問題の発生源でもある。
「……次は何だ?」
防衛大臣が、恐る恐る尋ねた。
木材、石油、戦車、ナノマシン、レーダー。
この次に来るものは?
「電力です」
日下部は静かに答えた。
「この広域監視網を維持するためには、莫大なエネルギーが必要です。
工藤氏は言っていました。
『ソーラーじゃ足りない。もっと強い火が必要だ』と」
「強い火……」
「ウランです」
その単語が出た瞬間、室内の温度が数度下がった気がした。
「彼はすでにウラン鉱脈の採掘に着手しています。
そして遠心分離機による濃縮プロセスも、確立しつつある。
……原子力発電の解禁は時間の問題です」
原子力。
それはエネルギーであると同時に、最強の破壊力の源でもある。
被爆国である日本にとって、それはあまりにも重く、そしてセンシティブなテーマだ。
「……また胃が痛くなりそうだな」
総理が苦笑した。
だが、その目には以前のような迷いはなかった。
毒を食らわば皿まで。
ナノマシンで世界を監視する「悪の結社」になったのだ。
今更、核の一つや二つで動じるものか。
「覚悟を決めましょう、総理。
工場は成長する(The Factory Must Grow)。
我々もまた、それに合わせて成長しなければなりません。
……たとえ悪魔に魂を売ってでも」
日下部は深く一礼した。
第四部の幕が下りる。
硝子の迷宮に閉じ込められた世界。
静寂の監視者が冷たい眼差しで見下ろす中、テラ・ノヴァの工場では新たな「緑色の光」が灯ろうとしていた。
それは希望の輝きか、それとも破滅の予兆か。
答えを知るのは、無邪気な工場長と、胃薬を手放せない一人の官僚だけだった。
第四部 静寂の監視者と硝子の迷宮編 完
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