第5話 スーパーの鮮魚コーナーと肉体のリセットボタン
硝煙の匂いが薄れゆく荒野で、工藤創一は、手の中にある物体を見つめていた。
バイターの死骸から回収した『バイオマター』。
エメラルドグリーンに発光する、そのゲル状の物質は、不気味でありながら、どこか神聖な輝きを放っている。
未知の生命エネルギーの塊。地球の生物学では説明のつかない、この惑星特有の有機化合物だ。
「……さて、これをどうするかだな」
創一は独りごちた。
イヴの提案通りなら、これで『医療用キット』が作れる。
ゲーム的な感覚で言えば、HPを回復する、ただの消費アイテムだ。
だが現実に置き換えた時、その価値は計り知れない。
末期癌だろうが、複雑骨折だろうが、即座に修復してしまう夢の万能薬。
もしこれが地球に流通すれば、医療業界どころか、人間の寿命そのものが変わってしまうだろう。
『マスター、提案があります』
脳内に響くイヴの声は、先ほどの戦闘モードから、いつもの事務的なトーンに戻っていた。
『そのバイオマターを素材に医療用キットを作成。
そして、それを「サンプル」として、日本政府、あるいは研究機関に提供してみてはいかがでしょうか』
「提供って……いきなり持ち込むのか?
『異星で拾いました』なんて言っても、頭のおかしい奴だと思われるだけだぞ」
『正面から持ち込む必要はありません。匿名配送(Anonymous Delivery)を利用します』
イヴが視界にウィンドウを展開し、配送シミュレーションを表示した。
『コンビニエンスストアの宅配便サービスを利用すれば、送り状の依頼主を偽装——あるいは匿名にすることは可能です。
もちろん配送ログを辿れば、発送店舗までは特定されますが、今のマスターには身元を隠す技術はありません』
「まあ、そうだな。防犯カメラにもバッチリ映るだろうし」
『ですが「拾得物を警察ではなく専門機関に送った善良な市民」という立ち位置を装えば、即座に拘束されるリスクは低いと判断します。
むしろ、その効果が証明された時、政府は送り主を血眼になって探すでしょう。
その時こそ、交渉のチャンスです』
「なるほど……。向こうから『会いたい』と思わせるわけか」
悪くない案だ。
いきなり自分が「異星の管理者」として名乗り出るよりも、まずは「謎の超技術」だけを小出しにして、相手の出方を伺う。
政府が強硬手段に出るようなら逃げればいいし、対話の姿勢を見せるならテーブルに着けばいい。
何より、この「奇跡の薬」が現代科学でどう分析されるのか、純粋に興味があった。
「分かった。その作戦で行こう。……で、医療用キットのレシピは?」
創一が尋ねると、目の前にホログラムの設計図が展開された。
そこには、予想外の素材が記されていた。
【医療用キット (Medical Pack)】
必要素材:
応急処置キット (First Aid Kit) x 1
バイオマター (Biomatter) x 1
木材 (Wood) x 2
生魚 (Raw Fish) x 1
「……はい?」
創一の声が裏返った。
木材やバイオマターは分かる。応急処置キットも、まあ分かる。
だが最後の一つ。
「生魚って……あの泳いでる魚か?」
『はい。有機タンパク質のベースとして、未加工の魚肉が必要です』
「なんでだよ!
ここはSF的な工場を作る惑星だろ!?
なんで急にサバイバル生活みたいな素材を要求してくるんだ!」
『この惑星の生態系において、魚類は非常に純粋なタンパク源です。
バイオマターの強烈な活性化作用を中和し、人体に適合させるための触媒として機能します』
イヴは大真面目に解説するが、創一は頭を抱えた。
魚。
この荒野のどこに魚がいるというのか。
「……イヴ、近くに水場はあるか?」
『スキャンデータによると、北西へ約5キロメートル地点に湖が存在します。そこに生息反応があります』
「5キロ……」
往復10キロ。
しかもバイターがうろついているかもしれない夜道を、魚釣りのために歩く?
冗談ではない。さっきの一戦だけで、精神力はすり減っているのだ。
「却下だ。そんな体力はない」
『では代替案を提示します。……地球で購入してください』
「……は?」
『レシピにおける「生魚」の定義は、特定の種を指すものではありません。
新鮮な魚肉であれば、地球産の魚類でも代用可能です』
創一は数秒間、ぽかんと口を開け、それから脱力したように笑った。
そうか。その手があった。
ゲートを使えば、そこは現代日本だ。
文明の利器、スーパーマーケットがあるじゃないか。
「……帰るか。晩飯の買い出しも兼ねてな」
彼はサブマシンガンを背負い直し、ゲート・キューブを展開した。
空間が裂け、慣れ親しんだワンルームマンションの空気が流れ込んでくる。
異星の英雄から、ただの消費者へ。
この切り替えの早さが、工藤創一という男の最大の武器かもしれない。
午後八時過ぎ。
近所のスーパー「ライフ」の鮮魚コーナーは、夕飯時のピークを過ぎ、値引きシールが貼られ始めていた。
蛍光灯の明るすぎる光が、創一の疲れた目に染みる。
スーツ姿に、少し泥のついた革靴。
はたから見れば、仕事に疲れたサラリーマンが、独身の侘しい夕食を選んでいるようにしか見えないだろう。
まさか、その男が数十分前まで異星で怪物と銃撃戦を繰り広げていたとは、誰も思うまい。
「魚、魚……」
彼はパック詰めされた魚たちを物色した。
マグロの刺身? いや、加工されすぎているかもしれない。
切り身? 骨がないとダメとかあるか?
『マスター、丸ごとの魚を推奨します。内臓や骨に含まれる成分もクラフトに利用されます』
「了解。……となると、これか」
彼が手に取ったのは、長崎県産の真アジ。二尾入りで三百九十八円。
さらに「20%引き」のシールが貼られている。
「安いな。……これで万能薬ができるなら、コストパフォーマンスは最強だ」
『鮮度は良好です。購入を推奨』
イヴのお墨付きをもらい、彼はカゴに入れた。
ついでに、自分の夕食用の弁当とビールも放り込む。
レジで支払いを済ませ、ビニール袋を提げてマンションへと戻る。
自動ドアを抜ける時、ガラスに映った自分の顔を見て、創一は苦笑した。
ひどい顔だ。
目の下には濃いクマ。肌はカサカサで、猫背気味。
充実感はあるが、肉体の疲労は隠せない。
「……早く薬を作ろう」
帰宅した創一は、手を洗うのもそこそこに、買ってきたアジのパックをテーブルに広げた。
生臭い匂いが部屋に充満する。
SFチックなバイオマターと、スーパーのアジ。
シュールすぎる光景だが、これが現実だ。
「よし、やるぞ」
彼はまず、インベントリから素材を取り出した。
木材。鉄板。
そして以前作っておいた『応急処置キット』。
それらをテーブルに並べ、最後にアジを置く。
「クラフト開始」
意識を集中する。
右手のキューブが輝き、ナノマシンが放出される。
次の瞬間、テーブルの上の物体が光の粒子となって分解された。
アジが、木材が、バイオマターが、原子レベルで解体され、再構築されていく。
バチバチバチッ……シュゥゥゥン……
光が収束すると、そこには一本のスタイリッシュな注射器——インジェクターが転がっていた。
中には、透き通ったエメラルドグリーンの液体が満たされている。
さっきまでの魚の匂いは、完全に消えていた。
【クラフト完了:医療用キット x 1】
「できた……」
創一はそれを手に取った。
ひんやりとした金属とガラスの感触。
見た目はSF映画に出てくる回復アイテム、そのものだ。
これが、あのアジと肉片からできたとは、到底信じられない。
「さて、これを梱包して送るか」
『お待ちください、マスター』
段ボールを探そうとした創一を、イヴが制した。
『発送する前に、まずは貴方自身に使用することを強く推奨します』
「……は? 俺に?」
『はい。現在のマスターのバイタルスキャン結果は、極めて劣悪です』
イヴが冷酷な事実を告げるように、空中に赤いウィンドウを表示した。
【ステータス異常 (Debuffs)】
慢性腰痛 (Chronic Back Pain): レベル 4 - 脊椎の圧迫を確認。
重度肩こり (Stiff Shoulders): レベル 5 - 血流阻害。
ドライアイ (Dry Eye): レベル 3 - 角膜損傷の恐れ。
視力低下 (Myopia): 左 0.3 / 右 0.4
累積疲労 (Exhaustion): 限界突破。
「うっ……」
『これらは貴方のパフォーマンスを著しく低下させています。
今後、異星での過酷な開拓作業を行う上で、この身体機能の低下は致命的なリスクとなり得ます』
「それは……まあ、自覚はあるけどさ」
創一は自分の腰をさすった。
座りっぱなしのSE生活、十年。
腰は常に悲鳴を上げているし、夕方になれば目は霞む。
だが、それが「普通」だった。
「でも、これを使うのは……ちょっと怖くないか?
さっき作ったばっかりだぞ?
材料はアジだぞ?」
『成分分析、完了しています。有害物質は皆無。ナノマシンによる修復プロセスは100%安全です』
「100%……」
『私が保証します。
それに、自分で効果を体感せずに他人に送るのですか?
もし不具合があれば、それこそ大問題になりますよ』
痛いところを突かれた。
確かに、効果のほどを知らずに「すごい薬です」と言って送りつけるのは無責任だ。
それに、この腰痛が治るなら……。
「……分かった。信じるよ、イヴ」
創一は覚悟を決めた。
シャツの袖をまくり、二の腕を露出させる。
インジェクターの先端を皮膚に押し当てる。針はない。高圧ジェットで薬剤を浸透させるタイプだ。
「行くぞ……!」
トリガーを引く。
プシュッという微かな音。
痛みはなかった。
代わりに、氷水を血管に流し込まれたような鋭い冷たさが走った。
「うおっ……!?」
その冷たさは瞬く間に全身へと広がっていく。
血管を駆け巡り、心臓へ、脳へ、そして指先へ。
冷たさはすぐに、柔らかな「熱」へと変わった。
温泉に浸かった時のような、芯から解きほぐされるような感覚。
ボキッ、ゴキッ……
体の中で奇妙な音がした。
背骨が、関節が、勝手に動いている?
いや、正しい位置に戻っているのだ。
凝り固まっていた筋肉が、ナノマシンの働きによって柔軟性を取り戻し、歪んだ骨格を矯正していく。
「あ……あああ……っ!」
声が漏れた。
苦痛ではない。快感だ。
十年分の重荷が、泥のように流れ落ちていく。
霞んでいた視界が、カメラのピントが合うように鮮明になっていく。
数分後。
熱が引いた時、創一は呆然と立ち尽くしていた。
「……なんだ、これ」
彼は自分の手を見た。指紋の溝まで、くっきりと見える。
首を回す。ゴリゴリという不快な音がしない。
腰を捻る。痛みがないどころか、バネが入ったように軽い。
「嘘だろ……?」
洗面所へ走り、鏡を覗き込む。
そこには別人のような男が立っていた。
どんよりと濁っていた瞳は、子供のように白く澄んでいる。
目の下のどす黒いクマは消滅し、顔色は健康そのものだ。
肌のツヤなんて、二十代の頃より良いかもしれない。
「これは薬じゃない……」
創一は鏡の中の自分に触れた。
「肉体の『リセットボタン』だ……!」
ただの回復ではない。
蓄積されたダメージ、老化、摩耗。
それら全てを「初期状態」に戻し、さらに最適化したような感覚。
全身に力が漲っている。
今なら徹夜でコーディングしても、フルマラソンを走っても、笑顔でいられる気がした。
「すげーよ、これ!!!
今なら徹夜5日は余裕で出来そうだ!!!」
『過度な労働は推奨しませんが、身体機能は300%向上しています。おめでとうございます、マスター』
イヴの祝福に、創一は笑いが止まらなかった。
これほどの効果があるなら、もう迷いはない。
これは世界を変える。間違いなく。
「よし、送るぞ!
残りの素材でもう一本クラフトして、すぐに発送だ!」
彼は興奮冷めやらぬまま、再びインジェクターを作成した。
そしてパソコンに向かい、添え状を打ち込む。
手書きだと筆跡鑑定されるかもしれないからだ。
『拝啓
突然の送付失礼いたします。
私は先日、山中で不思議な物体を拾いました。
興味本位で怪我をしていた野良猫に使ってみたところ、信じられないことに骨折が一瞬で治りました。
怖くなり、手元に置いておくのが恐ろしくなりましたが、捨てるにはあまりに惜しいと思い、専門機関である貴研究所にお送りします。
どうか分析をお願いします。
これは人類の役に立つものかもしれません。
一市民より』
「……こんなもんか?」
少し芝居がかっているが、これくらいの方が「ビビって手放した一般人」っぽさが出るだろう。
自分に使ったとは書かない。人体実験をしたとなれば倫理的な問題で追及されかねないからだ(野良猫ならギリギリ……いや、動物愛護的にあれだが、自分の体よりはマシだ)。
彼は医療用キットを、緩衝材(新聞紙)で包み、適当な空き箱に入れた。
宛先は東京都新宿区にある『国立感染症研究所』。
品名は「精密機器(模型)」としておく。
「よし、コンビニへ行くぞ」
深夜一時。
創一は足取りも軽く、近所のコンビニへと向かった。
夜風が心地よい。
以前なら寒くて縮こまっていた気温だが、今の強靭な肉体には涼風にしか感じられない。
コンビニのレジで、眠そうな外国人店員に荷物を渡す。
端末を操作し、匿名配送の手続きを済ませる。
控えを受け取り、店を出た。
「……送っちまったな」
ポストに投函された手紙のように、もう後戻りはできない。
明日か明後日には、あの研究所に「奇跡」が届く。
研究員たちは最初はゴミだと思うかもしれない。
だが成分分析にかけた瞬間、彼らの常識は崩壊するだろう。
パンドラの箱を開けたのは、俺だ。
『心拍数が上昇しています、マスター』
「武者震いだよ。……これで世の中がどう動くか」
創一は夜空を見上げた。
東京の空は明るすぎて、星は見えない。
だが彼の目には、遥か彼方のテラ・ノヴァの星空と、そこに広がる未来の工場の幻影が重なって見えていた。
『大騒ぎになりますが、大丈夫でしょうか?』
「大丈夫だろ。……多分な」
彼はニヤリと笑い、軽快なステップでマンションへと戻っていった。
その背中には、もはや「疲れた社畜」の影は微塵も残っていなかった。
最後までお付き合いいただき感謝します。
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